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夫婦で始まったホームレスごっこ
主人も帰り、自宅で跡片付けくたくた主人に、「避難所で炊き出ししていたから、ご馳走なってきた方が」と勧められ、私はカセットコンロで作るつもりでいたが、「長期戦になるから、疲れるから我慢しないで」と言われて、では何か物資でも差し入れしてからと思案して、一番つかう紙コップと紙皿を有るだけ持っていった。
その前にも私の最初の避難場所だった小学校へも、自分が長期避難者になると思いそちらの方へもすでに、持ち込んで置いてきていた。
炊き出しをしていた避難所は家から近い市役所の支所前。時間が少し過ぎていたのかあまり人はいなかったが、まだテーブルは出ていたし、係りのご婦人方。
大鍋の前で3人揃って後ろ向きでペチャペチャ。聴こえてくるのがあまりいい雰囲気ではなく、誰かの小言話。「どうも、お世話様です<(_ _)>」と挨拶しながら、「どうぞこれお使いください」と言いながら差し入れ物をテーブル上へ置いても後ろ向き。ご馳走になろうとしたが、全然反応なし(~_~;)
とその時に確かに私の耳に入ったのは
「食べる時だけ出てくる」ズッサー〜〜後ろ向きのままでした
「どうぞ、これ置いてきます」とさっさとそのまま帰ってきて、その後2度と食べには行きませんでした。「そんな人はいない筈だ」とか、「聞き違いではないの」と言われましたが、もう行きたくない。最悪の言葉です
それで、我家で備蓄していた使い捨て食器をすべて避難所へ出してしまい、我家の分がまるで無し。これも大変でした。
そしたら、母を亡くして途方にくれていた近所の息子、私が連れてきて海苔餅をご馳走したり、何度も食事をご馳走していたら、主人が「支所で、炊き出しもしているよ」と教えたら、「行きません
やっぱりいたのでした、最悪の意地悪が。こんな意地悪ババーはボランティアに出るべきではないのです。
このご近所息子は、母親が地震時に倒れて意識が無くなり津波到来前に、石巻市立病院へ搬送され死亡が確認。遺体安置所へ置かれた後に病院が大津波を被り、病院へ遺体に会いに行っても「流されて遺体は有りません」と言われて何度も探し回っていたので、もう憔悴しきっていたのです。「食べる時だけ出てくる」同じ災害の避難者
絶対にこんな言葉を吐いてはいけません
その後、この子のお兄ちゃんが帰って来てから、ウチの主人の指令でこのお兄ちゃんの車がぶっ壊れるまで、どれだけ避難所へ食料物資を届けたことか、その方だってそれを食べていた筈。お互い助け合いなのです。
佐川急便の車で物資が配達されるまで、暫く経ちました。佐川のお馴染みドライバーさん、私の顔を見なり
「奥さん、無事で」と泪でハグハグ
訪問先のお客さんに相当つらい現実があったのでしょう。
次の日に主人が「佐川さんに遇ったら、抱きつかれた」と報告\(^o^)/
お互いに無事の顔をみると、本当に
自宅避難者へ届く配給物資、おにぎり・菓子パン、毎日毎日同じもの。
ところが、おにぎりは毎日期限切れ。自宅避難者は避難所で余った食品を翌日に配られる。廃棄処分のお裾分け。ご飯も炊けば有ったのですが(無洗米を青森から届いた)勿体ないので、皆と同じ事をした。
支援物資がいろいろと届き始まりましたが、あの言葉が胸に刺さって貰いに行く気になりませんでした。
初っ端から最高の屈辱を味わってしまって、出て行く気になりません。主人が毎朝貰いに延々と並び貰ってきていました。
