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噛み付きますか(´・_・`)食いつきますか(>_<)
ヤフーBBが10周年のメールが来て、それに応募したら
でもこの
夏頃に買い物やらちょっと用達とか手頃の大きさを探していたら
「えっえぃ思い切って持っちゃえぃ」と提げてみた
なんと一番最初に食いついてきたのが
吠え癖のある老犬がこのカバンに吠えたのではなく、すれ違いざまに私に向かって無駄吠え。飼い主の
私はすかさず「は〜いあんたのお父さん」と言いながらこのカバンをその老犬に向かって見せた
飼い主の
あんなに恐縮していた
そのままB/Kへ行き、番号を呼ばれカウンターへと、番号札を返し無言のまま用が済み、このカバンへ仕舞い込み帰ろうとしたらΣ(゚д゚lll)行員の若いお兄ちゃんが食いついてきた「ソフトバンクさんからですか?
可愛いですね(۶•౪•)۶」この年齢は絶対に厄介そうな
帰り道にスーパーへ寄り、ちょい買いでレジで支払い終わりすべて終了の時点で、また食付きが
後ろにレジ待ち客がいる、詳しいことは喋れない頭をウンウンと交わしただけ
このワンちゃんにこんなに若い男女が食いついてくるとは
一個づつの手作りでしっかりした生地、相当長持ちしそうです。今ではルンルン気分でそちこち持ち歩き。持ち手の部分が少々汚れ気味
秋真っ盛り、私の散歩コースこの画像は昨年12月にスマホで撮った画像ですが肝心の写真をPC取り込めなくって、ブログへ掲載できずにいました(>_<)
何も接続コード取り込めなくても、考えて見ればメールでPCへ送れば(*゚▽゚*)
ここは海の高台に有ったミュージアムで、津波の到来は有りませんでした。
←この復元船である帆船も相当津波被害があり、今は旧ピッチで修復中です。
こんなに穏やかな綺麗な海が 無差別テロでした。
今は復興へ向かい一歩づつです。私たちは確実に年老いて行く、弱者になります。景色より命を安全に守りきられる場所を優先します。
この地から来年は逃げ出します。全壊家の無償解体は市では来年3月末で終了。
私たちの家の落成はどんなに急いでも来年の7月予定。
9月末に来た台風のNHKニュース、宮城の被災地の様子として自分の家がニュース画像で流れ、それを青森で孫と一緒に見てしまい「宮城祖母ちゃんの家だ〜〜」と孫が大笑い(´Д` )(>_<)(´・_・`) 海の景色はやっぱり好きですね(((o(*゚▽゚*)o)))
めっきり寒くなりました、皆様風邪にご注意を(´∀`)
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我が家のニュース
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我が家のニュース
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これは先日(7/12)「みんな元気です」でupされた私のプールキャップでしたが、まだ続きがありました。
実際には、ブルーインパルスとの関係が(((o(*゚▽゚*)o)))
次の日にブログへ掲載したことを報告しながら、受付のスタッフに「このハートに矢が有るのは何の関係?」と半分笑いながら聞いてみた。
「ブルーインパルスがこれを書くんです」
「えっえ
「そうですよ、これそのまんまです
これは相当有名らしく、知らないのは私だけ見たい。やっぱりまだ住んでいないからなんですね言い訳m(_ _)m
「ツバメが飛び立ちました」がてっきりアバヨしたと思っていたが私の間違いでした(´∀`)
今朝もピーチクパーチクお喋りしながら
朝5時頃から、我が家から出発して行きました。相当おしゃべりをしながらです。
来年は誰がこの家に帰ってくるかを決めていたのか
(^-^) (*゚▽゚*) (´・ω・`) (´Д` )
私いいよ 僕もいいよ う〜〜ん 嫌だこんなとこ なんてモメていたのかな
明日の朝はいるかな??階段は糞だらけにされたが、やっぱり
