ここから本文です
アシモモ〜のブログ
日記に近い感じで日常生活を綴っています。

書庫ポンドツーリスト熊本支店(駄)

記事検索
検索

全6ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6]

[ 前のページ | 次のページ ]

イメージ 1こんにちは!ポンドツーリスト社長のポンドです。

今年のNHK大河ドラマは「マラソンの父」と言われている金栗四三氏の物語「いだてん」です。今回は、当ブログ常連様の「じーおっぺ」様からお誘いいただき、ご一家とともに金栗氏の出身地周辺を巡る旅に出ました。「じーおっぺ」様、ありがとうございました。また、運転おつかれさまでした。

今回のゲストは、コンパクトな身体を活かして出動回数が激増しているシロクマちゃんです。


〇横島いちごマラソン
イメージ 22月24日(日)、玉名市横島町にて、「横島いちごマラソン」が開催されました。会場にはアドバルーンが掲出されていました。平坦な地形の土地柄なので、遠方からもアドバルーンが目立ち、やはり空が広い九州地方の広大さを感じずにはいられませんでした。

いちごマラソン大会は、来年からフルマラソンの部が設定されるそうなので、アシモモ〜が参加を検討しているようです。来年の大会の時にも熊本に居られたいいですね(汗)。

会場には、NHKの番組「ランスマ」の収録で田村亮氏が来訪されていました。田村氏はハーフマラソンに出場しておられました。放映はBS1で4月17日(水)21:00からです。
イメージ 3イメージ 4また、金栗四三氏の生誕地である和水町に近いご縁で、大河ドラマ関係者も来訪されていました。スターターは主演の中村勘九郎氏。玉名市のマスコット「たまニャン」の向かって右側は宮崎美子氏です。

ハーフマラソンのスタートの様子を動画に収めたのでご覧ください。
https://www.youtube.com/watch?v=GMCa4KkDAoM
スタート前の「ようござんすか!」が歌舞伎役者っぽくて素敵だと思いました。

2.5㎞の「のんびりコース」では、途中で給水所ならぬ「給いちご所」が設けられ、各ランナーにいちご1パックが交付されます。何と太っ腹な大会なのでしょう!その場でパックを開けてしまうと、フィルムが緩んでいちごが落下しますので、パックはそのまま持って走り、給いちご所で振る舞われるいちごを食するのがオススメです。
イメージ 5イメージ 6走り終えた後は、各ランナーに交付されている「貝汁券」を行使して、アサリたっぷりの貝汁をいただきました。本当にアサリがゴロゴロしていて、贅沢な一品でした。

〇いだてん大河ドラマ館
マラソン大会の後は、2020年1月13日まで設置されている「いだてん大河ドラマ館」を訪問しました。現在放映中の「いだてん」に関連した展示物や映像が豊富なパビリオンです。
イメージ 7イメージ 8なんと、いちごマラソン大会でスターターを務めておられた中村勘九郎氏が来訪されていました。混乱を避けるために入場が規制されていたので、ミーハーではありますが、我々は出口で待ち構えました。延々と待った甲斐があって、勘九郎氏と触れ合うことができました。じーおっぺ様の「中村屋!」の掛け声は歌舞伎役者のようなよく通る声でした!
イメージ 9イメージ 10館内では、展示物や映像を隈なく見て、知見を深めました。こうやって知れば、興味も沸いて、ドラマも観たくなるものです。アタシは記念撮影に勤しみました。身体を張って撮影協力いただいた「じーおっぺ」様、ありがとうございました。画像を加工して「消えて」いただきました。ごめんなさい!