そのうちに、アメリカ・トルコ・といろんな国々からボランティア。日本中から美味しい炊き出し。ラーメン・餃子も人気。大行列。
この頃から私も漸く意を決して頂戴しに。
「何人ですか?」「二人で〜す
ところが、2世帯家族って常にはとても幸せ家族の象徴ですが、こんな支援を受ける時には、ちょっと気の毒っていうか、大変でしたでしょう。
「二人です」って平気でいえますが、「6人ですとか、8人です」
貰った物を溢さずに持つのも大変だし、2人並んだ方が良いと思うが、「一家族一人にしてください」と叫び続けられる。別にズルイ事をしている訳でないのだから、あの人数制限は大家族にはちょっと可哀相でした。
いっぱいの漂流物が
瓦礫に位牌が(~_~;) どこのどなたの物か、半分壊れていたりで、戻してあげたいとよく見ても解らなかった。家ごと流された人がご近所でもいっぱい
倉庫の中から写真も・・・誰のものか???で
知っている家族の一人でも写っていれば、取って置いてましたが、津波の去った後でも、こちらは大潮時の冠水で置く場所に困り、丁度地元の警察官が見回りに来たので、事情を説明して保管してもらいました。
夫婦で倉庫片付けに、面倒でも写真を極力保管をするように心がけていたら、主人が泥手で「誰だ、この赤ちゃんは?」といって撮影日付の入った女の赤ちゃんの写真6枚つづりを持って私に見せに来ました。
「ん〜ん知らないね〜何処のだろう?」と日付を見たら、ウチの孫の写真の日付と同じ位の大きさの女の子。「えっ、この子ミナミちゃんだ」
家の孫と2ヶ月遅れで生まれたのだから、「2008.05.28」撮影。3年前の(~_~;)姿。
パパの腕を噛んでいた。よく赤ちゃん時代の顔を知らなかった。月齢からして、推察するのみ。
昨年の夏にこのミナミちゃんとウチの孫がいっしょに遊んでもらい、とっても助かりました。プールに入ったり、海にいったり思い出がいっぱい。プールの一緒の写真は私のPCに画像が有りますが、故人になられたので掲載いたしません<(_ _)>
ミナミちゃんママ友に遇ったので、写真の事を言ってみたら「小さい時の写真がまったく無くなったといっていますよ」と言われ、どうぞミナミちゃんの写真で有りますように
パラフィンにいっぱい泥がついていて、そっと拭いてやりましたが・・・・
中にも土がはいり、私もどうにか早く見て貰いこれがミナミちゃんなのかと、実家へ足を運んだが会えずにいた。
それから相当日にちが経ってから我家へママがやって来た。
「これ、美海だ〜〜小母さん有難う
なんとミナミちゃんは美しい海だったそうです。3/11にママの手から外れてしまい流されて。本当におとなしい女の児でした。いつも私は大人を手こずらせる自分の孫を見ては、ミナミちゃんのような児だったらと育て易いのにと思っていたのでした。
この時に一緒にいた、今年小学一年になるお兄ちゃんも流されてしまったのですが、プカプカ浮いて流れてきた所を2階から見つけて、見ず知らずの人に助け出されて、小学校の避難所へ連れて行かれて、探しても見つからず諦めていたら、体育館で走り回っていてママビックリしたと。
お兄ちゃんは奇跡的に助かり、元気に学校へ通っています。
ご近所さんだったが、あの出来事以来思い出のいっぱいあるこちらへは、なかなか来れずにいたと私に打ち明けた。そうですね、ウチの娘と同級生のママ30歳過ぎたばかりで余りにも辛すぎますよね。
折角美しい海って命名されたのに3歳児で逝ってしまいました。
ミナミちゃんが犠牲になられたと、判ったのが震災後すぐでした。
何かをしてあげたい。花屋も開いていない。弔いたい。どうしたら心が伝わるの?
