秋の行方

めぐりには聞こえぬ楽器ほしと思う「ともしび」弾こう屋根に登つて

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敗戦忌

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 竹本豊子は、戦時中「回天」発案者となる海軍少尉仁科関夫の父親が校長をしていた昭和4年に山口県女子師範学校を卒業し、その後呉市内の国民学校の教師をしていたにもかかわらず、呉市街への空襲を経験していない。
 昭和20年4月、彼女が勤務していた坪内国民学校の児童の一部は、広島県甲奴郡の宇賀国民学校に転入することになった。集団疎開である。3月末より開始された第一次集団疎開で市内約5,000人の児童は、4月中旬までに県内陸部などに移動していった。親元を離れる15人の女児の世話と指導のため、彼女も宇賀国民学校に転勤した。疎開児童たちは近くの寺に宿泊した。田舎の家は軒が深かったので、灯火管制のために電灯に覆いを架ける必要もあまりなかった。寺の堂宇は広く、便所は庭の向こうにあった。子供たちは夜便所に行くのが怖かったようで、次々に目を覚ましては便所について来てくれと彼女にせがみ、ゆっくり寝ることもなかった。日曜日には散髪をしてやったり、頭や服についたノミやシラミを捕ってやったりした。小さな風呂場があったが、子供たちが交替で入浴する間、一緒に入っていた。貴重品となっていた石鹸をやたらに使わせないようにするためだった。おかげで手がふやけた。
 昨夜呉がやられたそうだといううわさを、彼女は7月3日に聞いた。豊子の妹も、姉に刺激を受けて同師範学校を卒業し、この呉空襲の時は山口県内の由宇国民学校で教鞭をとっていた。豊子の妹の名は節恵といい、戦後、私の小学校時代の恩師となる。

  けふ一日(ひとひ)食を断ちたり敗戦忌

 豊子先生も節恵先生もすでに亡き今、私の手元にあるものは、節恵先生の形見『思ひ出』(北原白秋著)と豊子先生の形見の折り紙たち、それに生前に聴き取らせて頂いた戦時中のご記憶だけである。


  しばらくの間、更新が不規則となります。ごめんなさい。

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なつかしい写真です、思わず自分の姿を探しました。
そうです、敗戦日と云うべきですね。

2009/8/15(土) 午前 7:08 [ sat*90*16 ]

貴重な疎開エピソードの転載ありがとうございます。敗戦に向かう日々の中でも子供等の声が弾けていたのですねえ。

2009/8/15(土) 午前 8:50 [ かんたろう ]

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けふ一日食を断ちたり敗戦忌

真似できないですねね。敬意を表します。
甲奴の宇賀国民学校は変遷の後、三次市立宇賀小学校となり現在に至ります。しかし、生徒数減少に伴い今年度限りで閉校となります。

2009/8/15(土) 午後 1:13 (bed ^^)

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私もこの写真の小さな子供の頃でした。
一番前の右側が自分に似ています。
私は集団疎開ではなく、茨城の叔父の家に祖父母と共に疎開してました、縁故疎開でした。
電気も水道もない田舎でした。石油ランプのほやを磨くのも子供の仕事でした。風呂を焚いたり、馬の草を刈リ集めるのも子供等の仕事でした。
いとこたちは馴れていて上手にこなしましたが、私はやったこともなかったので上手く行かず、叔父や叔母から、東京っ子は駄目だな、と蔑まれました。
敗戦日の今日は特別旨いものを食います。
なにせあのころはろくなものをたべていなかったから、、、。

2009/8/15(土) 午後 2:39 [ ろっぺい ]

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終戦記念日は敗戦忌ですね。先生は貴重なお話をたくさんしてくれたのでしょうね。手記をまとめてほしいなあと思います。ぜひ。

2009/8/15(土) 午後 6:43 [ mizu-no-hayasi ]

戦争を知る人々がどんどん鬼籍に入ります。
それが怖いですね。
ブログの方々も幼いながらも戦争を経験
されてるのですね。70近いのですね。
びっくりです。
終戦を敗戦忌と書くことができる冬樹さん
食を断つ冬樹さんにポチです。

2009/8/15(土) 午後 10:55 [ えこ ]

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この記事を読ませて頂き、過去の事がまざまざと思い出されました。私達の村にも集団疎開が大勢来て、その為の薪など子供達が、せっせと運ぶ手伝いをさせられた。校門の道、雪が降ると、わざとつるつるにして、滑って楽しんでいたが、疎開の子供達が歩けないと泣いて居た事、疎開の先生が担任で何と、肺炎となり死亡されて、その一年間は入れ替わり立ち替わりの先生で、満足の勉強が出来なかった事、二人机に三人座らせられて、先生が名前を覚えられなかった事、等々山とあります。とにかく命を落とされたご家族だけは、戦争、疎開と言う事は、永遠に忘れられないことでしょうね。

2009/8/16(日) 午前 6:33 [ - ]

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戦争も疎開も、話に聞くだけです。
すべてがセピアカラーとなっていく。
知らない人ばかりの中で、これから、どう認識がかわっていくのでしょう。
「戦争は国の過ち」として、しっかりと生命の重さを教えて欲しいと思います。

2009/8/16(日) 午前 8:39 ☆・・〜more♪

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わたしもこの子達の年代でした、市街地から離れてましたので疎開はしませんでしたが、妻は姉妹と一緒に親戚に一時疎開しました。

2009/8/16(日) 午前 10:45 dfm*q*17

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疎開の話はよく聞きました。親達は田舎にいましたので、都会人たちを受け入れる立場でしたが、一度にたくさんの人を受け入れた田舎の人達も大変だったでしょうね。
このような話は日頃からもっと、若い人達に語り伝えて欲しいものですね。トラックバックさせてくださいね。

2009/8/16(日) 午後 3:16 若紫

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この季節になると戦時中の記事ばかりになりますが、我家ではまだ戦後は来ていません。盆になると戦中のことが話題になります。

2009/8/16(日) 午後 3:52 [ 絵日傘 ]

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想像もできないくらい悲しい時代がありました。
あの時代に生き抜いたた人達は逞しく長生きをしていますね。

2009/8/16(日) 午後 10:38 Deko

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