道草

とある懐疑主義者のブログ。

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 バイクで通勤するようになって以来、自動車社会について考えさせられるようになった。なんともまぁ、運転マナーの悪い車の多いことか。猛スピードで横をすり抜けていったり、後ろから車間距離を詰めてきたり、車間をもっと前に詰めろとクラクションを鳴らしてきたり。最悪のケースだと、踏み切りや一旦停止線で停止することに対し、クラクションを鳴らしてくる車まである。こういった現状はいくら取り締りをやっても改善されないだろう。車は人の人格を投影する。人の心が荒んでいる限り、ヒステリックな運転は消えない。
 
 NYではクラクションが街のいたるところで鳴り響く。ノイズ・ポリューションと言って罰金の対象らしいが、自己中心的なニューヨーカーを象徴している。車は移動する部屋である。その密閉された個室空間が、人を傲慢にさせるのだろうか。目と目を合わせるコミュニケーションを離れ、物質と物質がクラクションでやり取りをするのが自動車社会。目を背ける、舌打ちする、睨む、そういった具体的な動作を伴わなくとも、顔と顔を合わせていれば人間は表情で怒りを表現できる。しかし、これが車の場合はクラクションという無機質な形式に単一化してしまう。クラクションを鳴らされた方はたまったものじゃない。無防備なバイクに乗った僕は、突発的な大きな音にいつも驚かされる。その姿がヒステリックなドライバーを満足させるのか。
 
 半分の集中力を事故しないことに、もう半分の集中力を事故されないために使う。往復80kmの通勤はくたくたである。こういった自動車社会のストレスが僕を疲弊させる。この現状は、どうにも改善されないだろう。現代人が抱える負の感情が表れている。近代化は人の生活を便利にしたが、その一方で人の心は一段と荒んできているのではないだろうか。日本の社会は慢性的なストレス社会だ。そしてクラクションを鳴らしている人はそのことを知覚できない。もし皆でクラクションを鳴らせばストレス社会を生き抜けるだろうか。ニューヨーカーみたいに。

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 安倍さんの教育改革が進んでいる。郵政の小泉に対し、教育の安倍か。すっかりその姿勢が鮮明となってきた。彼のやり口には憤りを覚える。全くペテン師ではないか。結論から言うと、教育を死なせたのは安倍晋三に他ならない。

 全くいつの間に教育が死んでしまったのか。学力低下、学級崩壊、いじめ問題などなど、昨今様々な教育問題が噴出してきているかのように取り沙汰されている。しかし実際、これらは古今東西潜在し続けた問題であって、日夜現場の教師が苦悩してきた問題であったのではないか。それらの問題に対して、安倍は集中的な政治的キャンペーンをはった。自身の行動力をアピールする上でも教育問題は格好の題材だったのだ。

 では、それらの問題に対する対処方法はどうであろうか。訳の分からないタレント集団からなる教育再生会議という井戸端会議を設けたり、教育基本法や関連三法の改悪など、散々な政治施策であった。どれもこれも現場を無視した素人の発想ばかりだ。

 もっと、重要な局面で議論されていい問題があると考えている。それは、この国の教育が『講師』というアルバイトの労力に依存し切っているという現状だ。僕の知っている教育管区では先生のうち6人に1人がこの『講師』である。講師というのは教員採用試験に受かってないが、臨時採用で教壇に立っている人のことを言う。僕の知る限り、この講師の先生はどなたも非常に頑張っている。ただ問題は、この若くて、安上がりで、使いやすい『講師』という労力に、日本の教育が中毒となってしまっている点だ。そしてこの現状が、実際のこの国の教育に対する期待と投資の低さを物語っているような気がする。

 石原慎太郎と香取慎吾がスマステで対談しているのを見た。話題は石原慎太郎が製作した「俺は、君のためにこそ死ににいく」という映画についてであった。この映画作りに挑んだ石原慎太郎の動機は非情に分かりやすいもので、「特攻隊として勇ましく死んでいった戦時中の若者の生き方に比べ、自分のことしか考えられていない現代の若者はなってない!」というところであろう。

 実際、対談の中で石原は「最近の若者は自分の周り5メートルあたりのことしか考えられていない」と発言していた。僕は呆れてこの番組を視聴していた。相変わらず石原慎太郎の思考は短絡的だ。いつの時代においても、年寄りは若者を怯える。何故なら若者は、自分たちが従ってきた価値観や道徳を覆していくからだ。そして溌剌としている。そこに自分の生き方を否定されるかのような錯覚を感じてしまう。

 死が近づき、自分自身の生産能力は低下の一途を辿る。人間としての生理機能も衰えてくる。そのような老人にとって、自分の生き方を否定されることほど恐ろしいことはない。せめて自分の教訓を説教したい。しかし若者は聞く耳を持つどころか、全く異なるスタンスで青春を謳歌している。石原はそれが許せないのだ。「NEATだとフリーターだと、勝手な生き方をするな。国民なら勤労の義務をまっとうせよ。俺たちは国家のためにあんなにも辛い時代を耐えていたんだ!」

 石原は弱い。弱すぎる。石原慎太郎という人物を見つめれば、コンプレックスが噴出してくるに違いない。彼はアイデンティティを完全に国家に投影してしまった。そういう生き方もあっていいだろう。しかし、まずは自分の弱さを自覚しなければならない。自分の弱さ故に、国家なんていう概念を持出す人は、それこそ「自分のまわり5メートルあたりのことしか考えられていない」人ではないか。そして石原のような人こそが、若者をして戦争へと向かわせるのだ。

