|
大変ながらく夏休みをしちゃいました<(_ _)>
更新をしようと気持ちが焦るが、どうも心のケアを自分でチョイチョイせねば乗り越えられません、この大災難。
青森の娘の所へ行って、孫達と戯れるのが一番の楽しみなので、あちらの両親が私達夫婦を気遣って、再々の訪問。その帰り車へ私も便乗して、孫達といっぱい遊んできました。
ボランティアの皆様に助けられて、着実に復興に向っています。
この写真は暑い最中のお盆前の画像です。本当に暑い猛暑日の「側溝泥掻き出し」男女が一生懸命。NPO法人「オンザロード」の皆さんです。
遠くに見える屋根だけ残って見える建物が、我家の倉庫。商品がすべて流されました。命が有る事が一番の喜びで(^_-)-☆
先日TVで3.11の津波到来時刻が、各被災地によって随分と時間差が有った事が判りました。私の地区は岩手方面よりだいぶ遅かったのです。私がもし岩手の方でしたなら、確実に逃れませんでした。
自宅から車で20〜30分の所へ買い物へ駐車場へ到着で地震。そこから帰って来て(結構のろのろ運転)津波警報が出ていたが、店員が私の指示待ちをしていた。一緒にワゴンを片付けシャッターしめを手伝い
住居部分である2階中を見回り(食器が散乱)、一番最後の部屋のソファ隅っこへ、ギンちゃんが「怖かった〜〜」って
「あっ、ギンちゃんここにいたの」って会話を交わし
無事だ、OKの調子でまた階下へ。店員は倉庫のシャッターが閉まらないと未だ帰っていなかった。「じゃ、油でも注す?」とシャッター柱を見たら、もう地震で途中で曲がっている。「いいから、もう閉めなくたって開けたままで逃げて」
そこへ、「は〜い、避難してくださいよ〜」ってご近所の区長さんが。
「今日は、逃げなくないの?」といつもの我侭を言う私
区長さんは「あとは、自己責任です」「は〜い、逃げますネ」って会話。
横殴りの雪が降り出していた。いや〜フード付でないと雪まみれになっちゃうかもと思い、また暗闇の店へ戻り、婦人コーナーでフード付きを探した。でも三月となるともう春物商品
一番近くの避難所は公民館と隣り有っている支所。入り口近くで「一杯です。年寄りとか足の悪い方にしていますから、歩ける人は小学校へ」と「はい、判りました歩けま〜す
途中で知り合いが、車を開けて立ち止まって「ア〜来た来た」と行って見ています。
私も立ち止まり「何見てんの?」と声掛け
50年前のチリ津波を見たことが無い年齢。怖いもの見たさで私も少し見入っていた。我家辺りをさざなみ程度の可愛いタイプ。後日談だが、この若旦那その後、津波に飲まれて今生きているのが不思議と言っていました。
私はスタコラと
でも、常々あまり走った事無い身体、全力疾走したらその後の保障無し。
心筋梗塞など起こしたらその方が手が悪い。自分の身体は自分で判る。
その車が走り去ってから、またトボトボ
小学校へ辿り着いた。そこで不思議に思ったことは次々と避難者が体育館へと入って行く。建物がでかくても体育館は一階のみ、大津波警報が出ているのに可笑しな現象。私は最上階の屋上へ一気に行こうとしたら、係員に「今日は屋上は開放しません」と、それで3階へ戻りました。
幸いに体育館は水の浸入は少しで、全員無事でしたが一階以上へ津波到来
本当に体育館も危機一髪でした。生徒全員がやはり体育館へ避難していました。津波の場合は一段でも高い所が命の分かれ目です。
校舎が汚れるからとの校長の指示で、やはり講堂へ生徒を非難させて、お行儀良く座ったまま犠牲になった学校の事が報道されていました(~_~;)
逆に神社で世話なった方のブログを見たら、土足のままでOKと言われ、また就寝時も「いつでも逃げられるように」と土足のままで布団へ寝かせて貰ったとカキコを見たときに、神に仕える者は「民衆の命」を我先に考えていて下さるのだと知らされました。これはとっさの判断ですから・・・尊敬いたします。
この画像は、私達がライフラインが止まり、永らく風呂へ入れない生活を解消してくれた、手段でした。遠くの沖へこの輸送艦を停泊させて、我家の近く岸壁へ「エアークッション艇」が迎えに来て、入浴・洗濯のサービスを
入浴後、ドリンクサービスも
幸いにもまったく被害の無かった私の母親の実家からも我家を案じて再三の電話を頂き、行為に感謝しつつお風呂を使わせて貰ったが、親戚一杯の避難者がお世話になっていて、大量の洗濯物が遠慮でした。
この船で入浴中に、お洗濯が完了
いっぱいの支援物資も子供連れの方が助かったでしょう
この船が有ることが始めて判りました。
いや〜長生きはするべきですね\(◎o◎)/!