〇金栗四三 生家記念館
和水町は「なごみまち」と読みます。その名前は、本年1月3日の震度6弱の地震で一躍全国区になったと思います。金栗氏の生家が和水町にあります(和水町中林546)。本年12月23日までの間、生家が記念館として公開されています。風光明媚な農村風景が広がる土地に生家があります。
イメージ 11イメージ 12中林地区の庄屋だったという家なので、立派な構えの家です。四三氏の父の代で廃業したそうですが、造り酒屋でした。広い土間と高い屋根と天井が特徴的です。ここで大河ドラマの撮影が行われました。
イメージ 13イメージ 14家の中は広い土間とともに、居住空間も広く取られています。
イメージ 15イメージ 16四三氏の幼少期は家族の温かい支えもあって、勉学にも励んだといいます。居住空間の奥には「学校部屋」と呼ばれる、四三氏専用の勉強部屋が設けられていました。家族の期待を一身に受けて、この狭い部屋で声を張り上げて勉強していたそうです。あまりに狭いので、監禁部屋のように見えてしまいますが、勉強部屋なのです。アタシはいつも狭いカバンの中に押し込まれていますので、四三少年の気持ちが少し分かるような気がします。
イメージ 17イメージ 18周囲からの好奇の視線に晒されて、恥を忍びながら、シロクマちゃんと記念撮影に臨みました。

〇金栗四三ロードをたどる
四三少年は、明治34年から4年間、現在の南関町にある玉名北高等小学校までの片道6㎞の道のりを走って通学していました。その通学路は「金栗四三ロード」と呼ばれています。
イメージ 19イメージ 20車がやっとのことで離合することができる幅の道路が整備されています。今回は車で「金栗四三ロード」をたどり、四三少年の通学の様子を追体験しました。

道中にはいくつもの神社があります。その中の一つ、七郎神に立ち寄りました。1200年頃にこの地にやってきた坂梨七郎右衛門の遺徳をたたえて七郎神として祀られたものです。五穀豊穣、子孫繁栄の神様ということで、腰から下、特に腰と性にご利益があるということです。
イメージ 21イメージ 22そういった経緯で、境内には腰から下の何某を模したものが供えられています。
イメージ 23イメージ 24金栗少年も、ここに立ち寄って参拝したのでしょうか。

さて、寄り道はそこそこに、学校に向かって車は走っていきます。急勾配の道路が続きます。ここを毎日走ったならば、それはそれは鍛えられたことでしょう。
イメージ 25イメージ 26鬱蒼とした木々に囲まれ、冬の日の朝晩や雨の日は薄暗く、走るのは辛かったろうと思われます。駆け足通学の中で「スッスッ、ハッハッ」の呼吸法を編み出したそうです。「吸う吸う吐く吐く」という呼吸法を行えば走るのが楽になるのだそうです。

こちらが、南関町にある南関第三小学校、当時の玉名北高等小学校です。この歌碑は、南関第三小学校の生徒が学習を通じて金栗四三氏のことを学び、氏への尊敬の念と母校への誇りに突き動かされて歌作りに取り組んだ結晶です。
イメージ 27イメージ 28小学校のグランドに立ちました。明治の時代におそらくこの地で運動をしたであろう金栗四三氏のことを思うと、時代を超えて一体感を覚えました。金栗四三氏の座右の銘である「体力、気力、努力」を唱えました。この言葉は、何もマラソンだけに当てはまる理ではなく、現代に生きる人間たちが実践すべきものかもしれません(アタシはネコ科ですけれど)。

また、金栗四三氏は筆まめであったと伝わっており、文才にも長けた人物であったと思われます。例えば、明治45年(1912年)のストックホルム五輪のマラソンで大敗した翌日の日記には、以下のように記しておられます。
大敗後の朝を迎う。終生の遺憾のことで心うずく。余の一生の最も重大なる記念すべき日になりしに。しかれども失敗は成功の基にして、また他日その恥をすすぐの時あるべく、雨降って地固まるの日を待つのみ。人笑わば笑え。これ日本人の体力の不足を示し、技の未熟を示すものなり。この重圧を全うすることあたわざりしは、死してなお足らざれども、死は易く、生は難く、その恥をすすぐために、粉骨砕身してマラソンの技を磨き、もって皇国の威をあげん
嗚呼、なんと美しい文章でしょう。幼少期に学校部屋にて励んだ勉学の賜物ではないでしょうか。アシモモ〜においても、ダラダラと駄文を書き連ねるのではなく、このような無駄がなく洗練された、研ぎ澄まされた文章を書いてほしいものです。

