ここから本文です
気づきは天使のささやき〜Ange Passeβ〜
What's important is living here and now.

書庫全体表示

記事検索
検索

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

私のフリー画像探しは、JちゃんやNちゃん(叔母連)の春のたけのこ採りや秋のきのこ狩りに

相当するに違いない、と、思う、今日この頃です。(笑)


いつもありがとうございます。



Copyright (C) 2010 babysardine princess All rights reserved.


               
※ 画像は自分のコレクション及びリンク先よりお借りしています。
  こちらでは基本的には二次配布、転載はしておりません。
  素材をご希望の方は、できればご面倒でも書庫「素材探しリンク」にある
  ご紹介しておりますリンク先からからお願いしますね。
  都合により、素材探しリンクは、しばらくファン限定とさせていただいています

イメージ 1

イメージ 2

「お変わりないですね」


そのひとの健在をともに喜びあうとき、つい、そんなふうに声をかけあってしまう。


けれど、本当は、「お変わりになっておられ続けておいでですね」が正しい気がしている。


会わない時間、様々な出来事に心情にであわれ、育まれ、今日までこうして過ごされて、


「今 ここ」で、確かに、この瞬間、すれ違い、声かけあい、膝交え、時に語りあい、


これも、ご縁に違いありません。


ひとは常に自分なりに変化し、進化し、時には後退し、実相し続けているのでしょう。




先日、ある方の語りの中で、「ゆるがないんです。断定される。そこがいいんです。」と、


聞かせていただいて、もう少し、そのへんのところ、分かち合っていただけたら?


という思いもあったけれど、そこはその方のつぶやきのようにも聞こえていて、


もしかして「私が」聞いてしまっているかなぁ、という気もするが、


その方が師事している方のことを指しているのではないだろうか、という、私の憶測で、


関わらせていただく、にはならなかった。



ところが、その後、数日たっても、そこのところが非常に私に残ってしまっていて、


どうやら、書かせていただきたくなっているみたい。私にとっての「断定」を聞いてしまって


いるからかもしれない。



思うに、どうやら、私は「これは仮説です」という言葉の方が信じられるということのようであり、


私達人間がどうあがいても、どう逆立ちしても、理解などできない、宇宙のはたらきだの、


いのちの不思議だの、苦悩だの、ギモンだの、そういったものを、知りたくて、学びたくて、


先人達は様々な言葉を残していってくださっているのだけれど、それは、どうあがいても、


人間が考えるところの「宇宙」であり、「神」であり、「仏」であり、


どんなすごい人であっても、やっぱりそれは「人間」という存在をはずしては、


語りようのないところではないか、と、思えてならないというとろこのようである。



子供の頃に持ったギモンそのままに、「誰も見てきたひとのいない世界」が、


あたかも見てきたかのように、語り継がれる不思議、そこには、ひとが近づきたがっている、


知りたがっている、わかりたがってやまない、そういう「世界」への入り口、わかりよう、


そういうひとの相(すがた)に見えてならないから。



時にはこれが真理だ、と、言われた方がが、安心になるのかもしれない。


でも、私にとっての安心は、


あなたはあなたなりに、わからないままに、学ばせてもらい、感じさせてもらい、


わからなさにいっぱいで合わせてもらえる、そんなところにあるらしい。


そして、ひとはどうしても「私が」聞いてしまう生き物だからこそ、


それを自覚して、これは「私のところだ」ということを忘れずに、


お相手のところはお相手のものとして、聞かせてもらうということを肝に銘じなければ


ならないのだ。




そんなことを感じている、今日、この頃なのでした。








Copyright (C) 2010 babysardine princess All rights reserved.


