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2015年9月19日(土)
きょうの潮流 しんぶん赤旗 「法的にはクーデター」。閣議決定で憲法解釈をひっくり返してから、戦争法案をめぐって安倍政権が重ねてきた暴挙は法秩序の連続性を破壊してしまった― ▼憲法に縛られる為政者が、数の力を背に違憲の法案を押し通す。「法の支配」を根幹から揺るがす事態に、多くの憲法学者は安倍政権によるクーデターだと。このままでは憲法9条はないがしろにされ、安倍首相が狙う改憲も現実味を帯びるという危機感です ▼いま、国民の怒りが一つの方向に集まり始めています。合言葉は“(法案)賛成議員を落選させよう”。学生らでつくるシールズの奥田愛基(あき)さんは「世代、地域をこえて、人々が声をあげている。このつながりが、そのまま選挙に影響を与えると思っている」 ▼同じ動きは学者の間でも。安全保障関連法案に反対する学者の会の発起人、内田樹(たつる)さんは「賛成した議員は全部落とす。この運動をやっていこう」と。憲法学者の長谷部恭男さんも「次は選挙にも行って、おかしな政権を倒さないといけない」(東京新聞) ▼この国に民主主義を取り戻そう。そのたたかいのなかで主権者の自覚をもち、自発的に立ち上がってきた新しい運動。共産党の志位委員長は「戦後70年、憲法の理念、民主主義の理念が、国民のなかに深く根をおろし、豊かに成熟しつつあることを示している」 ▼日本の未来を希望へと切り開いていく、ひとりひとりの声。志位さんは確信をもって断言しました。「この国民の歩みを止めることは誰にもできない」
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世界平和の発信地・東京都
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【国会前のデモ、全国の狼煙が、自公の強行採決をビビらせている。】 (かっちの言い分) 今日18時から参院で最終質疑を始め、20時には強制採決することを決めていたが、21時30分になっても始まらない。断続的に理事会が開かれているという。安倍首相らは委員会に出席しているが始められない。理事会で何が話されているか具体的にはわからない。 それにしてもSEALsの奥田氏の話は、自公の議員にはかなり堪えたと思われる。奥田氏は、自分達が仕掛けた結果、これだけの数が国会に集まった訳ではないと言い、自分達はそれほどうぬぼれていないという。今まで物言わなかった無党派層が目覚めて、自発的に国会に集まっている。また、奥田氏は法案が例え通っても、連休で反対の興味が薄れるなどと高を括るなと述べている。逆に、法案通過によって運動は大きくなり、自公の議員の落選運動が始まると述べている。 今日、奥田氏を始めとするSEALsのメンバーが外国記者クラブでインタビューを受けていた。会見後、記者からは、日本にも本当の意味の民主主義が芽生えてきたと述べた。つまり、デモは過激派、労組の専売特許であったが、全くの無党派層が自発的に立ち上がってきたことを評価している。別の外国人学者は、過激派のデモではなく、Healthy民主主義が日本に起こってきたと評価した。 22時になっても会議は始まっていない。野党もがんばっている。奥田氏は自公の行動だけを見てるのではなく、野党の行動も見ているという。心ある、目覚めた無党派層も、今じっと与野党の行動を見ている。自公、次世代、新党改革、元気は首を洗って待っていた方がいい。 安保強行なら不信任案 成立阻止へ野党5党首 http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2015091601001630.html 2015年9月16日 民主、維新、共産、社民、生活の野党5党首は16日夕、国会内で会談し、与党が安全保障関連法案の採決を強行する場合、内閣不信任決議案や問責決議案の提出を含め、あらゆる手段を講じて成立を阻止すべきだとの認識で一致した。自民、公明両党は野党の対応を見極め、同日夜にも参院平和安全法制特別委員会で採決に踏み切るかどうか最終判断する。 特別委は16日午後、横浜市で地方公聴会を開催した。与党は国会に戻り、安倍晋三首相が出席して締めくくり質疑を実施し、質疑を終結させる方針だ。 (共同) http://31634308.at.webry.info/201509/article_17.html
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宇部で医師・中村哲さん講演会−アフガニスタン国境で活動の30年を講演 /山口みんなの経済新聞ネットワーク 8月9日(日)15時21分配信
