反・麻生太郎ブロガー同盟

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【麻生大臣の芸は、ロシアのHTBでも大きく放映されてました(画像上および中)。しかし、『大受け』と書いた産経新聞の報道とは大違いで、キャスターは絶句&失笑気味(画像下)。大臣と言う役職の重みとは???(画像はHTBより転載)】

昨日は、仕事が早く終わり、自宅で酒を飲みつつロシアのHTBテレビを見ていました。

このHTBのニュースで、僕は、東南アジア諸国連合(ASEAN)地域フォーラム(ARF)恒例の隠し芸大会に麻生太郎外務大臣が出演したことを知りました。

そして、あまりのトホホな有様に真剣に情けなくなり、お酒を飲む気も失せたのでした。

隠し芸は、人気のエクササイズ『ビリーズブートキャンプ』を侍や力士の格好をした日本人が行うと言うもの。

麻生さんも自らチョンマゲして出演していました。

どうやらエクササイズと日本の課題である債務削減をかけたらしいのですが、、、、
あまりに飛躍しすぎて。。。。

産経新聞では、『大受けで喝采を浴びた』と書かれていました。
各国の報道はどうだったんでしょうか?

ちなみにHTBでは、非常に長く麻生さんの映像を流していました。
これは面白いからではなく、単に失笑ネタみたいな扱いでした。

ロシアでは先日の参議院選挙で自民大敗のニュースが大きく報道されました。
小泉ブームで幅広い支持を得た自民党と圧倒的人気のプーチン政権を重ね合わせて見ているようです。

それだけに今回のARFで人気政党から転落した与党の重鎮がどのような対応を見せるか注目していたフシがあります。

しかし、蓋を開ければこの有様。

自民党は大敗し、アメリカの下院では慰安婦決議が採択され、間もなく北朝鮮問題を話し合う6カ国協議も始まると言うのに、呑気に踊る能天気ぶり。

ニュースを見たロシア人は『日本人て不思議な民族やなあ。』と感じたかもしれません。

安倍首相の支持率が急落しています。
しかし、個人的には、外務大臣ならそこそこ頑張ってくれるのではとまだ期待をしています。

少なくとも見た目はジェントルだし、内容はともかく、言いたいことをズケリと言う部分もなかなかいい線行っていると考えています。

安倍さん、いっそのこと今度行われる内閣改造では、外務大臣を兼任されてはいかがですか?

もちろん、サムライ麻生さんには、『切腹を申し付ける』と伝えたうえで。

ところで、ロシアのラブロフ外相もこの会議に出席していました。

会議の合間にも現在行われているロシアの北極資源調査の正当性を訴えたり、イギリスと対立している元KGB職員殺害事件に関する取材に精力的に応じていたようです。

ロシアの言い分のいい悪いは別にしても、ラブロフさんと麻生さんの動きを見て、外務大臣の『重さ』の差を感じたのは、僕だけでしょうか?

転載元転載元: シルクロードから嫁が来た!!

GHQ(アメリカ占領軍)衣を借り戦後の保守日本政府が「朝鮮人」を叩くと言う事は、自己勢力を日国民に見せ付け、地に落ちた日本警察の威信を取り戻す意味合いがあった。と言われています。

麻生の祖父、吉田 茂の談話を紹介します。

ある公席で「諸君は、しょっちゅう、敗戦、敗戦と言うけれども、わが日本は今日なお、大英帝国に次ぐ帝国であることを忘れてはならない」と発言しています。

サンフランシスコ平和条約の事前打ち合わせに向かう特使に持たせた書簡には、
「日本に在留する朝鮮人は皆、社会主義思想を持った諸君である。ゆえに、彼らに日本国籍を与えることは日本国政府として断固、これに反対するものである。」という文面の密書を持たせ、これによって戦前から日本で暮らす朝鮮人、中国人、台湾人に対して日本国籍を与えるつもりでいたアメリカが決定を翻す結果となりました。


「不逞鮮人」と「善良分子」

不逞鮮人と通名

日露、日清の血なまぐさい戦争を経て、朝鮮を「保護国」という手順の末に、民衆とは無関係な所取引された、「日韓合併」が日本側による陰謀も合い重なり、「日韓併合」にすり代えられたことに対し、その手先となった売国奴の一心会と日本に対する民衆の怒りがこの時を境に起こったと言っても過言ではないと思います。