               
※ 画像は自分のコレクション及びリンク先よりお借りしています。
  こちらでは基本的には二次配布、転載はしておりません。
  素材をご希望の方は、できればご面倒でも書庫「素材探しリンク」にある
  ご紹介しておりますリンク先からからお願いしますね。
  都合により、素材探しリンクは、しばらくファン限定とさせていただいています

イメージ 1

いつも思うことだけれど、朝のニュースやワイドショーでは、できるだけ

「今日はこんないいことをした人がいました!」

という番組をやってくれないかな、と、思ったりする。

いいことばかりの世の中ではないけれど、わるいことばかり知らせるのもどうかと思う。

危険を知らせるための報道は必要だと思うけれど、気の重くなる事件も最近多い。


潜在意識のどこかに、情報としてはいってくる諸々を正しく理解し、分別し、消化している

そういうつもりでも、ネガティブな情報が負にはたらくようなケースもあるような気がして

ならない。特に子供たちに与える影響も多いに違いない。


確かに土曜の午後なんかに、刑事もののドラマを横目で見ながら、

何か手仕事などしていると、「あぁ、今日は休日だ」という気持ちになったりして、

非日常の刺激としては、「殺人事件を解決する」「事故・事件」というサスペンスは、

有り得ないような出来事の代表なのかもしれないけれど、

そんなことが日常で立て続けに起こったら、たまったものではない。

(番組の中には本職の刑事以外にも、そんな葬儀会社、旅館、探偵、ルポライター、家政婦、主婦、

etc..がいるみたいだけど^^;)


最近、他人事だと思っていた出来事が自分の近くにもあると気づいた高校生のYちゃんは、

後になってから、当事者だけでなく、その家族や周囲にも心を馳せているようだった。

自分と同世代の当事者だったりすると、なおのこと、心が痛く、身近に感じられるのだろう。

「危険」「死」といったものを連想させる出来事を通して、自分自身の生き方も考えさせらて

いるようだった。


ドキュメンタリー番組で、ハンディを抱えながら、明るく生きている方の人生に、

見ているこちら側が励まされ、前向きな気持ちになることは、誰にでも一度はあると思うけれど、

時には、見ているこちら側がせつなくなるような場面が映し出されることもある。

特に小さな子や痛みで苦しむ姿に、そこまで放送していいんだろうかという気にさえなることもある。

そんな時、ダーリンは真っ先に席を立つ。どうにもこうにも見ていられなくなるらしい。

先日は、残って見ていた私も、後から、何とも言えない気持ちになってしまい。少し後悔した。

番組の放送の仕方もあるように思うけれど、ただドラマチックに衝撃的に見せようとするのでなく、

どの人の人生も、たとえそれが、一見して、ハッピーエンドには思えない、ならないような場合にも、

どこか、そこに、よかったことを見つけてほしい、そこをもっと描いてほしい、(伝えてほしい)と、

思ったりするのは、こちらのエゴだろうか。

誰しもが、かけがえのないその人の人生の舞台にいる。それこそがドラマだ、と、思えてならない

私がいて、上手く言えないけれど、それは誰にも代われないからこそ、そこが大事になってほしいと、

そんなことを思うのである。


だれかの姿を通して、自分なら?自分だったら?と思うのが人間なのだろうか。(という私)

自分に何ができるのか、どう生きていきたいのか、自分なりに、何がやれるのか。

いくつになっても、そんなことを思う今日この頃のようである。




いつもありがとうございます。



Copyright (C) 2010 babysardine princess All rights reserved.


               
※ 画像は自分のコレクション及びリンク先よりお借りしています。
  こちらでは基本的には二次配布、転載はしておりません。
  素材をご希望の方は、できればご面倒でも書庫「素材探しリンク」にある
  ご紹介しておりますリンク先からからお願いしますね。
  都合により、素材探しリンクは、しばらくファン限定とさせていただいています

イメージ 1

いろいろあるのがじんせいだから


とにかく 


わたしはじぶんのやれることをさがそう




あたえられたじかんのなかで


わたしはやれることをやらせてもらおう



ときには


だれかとくらべたくなったり


たりないようなきがしたり


ふこうなきもちになったり


おこってみたり


ないたりするかもしれないけれど



そんなことしても


しかたないなぁ


と わらってしまおう



いいとかわるいとかでもなく


とにかく


じぶんをまっとうすることだけかんがえよう



そして


じぶんなりにしあわせになろう


そして


それをよろこぼう





よいこと たのしいことがたくさんみつかりますように・・・


Copyright (C) 2010 babysardine princess All rights reserved.