来年も同じツガイでやって来るのか、それとも跡取りは誰なのでしょうね
練習のたまもの
楽チン方法を止めてきちんとコーチの支持通りに手足を動かしたら、次の日にちゃんと25mを泳ぎ切りました(´∀`)
「呼吸法を覚えるコース」でした
一緒のお仲間にまもなく80歳のおばあちゃんがコーチに曰く 25mを泳ぐのに
「私呼吸を全然していない」と(゚o゚;;
若いコーチ「いや知らないうちにどっかでしているのでしょう」
このやりとりを聞いていた私「これ隠れていた才能じゃないの」
80歳まで見つからなかった
いや訓練のたまものでした。
ろくに努力もした事ない青二才の言うことじゃ有りませんでした。
この80歳近くのおばあちゃんは登山家でした。
最近もあちこちといっぱい登って来たばかりと
とても物腰が柔らかくいい表情をしていました。肺活量が相当鍛えられていたのですね。また目標ができました(*゚▽゚*)
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どんぶりメシ
ツバメ捕りたかったな〜〜
相方のキンちゃんが昨年2月亡くなってから、一人っ子になってしまったギンちゃんですが、寂しいのか?もう忘れてしまったの?かニャント判りませんが、相変わらずよく食べる我家の「ギャル曽根猫」いたって身体はスリムです。
この食欲が糖尿病の助走。必死に食事管理
っと言う訳で、折角私の所へ通いだした「若いツバメちゃん」の姿も
あまり観察もすることが出来ませんでした。
新聞やさんが「いっぱい生まれましたね(^。^)」と証言してくれた。
何匹生まれたのか相当賑やかでした
我家のツバメちゃん達は昨日辺りめでたく、全員揃って飛び立って行きました
最後のこの一匹の画像がどうしても古巣に居残り隊の我家のダンナの姿
黄色い口ばしの「ピーチク・パーチク」の可愛い画像を撮れなかった事をお詫びいたします<(_ _)>にゃんの鳴き声をいつも聞いていたので親に「要注意」と躾けられたのか、ソーッと玄関ドアを開けて
ツバメの巣作り安全場所、我家へ上がり込んだ階段上は天敵に絶対見つからない場所です。これも昨年の3.11大津波が我家の一階部分を全壊にした為の出来事です。
新天地へ夢を描いて暮らしています♪
ブルーインパルスを描いています
「日本三景」の風光明媚な松島からは車で20分位の距離ですが、基地の町で津波に相当やられ今は静かですがその内に訓練機が揃ったら、いろんな行事の前などに編隊飛行の見事な訓練姿をお空へ描く事でしょう。
クロールを3000mを泳いで帰るとても華奢なご婦人と友達に
私の目標が決まりました
私が今コーチ受けているのは綺麗な基本型クロール、このご婦人のクロールは疲れないクロール
ろくに泳げないのに早速言われた通りに、真似っこをしてみた
コーチが付いて居た時には20mを泳げてハシャイで喜んだのに
自分勝手に泳ぐと幻の20m記録で過去のもの、だんだん変だ
昨日ようやく判りました。やっぱり基本をマスターしてから楽チン泳ぎを覚えるそうです。ストレッチを充分して縮みっぱなしだった身体を徐々に伸ばして(痛いのを我慢)弛みっぱなしだった腹筋を鍛え
腕も肩もよく廻らなくなっていました
兎に角楽しみながら泳ぎを覚え、何事も一朝一夕には行かないものですね。焦らずに、多分3000mを泳げるように私がなる時には98歳辺りでしょうね
新天地の家からは徒歩1分のこの施設で、名物婆さんになっているかも
HMも決まり、高い地盛で水対策をしっかりして、とんとん拍子に事を進めていますが早くても来年の6月中旬が完成予定です。その頃までに遠くから逢いにやって来る孫に「オバアチャン、プールって歩く所なの?」と言われないように綺麗な泳ぎをマスターしておきます。
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まさか、自分の人生にこんな事が有るとは・・・・
たしかこの土地が売り地になっていた情報はインターネットでした。どうしても地元の不動産屋さんへ足を運ぶのは敷居が高いとか、セレクトされた場所がこっちの要望と外れていたとかになると・・・など考えるとなかなか足が向かなかった。
