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                         沖縄の壕・ガマに住んでいるコウモリたち




2007年4月6日(金)午後6時30分 那覇市古島の教育福祉会館で 

不当な教科書検定を許さず、沖縄から沖縄戦の実相を正しく伝えるとりくみをすすめよう

との緊急抗議集会があった。
               
          ”沖縄戦の歴史わい曲を許さず、沖縄から平和教育をすすめる会”主催


高校教科書の検定で「沖縄戦の集団自決」から日本軍の強制・誘導等の表現が削除修正される。

これからの子供たちに本当の戦争の怖さが伝わらなくなる。

戦争は美化され、沖縄戦の実相を真実をきちんと伝えなられなくなる。

報告文が読み上げられ、質疑応答へと

行動提起では、関心を持ち行動を起こしてほしいとの呼びかけがあった。

行動を起こしアピールすることだ。

私たち大人が、子供たちの大事な未来を守らなければ。

ひとりでも多くの市民に参加してほしいのよ! 先輩の声に賛同しての会場入りだが、

一言も漏らすまいと耳を傾けつづけた。会場は、資料をめくる音とマスコミのシャッター音。



後半には、渡嘉敷島出身の戦争体験者の談

集団自決の目撃や軍隊からの命令を受けたいきさつなどを語られた。

現在83歳の女性は、死にたい人間などいなかった。

なのに強要され多くの知人が死んでいった。

自決の場から逃げたが、なんと言われようが生きていてよかった。

皆さん、頑張って下さい。沖縄戦をきちんと伝えていってください。



帰りに実家により80歳の父と76歳の母と話した。今でも艦砲の音は忘れないさあー。

沖縄の戦争はなかなか語れない人が多いよー。真実はきちんと伝えなければ、また戦争がおきるよと・・・。

翌日の2007年4月7日(土)琉球新報社会面には、この日は約250人が参加とあった。

ガマ…壕のある岳

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沖縄県南部の八重瀬町→平成18年1月1日に東風平町と具志頭村が合併し生まれた町です。


八重瀬の名に決まったのは、

八は、末広がりで

幸せが幾重にも重なり、

瀬が物事に出会う意味・…ということらしい。

・地理的に分かりやすい、(八重瀬岳をめざす…と理解していいかも知れません)

・遺跡・史跡・自然・桜がある八重瀬岳は、アピール力がある。

・身近な存在であり、知名度も高く、響きがいい

東風平町と具志頭村の両町村にまたがる八重瀬岳がシンボル的存在であることのようです。



八重瀬岳は、沖縄戦の激戦地で多くの住民が地上戦へ巻き込まれていきました。

八重瀬岳を越えると糸満の喜屋武岬へと続く戦争中の避難経路です。

沖縄各地には、ガマと呼ばれる自然壕が数多くあります。

八重瀬岳にも幾つもあり住民の避難壕、日本軍の病院壕・倉庫壕として使われました。

住民は、もちろん兵隊や学徒は、戦争が激しくなる1945年6月初めには、

軍から解散命令が出されるものの何処へという当てもなくガマや亀甲墓を逃げ込んだり

追い立てられたりをくりかえし隠れ場所を捜し求め逃げつづけ食糧も水もなくなっていったそうです。

その間には、家族の死や尊いたくさんの人の死を目撃し、体験したのです。




二度とこの地で戦争を起こさせてはいけない。地球の何処でも起こってほしくない。
紛争に巻き込まれ泣いている人があっては、いけないのです。

 命どぅ宝…命こそが尊い宝   県民の願いです。

 
 八重瀬の名に寄せる人々の思い 幾重にも重なった人々の繁栄と末広がりのある町
  −町役場発行紙より引用−−

※東風平町 当時の人口9000人のうち4741人・具志頭村  2700人 戦没

※当時の県民人口594800人   沖縄県戦没者 122228人
             
              一般住民    94000人
              軍 人      28228人      
  −沖縄県平和祈念資料館資料−

ウアラウィ

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御新下り…をウアラウィと読む。
アマミキヨという神が、造った琉球国最高の聖地といわれる場所へ行く機会があった。

アマミキヨに仕えるのが琉球王をささえ信仰を取り仕切る最高位の聞得大君(きこえおおきみ)で、その地位の就任式・・…が、授けられる場所…斎場御嶽(せーふぁうたき)世界遺産だ。

一度に6ヶ所の世界遺産の認定を決める際、審査担当者に深くインパクトを与えたといわれる。その時に普通にここで祈り…何物もない空間を信仰する人々があったからと

大きな岩が互いに支え合うかのように立つ空洞をくぐると岩だけの囲まれた不思議な空間…

海に面した部分からは、神の島といわれる久高島がみえる、この場所から神へ遥拝し力を与えられていると伝えられているが、

たたずみふと見上げてしまう…神は空から舞い降り…力を与えたのではないかと・…案内をされた當間先生の言葉…たしかに不思議な気持ちになる場所

伊是名城跡

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1429年に琉球初の統一王朝である第一尚氏王朝を築いたのは尚巴志

島の東端にある伊是名城跡は、14世紀中ごろ尚巴志の祖父の鮫川大主が築城した城。
海抜約100m、三方が海や絶壁という天然の要塞で見事なピラミッド型をしている。ピラミッド型をした山全体が城で、北側に石垣が築かれている。鮫川大主が本島へ移ると廃城になった

文学的なマンホール

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 第2尚氏 初代尚円王(金丸)の生まれた伊是名の島に

 歌の刻まれたマンホールを見つけました。

     えにしあらば 又もきてみん

     伊是名島

     田の面に続く

     松の村に立ち      

               ※読み人知らず・・・奄美島からの旅人との説有り

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