全土が日本による露骨な収奪の場と化し、朝鮮人と日本人の敵対関係が起こり、これを増加させたのはまぎれもなく、日本政府による朝鮮人の差別政策の始まりでしょう。
1910年以来、朝鮮総府と軍は、弾圧から逃れ、100万人の朝鮮人がシベリヤや満州地方に逃れ、その大部分は独立運動を支えるかその闘士となりました。

全満州に広がった朝鮮人と、満州地区での日本による土地収奪で家を離れた中国人に対し、日本側は「匪賊」、朝鮮人を「不逞鮮人」と呼んで討伐を繰り返します。

植民地政策の教育不在「教育弾圧」に政策でこの時期に日本にも多くの朝鮮人が渡ってきます。
これが本来の「日本在住の朝鮮人」の始まりとも言われています。

当時の政府の記録を見れば1920年(大正9年)の在住朝鮮人の数は4万人と記録されていますが、1926年(昭和元年)には20万人を越し、1930年(昭和5年)には42万人に達しています。

当初、日本に留学してきた朝鮮人は地主(両班)階層の指定が大部分で、留学生や労働者は「国権回復」を胸に、当時の風潮としては日本人とは必要以上は近づかない。日本語は話さない。そして日本人と親しく関わる人間には「親日スパイ」として制裁を加えたと記録されています。

彼らが日本官憲の厳しい監視と露骨な安差別政策を感じて「アカ」にかぶれたん者多かったとされるのは当然かもしれません。日本政府はその時、

       「国権」の回復を願う朝鮮人を「不逞鮮人」、
       親日の朝鮮人を「善良分子」と色分けしました。

それこそ、今の私の様な人間は当時だったら間違いなく、「不逞朝鮮人」でしょう。
当時の官憲の監視がいかに厳しかったかは、1910年に日本に渡ったハンギョンサン氏が語った記録あります。

「日本警察内鮮課の監視下で。生きることは生易しいことではなかった。(中略)人間として生きんがため文化を論じたり、人権擁護を叫んだり、民族独立の如き根本問題に、一寸でも触れることは、すぐ残酷な報復の仕打ちと、暗い陰影がつきまとった・・・。今日のように安易な気持ちで大手をふって宣伝活動が出来るのとは事情が違っていた。(中略)。祖国を無くし天涯孤独同様に流民の身の上となった在日同胞に、何の人権保障があただろうか。無双の悪法「治安警察法」、内鮮係りの監視の目を背中に感じながら、46時中、生活はスパイされ、社会活動は制約され、疫病神に取り付かれたみたいだった。」(在日韓民族運動史)

この逆で従順に「親日分子」は「善良分子」として住居、職場の保護加えるかのようにみせかけ、国権回復の意志を放棄させ「新附の日本人」としてつくりあげたのです。

【ここで見えてくるのは今日の行政と同じ外国人政策で、同国人同士の分断をはかる政策でしょう。】

そうして官憲は「不逞鮮人」を追いかけ、日本社会での「日本国民の仮想敵」を作り上げてゆきます。

当時、(いや、当時から)日本社会は政府や新聞の報道に従順でした。(大本営発表を見れば・・)、

あまりにも「不逞鮮人」の活字が新聞で踊る毎日に併合のシンボルとして日本皇族の一員として日本に連れてこられ永住を余儀なくされた李王垠殿下(朝鮮最後の皇太子)は、毎日新聞を読むのが苦痛だった。と漏らすほどでした。当時から、こうして作り上げられた「不逞鮮人=在日朝鮮人」には住居は貸してもらえず、就職は出来ず、全てが罪人のレッテルでした。仮に彼らを親切にしたりすれば、その日本人にも「アカ」のレッテルを貼るのが官憲の常套手段でした。(昭和特高警察調書本にその実態の全てが書かれています。)