そうでした、有るのは私が大事にしていたあの黄色のランの花「シンビジューム」
切花にしても眺めていましたが、まだ何本かが綺麗に咲いていました。
何本切ろうか?そう言えば隣近所にいっぱい犠牲者が。勘定すると一本ずつでしかない。
僅か一本ですがラッピングして、それに冷凍パイ生地が丁度解けて有ったので、細く切りバターでカリカリに焼いて粉砂糖を振りかけ、キティちゃんが描かれた紙皿へ載せてラップ。紙皿へはキティちゃんから「自分の事は自分でしてね」って可愛いコメント入れ。
大きなスッポリ隠れてしまう紙袋へ入れて、家族で身を寄せていたママの実家へ届けた。(この時期に被災地でランの花を持ち歩くのは気が引けました)
瓦礫の山だらけです。皆悲惨で(~_~;)必死でした。)
暫く私も実家へ尋ねたことが無かったので、ちょっと道に迷い尋ねたオジサンがややっこしいので、一緒に連れて行くと道を歩きながら、自分も今生きているのが奇跡ですと。その方も波に流されてもう終わりだと思ったその時、ロープが流れてきてそれから云々と」本当に助かるのは紙一重だったようです。
漸く尋ねて行き、ご家族皆さんへ私の気持ちを伝えられ弔えました。
ママに外で手渡し。涙・涙の号泣それから一ヶ月後に写真が。
このランの花も何ヶ月も咲き続けて、この日の為に「自分を使って」といっているみたいでした。隣の3歳児男の子「コーちゃん」へも同じ様に。
まだ近所で御遺体が見つからない方が・・・ランは散ってしまいました。
コーちゃんもまた、あまりにも悲しくって、こんな事ドラマにも無い事です。
コーちゃん天国では幸せになってね
ママから真実を聞かされて、また後日です。
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大事な子が自分の手から離れていったなんて、悲しすぎ。
小さな子の犠牲は、親は自分を責め、お母さんは一生悔やまれて生きて行かれるんでしょうね。辛いですね。
しかし、炊き出しのおばさん同じ被害者でありながら自分たちは公にボランティアをしているからと、大きな態度で人を批判するような言葉は許せません。現に、美人薄命さんのように隠れたボランテアさんもいらっしゃるのにね。こんな非常時にもそんな酷い言葉が出るなんて、可哀想なかたですよ。
このシンピジュームは奇跡の花ですね。ギンちゃんの命も繋いでくれたし、亡くなられた方に手向けの花となってくれましたね。
ご近所・お知り合いの皆さんはご夫婦のわが身を捨てた助け合いに
感謝されていると確信します。でもね、ご自分のことも大事になさってくださいね、ギンちゃんママさん。
2011/7/1(金) 午前 1:05
深夜のご訪問<(_ _)>
どうしても、更新が夜中になってしまい(^。^)
もう元気に前向きになっています。どうしてもその悲しい家族の身に寄り添う事が、助かった身の私達が思いやる事が出来ず。こっちに足が向かなかったのと言われた時に、成る程となってしまうこの歳でも未だ、経験不足でした。家族の大切なものが各自また重いが違い、折角取って置いても「それ要らない」と言われる事も。
すべてを流された家族は余り現場へ戻って来ず、保管したままの物もあります。一度でも顔を見せてくだされば手元に戻るのですが・・
同じ様に足が向かなくなっているのでしょうかね。
避難者が大変な思いをしているのに、ギンちゃんは相変わらず、これ食べない、これ飽きたと気ままし放題。私に「今大変なんだよ」と言われても猫に念仏です。猫は気まぐれですね。いつも読んでくださり有難う御座います。
2011/7/1(金) 午前 1:49
ゲンジ様情報有難う御座います。被災地はハエに悩まされているようですね。先日暑い日に小バエが発生しましたが、このペットボトル作戦を作ろうとしていましたが、他所より比較的瓦礫が早く片付いた所為か、あまり居なくなりホットしています。
ご近所さんがこれを軒下にぶら下げて、真っ黒に入っていて驚いた事を報告受けました。すごい成果が出るようですね。市販品よりも効き目が有るようです。情報有難う御座います。
昨日、被災を免れた大型スーパーへ行きましたが、ハエがぶんぶん飛び回って、パンコーナーではむき出しの品へいっぱいくっ付いていました。
団長さんが東松島市の方だったとは(^0_0^)隣の市で、主人が車で津波との出会いが有り、バックして急いで逃げた所です。危機一髪でした。
「おかちめんこ」はこちらの方言で、美人の反対語です(^。^)
内緒の投稿ご配慮有難う御座います。
2011/7/2(土) 午後 11:44
(ヾ(´・ω・`)ノオハヨーゴザイマス(o´_ _)o)ペコッ

(*^-^)/σ凸ポチッ

ボランティアさん。。。するにはどんな時にも喜んで奉仕する覚悟がなければ。。。する方も辛くなっちゃいますよねぇ。。。
そのオバちゃんたち、やりたくないのにやっているって感じでしょうか。。。?