パキスタンとアフガニスタンで30年間にわたり、医療や農業支援の活動を行う医師・中村哲さんの講演会が8月30日、宇部市渡辺翁記念会館(宇部市朝日町8)で行われる。主催は山口大学医学部国際医療研究会。(山口宇部経済新聞) 福岡市出身で九州大学医学部を卒業した中村さんは、国内病院の勤務を経て1984年にパキスタン北西のペルシャワールに赴任。以来、ハンセン病の治療や難民キャンプ・山岳地帯の医療過疎地域に診療所を開設するなど貧困層への医療活動を続けてきた。 2000年以降は、専門外でありながらもアフガニスタンの干ばつによる水不足の解消のために、飲料用の井戸1600本と灌漑(かんがい)用の井戸などを掘削。約7年間かけて約25キロもの農業用水路も建設し、砂漠化した農地を約3年でよみがえらせた。 当日は「アフガニスタンに生命の水を」を演題に、中村さんの活動内容や体験談、エピソードを約2時間にわたり講演するほか、隣接する宇部市文化会館の1階展示室で「現地報告写真展 〜人・水・命 30年のあゆみ〜」を開く。 講演は14時開演で入場料300円。定員1300人。写真展は10時からで入場無料。問い合わせは宇部市文化創造財団(TEL 0836-35-3355)まで。 みんなの経済新聞ネットワーク
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大津留公彦様のブログ
⬆に
投稿させて頂いています。
投稿する方が別々で多いのも良いと思いますので
どうぞ、皆さまもよろしくお願いいたします。
383 のど元を過ぎさせてなるか 為政者の
愚案の紙に 慈悲も理もなく 野ばらん
384 天晴れなり 目覚め官邸前に集う 公明の婦人らよ
吾も行きたし! 野ばらん
(※私、野ばらんは公明党支持ではありませんが、やっとこの方々が
声を上げて下さった事に)
385 この人が 総理なんだと 教えたくなく 澄んだ 瞳の子に 憲法を説く 野ばらん
386 この夏が無念の夏にならぬよう せめて厨よりの一首を投ず 野ばらん
387 平和であれ 永久に不戦の国であれ 迷彩柄のパラソルを厭う 野ばらん
388 九条の文字の林檎のハガキ着く 恩師よ 吾も あなたの道を 野ばらん 389 おやつ出し スイカを食べてる 夏休み この平和を守るためにも 野ばらん (↑拓郎さんの名曲、夏休みへのオマージュを含みます)
390 後方支援だ 給油でさえも それを そのもの 参戦という 野ばらん
391 アメリカとつるんで 戦う国はイヤ この国の誇りまで失うなかれ 野ばらん 392 主婦でさえ 師につき学ぶ 憲法を 為政者何故に 読解出来ぬ 野ばらん 人殺す国になりたくない
僧侶は語る 福岡のデモで 野ばらん 丁寧に説明すれば いいなんて 却って 馬脚を現せば 良い 野ばらん 悪法案 どこから見ても 取り柄無し さっさとどぶに棄ててしまえ 野ばらん 新喜劇 ディズニーランドに
加えよう 官邸前で抗議の声を 野ばらん 侵略国だった昔を忘れまい 平和憲法この国の礎 野ばらん 国境を越えた 奉仕を守ってきた 武器にはあらず 平和憲法 野ばらん 富市氏の 街頭抗議をなんと聞く
師と仰げよ 浅慮の総裁 野ばらん YouTube アニメパロディで抗議する 乙女の声に 快哉さけぶ 野ばらん 仏門徒 クリスチャンも ムスリムも 悪い法は悪い 街で声上ぐ 野ばらん
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米倉さんを 偲んで、、、、、、。 大人になれなかった弟たちに…‥ 作 米倉 斉加年 僕の弟の名前は、ヒロユキといいます。僕が小学校四年生の時に生まれました。その頃は小学校と言わずに、国民学校といっていました。 僕の父は戦争に行っていました。太平洋戦争の真っ最中です。 空襲といって、アメリカのB29という飛行機が毎日のように日本に爆弾を落としに来ました。夜もおちおち寝ていられません。毎晩、防空壕という地下室の中で寝ました。 地下室といっても、自分たちでほった穴ですから、小さな小さな部屋です。僕のうちでは、畳を上げて床の下に穴をほりました。母と僕でほったのです。父は戦争に行って留守なので、家族は、僕と母と祖母と妹と弟の五人です。五人が座ったらそれでいっぱいの穴です。 弟は生まれて間もないのですが、いつも泣かないで一人大人しく寝ていました。母は穴をほりながら、ヒロユキが大人しいから助かる、と言っていました。 その頃は食べ物が十分になかったので、母は僕たちに食べさせて、自分はあまり食べませんでした。でもヒロユキには、母のお乳が食べ物です。母は自分が食べないので、お乳が出なくなりました。ヒロユキは食べるものがありません。おもゆといっておかゆのもっと薄いのを食べさせたり、やぎのミルクを遠くまで買いに行って飲ませたりしました。 でも、ときどき配給がありました。ミルクが一缶、それがヒロユキの大切な大切な食べ物でした……。 みんなには到底わからないでしょうが、その頃、甘いものは全然なかったのです。飴もチョコレートもアイスクリームも、お菓子は何にもない頃なのです。食いしん坊だった僕には、甘い甘い弟のミルクは、よだれがでるほど飲みたいものでした。 母は、よく言いました。