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董卓は、洛陽に入り相国となった翌年、190年に五銖銭を鋳潰し、新たに現行の五銖銭よりも小さく、穴も開いておらず、縁取りもせず、研磨すらしない粗悪な銅銭を発行した。
この董卓の行為が、後漢末の経済に著しい影響を与えたとされている。今回は、この董卓の改鋳について考えてみる。
しかしながら、私自身、経済学に関しては独学な上に初学者の域を出ていない為、この考察には甚だ自信がない。

この改鋳が行われた事により、穀物一斛の価格が数万銭となり、194年には五十万銭にまで達している。まずは、このインフレーションの程度を考える。
他史の記述によると、穀物一斛の価格は、南朝梁の天監四年の大豊作時に米一斛が三十銭、北朝東魏の元象、興和年間の大豊作頻発時に穀一斛で九銭とある。梁においては、一斛の体積は三国時代と殆ど差が無いが、東魏は三国時代の倍程度であるので、三国時代の一斛の価格に直すと、九銭の半分の四銭半となる。
米を脱穀済み、穀を脱穀前とすると、梁、米価に関する記述における米の体積は、三国時代の穀一斛の倍の体積となる。従って、米価として考えると、更に半分の価格となり、すなわち十五銭となる。
穀物の豊作と凶作は、穀物の供給曲線をそれぞれ右方、左方にシフトさせる。従って、豊作は超過供給、凶作は超過需要となるので、前者は穀物価格を下落させ、後者は上昇させる。
仮に需要曲線を線形とし、豊作による供給曲線のシフトを、供給が丁度二倍になる程度であるとすると、通常の収穫量と比較して、価格は半分となる。これを、梁の豊作時の価格に適用すると、通常の収穫量の時の価格を六十銭と仮定できる。

この六十銭という価格に、300年余りの間の生産性の向上を勘案して、三国時代の穀物一斛の価格を、百銭から二百銭とすると、190年から194年の4年間での穀物価格の上昇は、2500倍から5000倍となり、1年当りの穀物価格上昇率は625倍から1250倍、すなわちインフレ率は62400%から124900%となる。ハイパーインフレと言ってもいい物価上昇率である。

貨幣数量説によれば、
MV=PT
であり、T∝Yなので、
MV=PY
ともおける。ここで、M:貨幣総量、V:流通速度、P:価格、T:取引量、Y:生産量である。
生産量は貨幣の供給によっては変化しない為、董卓の行った政策による貨幣供給の増大によって、財の価格が高騰した事が分かる。

この政策によって、どのような層にどのような影響が生じただろうか?
インフレーション自体は、財の貨幣による価値尺度が変化するだけなので、インフレーションそのものは人々の購買力に変化は与えない。しかしながら、これほど高率のインフレーションの場合、靴底コストなどの影響は大きい上、社会に大きな混乱をもたらす事は想像に難くない。
例えば、年率62400%〜124900%という事は、人々は、貨幣を得た翌日には、その価値が37〜22%にまで減価している事になる。これではまともな取り引きなどできようはずもない。
また、このような突発的インフレーションは、富の不意な再配分を行う。すなわち、貨幣によって立てられた負債はその実質価値を減らす為、金を貸している人間から、金を借りている人間に富が移る事となる。

これらの事を考慮すると、改鋳による影響を著しく受けるのは、貨幣による資産を持ち、それによる取り引きを主としている人々である。そういった人々は、都市に住み、商業などによって生活を営んでいる人々だろう。また、貨幣資産が大きいほど、インフレによる損失を被る為、富裕層に対する影響の方が、貧困層のそれよりも大きかったであろう。
逆に都市と距離を置き、農業を主としている人々は、そこまで大きな影響を被ってはいないと考えられる。「人相食む」と表現されるほどであったにもかかわらず、改鋳より二年経った192年においても三輔には尚数十万戸あり、それが壊滅したのが、インフレではなく李カクらの略奪が原因であったとされている事が、その証左となろう。
また、中国では、銅銭から他の商品貨幣への代替が容易に行われる為、一定のインフレの後、貨幣が異なる商品貨幣に移行し、そこで貨幣供給も抑制されるので、インフレの影響もある程度限定的に留まるはずである。

従って、董卓の改鋳が都市の経済を破壊し、その後に続いた李カクらの略奪が、農村を含めた三輔全体を徹底的に壊滅するに到った、という事であろう。

なぜこのような改鋳を董卓が行ったかを考える。この改鋳は、長安遷都と、それに伴う拠点移動の前後に起こっており、この時、董卓は新たに拠点となる郿を増築し、そこに大量の物資を集めている。
洛陽周辺で集めた財宝を減らす事無く、また、長安周辺でも新たに集めた財宝を減らす事もなく、大工事と物資の集積を行う為に、貨幣を大量に発行してそれによって買い集める事を手段としたのだろう。

この董卓によって生じたインフレーションは、中原より銅銭の流通を排除したという点で、後世への影響は大きいものの、この段階では関中の荒廃は限定的であった。それよりも問題は、董卓の死の後に行われた大規模な略奪であろう。これによって商工業だけでなく、農業までも壊滅打撃を被った為、関中の荒廃が決定的になったと言える。

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