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ちょっと前に買った本です。
待ち合わせに時間があったので、時間つぶしに貼った本屋で立ち読みして、そのまま買ってしまいました(^^;
「残念な人の思考法」
帯にもありますが「頭は悪くない、でも仕事ができない」。
本はタイトルが売り上げに大きな影響を与えるそうなので、人の目を引くタイトルの本が売れるそうですが(養老先生の「バカの壁」とか)、その点ではそこそこインパクトありませんか?
目次を見ると
・残念な人は作られる
・二流は掛け算で考え、一流は割り算で考える
・残念な人はぬり絵ができない
・機能だけを磨いても二階には上がれない
・人生を残念にしないためのプライオリティ
とある。
「便利になるほど残念な人が増える」
いろいろとギクリとくるところがありましたが、「マイ箸を疑ってみる」は、別の論文・・・でも読んだことがあります。
その時読んだものと理由は違うけれど「確かにそうよね」と思うところもアリ。
こういう本は久しぶりに読みましたが、書き手が変わると見えてるポイントが違うので「ハッ」と思うところもあります。時代も少しずつ変わってるしね。
「わかってる」と聞き流す人も多いですが、わかっててもなんも役に立たないよね〜と、そういう人を「残念な人」と思うことが多いです。
どんなところからも自分に活かせる・役立つことを拾って引き出しに入れておく。
ふ〜〜ん。。
頑張んないとね。
ちょっといい刺激になった本です。
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本の話
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今上映されておりますが、ノルウェイの森が映画になるって、かなり話題になりましたね☆
1987年に発表され累計発行部数1000万部、36ヵ国後に翻訳されているという、村上春樹の代表作としてあまりに有名ですね☆
発売当初に読んだんですが、全然覚えていません(^^;
でも、「あまり得意じゃないかも」と思った記憶だけはあったので、その後村上作品は読んでいませんでした。
今回、映画になるっていうし、今まで裂けていたものも読んでみようか。10代のころに読んだ時とは違って何か感じるかも。そう思って文庫版を購入。読んでみました。
読み終えて最初に思ったのは
「どうしてこんなにたくさんの人が自ら命を断ってるの?」ということ。・・・情緒のかけらもない感想です(^^;
でも、キズキや直子だけではなく、永沢さんの彼女のハツミさんや直子のお姉さんまでも自殺をしている。
その自殺の理由については一切触れられていない。
そこは説明しなくていいところだと思うのでそれでいいと思うのですが、なんかちょっと、不自然さというか偏った感じがしました。
なんでこれほどの人が自殺のをするのか?その理由を私なりに考えながら読んでたんですが・・・うすらぼんやりとした思いしか浮かんできませんでした。
時代のせい?とも考えてみした。時代は1960年代後半。学生運動の一番激しいころですね。ということはワタナベも直子も団塊世代ということになります。ちょうど私たちの親くらい。
そう思ったら、先月見た「TANGO」を思い出しました。
破壊と闘争のエネルギーがあふれていたこの時代に、そのエネルギーにいなを言えない人たちが抵抗の表れとして自殺するのかな・・・という考えが浮かびました。でも、それだけじゃない気がしています。
直子の言動から思ったのは、20歳となり大人になっていくことは周りの人とつながっていくこと。それはまさに「生きていくこと」。ほとんどの人はそれがどういうことなのか、深く突き詰めずに生きているかと思いますが、直子は最愛のキズキを失ったことですごく考えさせられ、その難しさを感じ怖くなったのかも、ということ。
20歳が大人としての一つの区切りなら、それまではそれまでは限られた世界の中で、外のことはあまり考えなくても生きていけた。だけどこれからはそうではいられない。
彼女にとって外の世界との架け橋になっていたのがワタナベだったんでしょう。
ノルウェイの森にはかなり直接的な性描写がもっとも「生」を感じられるものだからそうなったのかな?なんて思いました。
だから彼女の体はワタナベを一度だけ受け入れることができつつも、その後は受け入れられなかったのかも。
どうして登場してくる人たちが自ら命を断っていくのか。そして生き残った人たちはこれからどう生きていくのか。
この小説は、その答えを全く読者に預けていますよね。だから読む人が自分の思いを投影しやすくて、全世界でも読まれるようになった気がします。
で、映画はどうなるんでしょうね?
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先月くらいからパチンとスイッチが入ったように最近はまたビジネス関係の本を読んでます。
その手始めに「もしドラ」を読みました☆ 久々にはちょうどいいんじゃないですか?