〇熊本ラーメンのルーツ、玉名ラーメンを食す
旅の締めくくりは玉名ラーメンです。そのルーツは、久留米市のラーメン屋「三九ラーメン」が玉名に出店したことに遡ります。その特徴は以下の点が挙げられます。
・濃厚な豚骨スープ(店の外からも感じられる)
・甘みのある濃い油脂のスープ
・中細ストレート麺
・焦がしニンニク(店員に振りかけてもらうのが流儀)
今回は、数あるお店の中から大輪を訪れました。上記の特徴をすべて満たしているお店で、極めて美味しいラーメンでした。大盛りを注文しましたが、途中でしんどくなることもなく、あっという間に完食でした。
イメージ 29イメージ 30玉名ラーメンは、こむらさき、味千ラーメン、松葉軒といった熊本ラーメンの元祖へと繋がっていきますので、熊本ラーメンの祖先を味わうという点で極めて意義深い体験をさせていただきました。



「じーおっぺ」様ご一家の皆様、アタシのような卑しい身の者を連れ出していただき、ありがとうございました。また、どこか九州地方の名所に連れて行ってください!
イメージ 1ポンドツリースト社長のポンドです。謹んで新春のお慶びを申し上げます。

本年も張り切ってポンツリ社を盛り上げていきたいと思いますので、どうかよろしくお願い申し上げます。




イメージ 2さて、今回は、プチ熊本ツアーの記録です。熊本県庁のイチョウ並木のところに、人気漫画ワンピースの主人公ルフィの等身大の像ができたということで、約1か月遅れで見物に行きました。当ブログの常連様である「じーおっぺ」様と田原坂を訪問https://blogs.yahoo.co.jp/anmako1976/16039662.html)した際に、立ち寄ったものです。




【参考】「復興へ出航だ」ルフィ像お目見え 熊本県庁 (2018年11月30日付 熊本日日新聞)
 人気漫画「ONE PIECE(ワンピース)」の主人公ルフィの等身大立像が30日、熊本県庁プロムナードにお目見えした。除幕式では、「復興に向けて出航だ」とのルフィの声を合図に、右拳を高く突き上げた姿が披露され、詰め掛けたファンや被災者を喜ばせた。 

 立像はブロンズ製で174センチ。熊本市出身の作者尾田栄一郎氏が細部までデザインを監修し、トレードマークの麦わら帽子をかぶり、海賊マント、半ズボン、サンダル姿。30センチの台座の上に笑顔で立っている。 

 熊本地震の復興支援で多額の寄付をした尾田氏の県民栄誉賞を記念し、県が建設した。式典には尾田氏の両親や掲載誌の週刊少年ジャンプの中野博之編集長らが出席。蒲島郁夫知事が「ルフィのように、逆境にあっても諦めずに復興に向かいたい」とあいさつした。

 県はルフィの他にも、「麦わらの一味」と呼ばれる仲間の8体の像を県内に設置予定。県秘書グループによると同日が設置希望の締め切り期限で、計31市町村から応募があった。

イメージ 3アシモモ〜がジョギングのついでに何度かイチョウ並木の紅葉を見物に訪れていたはずですが、このような像が建設されていたことなんて気づかなかったと言っています。いったいどこを見ていたのでしょうか。ボケ〜と走っているから重要なものを見落とすのですね。

作者の尾田さんが細部まで監修したというので、実にリアルな造りになっています。ルフィに抱かれて記念撮影に臨みました。周辺には中国から訪れた観光客も熱心に写真を撮っておられました。
イメージ 1こんにちは!「ポンツリ」こと「ポンドツーリスト」社長のポンドです。

今年はNHK大河ドラマ「西郷どん」で大いに盛り上がった九州地方でしたが、その最終回を前にした12月中旬、ポンツリ社のよき理解者でもいらっしゃる「じーおっぺ」さん、歴史好きな御子息様と田原坂を訪問しました。

「じーおっぺ」様、その節は大変お世話になりました。お宅訪問編は、日を改めて掲載したいと存じます。

【参考】「じーおっぺ」様が書かれた田原坂訪問記
 ダラダラとまとまりなくご紹介する当ブログよりも、「じーおっぺ」さんのブログの方がコンパクトかつ的確にまとまっているので、そちらをご覧になることをお勧めします。 → http://sekarashika.blog.jp/archives/54592559.html