こんな中で、日本人として暮らさなければ、家族を守らなければ、日本人としてごまかして、就職しないと暮らせなかった日本の社会でした。

関東大震災で朝鮮人や社会主義者の大量虐殺が官憲の関与も含め、庶民をその虐殺に駆り立てたのは十数年に及ぶこれら不逞鮮人の悪像を作り上げた結果でもあります。

それ以降は、なおさら関東地区では表札に日本名を掲げたり、通名で社会生活を送ったのは当たりまで、その子孫もそのまま通名で社会生活を送る結果となったのはしごく当然の結果だといえるでしょう。


最後に、その官憲の「不逞鮮人」=悪人像の捏造にかかわったトップの発言を書いておきます。
民族や国境を越えて、数十年前とはいえ、こんな人間が政府のトップに君臨したと思うだけで怒りを覚えると同時に「人間」が、この様な残虐な考えに走る先入観、教育の恐怖すら覚えてなりません。

1941年(昭和16年)6月、ナチスドイツがソ連侵攻を開始し、当局が治安思想関係を含めて「朝鮮人」に対する治安対策に躍起となっていた時期、司法大臣・柳川平助(陸軍中将)が官邸記者に漏らしたオフレコです。


「戦時下の治安対策は完璧だ。また共産主義に同調する輩と不良外人がいるが、それも一網打尽にできるだろう。問題なのは、欧米かぶれの自由主義者と不良外人だが、特に不逞鮮人だ。支那人は天道主義で諦めが早いし、インド人は来世の極楽浄土を夢見て温情だ。問題は不逞鮮人だ。朝鮮人は表面上、服従してるように装いながら、内面では抵抗してる・・・・」と切り出した。

時に「ゾルゲ事件」で国際スパイ検挙があった時期でもありました。
記者が「それじゃ、その不逞鮮人の対策は?」尋ねると、それに対する柳川大臣の発言は、


「私はヒトラー総統のユダヤ人に対する政策と同じように、不逞鮮人をことごとく、どこかの島に隔離して、みな去勢手術をしてしまった方がよいと思ってる。そうすれば不逞鮮人は居なくなるし、これからも出なくなるだろう。これから大東亜十億の民を統治して行かねばならない皇国日本が、たかが二千万そこそこの朝鮮人を甘やかす必要はないじゃないか・それで、わしはわ、まず朝鮮人の思想犯を一人残らず去勢してしまうのが一番宜しいと思っている。ヒトラー総統はすでにユダヤ人の去勢を実行してるというじゃないか。西では独伊の両民族が。東ではわがやまと民族が他民族を統治することは天の定めでもあるのです。

これが当時の司法大臣の発言です。

長くなりましたが、このようにして不逞鮮人のレッテルを貼り、その迫害から逃れようとしたのが、創氏改名前夜の社会情勢で、それが創始改名以降、より一層加速されたのはお解かりだと思います。

そうして朝鮮総督府が政令で決めた「創始改名」以前から一部の親日派を除いて、大部分の日本在留の朝鮮人が「通名」を使い分けなければ生きて行けなかった実情をこの場に記したいと思います。

戦後の今日でも「Wスタンス、巧妙に使い分けて暮らす」とか、通名を使い分ける在日をパッシングする人が見受けられますが、100年前に始まった差別政策が社会に定着して温存されて来た事実を無視して、人の上に立たんとする政治家「麻生」は朝鮮人が望んだ事で、創始改名が悪法無かったと凄む姿勢には怒りすら感じる私です。

転載元転載元: fwapy바람꽃風ノ花

麻生幹事長、政治資金で飲み食い
1年で173回3500万円〜これで「国民の目線」

『しんぶん赤旗』より引用


 
政治資金で飲み食い―。「国民目線で改革」が売り文句の福田改造内閣を自民党として支える麻生太郎幹事長の資金管理団体「素淮(そわい)会」が、二〇〇六年の一年間で、東京・銀座や六本木、赤坂などの高級クラブや高級料亭、サロンなどに百七十三回、約三千五百万円も支出していることが分かりました。しかも、何カ所もはしごし、一日に百万円を超す支出があるのは七回も。



 
素淮会の〇六年分政治資金収支報告書を調べたもの。支出は、五万円以上のものについては、支出先が報告されています。



 
飲み食いはさまざまな名目で計上されています。




「組織活動費」のなかの「交際費」名目で、六十八回、計千二百七十七万五百九十七円の飲み食いをしています。二月十四日には、宴席の「予算目安三万円」という東京・神楽坂の料亭「幸本」に百十万円超の支出をしたのをはじめ、ステーキハウスや高級クラブなど七カ所で一日に二百五万四千三百二十二円の豪遊をしています。