我がダンナは「皆で臭けりゃ怖くない」なんて言っていたが、あの季節での災難で良かった
発生した時間帯も午後のあの時間で助かった。でもまだご遺体が見つからないご近所さんが
|
全体表示
[ リスト ]





いまだ・・テレビを見ては・・・・涙してます・・・
ほんとうに御無事でよかったと・・・日々の暮らしにとても不便でしょうが頑張ってくださいね・・・
っにしても・・・不謹慎ですが・・・うらやましい・・・トランスホーマーリベンジにでてきた『エアークッション艇』でお風呂・・・洗濯・・・普段お目にかかることさえ・・・・あるかないか・・・・
とても・・貴重な体験でしたね^^
2011/8/27(土) 午後 3:27
この震災の傷跡は・・「もう〜どうしたらいいのっ!」って叫びたいくらいですぅ。
TVをつける度・親を、子を、ペットを探すそのその眼差しを映し出す
映像を「なんという場面を〜」と思い・・
ただ涙がハラハラ流れ、報道のあり方を考えさせられました。
未だ・行方不明な方が一刻も早くお分かりになる事を・・
お祈り致しております♪pochi♪
2011/8/27(土) 午後 6:06
想定外で済まされないですよね。これだけ地震研究が出来ているのに・・・・アレだけ時間差が合ったのに多くの命が失われたことに腹立たしささえ覚えます。のんびり避難された様子にドキドキしました。そちらの地方は幸いと言うほかありませんね。
エアークッション艇で本船まで行って入浴なんて凄い経験をされましたね。自衛隊ってすごいですね!
それにしても大きな倉庫、大きなお商売をされていたのですね。
損害は計り知れないぐらい大きなものでしょうね。心よりお見舞い申し上げます。
2011/8/28(日) 午前 0:20
姫、やっぱり長生きはするべきです\(^o^)/
この大きな船の船尾から私達を乗せた船が入って行くので(^0_0^)
「今お脱ぎになった物もお洗濯される方は」と言われて袋を差し出されてそれも洗ってくれます。乾燥もすると時間が掛かるので脱水のみでした。シャワー・お風呂に入って間にお洗濯が出来上がりで、袋入りで番号札で受け渡し(^。^)
おしるこ・甘酒・ポタージュ・冷たい飲み物に大型スクリーンでTVを見られ、被災民の心を察して皆さんが最高の笑顔で対応。最後に利用した時には女性隊員のトリオ管弦楽演奏(^^♪プラボーって叫びたかった。
今回自衛隊員さんは、何日間も遺体探しのお仕事、同じ感情を持った人間特にお若い隊員さんはどれだけ辛かった事でしょう。被災者と同じ様に心のケアが必要でしょう<(_ _)>
今からの避難所造りには、屋上へヘリポート付がベストでしょう
2011/8/28(日) 午前 10:45
OHはっぴぃでいちゃんちゃんお久です。道路が瓦礫で使えず、大量の物資輸送手段が船で、この他にも「私夢でも見ているの?」と思う位の\(◎o◎)/!の得体の知れない「浮き輪に屋根を掛けたタイプ」の超大型輸送船をこの目で見ました。我家の二階にはっぴいちゃんを呼びたかったです。その岸壁からいっぱいの食料・水を自衛隊員が何十人と並び、すべてを「手渡し」作業。台車すら使えない輸送手段
そのうちに満潮(地盤沈下によって)が来て、足元が冠水。中断となる。自衛隊さんの活躍(遺体操作)も大変なものでした。辛さは戦争並みだったでしょうね。
咲き終わった花殻摘みをしたり、ギンちゃんとラブラブしている時が一番時を忘れさせてくれています。
2011/8/28(日) 午前 11:16
nana88様そちらの被災と、こちらの被災は格付けが違いますね。
まだこちらには「絆」とかの表現が出来ましたが、東電の責任はいったい最初から誰が背負っていたのでしょうか?
家業を継いで今年赤ちゃんが生まれた知り合い(白河)は、若夫婦のみ遠くへ移転して行ったそうです。知らない土地で仕事は?