本当に助けが必要な側にとっては、なんだか助けてもらうことに対し負債感を感じさせてしまうような言葉。。。
決して言ってはなりませんよね。
それにしても、黄色い立派なシンビジューム。。。このお花から【奉仕の心】を学びたいデスよね〜(笑)
美人薄命さんの愛するシンビジューム、今その人々の心を癒して下さっていることでしょうね(⌒-⌒)ニコニコ...
2011/7/3(日) 午前 7:25 [ - ]
親より子がはやく命を散ってしまうなんて・・そんなのいいわけないのです!!
ミナミちゃんもコーちゃんも・そのご家族様も・どんなに・お辛い思いをしたか。
本当に〜自然はとても美しくて心を和ませてくれますが・・・
時として・時として・・・悲しみを〜・・・
それにしても、こんな時だから、人が良くわかってしまいます。
悲しいですネ。悪口言った方〜いい気分カナァ~??チガウトオモウナァ・・
今頃、反省してますよ・・きっと・・人間悪い人いませんヨ♪
美金薄命さんのランさんとご主人さんのご活躍〜・・勿論
美人薄命様の優しい行動に♪pochi♪
2011/7/3(日) 午前 7:32
自宅避難者は結構大変なんですね!お疲れ様です。
孫の記事アップしました。写真付です。
2011/7/3(日) 午前 9:58
まだまだ厳しい状態が続いていますね。避難所の人の心ない言葉はぐさりときますね。貴女の優しい心が皆さまに届く事を願っています。
2011/7/3(日) 午前 10:00
報道されているのは、避難所暮らしの人たち中心なので、
自宅にいる人たちの事は、知らない人がほとんどだと思います。
井戸端会議ボランティアさんもいるんだあ。
2011/7/3(日) 午後 9:00 [ ふらふら風船 ]
ぱんじい★様今考えると家も流されてしまった被災者が、3日目辺りに本当の悲しみがこみ上げて来ていたのでは?と思われます。被災者がボランティアを担当することは、心も身体も大変な事でした。
まだ道路が冠水やら、瓦礫で使用不可の状態で、本格的な他所からのボランティアさんが、到達していませんでした。
本当にこのランの花は、有意義に咲いてくれました。
ただ、残念な事にご遺体が見つかるのがランが待ちきれなく終わっていったことが(~_~;)
孫が帰って来る度に、わざわざチョコやらお菓子を買って待っていて話しかけてくれた一人暮らしのご近所のオバサンが、まだ見つかっていません。今年私に「トランペットという花の苗を上げるからね」って約束していました。
2月に「青森のリンゴジュース」を手渡したのが最後でした。
ご冥福を祈るのみです。
2011/7/5(火) 午後 5:38
nana77様本当に自然って(~_~;)そちらも今は大変ですね。心痛めております。犠牲者は小さい子供と、また高齢者が大変多いです。
災害にあわれた方がボランティアをするには、また大変な負担があるのでしょう。今でも主人は年老いた婆さんが手押し車に「玄米」を運んで、避難所へ運んでくれた事を思い出して、そのお婆さんの行為を感心しています。全員2m以上の津波を被り被災していた筈なのですが、皆さんを思いやる気持ちはお年寄りでも出来るのですね。
緊急事態の時には、一番その人の本性が出てしまいます。
大事に育てて来た、我家のランも大変有意義に活躍。でも悲しい事にご遺体が見つかるのが遅く、最後まで咲いたランの茎も枯れました。
一本づつ渡る様にと思ったのですが願いかなわず、珍しい花を咲かせてはいろいろ説明をしてくれた、ご近所のオバサンまだ見つかりません(~_~;)ご冥福を祈るだけです。
原発も早く終息して欲しいですね。
2011/7/5(火) 午後 5:58