〇田原坂をゆく
田原坂は、熊本城籠城軍を救援するために南下した官軍と、これを阻止しようとする薩軍が死闘を演じたところです。明治10年(1877年)3月4日から17昼夜にわたり白兵戦が繰り広げられ、死傷者4千人余を出しました。

当時、唯一この道だけが大砲を曳いて通れる幅3〜4mの道幅があったので、官軍はこの道を通らざるを得ず、平凡な坂道が戦略上の重要地点となり、激戦の地となったのです。

田原坂の訪問は、麓の豊岡眼鏡橋から始まります。石造りの良い橋です。眼鏡橋と田原坂の標高差はわずか80mで、一の坂、二の坂、三の坂と通り、頂上まで1.5㎞の曲がりくねった道が続いています。(左)が眼鏡橋です。
イメージ 2イメージ 3(右)一の坂付近から麓の方を眺めると、のどかな田園地帯が広がっています。こんな平和な風景の場所で、何千人もの死者が出た激戦が繰り広げられたのです。


一の坂を登っていきます。鉄板をくり抜いた看板が一の坂であることを告げています。
イメージ 4イメージ 5日中なお薄暗く、両翼の竹林は坂道に覆いかかるかのごとし。坂は切通しのようなくり抜いた凹型の道で、実際に現地に行けば、待ち受ける薩軍側にとって攻めやすい地形であったことがよく理解できます。今なお、両側から薩軍が襲ってくるのではないかと感じさせる気迫があります。


三の坂付近にある(左)「西南之役戦没者慰霊碑」、(右)「伍長谷村計介戦死之地」の石碑。
イメージ 6イメージ 7谷村計介は、明治7年に陸軍伍長となり、明治10年の西南戦争に従軍しました。熊本城内で守城軍として活躍し、密使として官軍本営との連絡に当たり、捕われつつも隙を見て逃亡し、その任務を完遂しました。その後、戦闘に参加して、3月4日に田原坂にて戦死なさいました(享年25)。


(左)試みに、坂の脇の高台の茂みに潜んで官軍を待ち受ける気分を味わってみました。このような具合で茂みに隠れていれば、なかなか見つからないし、襲撃するのも容易でしょう。
イメージ 8イメージ 9周囲に目を転ずれば、ミカン畑や農地が広がり、本当にのどかな風景であります。激戦だった故、今もなお、畑を耕せば当時の弾薬が出土すると言います。


〇田原坂の頂上
田原坂の頂上付近には田原坂公園が整備されており、大木がお迎えしてくださいます。この木は、西南戦争の当時からこの場所に生えていたことでしょう。
イメージ 10イメージ 11
雨は降る降る  じんばは濡れる  越すに越されぬ  田原坂

右手(めて)に血刀  左手(ゆんで)に手綱  馬上ゆたかな  美少年

と歌われた民謡「田原坂」が彫られた馬上の美少年像です。(右)


イメージ 12
田原坂崇烈碑(たばるざかすうれつひ)は、田原坂の激戦と勝利の意義が官軍の立場から述べられています。概要は以下のとおりです。
〇明治10年2月、西郷隆盛は反乱を起こし、熊本城を囲んだ
〇天皇陛下は大変お怒りになり、軍隊に討伐させた
〇熾仁親王が征討総督で、陸軍中将山形有朋、海軍中将川村純義が参軍
〇2月27日、官軍は高瀬を占領、3月4日には木葉も占領、薩軍は退却し、田原坂に陣を構築
〇薩軍は皆精鋭の兵で、堅固な陣地を築き、狼や虎が吠えて襲うように出撃、官軍は苦戦
〇激戦は昼夜を問わず17日に及び、死傷者4千余人、数百の激戦があった
〇仮に、この坂を抜くことができず、薩摩が北方に進出したならば、直ちに政府に不満を持った者たちが立ち上がり、禍は計り知れなかっただろう
〇嗚呼、死者の功績は大きく、そのままにしておけない痛ましいことである。そこで碑を田原坂の頂上に建て、このことを記し、忠烈な戦いを顕彰する


