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倉本聰氏「福島のありのままを伝えたい」
[拡大] 「思いもかけない言葉で傷ついた」
――倉本さんが主宰する富良野GROUPの舞台『ノクターン―夜想曲』が2015年、全国公演されます。東日本大震災と原発事故で甚大な被害を受けた福島を舞台に、書き下ろした作品です。2013年初演されたということですが、台本を書くにあたり、被災地での取材を重ねられたそうですね。現場の皆さんはすぐに取材に応じてくれるものですか。 倉本 当然、最初は抵抗を示します。被災地である南相馬やいわきへも何度も足を運び、住民に話をしてもらおうと試みましたが、僕たちの本気度を徐々に理解してもらい、胸襟を開いて話をしてもらうまではかなりの時間を要しました。理詰めで説得するより、誠意を示すしかありません。そのぶん、胸中を吐露してくれた現地の方がたとはいまでも深い付き合いをしています。 廃炉作業中の福島第一原発(F1)の免震重要棟まで入らせてもらい、取材もしました。2011年の3月11日に事故が起きた際に、F1から逃げ出そうとした人もいれば、決死隊として中に入り、原子炉を冷却するために注水し続けた人たちもいました。いざというときに逃げる人間と身を挺して立ち向かう人間の違いは何か、考えさせられるいい機会でした。 今度の舞台では、逃げてしまった側のトラウマや罪の意識を描きます。 舞台のイメージを固めるために、放棄された人気のない町にも足を運びました。空っぽの家を覗くと、ネズミの糞だらけ。田畑ではイノシシによって作物が食い荒らされ、牛が道路を闊歩するなど非日常的な光景が眼前に飛び込んできます。一軒ずつ家屋を眺めながら「この家の持ち主はどれほどのローンを借りたのか」「希望に満ちて生活をしていたのだろうか」「小さい子供がいたんだな」と思いを馳せていると、ドラマは際限なく生まれてきます。 ――福島で見た光景すべてが脚本家・倉本聰を刺激したということですね。 倉本 僕は戦後に作家になりましたが、そのころは大岡昇平さんや野間宏さんなど戦地から帰還した作家がたくさんいました。おかしな言い方ですが、戦地の極限状態を体験した彼らに対して、作家として羨ましいと思ったことがあります。一方でいまの時代は人間の死に真正面から向き合い、生について考える機会はめったにありません。 先日、夢枕獏さんも「自分の『原風景』がないことがコンプレックスだ」と漏らしていました。 しかし、今度の原発事故の経験は大きかった。これまでに原発を扱ったコンテンツのほとんどがドキュメントタッチによるものでしたが、今後は3・11を経験した世代のつくり手が、フィクションとしての映画や小説を通して福島の悲惨な現状を伝えるようになるのではないでしょうか。 ――先ほどの話に出た「原発から逃げた人びと」は、具体的にどのような人たちだったのですか。 倉本 たとえば、避難区域の病院で働いていた看護師さんです。「自主判断に任せる」といわれ、家族を守るために病院を離れざるをえなかった看護師さんは、逃げる前に、寝たきりの患者の枕元に握り飯を二つ置いていったようです。どのような気持ちで、看護師たちは職場を離れたのか。追跡調査してわかったことは、彼ら、彼女らの逃げているあいだの葛藤や苦しみには凄まじいものがあった、ということです。 震災後、一斉に津波を撮りに飛び出した『福島民友』の記者からも話を聞きました。ある記者はシャッターチャンスを待ちながら津波を撮ろうとした。 ところが、別の記者が持っていたカメラには津波の写真がまったくない。周りにいた避難した人たちの話では「あの記者がみんなを避難誘導してくれた」というのです。『記者たちは海に向かった 津波と放射能と福島民友新聞』(KADOKAWA・門田隆将著)という本にも書かれていますが、3週間後にこの記者の遺体が見つかるのです。 ――実際に芝居のモデルになった人たちも舞台を観にいらっしゃるのでしょうか。 倉本 観てくれたらうれしいけれど、こちらとしては怖いですよ。2013年8月に富良野市で行なわれた「初演」の実験舞台では、被災地の方も含めて全国から来た人に原発事故の不条理さについての舞台を観てもらいました。なかには涙を流しながら観てくれるお客さんもいましたが、「思いもかけない言葉で傷ついた」という声もありましたよ。 とくに今回、福島では計5回の公演を行ないますが、台詞の端々で被災者の方々を傷つけてしまわないか、すごく神経を使います。 .
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原子力問題
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廃炉工程先送り検討 福島第1原発、除染難航
燃料取り出し開始へ 一層効果見える対策必要
「高齢者には未体験ゾーンの始まり」 五木寛之氏年
歴史を偽造する、「日本会議」批判? 「戦争の歴史学び考えること大切」
メルトダウン事故を起こした福島第一、事故後、4年を迎えるが、復旧のめどが見えない。
このままでは、チェリノブイリと同じく、自然放置され、数百年、否、数千年放置されることになるのではなかろうか?