 まずは、「自分のまわり5メートルあたりのこと」をしっかり考えられることが大事だと僕は思う。美しい国とか、そんなことを考える前に、自分自身をしっかり確立させることの方が大事だ。そしてその先に「国家」なんてものは見えてこないと僕は思う。「俺は、君のような者のために死なされた」そんな映画が必要だ。

大学を卒業した。そこで大学生のうちにしてはいけない5つのことを考えてみた。

1.バイトをしてはいけない。

 バイトとはあなたの時間を売る行為だ。あなたは『あなた』という会社を運営していると思っていい。しかし『あなた』という会社はいつも暇で景気も悪い。だからあなたは『バイト』という別の会社に、あなたの会社員である“あなた”を派遣してしまうのだ。その前にまず『あなた』という会社の充実に励むべきだ。

2.ボランティアをしてはいけない。

 ボランティアほど胡散臭いものはない。ボランティアするくらいならすぐそばにいる身のまわりの人に手を差し伸ばすべきだ。ボランティアという言葉のつく慈善行為は大抵ボランティア(自発的)ではない。ボランティアするほどの慈しみの心があるなら、まず社民党か共産党に投票するべきだ。

3.人の話を真剣に聞いてはいけない。

 政治家であれ、大学教授であれ、有名人であれ、その地位がその人の人格を保証しているということはない。だから真剣に人の話を聞く態度よりも、真剣にその人の話を聞くべきかどうかを見極める能力の方が大切だ。さもなければ一生涯を通してすさまじい時間を浪費することになるだろう。

4.愛、優しさ、誠実という言葉を盲信してはいけない。
 
 愛だとか、優しさだとか、誠実さだとかいう概念に踊らされていてはいけない。こういう言葉は大抵、優しくない、不誠実な人が振りまいている。『美しい国』という言葉なんかが代表的なまやかしであろう。そういう言葉にすがるのも悪くないが、一度は懐疑的になる経験も大切だ。

5.テレビを見てはいけない。

 テレビほど大量の無価値な情報を放出しているメディアはない。そこで得られる知識はほとんど欺瞞だ。芸能ニュースや日々の事件。毎日を快適に過ごすためのちょっとしたうんちく。そんなことを知ってもあなたの人間としての深みを何も増さない。更にいうと、テレビは国民を洗脳する。

 とまぁ、久しぶりに生意気に書いてみたのだが、「このブログに書かれている内容を鵜呑みにしてはいけない」ということも最後に付け加えておくべきだろう。

いじめはどの時代にも、どこの国にもあるものだと思うし、「いじめはいけない!」と訴える一方で、格好のネタとして食い物にするメディアや、教育再生会議のような素人の集まりがどうのこうの言って解決する問題じゃない。今悲惨なのは、教育再生を政治改革の中心に据えた安倍政権の格好のパフォーマンス材料として、『いじめ問題』が利用されている事だ。

『いじめ問題』に関して一つ気になったのは、いじめに関する生徒の感想文として、「いじめで自殺する人は心の弱い人。そんな人は社会に出ても無理」みたいなの文が紹介されてことだ。よくありそうなひねくれた意見だけれど、こういった意見に対しては「いじめを苦に自殺する人以上に弱いのはいじめをする人ではないのか?」という懐疑を差し挟む必要があるだろう。

いじめは世界情勢の中にもある。アメリカという強者が、経済・政治・軍事の力を持ってしてアフガニスタンやイラク、そして北朝鮮といった国を、イギリスや日本と一緒になっていじめているのが今の世界の現状だ。

では何故こんなにまでアメリカはいじめという行為に取りつかれているのかというと、他サイトからの引用で申し訳ないのだけれど、以下の文章を引用したい。

*ハンチントンは、現在の世界をヨーロッパ、中国、日本、イスラム、ヒンドゥ、スラブ(東方正教会)、ラテンアメリカ、アフリカの8つの文明圏に分けている。(中略)エルマンジュラ流にいえば、この8つの文明圏には著しい集合的記憶の伝統があるということになる。
しかし、この予想は「世界新秩序」の盟主を謳いたいアメリカの矜持からすると、まったく気にくわない。だいたいアメリカは8つの文明には入ってはいない。アメリカは自分の力で集合的記憶をつくる以外になくなっている。アメリカの記憶だけならなんとかなろう。しかし、そうではなくてそれを「文明の記憶」にするには、アメリカが盟主となった新たな文明集合的記憶をつくる必要がある。これがレーガン、父ブッシュ、クリントンの「新世界秩序」というものだ。(引用終わり)

このように、集合的記憶を持たないアメリカが、新世界秩序という名のもとに、アメリカが中心となった新しい集合的記憶を作り出そうと苦悩しているのが、今のアメリカの姿であり、アメリカの弱さだ。

その点文化や歴史を持っている国は強い。例えばフランスのように(もちろんフランスは先進国でありGDPは世界第5位だが)、今日においてもやはり高い芸術性が世界の尊敬の的となっている国がある。その点日本は、誇れるべき文化をアメリカナイズする一方で、自国の価値を経済成長という物差しでしか測っていないのではないだろうか。
随分強引に話を進めてきたけれど、要するにいじめに加担する自分の弱さを自覚できなければ、出席停止にしようが何しようが、根本的な更生とはならないのではないだろうか。更生なくしては、アメリカのようにテロという形でしっぺ返しを喰らうことになるだろう。誰かをいじめた感触というのは、後々気持ちよくないだろうし、それは一生残る感触なのではないだろうか。実はその行為が自分の弱さを象徴しているのだから。

引用サイト:松岡正剛の千夜千冊(http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0720.html

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