インターネットの売り地情報で見つけ、自分の足で何度も様子見。
駅から徒歩3分\(^o^)/ 身体作りに毎日のように通っている「温泉付き健康増進センター」が、1分が何よりもの魅力でした。
仙台の不動産屋さんでしたが、HPにちゃんと担当者の顔写真入りで掲載されていまして、信頼してとんとん拍子に事が進んでいきました。
土地購入には本当は実測売買が正式らしいが、売主が公簿が条件で売り出されていたので致し方ない。この条件を呑む代わりにだいぶネット価格より値引きをしてくれた(^。^)
震災後異常高値で売買されだし、不便で人気の無かった場所までもう既に満杯に住宅の建設ラッシュ。
でも私の買った土地の価格は、そんな狂った価格では有りませんでした。
妥当な価格、運と縁に感謝して誠実そうな営業担当へ
4月中に不動産屋さんへ頭金を支払い、5/11に司法書士立会いですべてを支払い完了(担保物権に入っていた土地だった為に、支払いと同時に債権管理者からの書類を司法書士へ渡り一件落着
それで権利書が手元へ来て、初めてブログ更新の運び。本当に安心致しました。
これからの住宅づくりが、何もかも値上がりになっていた
職人不足に資材不足、土盛りの用土不足。職人の人件費が値上がり。
自分の予定していた住宅作りの予算から遥かにオーバー
本当はこの被災地の土地を行政から買い上げして貰い、幾らかでも足しにしたいのだが、無理なようだ。仙台市とはまるで違う政治力。
石巻市の現市長は、石巻専修大学の教授を辞め市長選へでて一期目。この大津波で古い街が無くなり、これを契機に夢を描いて構想を練って後世に自分の名を残したいようだ。その夢を描いて実現するまでに、肝心の住民が街を去った後では・・後の祭り
土地は自分の財産、この被災した土地でも高盛をして安全度を増して、住宅再建に取り組もうと夢に描いたが、いつも雨が降る度に冠水する道路、石巻市役所建築課の職員へ「道路は幾らくらい高くなりますか?」と尋ねたら「道路は高くなりませんよ」の返事。
「安全な街づくりに住民も一緒に自分の土地を高盛して再生していくから、それには相当自己負担も掛かるので、市から幾らかでも補助金とか援助ってないのでしょうか」と尋ねたら市の職員に笑われた。
その後2〜3日したらTVのニュースで仙台市長が「安全な代替地へ移転せず、元の地へ自力で高盛土して住宅を建てられる方へは市から補助金を出します」とハッキリ表明していた。政治力の違いをまざまざと知らされた。
我家の「居残り隊」のダンナも考えを軟化してきているようです。時間が解決してくれそうです。
どうしても海辺から離れたくない釣具店のご夫婦。私と出会うたびに「あの家を私たちに貸してくれ」とせがみます。自分達の土地は「市の買い上げ土地」に指定。
今朝は奥さんから一言「あの津波で流され始めた時に、とっさに入り込みあの二階で助かったのだから、壊さないで私たちに貸して」とまた切り出された。
私の返事は「我家へ居残り隊のダンナ付きでも良いならネ
このご夫婦、市からの買い上げ金はまるまる懐へ、それで我家は安く貸してとは
危機一髪で助かったくせに、まだ大事なのはお金
安全でない住いの為に私達は出て行くのに、まだ一番大事な事に気付いていないのですネ。
我家の居残り隊がまた殖え始めました
一階が店舗・事務所と有りその部分が3.11で全壊状態で、修理もせずに其の侭。
事務所奥の階段を昇り二階に玄関が有り住居部分。
その階段が先日から汚れ方がハンパじゃない
先日夜に「今からちょっと寄るから」と友達から電話あり、では階段に電気を灯してとスイッチを入れたら、なにやら「ピーチク・パーチク」大騒ぎでバタバタと飛び回っている。ナニゴトが?と玄関ドアを開けたらツバメが何羽か逃げ場を探して私にぶつかって来た。挙句に私の肩へ糞までペチョっと
狂ったように喚いていたので、すぐ脇の窓を開け放たが外は暗闇。どうなっているのかと良く見たら、階段のペンダント型照明器具の上にツバメが巣を作っていたのでした。まさか電気が点くとはツバメも