               
※ 画像は自分のコレクション及びリンク先よりお借りしています。
  こちらでは基本的には二次配布、転載はしておりません。
  素材をご希望の方は、できればご面倒でも書庫「素材探しリンク」にある
  ご紹介しておりますリンク先からからお願いしますね。
  都合により、素材探しリンクは、しばらくファン限定とさせていただいています

イメージ 1

「(面接は)お茶飲み話しているんではないんですよ。」


研修会の一場面での恩師の他の方への声かけの言葉が耳に残っています。


「面接」という課題の前で、それは少し「非日常的」という印象もあるけれど、

研修前後に、「お相手の言葉(憶い)そのままに聞かせていただこう」になっている自分が、

娑婆(笑)に戻ってくると、だんだんにその「意識」が薄れていく自分がそれこそ「意識」され、

慌てて、切り替えモードに入ることもしばしば。



言わずもがな、「お相手の方のところはお相手の方のところとしてそのままに聞かせていただく」

の心構え、そのありようは、話題によって切り替えるものではなく、

当然、日々の暮らしの中でも、自然に出来ていることが望ましいのですが、

私も「お茶飲み話」の時には「つい」流してしまいそうになってしまいがちなのですが、

お茶飲み話でも場面によっては、

「何だか、話が横にそれちゃったけど、何が言いたかったんだろう・・・」

というくだりになられることや、

「私が言いたかったのはね、、、。」

「最初の話につながるんだけど、、、。」というサインを感じることがあり、


そんな時には、私の方が「あ、今、これ、落とせない」という、聞こえになることがあります。

「落とさずに、お相手に届けたい」の憶いになるのです。


もちろん、それは「私の聞こえよう」ですから、「〜〜〜〜〜?」「〜〜〜〜〜ってこと?」

「〜〜〜〜と、聞かせていただいたけど?」というふうに、お届けしてみると、

「そう!そう!そうなの。」という応えがかえってきたり、

「というか、〜〜〜な感じかな。」と、応えにたどりつかれると、


こちらの方はなんとかレシーブが間に合った、と、ほっと胸をなでおろしたりしています。

少しだけ、「聞こえ」がようやく「意識」になりはじめているのかもしれません。

本来はどんな場面でも自然にそうなれることが望ましいのでしょうね。



相手の方のところは相手の方のところとして聞かせてもらうところと、

私の聞こえよう、思いようのところとが、「それぞれである」と、

しっかり自身の実になり、意識になりますように。

そして、そのことが「ともどもになる」ことだと学ばせていただけますように。


いつもありがとうございます。














Copyright (C) 2010 babysardine princess All rights reserved.


               
※ 画像は自分のコレクション及びリンク先よりお借りしています。
  こちらでは基本的には二次配布、転載はしておりません。
  素材をご希望の方は、できればご面倒でも書庫「素材探しリンク」にある
  ご紹介しておりますリンク先からからお願いしますね。
  都合により、素材探しリンクは、しばらくファン限定とさせていただいています

アバター
harmonyoflight
非公開 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について

ブログバナー

よしもとブログランキング

もっと見る
本文はここまでですこのページの先頭へ

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!
いまならもらえる!ウィスパーWガード
薄いしモレを防ぐパンティライナー
話題の新製品を10,000名様にプレゼント
いまならもらえる!ウィスパーうすさら
薄いしモレを防ぐ尿ケアパッド
話題の新製品を10,000名様にプレゼント

その他のキャンペーン

みんなの更新記事