〇田原坂西南戦争資料館
田原坂の頂上には田原坂西南戦争資料館があります(http://www.city.kumamoto.jp/hpkiji/pub/detail.aspx?c_id=5&id=16402)。平成27年11月、「近代日本の夜明けを学び伝える歴史学習施設」を基本コンセプトに新装オープンを果たしました。
イメージ 13イメージ 14映像・音・振動・ジオラマで戦いの様子をリアルに再現した体感展示や、実際に使われた銃や弾、古文書等の貴重な資料の展示など、西南戦争に至る時代背景や意義について分かりやすく展示しています。資料館の入口の向かいには、弾痕の家と呼ばれる、当時の激戦の様子がしのばれる建物が移築されています。内部も観ることができ、赤十字関係のものが展示されています。


館内では、ありがたいことに館長様が熱心に案内していただきました。「じーおっぺ」さんの根回しと交渉の賜物であります。ポンドツーリストと言えども、ここまでの手配はできません。館長様の説明は、博識に裏打ちされた大変詳細なものでしたが、シロウトでも十分に理解できるように、平易な言葉で丁寧に説明してくださいました。おかげで、西南戦争に至る道のりや、当時の時代背景まで、「歴史の流れ」を理解することができました。高校生の時、このような日本史の授業を受けていれば、もっと歴史が好きになったろうにと、アシモモ〜は思ったそうです。
イメージ 15イメージ 16展示物のクオリティが高く、田原坂周辺から出土した弾薬や、本物の西郷札も展示されています。西郷札というのは、資金不足に陥った薩軍が発行した戦時証券です。実際には布でできています。無理やりに流通させたものであったと言います。薩軍の敗北とともに単なる布切れとなり、明治政府からの補償もなかったため、西郷札を引き受けた商家は没落するところもあったといいます。なお、西郷札は明治政府が没収してしまったため、あまり現存していないそうですから、ここで本物を見られることは非常に意義深いものです。


当時用いられていた銃もきれいな状態で展示されています。火器が使われましたが、田原坂では日本刀を用いた斬り会いが行われ、薩軍が圧倒的に強かったと言います。ただ、近代的な火砲や小火器にはかなわなかったということです。
イメージ 17イメージ 18熊本城からも銃砲弾が出土しています。熊本城で籠城戦が行われていた当時、食糧難から、敷地内にいる犬、猫に至るまで食べていたと言います。西南戦争当時にも周辺地域には猫はいたでしょう。どんな様子だったのだろうか、犬猫も戦乱に巻き込まれ逃げまどっていたのだろうかと、思いを馳せました。


さあ、記念撮影タイムです。周囲からの冷たい視線に耐えながら、「政府軍くまモン」と「薩摩軍くまモン」に挟まれてポーズを決めました。
イメージ 19イメージ 20西南戦争当時に使われた「四斤山砲(よんきんさんぽう)」です。フランスから輸入し、両軍が使用しました。射程は1,000m〜1,500mで、砲弾の重さは4㎏(=四斤)。砲身は、アタシがちょうど収まる太さでした。
イメージ 21
資料館のテラスからの眺望です。右手遠くに薄っすら見えるのが雲仙岳。その少し左手の台地は二俣瓜生田官軍砲台跡です。官軍はここから田原坂方面に砲撃を加えたのでした。左側の山並みは、吉地峠をはじめとする戦跡です。こちらは訪問する時間がなかったので、日を改めてツアーを組みたいところです。


〇正念寺(国史跡)@玉東町
さて、資料館から田原坂を下り、玉東町に至りました。この地点も西南戦争の激戦地であります。
イメージ 22
玉東町役場の近くにある正念寺は、負傷した兵士を治療した政府軍の病院跡があります。寺自体は、地域に密着した普通のお寺のように見えましたが、西南戦争当時においては、日本赤十字社の前身である「博愛社」が活動した地でした。
イメージ 23イメージ 24山門には当時の弾痕が確認できます。穴の周囲が衝撃で削れていますから、撮影した側から弾薬が当たったものと思われます。


〇田原坂グルメ編 〜極上のお蕎麦〜
田原坂と資料館を十二分に見学したので、お昼の時間を大幅に遅延してランチタイムとなりました。JR鹿児島本線木葉駅付近では、2両編成の可愛らしい車両を目撃しました。
イメージ 25イメージ 26駅近くにある蕎麦屋「そば是 上々吉」に入りました。あまり目立たない外観ですが、蕎麦のクオリティは最上級です。