 
「組織対策費」としても、四十四回、計千九十五万六千六十円の支出があります。このなかには、東京・赤坂のカナダ大使館地下一階にある高級プライベートクラブの「会費」三十八万三千二百五十円の支出も。



 
「調査研究費」でも、「研修会費(勉強会)」という名目で、六十一回、計千百七万千三百九十六円もあります。四月十四日には、先の「幸本」で六十六万四千六百四十九円、日歯連一億円ヤミ献金事件の舞台となった東京・赤坂の料亭「口悦」で三十万五千二百五円のはしご。赤坂プリンスホテルや帝国ホテルや料亭などで、ほぼ六日に一回の割合で、「勉強」です。



 
同じ日付で、同じ飲食店への支出が、「交際費」と「組織対策費」と違う項目で報告されている例もありますが、平均すれば、ほぼ二日に一回、飲み食いし、その合計は三千四百七十九万八千五十三円に上りました。
ある日の豪遊例 (06年2月14日)




露地やま祢(料亭)9万6358円




シュミネ(クラブ)48万2610円




かかしや(日本料理)9万6660円




山祥庵(ステーキハウス)9万6003円




幸本(料亭)110万3711円




宵待草(クラブ)9万 410円




ウイングスインコーポレイテッド 8万8570円

(以上『しんぶん赤旗』より転載)




南十字星の意見
麻生太郎とは一体何者?
麻生の父親は九州財界の重鎮で鉱山主・麻生セメント・炭鉱などを経営していた麻生太賀吉の息子。母は戦後の首相:吉田茂の娘で和子。
父の太賀吉は政商として吉田首相のもとで財政的援助をおこなっていたようです。太郎は父の跡を継ぎ、麻生財閥の当主となります。その後、福岡商工青年会議所の会頭などを得て自民党「宏池会」に所属。河野洋平に従い宮沢派を離脱、河野グループを経て現在「麻生派」のボスにおさまっています。</font
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転載元転載元: 空のはてに十字星、きらめく星のこの夜に


所詮アメリカの「中東パン・アメリカン主義」のお膳立て

安部晋三と並んで「親の七光り」代表選手である麻生太郎外相が『なぜか』この時期にパレスチナを外遊(税金を使った海外旅行)している。その中で、15日夕にはパレスチナ(ファタファ政府)やレバノン・シリアの関係者と面談し、その中で日本が提唱する中東和平構想、いわゆる「平和と繁栄の回廊」構想(妄想)を提唱して大喝采を浴びたと報道された。
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「今更何故?」と言う疑問の裏には、今年春からパレスチナで続いている「ファタファ」と「ハマース」によるパレスチナ内戦の暗い影が落ちている。
要は欧米諸国にとって第二次大戦の負の遺産として残っている「パレスチナ問題」について、欧米&イスラエル寄りに転換したアッバース現PLO議長の「ファタファ」を資金・外交面で祭り上げ、パレスチナ民衆から絶大な支持を受けている「ハマス」をテロリストとして指弾し、抹殺して決着を図りたい、特に米国政権の「腹黒い幕引きへのシナリオ→中東パン・アメリカン主義の浸透」が見え見えである。しかもこうした本来なら国際正義に照らして何ら正統性の無い動きに、今の自民反動政権が尻馬に載せられて、事もあろうに麻生はファタファ政権に24億円の無償資金援助まで約束する始末。真のパレスチナ問題は第二次大戦の欧米による中東分割とシオニズムによるアラブ民衆への人権弾圧であり、こうした事に対する国際法廷を開催して、その総括をした上で今後を話し合うべきなのに、またしてもヘゲモニズムの反動は世界の罪も無い人々の人権を蹂躙しようとしている。
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本気でパレスチナに関わるなら
アメリカとイスラエルに「物申すべき」である
パレスチナ情報センターはこちらへアクセス〜!↓
http://palestine-heiwa.org/note2/200706151156.htm

転載元転載元: ユナイト・ゼロ 政治・社会刷新共同体公式ブログ

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