皆が苦しみを与えられて(~_~;)
私たちの被災はボランティアさんと自分達の心持で立ち上がれます。
いっときも早い土地の除洗へ世界中の専門家の知恵を集めて政府が真剣に取り組むべきですね。
nana77様ご家族へこちらから「運気」を送ります。災難には「運」も大切です。
2011/8/28(日) 午後 0:25
ゲンジ様、その地形によって津波到来時間が大変時間差が有ったとは初めて判りました。私も出先から津波到来危険地域の「自宅」へ戻る行為はこの時は避けるべきでしたが、従業員は経営者の指示待ち状態。若い子だったら、店をほったらかしてとっくに逃げていたかもしれませんが、常識を持った年齢は指示を待つ。帰って良かった。
家は僅かな従事者ですが、全員助かってくれてホットしています。
強烈な地震後、経営者の方には避難をさせず、作業の後片付けをさせていて、大津波を受けていっぱいの犠牲者を出した所も(~_~;)
いろいろと情報を得ましたが、やはり大きな事業所は災害発生のシュミレーションをきちんとしていました。従業員の命をしっかり守っていました。
空っぽになった倉庫、今ではボランティアさんへ全国から集まってくる物資の一時保管場所へ提供しています(^_-)-☆
それでもいくらか残った商品が、寒さに弱っていた避難所へ提供できた事の喜びがあります。
今は命が有る事が一番です。「蛍が舞う地域になれば」と希望が持てますから\(^o^)/いつも有難う<(_ _)>
2011/8/28(日) 午後 0:51
時々、郷土を丸裸にされたような屈辱感が襲って来る時があります。復興への努力もさせてもらえない放射能の強度汚染区域の方々はいかばかりかと思います。
沈みがちな時に、ここへ訪問するとほっとします。
私も浜通りや三陸の美しい穂波や海辺に親しんできました。巧く言い表せない感覚です。
ところで美男も薄命なのでしょうか?だとすると私は長生きできそうなので安心ですね //ーー;
2011/8/28(日) 午後 3:52 [ 礫叢(石ころ草むら) ]
いや〜長生きはすべきですね\(◎o◎)/!
今回のこの受難、検証をしてみるとこの年齢で丁度イイ。仕送りも終わり、7年前に認知症の義母を看取り、夫婦だけの生活(老齢猫のギンちゃん一匹)3年間インスリン治療した猫のキンちゃんを1月末に看取り、3日間の避難所生活が身軽でした。
家庭介護が最高の家族愛の如く思われますが、この生活はベストではないようです。一緒に犠牲になられた方々が一杯います。
石ころ様もこの辺で、美男の面は流してしまい思いっきり長生きして下さい\(゜ロ\)ココハドコ? (/ロ゜)/アタシハダアレ?位まで。
2011/8/28(日) 午後 6:19
地震以来、本当に色々な事が変わってしまいましたね。
明日は、当然には来ないのだと、あの日、知りました。
都内も、被害と言われると微々たるものですが、心の中は、まだ疲れている人が多いです。
我が家も、つい先日まで、母が、秋田の実家と新潟の兄一家の家を、行ったり来たりしてました。普段なら「疲れるから、片方だけにしなさい」と言う所ですが、孫に会うのを楽しみに、秋田通いをこなしてるようなので、それが母の心のケアなのだと思うと、今回は止める事も出来ず…。
エアークッション艇と言うのが大活躍だったのですね。
初めて見ました!
2011/8/28(日) 午後 8:56 [ カワズくん ]
カワズちゃん今回の震災で、いろんな繋がりやら絆が一人の力を湧き上がらせる事が判りました。思い案じあう事もまた愛情なのですね。
突然やって来たこの災難へ、立ち上がろうとしていますが、自分の土地が果たして再建可能な土地なのかもまだ行政から発表無し。
自力で3m以上のかさ上げを施して、マイホームを早く建設したいのですが、政治の空転で被災地の市行政も計画が足止め状態。
被災者の心が腐敗してしまいそうです。Andre'オーケストラで癒していますからね(^^♪カワズちゃんお母様へ宜しく<(_ _)>
2011/8/29(月) 午後 2:23
ぎんちゃんは無事だったのですね。確かソフトバンクスタッフの方がぎんちゃんの消息は分かりませんとこのブログ上でコメントしていたのを思いだします。28日に我が市でも市をあげての防災訓練をしました。その記事にコメント頂き有難うございます。お孫さん達との交流は何よりの癒しですね。
2011/8/30(火) 午前 10:48
もしかして、津波の時にしてはいけないと言われていることをみんなやって、
それでも生き延びた。なんという強運!と言っていいものか?