せいろ蕎麦(十割)の並盛(1,000円)です。良質の蕎麦の実を石臼で挽き、手打ちした最高の生粉打ち蕎麦です。辛味大根とともにいただきます。
イメージ 27イメージ 28
蕎麦を食べる指南書が置かれていました。概要は以下のとおり。これに従って食べてみました。蕎麦の味がよく味わえて、良い勉強になりました。最後には、そば湯をいただいて、ツユまで味わい尽くしました。
①何もつけずに蕎麦だけ味わう
②ツユを少しだけ猪口に移し、蕎麦の4分の1程ツユをつけて味わう
③薬味は小分けに入れる
④ツユは半分以上付けない
⑤蕎麦や薬味を猪口の中でこねくり回さない
⑥他店の蕎麦の味と比べない(店によって味か香りか、優先順位が違うため)
なんと、ミシュランにも掲載されているんです!目立たない外観からは想像もつかないモダンな造りの店内でした。熊本地震で被害を受けたお宅から木材を譲り受け、倉庫だった空間を居心地の良い空間に改築したそうです。



【平成31年1月11日追記】
平成30年末の休日、熊本城近傍の「城採苑」バスターミナルにて、田原坂方面の観光に便利なバス「田原坂せごどん号」を目撃しました。あいにくの天気で乗客数は低調だったようですが、このバスに乗って田原坂に観光客が押し掛けることを祈ります。
イメージ 29
車体には、田原坂の美少年イメージキャラクターで、薩軍少年兵の「山口雄吾」が塗装されています。
イメージ 1こんにちは!「ポンドツーリスト」社長のポンドです。

JR三角線のご紹介(https://blogs.yahoo.co.jp/anmako1976/16022520.htmlに続き、今回は三角駅周辺を散策した記録です。ひなびた街並みにも多くの魅力が詰まっています。




〇三角線終焉の地点
三角駅周辺は、さびれた港町の雰囲気が漂っています。駅から少し歩いたところに、三角線の終点がありました。こういったところに敬意を払うのもポンツリの真骨頂です。
イメージ 2イメージ 3駅から少し波多浦駅寄りの歩道橋から、三角駅の全容を眺めることができます。列車が停車していれば風情のある写真になりましたが、あいにく列車は出てしまった後でした。


〇海のピラミッド
駅の近くの三角港湾合同庁舎には税関も入居しており、海外との船舶の往来があることが伺えますが、駅前の商店街はシャッターを閉ざした店が多く、閑散としていました。
イメージ 4イメージ 5
駅を一歩出たところから潮の香りが漂っています。駅の真正面は三角港であり、天草の島々が見えています。ひときわ目立つ建物が、巻貝のような形状の「海のピラミッド」という建物。


「海のピラミッド」は頂上まで上ることができます。バカと煙は高いところが好きと申しますので、頂上に上がってみることにします。エレベーターはないので外周に沿って設けられたスロープを、ひたすらぐるぐると上がります。
イメージ 6イメージ 7写真のアングルに次第では、面白みのある写真に仕上がりそうです。スロープは建物内部と外部と両方に設けられています。

ピラミッドらしく、先端はキチンと尖っています。頂上からは三角の街並みも、遠くの天草の島々も、一望することができます。
イメージ 8イメージ 9チッチと一緒にピラミッドの頂上で記念撮影をしました。こちらは三角の街並みをバックに。ピラミッドのすぐ脇には地元の産物を取り扱う物産館がありました。ここで、新鮮な魚、水産加工品、野菜、総菜、お土産などが手に入ります。


(左)宇土半島と戸馳島を隔てるモタレノ瀬戸です。この先に戸馳大橋が架橋されており、宇土半島と島を結んでいます。
イメージ 10イメージ 11(右)手前に見えるのは寺島、奥に見えるのは維和島です。右手後方には橋が写り込んでいますが、天草と維和島は橋で結ばれています。いつかこのあたりの島巡りツアーも企画してみたいところです。


