|
いじめはどの時代にも、どこの国にもあるものだと思うし、「いじめはいけない!」と訴える一方で、格好のネタとして食い物にするメディアや、教育再生会議のような素人の集まりがどうのこうの言って解決する問題じゃない。今悲惨なのは、教育再生を政治改革の中心に据えた安倍政権の格好のパフォーマンス材料として、『いじめ問題』が利用されている事だ。
『いじめ問題』に関して一つ気になったのは、いじめに関する生徒の感想文として、「いじめで自殺する人は心の弱い人。そんな人は社会に出ても無理」みたいなの文が紹介されてことだ。よくありそうなひねくれた意見だけれど、こういった意見に対しては「いじめを苦に自殺する人以上に弱いのはいじめをする人ではないのか?」という懐疑を差し挟む必要があるだろう。
いじめは世界情勢の中にもある。アメリカという強者が、経済・政治・軍事の力を持ってしてアフガニスタンやイラク、そして北朝鮮といった国を、イギリスや日本と一緒になっていじめているのが今の世界の現状だ。
では何故こんなにまでアメリカはいじめという行為に取りつかれているのかというと、他サイトからの引用で申し訳ないのだけれど、以下の文章を引用したい。
*ハンチントンは、現在の世界をヨーロッパ、中国、日本、イスラム、ヒンドゥ、スラブ(東方正教会)、ラテンアメリカ、アフリカの8つの文明圏に分けている。(中略)エルマンジュラ流にいえば、この8つの文明圏には著しい集合的記憶の伝統があるということになる。
しかし、この予想は「世界新秩序」の盟主を謳いたいアメリカの矜持からすると、まったく気にくわない。だいたいアメリカは8つの文明には入ってはいない。アメリカは自分の力で集合的記憶をつくる以外になくなっている。アメリカの記憶だけならなんとかなろう。しかし、そうではなくてそれを「文明の記憶」にするには、アメリカが盟主となった新たな文明集合的記憶をつくる必要がある。これがレーガン、父ブッシュ、クリントンの「新世界秩序」というものだ。(引用終わり)
このように、集合的記憶を持たないアメリカが、新世界秩序という名のもとに、アメリカが中心となった新しい集合的記憶を作り出そうと苦悩しているのが、今のアメリカの姿であり、アメリカの弱さだ。
その点文化や歴史を持っている国は強い。例えばフランスのように(もちろんフランスは先進国でありGDPは世界第5位だが)、今日においてもやはり高い芸術性が世界の尊敬の的となっている国がある。その点日本は、誇れるべき文化をアメリカナイズする一方で、自国の価値を経済成長という物差しでしか測っていないのではないだろうか。
随分強引に話を進めてきたけれど、要するにいじめに加担する自分の弱さを自覚できなければ、出席停止にしようが何しようが、根本的な更生とはならないのではないだろうか。更生なくしては、アメリカのようにテロという形でしっぺ返しを喰らうことになるだろう。誰かをいじめた感触というのは、後々気持ちよくないだろうし、それは一生残る感触なのではないだろうか。実はその行為が自分の弱さを象徴しているのだから。
引用サイト:松岡正剛の千夜千冊(http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0720.html)
|