小説は〜弱小野球部が甲子園に行くまでのドラマなんで、結構オーソドックスなストーリーです。
マネージャーが誤って買った「マネジメント」に書いてあることを実践していくことで、選手一人ひとりのことをよく理解し、組織としてどう動いていったらよいのか学んで実践していくことで、全く現実味のなかった「甲子園出場」を実現していく・・・
ふ〜ん・・・
小説としてはともかく、ドラッカーの「マネジメント」、彼の理論を知るきっかけとしては入りやすいですよね〜
事実、本買っちゃったし☆ とりあえず図解本ですけどね。ほんのちょっとだけ読みました。
ビジネス本て、読んだだけじゃ意味がなくて、どれだけ自分の血や肉にするか・・・なんですよね。
一時すごくたくさん読んだけど、言ってることは基本的にはどれも同じ。あとはどれだけやるかだけ。
こういう本の話で「知ってる」「わかってる」っていう人も多いけど、「だから何?」って思ってるんだろうな〜と思うけど、私も違う意味で「だから何?」って思っています(笑)
知ってても意味ねーってね☆
あと、気をつけているのは「やりすぎないこと」。
こういう本を読むとテンションあがって、本に書いてあることをあれこれやろうとしてすぐに息切れしちゃうっていうのもまた多いパターンだと思うんですよね。
だから・・・最初から勢いに任せてやりすぎないこと。
どんな本にも「継続すること」ってあるじゃないですか。続けるためには頑張りすぎないこと、です☆
私はもともと飽きっぽい方ではないけれど、一つのことにばかりか負けていられないんですから、本に書いてあるエッセンスを抽出して、自分サイズに置き換えることですよね☆
「もしドラ」では本当にさわりだけしか出てないので、ドラッカーの本をもうちょっと読み込んでみようと思います。
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このブログでも何度か、ちょこちょこっとずつ書いたと思いますが、山岡荘八の「徳川家康」を読んでおりました。
こちらに来てから読み始めたのか、札幌にいるときからだったか記憶はあいまいすですが、少なくとも3カ月以上かけて全26巻を読破しました☆
長かったような短かったような・・・
通勤時間がいい読書タイムになったことは間違いなし!
ずいぶん前にたしかNHKの番組で、「中国では家康ブームが起こっている」と聞いたときから気になっていて、しかしなかなか手が出ないままだったのを今年になって読み始めました。
よく戦国武将や、中国の偉人から経営者としての資質を学ぶ・・・的なビジネス書はありますが、徳川家康が取り上げられたなんて話は聞いたことがない。日本での家康人気はあまり高くない。まして中国なら三国志に登場する曹操がよく経営者のモデルと言うように扱われている。なのに家康?
きっとなにか中国人の心に響くところがあったのだろう。それは何なんだ?と興味がわきました。
それとは別に、父親の影響で歴史好きで、子供のころに社会の時間で歴史を勉強した際に江戸幕府の将軍の系図で家康の後継者は秀忠とあったけれど、確か秀忠は三男で、「どうして長男が将軍じゃないの?」と疑問に思ったことも思いだしました。
お話は家康が生まれる前から始まり、亡くなったところで終わります。
家康の一生の中で常に核として持ってきた思いは「天下泰平を、戦のない世の中を作る」という思いで、そのためには「自分が力を持たなくては達成できない」という結論にたどり着き、その思いを実現するために一生をささげた・・・ということになっていた。
もちろんそれまでにはたくさんの戦もしたし、人も殺してきたし、若いころは血気にはやり大失敗をしたけれど、その都度謙虚に失敗を反省し、できる限り戦を避けるために長男を切腹させ、正妻を殺し、やがて力を蓄えてきてもおごらず、小さな欲に振り回されず質素に暮らし、重大な判断をするときには神仏から見たら・・・ということを常に頭に置きながら、心に刻みながら慎重に決断をするということを、年を重ねるにつれ強く心に持っていた・・・
いささか家康びいき過ぎないか?とも思えるほど、無私に天下泰平のために生きたというように書かれていたので、「三河の宿なし」のころからの、屈強な家臣を少し軽んじているようにも感じましたが、真ぁ小説ですから・・・と思いつつ、その常に厳しく神仏の意思に挑む姿はなかなかすさまじかったです。
スピリチュアル関連の公演を聞いているときに、「神の手足となる」ということを言っていた方がいました。
これって、浅く考えると「神の意志には絶対服従なんだ」という危険な考え方に向かってしまうのですが、全く逆で「自分の精神を高め、自分の望みが神の望みと同じものになると、肉体を持つ身だからこそ手足として神の意志を現実にしていける」ということで、肉体もエゴもある人間にできるんかいな?という疑問はあれど、究極の昇華です。