あの異様な汚し方をしていたのが巣作りで落としてしまった泥草だったのでしょう。もう階段へ糞まで撒き散らしていました。メール便の配達さんやら糞の被害になっていたかも
この「私の若いツバメちゃん達」よくもこの場所を見つけ出したものです。
この日は逃げて一晩帰って来ませんでしたが、翌日からまた元気に巣から尻尾を出して夜には帰って来ていました。
解体を申し込んでいるのにツバメに家を新築されたのだから悩んじゃいます。
私に通って来ている「若いツバメちゃんの新築中のりっぱな家(巣)」の画像を掲載したい所ですが、またまたビックリさせては可哀相なので
まだ卵を抱いているのか?そのうち当家へ馴れ親しんだ頃に
玄関ドアには「頭上注意」ツバメが巣を作っています。なんて注意書きを書いて張り出していますが、ポトリと落とされる物には来客はどう注意した方が良いのやら。
あまり立派な服装では来ないで下さいの注意書きの方が的確でしょうね。
被災地へのご支援有難う御座います
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しばらく、ブログ更新を休んでしまいました<(_ _)>
なんと書き込んでいるうちに、ニュースで「トルコで大地震発生で」とTVで流れてきました。
こちらであの大災害時に「トルコから大々的に援助にやって来て下さいました<(_ _)>」それは5月ころでした。
避難所前には大行列が出来てトルコ人が肉の塊を見事に切り捌きそれをパンに挟み造ってくださいました。サンキューと笑顔で交わしましたが超美味しかった\(^o^)/「ケバブ」絶対に忘れられないあの味
あの頃私達は、毎日毎日「甘い菓子パンとおにぎり」にもううんざりしていました。まるっきりたんぱく質が足りない。せめておにぎりに「鮭」でも入っていればと・・・(~_~;)「トルコのケバブ」まだ味を忘れないうちに、今度はトルコで被災(~_~;)
トルコからは何度も何度も応援に来ていただきました<(_ _)>
それはオスマントルコ時代に被災されて、その時日本から支援をされた事があったそうで、なんとその恩返しなそうでした。私たちも決して忘れません。
今日も台湾からの義捐金を直接手渡しで、家が「全壊・大規模半壊」
これは、政府が関与している事ではなく完全に民間団体とのこと。
(慈済基金会=ツーチーききんかい)http://tzuchi.org.tw/
単身世帯・・3万円 2・3人家族・・5万円 4人以上・・7万円 すべて手渡しです
現金の手渡しは初めてでした。全壊した当家も該当ありがたく頂いて来ました
「有難う御座います」の言葉と同時に目が潤みました(~_~;)
全国の皆様ご支援有難う御座いました
我家の周りは、綺麗サッパリと瓦礫がなくなり、お隣さんがとても遠くになりました。
津波到来地でも、海との関わり方で津波の受け方がこうも違うのかと目の当たりに解りました。いくら海から離れていても海に向って建っている建物は、被災の仕方が半端じゃない。それに比べたら我家は海辺の近くに立地しているが、海が入り組んでいる為、直接波がやって来るのでは無く通り道の様になっている為か、2m30cm位の浸水でしたので2階までは到達しませんでした。一階は絶滅ですが・・・
当家は110年の歴史、初めての被害でした。
ご存知の様に湾の地形が一番被害が大きい。水の行き所が無い為に山まで水が上り詰める。街全体が水没です。銀行の屋上から行員達が流されて行くのを目の当たりに見ていたと言う方が(~_~;)女川町
同じ銀行のこちらの支店では、偶然私と避難所で隣通しでした。私の同郷で後輩の女子行員にいっぱい飴玉を貰い
湾になっている所はこれまでに何度も津波被害が・・・
でもいつのまにか、また同じ様に街づくりが・・・
高校生の時に友達の家に行って、「この跡なんだか知っている?」とクイズ
「ウン?」「津波の跡だよ」白壁にくっきりと波形が・・・確か軒下近くの高さだったか?その時初めて知りました。チリ津波の被害跡でした。こんなにも来たの女川?
