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【核大国アメリカとの友好をうたうポスター。ちなみにМИРは、ミールと読み、ロシア語で平和の意味です。ソビエトは人一倍核兵器を配備していましたが、その一方で、核の恐怖に絶えず怯え、悩んでいました。そんな相反する行動がしばしばアメリカへの過剰な友好表明となったのかもしれません。どちらにせよ、日本の知ったかぶり核武装論者には、理解できない世界でしょう。(画像は、渋谷の古書店で見つけたソビエト時代の絵葉書より転載)】 麻生太郎さん。 福田首相辞任を受けての総裁選では、圧倒的な支持率で当選。 次期首相は、もはや確実でしょう。 さて、以前家内のお母さんは、麻生さんのことを“ヤギ”と呼んだことがあります。 “ヤギ”とはメーメーうるさいけど中身のないことばかり言う人への皮肉。 中央アジアでは、ダラシないくせに態度だけはエラそうな警察官へのあてつけによく使われます。 家内のお母さんが、こんな辛らつな表現を使ったのには理由があります。 麻生さんが“核武装を議論する必要もある”と言う趣旨の発言をしたニュースを聞いたからです。 この発言が、具体的にはどのようなものであったかは、詳しく知りません。 ただ、テレビでは、自民党重鎮の麻生さんが核武装の話題に踏み込んだとエラク大騒ぎしたことは覚えています。 たまたま孫に会いに日本に来ていたお母さんは、このニュースを聞いて、驚き、呆れたのでした。 『この人は、核武装の意味や大変さを知っているのかしら?まるで、ヤギね。』 こう呟くと、ウトウトする孫をベッドに運びながら、冷ややかに嘲笑したのでした。 ヤギではないですが、アメリカにも似た言葉があることを最近読んだ雑誌で知りました。 “Chicken-Hawk(チキン・ホーク)”と言うのがそれで、Hawk(鷹)の真似をするChicken(ニワトリ)。 転じて、『戦争経験もない軍事オタクが、知ったかぶりの強硬な発言をする』ことなのだそうです。 もし、お母さんがアメリカ人だったら、麻生さんをヤギでなく、チキンと呼んだかもしれません。 さて、67歳の麻生さんとお母さんは、ほぼ同世代。 しかし、“核兵器”に関しては、お母さんは、麻生さん含め、そこいらの日本人など及びもつかない知識と経験を持っています。 何故なら、家内のお母さんは、人生の多くを核大国ソビエトで生きたから。 さらに、“核兵器銀座”中央アジアの核兵器関連施設に勤務していたからです。 はっきり言って、そんじょそこいらの“チキン核武装論者”とは、比較にもなりません。 プロとアマチュア、はたまたジャイアント馬場とエマニエル坊やぐらいの違いがあるでしょう。 多くの日本人は、中央アジアにシルクロードの名に相応しい雄大でロマンチックなイメージを持ちます。 しかし、実際は、東西の交差路として、戦いと対立を繰り返した血なまぐさい地でもあります。 特にソビエトがこの地域を支配してからは、対立の規模は、最大限に達しました。 同じ共産国家なれど、路線の違いで、ソビエトは、隣国の中国と深刻な対立状態に入ったからです。 加えて、この地域にウランが産出し、核兵器の製造に最適であったことも不運でした。 そんなこんなで、中央アジアは、瞬く間に中国、ソビエトの核軍備競争の最前線となったのでした。 多数の核兵器が中央アジアで製造され、実験され、配備されました。 この爪あとは、今も高濃度の放射性物質残留やそれに伴う健康被害の形で残り、中央アジアの人々の暗い記憶として刻まれています。 お母さんは、そんな最前線のひとつ、中国国境に近い、核兵器工場で従業員の健康を検査する医師として勤務していたようです。 “。。。。ようです。”とあいまいな書き方をしたのは、今もお母さんは、当時のことをすべて話してはくれないからです。 国家機密がなのか、それとも悪い思い出でもあるのか、いつ聞いても、言葉を濁します。 それでも、ポツリポツリと話すエピソードには、“核兵器を持つ恐ろしさ”の重みを感じます。 (中央アジアや旧ソビエトにおける核兵器譚は枚挙に暇がありません。それに関する過去記事をTBしました。よろしければ過去のTB記事をどうぞ。。。) ここで面白いことがあります。 お母さんの核兵器への批判は、いわゆる平和主義者の核兵器反対!みたいな単純な理論ではないことです。 お母さんの核兵器への視線は、いわゆる核武装論者の核武装こそ日本のあるべき姿みたいな幼児的理屈でないことです。 核兵器は作るより、作った後のほうがはるかに大変と考えているなど、まさに経験者としての意見なのです。 一例を挙げてみましょう。 お母さんの専門は内科でした。 放射能汚染による工場勤務者の健康被害調査のためでしょう。 ところが、実際は、心療科みたいな仕事が実に多かったとのこと。 精神的に参ってしまう人の診察に忙殺される日々だったそうです。 そこには、恐怖の兵器に携わる人々がいかに心理的ストレスを抱えていたかを示唆しています。 また、これはキルギスでない別の地域の話ですが、日々核ミサイルの発射ボタンの前に座るミサイル将校は、想像を絶する緊張の連続で多くの人が精神のバランスを危うくしたと聞きます。 冷戦の“鉄のカーテン”で西側には知られませんでしたが、精神に起きた深刻な症状で大きなミスも起こりかねない状況に陥ったことすらあったそうです。 戦略ロケット軍と呼ばれた核兵器部隊は、当時のソビエトの花形、同国きってのエリート軍人の集まり。 並みの軍人とは訳が違います。 しかし、強靭な肉体、精神を持った彼らですら、そんな状態に陥ったのです。 一方、核兵器は、重要な兵器ゆえに施設や工場は、常に厳重な監視下におかれていました。 さらに、兵器としての有用性を確認するテストも定期的に行われました。 これらの作業には凄まじいコストと人手がかかっていたことは言うまでもありません。 お母さんが勤務した施設も同様で、特に対立国の中国に近い地域のせいか、警備は尋常ではありませんでした。 バカバカしいほどの数の警備兵、セキュリティのチェックを受けて、仕事に向かいながら、これらの警備コストは、どれだけのお金がかかるのだろうと考えたことは一度や二度ではないとのことでした。 結局他国を脅かすはずだった核兵器は、無数のコストと人的損害を生みました。 そして、他国でなく、ソビエト自身の崩壊を奏でる葬送曲の一因となったのです。 暴言癖やばら撒き政策が心配される麻生さん。 これはこれで、懸念材料。 それでも、問題だらけの日本を浮揚させてくれるなら、いいでしょう。 しかし、、、、、 中央アジアの小国に住む老婆にさえ馬鹿にされるアマチュア的な核武装見解を見ると、僕は、やはり、“ああ、この人アカンワ。”と感じてしまうのです。。。
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2008年10月06日
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