青い君と銀の笛♪

2014年も心身のストレスフリーをモットーに、、!♪

趣味だよ蒐集だよ♪

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去年は日本生まれの居候が増えなかった。
今年こそはと思っていたら京都で可愛い子に出会いました。




この子です。名は「風水カエル」、どうぞヨロシク、、。
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赤、ピンク、ブルー、黄色とこれらの色にはそれなりに”意味”があるのでしょうが
何も解らないままに可愛い顔と色の組み合わせに誘惑されて手に入れたカエル君。
こちらに戻ってから「風水」を検索してみたら
これらの4色はそれぞれに”幸運/強運”を持っているという。
それならば
きっとなにか”嬉しくなるような幸運”を持ち込んでくれることでしょう♪

たのんまっせぇ〜〜”風水カエル”どの、、パンパンッ!

身長はせいぜい2cm半
プクッとした可愛いウエスト周りが
どことなくなんとなくまちがいなく持ち主に似ているような、、そのような、、。




金曜日です週末です
◎今週末のBGM:懐かしい「カエルの歌」です/1分06秒、短いです。終了です。


貴方なりに楽しい週末に仕立て上げて下さ〜〜い、、キラッ☆

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      <写真:22K&18K/グリーントーマリン石を中心に
          大きさの違う3個のダイヤを散らせました、、>


