|
最近、各紙の世論調査で格差に対する項目が多くみられます。
読売新聞では81%が格差が広がっていると認識しているといい、
毎日新聞でも71%が今後も格差は拡大していくと答えています。
また、小泉改革が格差拡大の要因になっているかという問いに
対しても56%が影響していると解答し、影響していないの40%を
大きく上回っています。(いずれも読売調査)
それに対して為政者である小泉Pは、「格差が悪いとは限らない」といい、
そして「格差ととらえるのではなく、互いの違いを学び合い、
競争して良い点を伸ばしていく競争が必要ではないか」と国会で
答弁しています。
確かに、私もある程度の格差はしょうがないと思っています。
いや、格差が生じるのは当たり前でしょう。なぜなら、人間の能力には、
基本的に能力差があるからです。それに伴い、格差が生じてしまうのは、
むしろ当然だと思います。
ただ、その格差をどう考えるかということです。格差の話をすると、
必ずでてくるのがチャンスの平等化です。ところが、最近の調査では、
例えば小学校の教師への調査で、親の収入の差が子供の学力に影響していると
思うのが50%を超えています。また、読売新聞の調査では、
努力をすれば格差を克服できる社会かどうかについても、
克服できるとは「思わない」人が計59%になっているそうです。
これが実は一番問題なのです。一度ついてしまった格差を克服できない、
そんな世の中になりつつある。それが小泉改革の方向性なのです。
格差を容認する社会にするなら、重要なシステムがあるはずです。
それは、強者(能力の高いもの)が弱者(能力の低いもの)を
助けるという個々の意識を高めることです。この教育を行なって、
初めて「ある程度の格差」を容認できる社会になるのではないでしょうか。
例えば、勉強の苦手な友達に勉強の得意な子供が教える。
逆上がりの出来ない友達に体育の得意な子が教える。
そのときには、優越感や劣等感を持たせてはダメなのです。
それが格差を生み出す原因になっていくからです。
それは大人の社会になれば、仕事のできる人間はできない人間をフォローする。
これは今でも行なわれているかもしれませんが、それはそうしないと
自分の評価が下がってしまうからでしょう。
そうではなく、当たり前の行動としてそれができているでしょうか。
その意識が徹底されれば、例えば仕事における能力が高い人は、
自分の得た報酬の中から何割かを恵まれない人に寄付するのが
当たり前になります。先日まで行なわれていたトリノ五輪で
スピードスケートのある金メダルを獲得した選手が、
その報奨金(約400万円)をアフリカの慈善活動している団体に
寄付したと聞きました。感動的な話ですが、そうした意識の中では
当たり前の行為になるはずです。
こうした国民に対する意識づけ、教育が済んで初めて、「格差は
悪いことではない」と言える世の中になるのだと私は思います。
それを何も手をつけずに、「何で格差が悪いのか分からない」と
言っている小泉Pだから、ダメなのだと私は考えます。
満員電車でシルバーシートが空いていれば、座るのは悪いことでは
ありません。しかし、その席を必要とする人が乗車してくれば、
席を譲るのは当たり前です。しかし、今はシルバーシートに座りながら、
多くの人間が眠ってしまいます。(ウソ寝かも知れませんが)
転んだ人がいても助けようとする人もあまりいません。
格差を生むのが悪いのではなく、その部分で能力の高い人が、
低い人を助けるという基本的な意識(システム)が不可欠なのです。
為政者はそのことを理解していなければなりません。
それが格差社会になる前にしなければいけない必要条件なのです。
|