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立場によってこんなにも違う感じ用を生むことは、さもありなんとは思うものの、その違いは哀しいほどで、私には、一方の気づけなさがその原因のようにも思えて、自分にとってよかれと選択していることのひとつひとつが、相手や周囲にとっては好ましく思えないできごとであるとは、まるで思いもよらないのだろう。 実はかつてそのひとがほかのひとにしていたことが、まさにそのひとにおこっているように私には見えていた。因果応報とはこのことか、不徳の致すところ、とは、自分で言う言葉なのだろうが、私にはひしひしと届けられ、妙に納得になったりする。 私自身、以前、そのひとからもらった言葉にひどく傷ついた経験があった。そのひとは気づかないようであったが、他の人とも度々そういうことはあったようで、そういう体験を語るひとを聞かせてもらうことは少なくはなかった。 そのひとはわかっているつもりのようであったが、実際は違って、裏目に出ていることも気づかないようであった。 もし、そのひとにいくらかの想像力があれば、聞かせていただくの、ねがいが聞かせてもらえていたら、私が、私が、ではなく、私は、が上手に言葉になれていたら、違う結果になっただろうか。 人の姿は見えやすいが、自分のことはなかなかわからない。見つめるべきは相手や出来事ではなく、私のありよう、見えよう、なりようだ。 自分以外は皆先生だ、と、聞いたことがある。気づかないそのひとは別段困ってもいないのかもしれないが、私には何か色々思わせてもらえる人のようである。 自分を尽くすことと、誰かを聞かせてもらうことは、両立すると、信じられるということを、私は身をもって、体現したいのかもしれない。 今日のねがい。 おかげさま、の心を忘れずに、今日という日に自分を尽くし、その選択はまわりの人々もしあわせにし、正しい目と耳と愛をもちます。 感謝。 Copyright (C) 2012babysardine princess All rights reserved.
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2012年09月12日
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