広大なロシアと違って、狭い日本の国土にとっては、大変な問題と言えよう。
しかも、再稼働によって、再び、原発事故の発生が危惧される中で、日本崩壊にもつながりかねない状況である。
「事故が起きない」という前提だったが、原発建設100年タームの中で、もう、大きな事故、チェリノブイリ、スリーマイル、福島と、3度も過酷事故が発生しているのである。
とりわけ、地震・火山国日本で、再び原発事故が起きないと言う保証はなかろう。
福井あるいは九州で事故が発生すれば、日本崩壊の危機すらもたらしかねない。
原発再稼働・推進を目指す安倍政権は、安倍政権が好む「戦前の価値観」で判断すれば、「国賊」に値すると警告しておきたい。
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五木寛之氏が日刊ゲンダイに面白い見解を述べている。氏の主張は、正論と言っておきたい。
−−−
平成天皇が、新年のあいさつで、意味深長な発言をしている。
「戦争の歴史学び考えること大切」との発言であるが、私は、これを、「日本会議」や「安倍政権」に対する批判と理解している。
安倍政権の危険性を示した発言と見るべきであろう。
以上、雑感。
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歴史を偽造する、「日本会議」批判?
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Astronomy Picture of the Day2015 January 1 Vela Supernova Remnant(ほ座超新星残骸=ガム星雲) Image Credit & Copyright: CEDIC Team - Processing: Wolfgang Leitner 説明:私たちの天の川銀河の平面は、この複雑で美しい空の景色を有しています。星座ヴェラ(帆)の北西の端には伸縮自在のフレームが、ほ座超新星残骸、大質量星の死の爆発から拡大破片の雲の明るい輝くフィラメントを中心に広い10度以上にひろがっています。 ヴェラ残骸を作成した超新星爆発からの光は、約11,000年前に地球に到達した。輝くガスのショックを受けてフィラメントに加えて、宇宙の大災害にも信じられないほど密集し、回転する星のコア、ベラパルサーを、残しています。約800光年離れた、ヴェラ残骸がそう大きく、古い超新星残骸に埋め込まれた、ガム星雲です。 ☆☆☆
妻純子の状況:
経管栄養実施中、血糖値高めなるも、安定中。
院長の指示の下、看護師諸君が、丁寧に対応して戴いている、感謝。
長女が、純子の姉を帯同して、見舞い。
長女も、今日、午後には、離北する。
北九州、珍しく、新年から、初冠雪。
安倍政権と、中国のPM2.5を洗い直す年にしたいものである。
・・・・・本日は、これまで・・・・・
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日本が終戦を迎え、今年で七十年。県内のお年寄りの中には国内外で戦争を体験し、当時の記憶を語り継ぐ人がいます。平和の尊さを、年初めから考えてみませんか。 ◇ 一九四五年八月六日、広島−。当時二十八歳で軍医だった肥田舜太郎(ひだしゅんたろう)さん(98)は、道の真ん中に立つ影に息をのんだ。「遠くから見たときは人間だと思わなかった。近くで見ても人間には見えなかった」 全身が焦げ、両目も唇も腫れ上がっていた。その人はうめき声を上げながら肥田さんに近づき、倒れた。裸の胸や腰から垂れ下がるぼろ切れは、よく見ると皮膚だった。「脈を取ろうとしたが、皮膚がどこにもなかった。何もできず立ち尽くしていると、ぴくぴくっとけいれんして、動かなくなった」。初めて見た被爆者の死だった。 原爆投下の瞬間、肥田さんは広島市中心部から約六キロ北の戸坂(へさか)村(現・広島市東区)にいた。自転車を走らせて広島市内に入ると、太田川の川岸が遺体で埋め尽くされていた。その上をはって進み、水を求める人々。燃え上がる火に追われ、子どもが川に転がり込んでいた。 肥田さんは戸坂村に戻り、けが人の治療を始めた。村の道路や学校の校庭は人であふれ、血や肉の焦げた臭いが漂う。「やけどの処置や止血、縫合が精いっぱい。無力だった」 一カ月ほどたつと、原爆投下時は広島にいなかった人々に異変が出始めた。肥田さんが最初に気が付いたのは、原爆投下後に広島市に入り、一週間ほど夫を捜し歩いた女性だ。ある日、肌に紫の斑点が出た。やがて吐血し、髪の毛が抜け落ち、そして亡くなった。「何が起きたのか、訳が分からなかった」。内部被ばくの影響が指摘されるのは、ずっと後のことだ。 肥田さんは終戦後も被爆者の治療を続け、五〇年に東京都内に診療所を開いた。一方、「貧しくても診てもらえる診療所をつくってほしい」という運動が行田市で起きたのがきっかけで、五三年に行田協立診療所を開設。全国から被爆者の患者がやってきた。 七三年には、県内の被爆者らでつくる県原爆被害者協議会の事務局長に就いた。このころから自身の体験を積極的に語るようになり、国内外で核兵器の廃絶も強く訴えた。 二〇〇九年に医師を引退した。六十四年間で診た被爆者は約六千人。「直接原爆の光を浴びていなくても、内部被ばくで白血病やがんになる。そうやって苦しんで死んでいく被爆者を多く見てきた。こんな殺し方はほかにない。医者として、これだけは絶対に認められない」と力を込める。 肥田さんは今も被爆体験を語り続ける。「広島で被爆して診察した医師はみんな死んで、もう私だけ。元気でいる限り、私が話し続けなきゃいけない。放射線の恐ろしさを伝える。それが生き延びた私の役目なんです」 (東京新聞)