ミルクはヒロユキのご飯だから、ヒロユキはそれしか食べられないのだからとー。 でも、僕は隠れて、ヒロユキの大切なミルクをぬすみ飲みしてしまいました。それも、何回も……。 僕にはそれがどんなに悪いことか、よくわかっていたのです。でも、僕は飲んでしまったのです。僕は弟がかわいくてかわいくてしかたがなかったのですが、……それなのに僕は飲んでしまいました。 あまりに空襲がひどくなってきたので、母は疎開しようと言い出しました。それである日、祖母と四歳の妹に留守番を頼んで、母が弟をおんぶして僕と三人で、親戚のいる田舎へと出かけました。ところが、親戚の人は、はるばる出かけてきた母と弟と僕を見るなり、うちに食べ物はないと言いました。僕たちは食べ物をもらいに行ったのではなかったのです。引っ越しの相談に行ったのに。母はそれを聞くなり、僕に帰ろうといって、くるりと後ろを向いて帰りました。そのときの顔を、僕は今でも忘れません。強い顔でした。でも悲しい悲しい顔でした。僕はあんなに美しい顔を見たことはありません。僕たち子供を必死で守ってくれる母の顔は、美しいです。僕はあのときのことを思うと、いつも胸がいっぱいになります。 母は行ったこともない山の中の親切な人に頼んで、やっと疎開先が決まりました。とりあえず必要な荷物だけを持って、引っ越しすることになりました。それでも、荷物は馬車一台ありました。僕と母と祖母と妹、それに弟は、その馬車の荷物の上に座って、ゆらりゆらりゆられながら、朝、家を出て、南に向かって旅立ちました。福岡から南へ二十キロくらい行った、石釜という山あいの村です。 馬車の上で昼のおむすびを食べ、昼過ぎには、きれいな渓流に沿って山路へかかりまたした。美しい青空、桃の花が咲く山村、橋の上からはあゆの泳ぐのが見られます。生まれて初めて見る、それは桃源郷でした。 これから始まる苦しい生活など、僕にはわからない年頃でした。ですから、毎日あのあゆをとっておかずにすれば母が喜ぶだろうと思ったりして、これからの生活に胸をはずませました。 僕たちがお世話になる農家は、すぐ裏の山に覆い被さるような山すそにありました。その農家の庭に面した六畳間の一部屋を借りました。家の前の渓流には飛び石が対岸に続き、大雨の日は渡れません。下流の橋を渡って学校に行きました。 母は生まれて初めて田植えを手伝い、昼に出されるご飯を僕たちに残して、持って帰ってきました。 僕たち疎開者には配給もありませんので、母は自分の着物を持っていき、近所の農家の人たちにお願いして、米と交換してもらっていました。 疎開しても、ヒロユキのお乳には困りました。隣村にやぎを飼っている農家があると聞いては、母が着物をふろしきに包んで出かけました。 母の着物はなくなりました。 ヒロユキをおんぶして、僕はよく川へ遊びに出かけました。僕は弟が欲しかったので、よくかわいがりました。 ヒロユキは病気になりました。僕たちの村から三里くらい離れた町の病院に入院しました。僕は学校から帰ると、毎日、まきと食べ物を祖母に用意してもらい、母と弟のいる病院に、バスに乗って出かけました。 十日くらい入院したでしょうか。 ヒロユキは死にました。 暗い電気の下で、小さな小さな口に綿に含ませた水を飲ませた夜を、僕は忘れられません。泣きもせず、弟は静かに息をひきとりました。母と僕に見守られて、弟は死にました。病名はありません。栄養失調です…。 死んだ弟を母がおんぶして、僕は片手にやかん、そして片手にヒロユキの身の回りのものをいれた小さなふろしき包みを持って、家に帰りました。白い乾いた一本道を、三人で山の村に向かって歩き続けました。バスがありましたが、母は弟が死んでいるのでほかの人に遠慮したのでしょう、三里の道を歩きました。 空は高く高く青く澄んでいました。ブウーンブウーンというB29の独特の音がして、青空にきらっきらっと機体が美しく輝いています。道にも畑にも、人影はありませんでした。歩いているねは三人だけです。 母がときどきヒロユキの顔に飛んでくるはえを手ではらいながら、言いました。 「ヒロユキは幸せだった。母と兄とお医者さん、看護婦さんにみとられて死んだのだから。空襲の爆撃で死ねば、みんなばらばらで死ぬから、もっとかわいそうだった。」 家では祖母と妹が、泣いて待っていました。部屋を貸してくださっていた農家のおじいさんが、杉板を削って小さな小さな棺を作っていてくださいました。弟はその小さな小さな棺に、母と僕の手で寝かされました。小さな弟でしたが、棺が小さすぎて入りませんでした。 母が、大きくなっていたんだね、とヒロユキのひざを曲げて棺に入れました。その時、母は初めて泣きました。 父は、戦争に行ってすぐ生まれたヒロユキの顔を、とうとうみないままでした。 弟が死んで九日後の八月六日に、ヒロシマに原子爆弾が落とされました。その三日後にナガサキにー。 そして六日たった一九四五年八月一五日に戦争は終わりました。 僕はひもじかったことと、弟の死は一生忘れません。 完
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