〇三角港周辺を散策
さて、港を散策します。海のピラミッドのそばには旅客船ターミナルがあり、1日に2本程度ではありますが天草の島々を結ぶ船が就航している模様です。
イメージ 12イメージ 13三角を訪問したのは平日でしたが、港の岸壁から釣りをする人が相当の数人おられました。岸壁からはすぐ沖合に浮かぶ寺島が見えました。魚はあまり釣れてなかったようです。


船着き場には、灰色の船が停泊していました。自衛隊の船ではありませんよ、熊本県漁業取締事務所の漁業取締船です。漁場の秩序を守ってくださる、頼れる船舶です。
イメージ 14イメージ 15「あまくさ」(総トン数27t)は八代海を、「ひご」(総トン数33t)は有明海を担当海域としているそうです。


〇地元銘菓3選!
アシモモ〜にねだって、海のピラミッドから見えた物産館で地元銘菓を買ってもらいました。「磯まくら」、「みかんの里」、「ムルドル通り」の3種類も!!
イメージ 16
でも、バラ売りしていたので、1つずつしか買ってくれないという吝嗇家ぶりを発揮していました。帰りの列車内で、地元銘菓を堪能しました。
〇磯まくら
あんこで餅が包まれている和菓子で、周囲はきんつばと同様。「磯枕」だなんてネーミングなので、磯臭いお菓子かと思いましたが、まったくそのような菓子ではありません。明治神宮奉献とあるとおり、由緒正しい和菓子であります。北海道大納言小豆が使われています。

〇みかんの里
スポンジの中にミカンの皮や果実を使ったコンフィチュールが練り込まれています。ミカンのすがすがしい香りと、ほろ苦い皮の食感が実に好ましい洋菓子です。

〇ムルドル通り
バターの香りと卵の風味が豊かな焼き菓子。表面はややサクッとしていて、内部はしっとりとしたスポンジ状。素晴らしい香りを鼻先に残す、素晴らしい洋菓子です。

三角駅周辺は散策するには落ち着いていて素晴らしいところでした。観光地としては、実は三角西港の方に数多く存在しており、九州・山口の近代化産業遺産群として世界遺産にもなっています。明治時代に建設された港湾、旧三角海運倉庫、浦島屋、旧高田回漕店、旧宇土軍役所など、今度は車で訪れてみたいものです。またツアーの企画構想が湧いてきました。


【平成31年2月14日追記】
三角西港を訪問した記録を掲載しました。  https://blogs.yahoo.co.jp/anmako1976/16108745.html
イメージ 1こんにちは!「ポンツリ」こと「ポンドツーリスト」社長のポンドです。ご機嫌いかがですか。

11月下旬、熊本駅から三角線のディーゼルカーに乗って、三角(みすみ)まで旅行をしてきました。今回のポンツリでは、JR三角線の魅力をお届けします。



〇気動車に乗車
熊本駅5番線から気動車(キハ40系の仲間であるキハ147形)に乗車しました。白地にネイビーのラインが入っていてカッコいい!!電車に乗り慣れているので、気動車だということだけで興奮します。
イメージ 2イメージ 3熊本駅と三角駅を結んでいますが、厳密に言うと、三角線は宇土駅〜三角駅であり、熊本駅〜宇土駅は鹿児島本線です。ワンマン運転であることが分かります。

〇車内でエンジョイ
平日の昼時であったため、車内はガラガラです。ボックス席をポンツリ参加者で独占することができました。この車内の座席の配置は、ロングシート一辺倒のつまらない通勤列車にはない近郊型の風情があって、とても好きです。
イメージ 4イメージ 5さて、今回のゲストはお猿のチッチ。熊本駅に進出する道中で調達したミスタードーナツのフレンチクルーラーがおやつです。アタシの目がいつもより輝いているように見えるのは、光の加減ってやつであり、甘いものを前にしてギラギラしているのではありません。

〇車内検札に感動
ワンマン運転ではありますが、熊本駅を出るとすぐに車内検札がやってきました。「切符の拝見」なんて、在来線では絶滅したものかと思っていたら、しっかりと生き残っていてうれしく思いました。この路線は交通系ICカードが使えないので、現金で切符を買っての乗車でした。熊本駅から三角駅までは740円です。
イメージ 6イメージ 7熊本を出るとすぐに白川の鉄橋を渡ります。この川が熊本市内の中心部を流れており、島原湾に注いでいます。