今回同じ様に湾に面している「南三陸町」が同じ様に町全体が・・・・
何年か前に同業の方のお家へ訪問。旧家で高い天井、ご主人が「あの神棚のあの跡がチリ津波の跡で」とその波の高さを説明、「は〜〜」っと私達夫婦がため息まじりにびっくり。はっきりと記憶している。だがまた同じ様に、今度は何もかも無くなっている。
「津波到来地は、同じところへ建ててはダメダ〜〜って」叫ぶ。
「銀行だ、スーパーだ・商店街だ」ってその地に建てば、便利だから怖さを忘れて自然と周りに家が建つ。また同じことの繰り返し。
っと言っている自分は?自分地は「市の防災警戒区域」からぎりぎりセーフで建設制限無しの区域に落ち着いた。私も津波到来地からは引っ越しをと考えた。
色々と土地を見て歩いたが、安全地帯であるが活断層が走っていたり、安全優先であまりにも田舎で住みづらい(~_~;)それにまるっきり知らない所へも行きたくない。どんな生活になるの?って考えちゃう。嫁に来る時には「ドッポン
自分地の目の前の道路が第二防潮堤となって嵩上げになる予定。それに地盤がしっかりしていたのか、112坪の宅地が地割れ一つ無く、今住んでいる二階の建てつけ部分も狂い無く安心して住んでいる。あの大津波時に逃げ遅れたご近所さんがここで助かってくれた、人を守ってくれる土地なのかと考え出し。この地を離れずに、むしろ住み易くするために、自力で住宅部分を3mの嵩上げで基礎を頑丈に築き、市の計画で第二防潮堤にされる道路側に面して奥ふかく家を建てと計画中。
道路側をいくらか削られようが、坂道にして作っておけば道路が高くなるのが予想できているので困らないとか、色々構想を練っています。
全壊の被害者には、申し込みによって行政で無料で家の取り壊し。これは個人で負担をすると○百万円の料金なのです。
安全な家造りのことやら、土地探し等とたった二人で生活している連れ合いには、それとなくハウス会社のパンフを見せたりとか、太陽光の話とかいろいろぺらぺらしゃべっていたのですが、「市へ取り壊しの申し込みをしてきた」と報告をしたらなんと青天の霹靂 「誰が壊すと言ったの、断りも無く」」と怒りだした。
今まで色々と話してきたのが、どこの家のことだったのこのダンナ?はぁ〜って言いたくなりました。まさか認知症?脳がおかしくなった?
こんな時には娘を使えばよい
すべての計算をエクセルでして印刷掛けてダンナの目の前へ出して、安心してと差し出した。「あんたはゼロを間違えているのでは?あとで痛い目にあうから」と剥ぐかされた
ダンナの目の前へ差し出した。「私達の年齢はローンなんて組めないよ。それにそんな危ない橋は渡りたく無いね」と私も同じです。
「このお金はね、お客様から預かったお金だから」と切り出した。
前々から言っていたこの言葉、子供育てにはとても有意義でしたが、
こんな時にまで言われるとは。頑固物
商売上、商業道徳心を忘れずに質素にとは理解できますが、車はいつも中古車
洋服屋なのに、いつもよれよれ服。誰かの伝記者に出てくるような人。
それでいて、電気ポットは夜中でもコンセントを入れておけと指示を出して(電気無駄に)我家は24時間ポットは湯が沸いていた状態。
震災後それが一転して、いきなり節電家に変身、トイレの便座のスイッチを切りいつも冷たくしている。男性と違い便座は女性は頻度がある、困ったチャンの節電か
あの震災後、我家のギンちゃんの性格に大変化があり、まるでキンちゃんが乗り移ったの?と思うくらいの変わりようです。以前にも書いたが抱っこ嫌いのギンちゃんが、今では私が座ると「待っていました」と言うばかりに隣の席から膝の上に移動してきて「ゴロゴロ」と喉を鳴らし甘えています。飼い猫って性格が変わるのですね。18年も一緒に居ると変わるのに、我が連れ合いは、いったいどうしたら変えられるのでしょうか?皆様お知恵を拝借したいのです。私に「猫なで声を出して甘えろ」と言われても
市の方へは解体申し込みは提出したままです。いざ実行をするにはこの荷物をどうするの、それまでの住む所とか(仮設申し込みは6月で締め切り)いっぱい億劫なことが山積みで、考えるとこのままで良いか
15年位前から建てられた日本の住宅建築が強くなりました。あの大津波でもしっかりと残っていました。外観からすぐにでも住めそうでしたが、断熱材に入っていた材料が水を吸ってそこからカビが発生してとても住めないと言っていた
レンガが崩れそうでしたが、予想外でした。レンガ造りはしっかりと明治時代の傑作。取り壊される前にしっかりと記念に撮りました。
市の文化財に寄進されていた建物で専売公社跡地で、明治の建築技術の誇りだったそうです。ここも大津波を受けましたが、この建物はしっかりと残っていました。写真を撮った数日後取り壊されました。
レンガって崩れ易いかと思っていましたが、他所の家でもしっかりしていました。
我家では、ひっくり返っていたお墓がなおり一安心しました。
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