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基本、のんびり ゆっくりの 私 なのですが、瞬時に決まってゆく、動いてゆける、
そういう自分にもであいます。
決まる時には決まって動いてゆける、そういう実感があります。
以前なら、「考えすぎて動けないのでは?」と、不安になっていたようなことも、
今ならその絶妙なタイミングの妙、存在を心から信じることができるのです。
そして、自分にとっての「時」や「場所」そういったものを、
心の声に従うことができるということも。
たぶん本質的には何も変わらず、(変わる必要もないのでしょうが)自分や物事に対する
見えどころや考え方がほんの少し違っただけなのでしょうが、
随分と楽な気持ちでいれるようになっているようです。
「はこばれる」という言葉が私にとってはとてもぴったりときています。かつて聞かせていただき、
大事になっている言葉です。自分の力でどうにかしようとがむしゃらになってのところではなく、
思いもよらないところで、なるようになっていく、そのようにすすんでゆく、そういう周囲からの
サポートやタイミングやおかげさま、目に見えない大きな力、そういったものが,
そこに凝縮されている言葉のように感じます。
先日、新盆の叔母の家を訪ねました。最期を看取った従妹達が私達を迎えてくれました。
従妹達が口を揃えて言うのです。
「私達は1、2年だったから看ることができたけれど、お姉ちゃんは叔母ちゃん(私の母)を
8年も看護したんだよね。もしそんなに長いことなら私達はできなかったと思う。」と。
私の母は癌だったから、寝たり起きたりだったけれど、叔母は脳梗塞で本当に寝付いてしまったから
従妹たちの大変さとはまた違うものだったと思うよ、と話ながら、私は、思いがけず、
「私も8年、と考えれば長いから、できたかどうだったかわからないけれど、
今日一日、一日、と思ったからできたんだと思う。」と口にしていた。
確かに「今日一日」と思っていた日々であったけれど、あらためて、口にしている自分にであい、
病という姿で母が私に沢山の学びをさせてくれていたのだと静かに憶わせてもらったのでした。
毎年、この時期になると、普段なかなか会えない親戚に会う機会があったりして、
短い時間であっても、互いに懐かしさや親しさに力をもらうことがあるのですが、
時を越えて小さな自分やがんばっていた自分がご褒美をもらうような、
そんな感覚になっていました。
今、ここ、の私が、過去の自分とハグするような、そんな瞬間かもしれません。
この夏、ダーリンの職場の近くで「オニヤンマ」(とんぼ)を見かけたそうです。
「懐かしいね」とその話になりました。
小さい頃、近所の空き地でよく見かけたものでしたが、今では空き地も少なく、見かけることも
なくなっていました。「オニヤンマ」と聞いた瞬間、私の脳裏に浮かんだのは、夏休みになると
毎年行っていたおばあちゃんの家の近くの空き地に飛んでいたたくさんの「オニヤンマ」でした。
夕日の中に赤とんぼとオニヤンマがたくさん飛んでいました。
時を越えて、いつしか夏休みの小さな自分にであったのでした。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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