Leg様 津波被害はは戦争異常悲惨(原爆はまた別)です。家屋を失って、土地まで住めない場所になってしまいました。
地元の学校は校舎は有っても、危険区域となり津波の被害が無かった隣町へバスで通学。こうなると町全体が町名も無くなるのでは?と懸念しています。
今私が一番心癒されるのは、孫ちゃんや元気な子供たちです。ご近所からは子供の遊ぶ声がまるで聞こえません。
Leg様の「颯ちゃん写真付き」へお邪魔致します<(_ _)>
2011/7/5(火) 午後 6:11
Ryoko様大事に育てていたランがとても役立ってくれました。
どさくさでボランティアに乗り出した方が、自分も被災者であると疲れ果てて、最悪の言葉を吐くのですね。
大事にしていたシンビジュウムがこんな形で、有意義に使われるとは
花は一輪でもあの時は充分でした。
子供たちも犠牲に、大勢のお年寄りが犠牲になられたのも、津波の怖さでした。
津波到来の土地は家も建てることができず(許可が下りない)、この災害は「戦争被害」をも超えた国難ですね。
今我家の2階ベランダへこぼれ種で増え続けている「サフィニア」をいっぱい植えて、瓦礫処理で働いている方達やボランティアの方達にここで復活に向けて元気に生活をしている証をしたく、花の成長を楽しみにしています。
2011/7/5(火) 午後 6:53
ふらふら風船様、避難所では何もする事がなくて、おしゃべりが楽しくなるのでしょう。どさくさでボランティアを引き受けると、災害時に一番タブーな言葉を発した事、この方は気付いていないでしょう?
この後道路も復旧して全国から志を持ってやって来たボランティアさん方々、泥の欠き出し家財運び出し、お風呂サービスと本当に助けられました。日本もまだまだ捨てたものじゃ有りません。今復興の一番の力はこのボランティアさん達です。本物の「復興大臣」は復興終わってから現れるのかしら?(笑い)どころじゃ有りません。
2011/7/5(火) 午後 8:55
私は・・苦労をしてきたつもり・・いろんな人と出会いいろんな経験をしてきました・・この歳で(・・さて^^いくつでしょう(爆)
まさに包丁をふりまわす夫婦喧嘩にも遭遇・・・20才で身元引受人になったことも・・・・でもそんなこと・・・たいしたことないや・・・美人薄命さんたちが遭遇した悲しい現実・・・・・・
できれば・・・わたしは遭遇したくない・・・おもってしまう(;;
日本人の謙虚な我慢強さが世界で絶賛!!
最近・・・でてきてますよね・・・略奪・・・・・悲しいね・・
2011/7/17(日) 午後 4:10
はっぴいでい様今回の災害は戦争以上の惨さです。戦争は土地を奪わないですが、住む町ごと無くなりました。我が娘達の母校が津波の被害の為に隣町へ移転(生徒はバスで移動)被災者は住めない土地になりました。
赤ちゃんを抱いたママ達がいっぱい犠牲者になっています。地震後のすかさずやって来た津波に、赤ちゃんを抱えたママ達は避難準備に時間が掛かったのでしょう。
私達の年齢は、子育ても終えて親も看取りひと段落つき、一番耐えられる年齢でしょう。今一番お金の掛かる子育て中の親達・家を新築したばかりでローンを抱えている若夫婦さぞかし大変でしょう。
もっともっと国の支援・保護が必要でしょう。自殺者が出てしまうのではと危惧しています。またこれ以上歳を取っていたら、また身体が動かずまたこれ以上にこの災害を辛く感じるでしょう。
津波にはもう二度と遭遇したくありません。一人でいる時、あまりにも静か過ぎる近所、住めなくなった家々を見ていると涙が溢れてきます。今は綺麗な花を咲かすことに気を紛らわしています。
全国からのボランティア・義捐金感謝です<(_ _)>。本当に助けられました。
2011/7/21(木) 午前 1:53