〇緑川について思いを馳せる
宇土駅の手前で緑川を渡ります。緑川も有名な河川であります。宇土駅を出ると鹿児島本線から分岐して正真正銘の三角線に入ります。最初の駅が緑川駅。緑川は駅名にもなっているのです。
イメージ 8イメージ 9キハ147形は力強いエンジン音で軽やかに加速していきます。鹿児島本線を走行中、揺れはさほど感じませんでしたが、三角線に入ってからはローカル線本来の揺れに変化しました。引っ張られるように縦に横に揺れるという、都心の電車にはない揺れ方で、まるでバランスボールに乗っているがごとし

ところで、緑川と申しますと、夏目友人帳をお描きになっている緑川ゆき先生が真っ先に思い浮かぶところです。しかし、アシモモ〜によると1960年代に活躍した歌手「緑川アコ」だろうと申しています。年齢がバレてしまいますね。
イメージ 10イメージ 11「夢は夜ひらく」はいろいろな歌手が唄っておりますが、低音の魅力を効かせた緑川アコ版は必聴です(ご関心のある方はyoutubeからどうぞ)。「カスバの女」もいろいろな歌手が唄っていますが、緑川アコ版は重々しい感じがたまらない魅力を放っているということです。なお、緑川ゆき先生のお名前は熊本県を流れる緑川に由来するそうですが、緑川アコさんは河川の緑川とは関係なく、本名が「水鳥川」なのだそうです。

〇素晴らしいオーシャンビュー車窓
さて、列車は住吉駅を出て宇土半島の北側の海岸線に沿って走っていきます。地図をご覧いただくと一目瞭然ですが、宇土駅から三角駅に向かうときは進行方向右側に陣取るのが絶景を楽しむポイントです。
イメージ 12
海が見えてきたので、アタシらは車窓にかぶりついて景色を眺めました。周囲の視線が痛いので、物陰に隠れながらの車窓鑑賞でした。
イメージ 13
進行方向左側に席を取ってしまった旅行者風の中年の男性が、悔しがっていたのが印象的でした。地図を見て、どちら側の席に座るべきか推理するのが旅の定石であります。そのあたりも抜かりなく実施しているのは、社長としての責務を果たしていると自負しております。


島原湾ではノリの養殖がおこなわれており、養殖のための櫓が多数見えました。網田(おうだ)駅付近で一部内陸に入りますが、赤瀬駅付近まではオーシャンビューが楽しめます。
イメージ 14イメージ 15遠くに見えるは、雲仙普賢岳。地図からも推察されるように、すぐ対岸が雲仙普賢岳なのです。晴れていればもっとくっきりと山並みが見えることでしょう。熊本港からフェリーで行くこともできます。かつては三角港からもフェリーが出ていたといいます。

〇三角駅に到着
赤瀬駅を過ぎると三角線は山間部に入り、宇土半島を横断するように走り、ひなびた山村の風景が広がります。波多浦駅を過ぎると宇土半島の南側に出て八代海が見えてきます。対岸に戸馳島が見えてきたら、ほどなく三角駅に到着しました。
イメージ 16イメージ 17三角線の建設当時は、九州鉄道株式会社が敷設した私鉄で、門司〜三角が本線であり、宇土〜八代は支線としての扱いでした。また、路線ルートは住民の反対もあり、宇土半島の北側を通るルートになったそうで、本来は宇土半島の南側を通したかったようです。



次回は、三角駅周辺を散策します。(12月15日更新予定) https://blogs.yahoo.co.jp/anmako1976/16022545.html

全6ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6]

[ 前のページ | 次のページ ]

アバター
アシモモ〜
男性 / A型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
友だち(5)
  • 巨済ガール
  • 妻田北
  • し
  • ensyuu
  • boo**198*1224
友だち一覧
検索 検索
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

過去の記事一覧

よしもとブログランキング

もっと見る
本文はここまでですこのページの先頭へ

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!
お肉、魚介、お米、おせちまで
おすすめ特産品がランキングで選べる
ふるさと納税サイト『さとふる』
数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!

その他のキャンペーン

みんなの更新記事