見渡す限りの更地の中に、残っている家も強いですね。
2011/8/31(水) 午前 7:25 [ ふらふら風船 ]
RYOKO様今回の大災難で猫から従業員から身内が皆が危機一髪でした。津波って住む地形によって到達時刻が違うとは、初めて知りました。岩手の方は地震が収まらないうちに逃げないと間に合わない所が有るそうです。
その危険さが徐々に判明。私の助かった出来事は、皆さんにむしろ不思議がられています。「知らぬが仏」でしたね。
防災訓練が本物災難時にも100%生かされるように、皆さんの心がけしだいですね。
2011/8/31(水) 午後 4:10
ふらふら風船様、その名の通りだと絶対助かりますよ\(◎o◎)/!
私は命運が有りました。毎回指示通りの模範避難をされていた方が、今回犠牲者になられました。この事もまた書き込みますが、幾度となく避難をされていた方が、いやな出来事に遭遇した経験有りで、今回は避難に民家を選んだのでした。それが失敗。
私のように何度も避難命令がでても、不真面目タイプ。
強運としか言い様がございません<(_ _)>
毎日取り壊しの重機の音に(~_~;)むなしいです。
津波時、全員が「ふらふら風船」になってしまえば犠牲者は出ずに。
悔しいですね。
2011/8/31(水) 午後 4:22
遠く離れて住んでいる私ですが、あの日の事は記憶に残っています。
あの頃、編み物にはまっていた私は、猫を膝の上に抱いて相棒を見ながら編んでおりました、
とつぜん 画面が変わり大きな地震が起きたと速報が流れ、
テレビに見入っていたら、海の沖の方から波・・・大きな波・・エッ
どういう事??????何を写しているの?????
把握できないまま、見ていたら ドンドン波が押し寄せてきて 車が・・・
流れていく。
大きな声で早く逃げて〜〜〜と画面に向かって言っていました。
あの時、高台に避難するか。ビルの3階以上に避難して下さいと流れていました。
ビルの3階に避難された方は・・・・・心が痛みます。
画面を通してですが、気分が悪くなり震えが止まりませんでした。
体験された美人薄命さんの事を思うと、やりきれない気持ちになります。
よくご無事で・・・・。
それからの自分に変化が、普通の生活が出来る幸せ、不平を言わなくなりました。
明日は何が起きるか解らないので、今を精いっぱい楽しもうと思いました。
これ位の事しか言えませんが、お孫さん家に行かれてリセットしましょうね。ポチ
2011/9/1(木) 午後 6:31 [ komugi ]
Komugi様詳しい情報有難う御座います。あの当日のこちらの情報が自分達がまるで判らず、皆さんにご心配を掛けていたことも知らないでしたのです。私のところは2階でも助かった方がいっぱいいましたが、湾に入り込んだ地形(女川・気仙沼)では3階の屋上でも助からなかった場所がありました。
本当に残された命を有効にと、少しサボりがちだった健康管理をまた一層努力し始め、朝ウォーキングを楽しんで実行しています。
「花咲か婆さん」を夢見て、庭の有る家造りと「台風に強く・地震に強く津波にも負けない家造り」夢を咲かすには、なかなか難しいです
街の復興計画と、足並みを揃えることも・・・
2011/9/2(金) 午後 9:44
元気ですかーーー!!
2011/10/1(土) 午後 9:58
いつもご心配有難う御座いますLeg様(^_-)-☆
空っぽの頭ですが、想いが20年後の姿を考えたり天から与えられたこの災いを自分達の力で「福となさなければ」全国から支援に訪れたボランティアさん達に恩返しが出来ません。
PCだと「リカバリー」なんて言って、また新たに復旧できますが、毎日重機でこの家・あの家が取り壊し(~_~;)。住民が居なくなり復興が出来るのか?
色々と頭が「カラカラ音を立てて空回り状態」Myブログをなかなか更新出来ずにご心配お掛け致しました<(_ _)>
また我家の「デコボココンビ」悩める生活の様子をUP致しますので宜しく(^_-)-☆アドバイスもお願いいたします。
2011/10/2(日) 午後 11:20
モテアイテムのスマホ持ってて、
使わないのはもったいない!
ttp://apple.i4second.com/nknowic/
2011/10/17(月) 午後 0:09 [ 追悼 ]