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2014年12月28日 18:48
「健康被害が出たらアンタたちは責任が取れるのかね?」。
藤原保正・大谷(行政)区長は官僚に詰め寄った。=26日、参院会館 写真:筆者= 総選挙での大勝を受けた安倍政権は、原発事故を力づくで風化させるつもりだ。政府は南相馬市の特定避難勧奨地点を28日付けで解除した。
特定避難勧奨地点とは警戒区域や計画的避難区域のように面として広がりはなくても、ホットスポットのような高線量の地点。基準は原発事故発生後1年間の積算線量が20mSvを超えると推定される地点だ。
特定勧奨地点に指定されると、避難者は行政から支援を受けることができる。
南相馬市の一部と伊達市、川内村の一部が指定されていた。伊達市と川内村は放射線量が低減したとしてすでに解除され、南相馬市だけとなっていた。
21日、南相馬市で政府の現地対策本部による住民説明会で、高木陽介経産副大臣が「28日に解除する」と“宣言”した。一方的だった。
地元説明会に出席した住民80人が反対一色だったにもかかわらず、だ。
だまし討ちにもほどがある。26日、参院会館で南相馬市の住民たちが解除の撤回を求めて政府と交渉した。(主催:南相馬・避難勧奨地域の会/南相馬特定避難勧奨地点地区災害対策協議会)
政府からは内閣府の若手官僚が、わずか2人出席しただけだった。
内閣府・原子力災害対策本部の清水英路参事官補佐は解除の理由を「線量が20mSv/年以下になったため」と説明した。
住民たちは猛反論した。「政府は一番低い所を選んで計測しているじゃないか」。政府が計測するのは、除染した直後の庭などだ。山のそばの家庭は除染しても山から放射能が降ってくる。
言葉巧みに追及をかわす内閣府の清水参事官補佐。冷たい目が印象的だった。=26日、参院会館 写真:筆者=
そもそも政府が設定した20mSv/年という基準もデタラメだ。原発作業員の被ばく上限が5年間で100mSvだから、政府は住民に原発作業員の上限を押し付けているのだ。
住民が実際に浴びている放射能は、原発作業員の上限以上ということになる。
住民の間から「我々は放射線管理区域に住んでいるんだ」の声が相次いだ。
住民から「なぜ指定を解除したのか?」と追及されると、清水参事官補佐は「20mSv/年以下であれば健康被害はないから」と答えた。
計測自体がいい加減。しかも放射線管理区域と同じレベルの放射線量の強要。健康に害がないはずはないことは、中学生にでも分かる。
指定が解除されれば、東電は補償金を払わなくても済むようになる。住民の健康よりも東電。これが政府の姿勢だ。
住民の一人が「健康被害が出た場合は我々官僚が責任を持ちます、と念書に署名して下さい」と一片の紙を清水参事官補佐に突き出した。
参事官補佐は「私の一存では署名できない」と拒否した。
「なぜ署名できないのか? 健康被害が出ないというのであれば、署名できるじゃないか?」会場は一時騒然となった。
「解除を撤回しないのか?」
「撤回しません」 清水参事官補佐は露ほども悪びれることなく拒否した。政府の決定はいつでも正しい ― 若き参事官補佐は官僚の無謬性を体現していた。
きょう(28日)午前0時をもって南相馬市の142地点の特定避難勧奨地点は指定解除された。政府は福島県から「ホットスポット(※)」を消したのだ。
◇
※ ホットスポットは現に存在するが、政府は認めないという意味。
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12月31日 8時06分
アメリカ東部にある古い原発がシェールガスなどで火力発電の発電コストが下がり、採算が合わなくなったとして営業運転を終えることになり、29日、原子炉に制御棒が入れられて40年以上続いた運転を停止しました。
営業運転を終えたのは1972年に稼働を始めたアメリカ東部にある「バーモントヤンキー原発」で、運営する電力会社によりますと29日、原子炉に制御棒が入れられて停止しました。 この原発は東京電力福島第一原子力発電所の1号機などと同じタイプで、福島第一原発の事故を契機に地元の州政府などが安全性への疑問から停止を強く求めても、一貫して営業運転を続けてきました。 運転を終えた理由について、電力会社はシェールガスの生産などで火力発電の発電コストが下がるなか、安全基準を満たすうえで必要な設備投資がかさみ、採算が合わなくなったためだとしていて「運転停止は経済的な判断だ」と説明しています。 原発では今後、廃炉に向けた作業が始まりますが、すべての作業が終わるのは61年後の2075年ごろになるということです。 アメリカは世界最大の原発大国で古い原発が少なくなく、ここ数年は採算の悪化を理由に5つの原発の廃炉が決まり、稼働中の原子炉は99基となっています。
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