その昇華を、家康は実やってのけようとし人に厳しくする時にはそれ以上に自分には厳しくムチを打つのだれどなかなか理解されず、その都度人間が故にかかるわな?試練に苦しみあえぐ。そんな姿を描いていました。自分の周りにいる人たち、それが優秀な家臣であれ信頼する子供たちであれ彼の神仏の境地で考えることは理解しえず、そこで行き違いが生じ、怖れが生まれ互いをつぶし合おうとする。年を重ね、心を合わせて戦ってきた仲間である家臣が死に、その子供・孫の時代になるとさらにその傾向が強まり、家康が信念に従って生きようとすることをことごとく裏切る方になっていく・・・というところは、単に小説というよりスピ関係の本を読んでいる気持にもなりました。ああ、人間の愚かさよ・・・というような気持ちですかねぇ。
最終巻で、家康が「運命・宿命・天命」について語るところはまさにスピ本の域です(笑)
京都所司代の板倉勝重との、大阪城についてのやりとの中で次のようにありました。
「運命と宿命、天命とはどのように違いまするので?」
「-おのれほどの年になっても、それがわからぬか」
「-はい。是非ともその差、お訓えおき下さりまするよう」
「-よいか。ここに小さな茶碗一つのせた丸盆があると思え」
「-あの、小さな茶碗一つをのせました丸盆が」
「-そうじゃ。その茶碗が人よ。するとこの茶碗は、盆のうちだけは、右へ行こうとし、左へ行こうとしてふちにさえぎられるところまでは自由に動けよう。この人間の自由に動けるところまでが運命じゃ。されば、運命とは、その人の意志を持って開くこともできれば築くこともできるものよ」
「-そしてこの盆のふち・・・つまりぶつかって動けなくなるところ、これ以上行かせぬぞ、と立ちふさがっているこの盆のふち・・・これが宿命と申すものだ」
「-すると大阪城の黄金は・・・」
「-秀頼の思考思案をさえぎる宿命となった。しかしその宿命の上に、さらにもう一つ天命がある」
「-は・・・」
「-天命とは、こうした盆、その上の茶碗、そしてさらにその盆のふち・・・そうしたものの一切を作り出している天地の命じゃ。人間は、人間の力をもってしてはどう変更えできない天命のある事を悟ったおりに、初めて自分を活かし得る。わが天命は何であったか・・・天命はまたわが身に課された使命であるからの。これを悟らぬうちは動いても動いても無駄になる。宿命のふちの中でのあがき以外の何ものでもない」
そういわれたときに勝重は、初めて家康の覚悟のほどに触れた気がした。
家康は、天命を知ったのだ。抗い得ない天命を改めて見直して、人事を尽くす最後の勇気を奮い起したのに違いなかった
運命・宿命・天命ということは、ときどき使いますがなんともうまい説明だと思いました。
このところとても気に入っている・・・というか意識している言葉に「人事を尽くして天命を待つ」がある。
どんなに状況が困難でも、自分の行動が、家康流に言うと神仏の意志、天命に沿うものであれば必ず道が開ける。自分でもその通りだよなぁ…と思うことが今までにもいくつもあった。もちろん開けた道は」楽チンなものではない。でもからなズ突破できるんだよね。逆に自分で、頭を絞りに絞ってもうこれ以上一滴も出てこないというところまでやっても道が開けない時には自分の考えが間違っていたんだ、と思えるようになってきた。
そんなことを小説とはいえ、聞く(読む)ことになるとは・・・と、驚いたものです。
それともう一つ。家康のブレーン?のような存在の僧が家康に問うたことで「仏と神とどちらになりたいか?」という質問がありました。仏と神の違いって?と改めて聞かれると即答できないですが、僧の答えは「神になりなされ」でした。
仏となって、自分が極楽浄土に行くことを考えるのは頭領のすることではない、神となって民を守るのだ-というようなことを言っていました。彼の天命を考えれば個人の往生なんてレベルで物事を考えるなということなのでしょうね。
・・・またいつものごとくまとまりがつかなくなってきましたが、神仏の意志に沿い生きた家康-というのが小説のなかには描かれておりました。かなり美化してるなぁと思うところもありますが、家康がその礎を築いた江戸幕府がおその後250年以上も続き、世界史にもまれな平和な時代であったことを考えると、まんざら作り話でもないよなぁと思いもしました。
さあ、これから涼しくなったら一度日光にでも行ってみようかなぁ。
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