   ーー今日は久々に長文なので、付き合い切れん!と思う方は

     素通りして下さい。バイバ〜〜イ!またネ♪、、、ーー 




人間が顔に表す心情、つまり《表情》、

その中で「笑顔」ほど大切なものはありませんね、、♪

てなことは、私だけの感慨なのかもしれませんが、、。

今までの経験から、

ふとした笑顔に無邪気さがある方は好ましい善い人だと云える。

その反面、いつもニコニコしていても、

何処か狡そうな表情がチラつく人は、生涯友達にはなれない。


「笑顔」は嘘をつかない、、。


人が笑う時、ふと気が緩む。するとその笑顔には,

隠すこと無く無遠慮に真っ正面からその人そのものが露見する。

ニッコリ笑っていてもそこに嘘が見える人、寂しさが見える人、暗さのある人、

人間の弱さ卑しさ悲しさが見える人、、人の笑顔はいろいろです。



さて、相手が気がつかなくとも目が合わなくとも、

知り合いに会えば/お見掛けすれば「ご挨拶」をする。

コレは幼年時代から両親にキッチリ躾られた礼儀の初歩。

教えられた教養は理屈抜きで身に付いて誰彼無しに自然にそうして来れた。



ある場所に、言葉が乱暴で挨拶が出来ない「ヤなヤツ」がいた。

1週間に1度朝一番、どうしても顔を合わせるそのヤなヤツに

私が「おはようございます」とご挨拶をするとヤツはニコリともせず

十中八九「ああ」だけの挨拶とも返事とも云えない返事を返した。

家に居たインコでさえ「おッはよッ!」なんて元気にしつこく挨拶をしたのに。

ヤツの口から「おはよう」という挨拶を聞いたことが無い。<君はインコ以下か?>

始めは挨拶をしながらも”なんと教養の無い人か!”と気分を害し,

挨拶も出来ないなんて心不幸せな人なんだわ、、と思いながらも

しおこりも無く私は挨拶を繰り返しその度に仏頂面で「ああ」の2文字が戻って来た。

朝一ですからね、それが日に日に私の気分を悪くさせた。それでも辛抱強く

ヤツの不機嫌そうでぶっきらぼうな返事を6〜7ヶ月甘受していた。



そしてある朝、

ピタッと目が合っていつもなら「お早うございます」とニコやかに云うところ

私は意識的に無言で通り過ぎた。<両親が見たならキツいお小言を頂いたろう>。

ヤツに挨拶をしなかった私、その日一日中やり残した宿題を抱えたように

なんとなく気分が重く冴えなかった。にも拘らず、

その日以降ヤツには挨拶はしない!と心に決めた<勝ち気なものですから、、>

それから、ヤツは私を見かけるとキッ!と睨みつけ

「なんで挨拶しないんだよぉ〜〜生意気な!」とヤツの目は云っていた。

<ヤツは金輪際自分の方から挨拶はしない>

私は誰とでも目を逸らさない性格なのでヤツとでも視線を合わせる。そういう時は

「ヤツはただの壁だぁ〜!」と我が身に言い聞かせ、ひたすらに努力して

無視した態度を取り続けた<強情なものですから、、ほほほ>



そうこうしているうちに、

ある日、仲間と集まり楽しい世間話、皆が大笑いをした。

その中に,あのヤなヤツも部屋の隅っこでゲラゲラと大笑いしてた。

ヤツのことを嫌だとは思ていたけれど恐いと思っていた訳じゃない。

俗にいう「恐いもの見たさ、、」ってありますよね。

皆の話しを聞きながら笑っているヤツをふと見ると


とっても「爽やかな笑顔」だった、、♪


「笑顔」を信じる私、直感的に「嗚呼、この人は根は良い人なんだ」と確信した。

その仲間は皆、ヤツの乱暴な言葉にヘキヘキしていたのだけれど

長い間、面と向かって誰も何も言わなかったらしい。

当時、私は新参者、ヤなヤツだ!と思っても勿論ナニも云うことは無く

「挨拶はしない!」と云う固い決心だけが私の必死の抵抗だった。

その談笑の中で、ヤツと長年の知古である年配の方が冗談っぽく

「xxさん、あなたは言葉や表情が悪いから損してるよね」と云って笑った。

ナニが怖いかと云うと予想外の「海底大地震」ほどこの世に恐いものはない。

彼女のひと言を皮切りにあちらからもこちらからも津波現象が起こった。

皆が冗談まじりの真面目さで日頃のヤツの暴言暴句に文句を唱え始めた。

ヤツは矢張り隅っこでニコニコと赤面、照れ隠しに賢明だった。


その様子はあどけない少年のようでした。


それではここで一発メガ津波をばと、私は嫌みではなく本気で

「xxさん、貴方の笑顔はとても優しくて善人が持つ笑顔なのに、、、」

「どうしていつも嫌われる部分だけを表面にお出しになるの?」と云うと

皆が「ソンダソンダ,ナジェだ?」と同調した。

ヤツは「エッ!そ、そうか、、、、」とニタニタ,ニタニタ、、、ニタニタ、、

始末がつかないほどに延々とニタニタが続いた。


それがこの「ヤなヤツ」との思い掛けない「美しき友情」の始まりだった。


あの談笑の日がきっかけとなり、言葉の乱暴さはいまだに残るものの、

私の背中にヤツの「おはよう!」と云う挨拶が投げかけられる日も多くなり

会えば私たち二人心打ち解けてバカな冗談も云い合う人間関係が出来上がった。

ヤツは私の減らず口を「アッちゃん節」だとのたまわり、

皆からは漫才コンビだと笑われている。

「笑顔」に拾った心のふれあいでした。

人間関係なんてこのように他愛も無いことから優しく始まることが多いのかも、、。


聞くところによると、我が儘そうで鼻持ちならぬ女だと思ったらしく、

男の詰まらぬ偏見を持っていたらしい、、。


どちらにしても世の中に嫌いな人より好きな人が多い方が

人生は楽しくて嬉しいですよね、、♪


どうですか?

貴方の「笑顔」もキラキラと輝いていますか、、、♡


    ーーふぅ〜!完読!お疲れさまでございました♪<感謝感謝>ーー

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<写真;金のクズを溶かしワイヤーに仕上げたので金の純度は18〜20Kでしょう。
    ひとつずつ形作り、それを順々に繋いだフレキシブルなブレスレット、、>


本日はお茶のお稽古、気持ちもシャキッ!と、腰もシャキッ!と、、。



◎三つ目の「悟り」は、、、。

主人とお付き合いする直前ぐらいだったでしょうから

18年ぐらい前かな、その頃の私にはまだ「乳癌」は他人ごとで、

ウォール街で元気に働いていました。

ダライ・ラマがNYで講話をするためにチベットのお坊さん達をお供に

大勢でNYを訪問されていました。

この時のダライ・ラマの講話は私も拝聴しに行きましたが、

残念ながら、またまた中国政府の政治的圧力があったためか結局、

ダライ・ラマの講話はなし、ダライ・ラマとお坊さん達の

長〜いお念仏に終始し、お念仏の内容も何も解らないままに

前半は大人しく座っていた私、後半は失礼して帰途に着きました。

わざわざ何重にもなる列列列の長蛇の列に並びチケットを購入して入場したのに、、、

その日、講話が聞けなくて至極残念に思ったのは私だけではなかったでしょう。



さて、当時まだウォール街を見下ろしていたWorld Trade Center、その中で

お坊さん達の砂絵デモンストレーションがありました。

ガラス張りの中に正方形の土台があり直径3〜4メートル程の真円上に

お坊さま達が四方から砂絵を描いていく。

「曼荼羅」を色彩豊かな砂で交代で描いて行く作業です。

<本式には朝6時から深夜12時まで交代で砂絵を描くと聞いています>

当時、私は仕事に追われ忙しく、毎日はこのデモを観にゆけなかったので

その進行状態は知らず、恥ずかしながら砂絵のことはすっかり忘れかけていた。

その日、仕事が暇で早めに会社を退散、WTCを通りかかった。

凄い人だかりで,「ああ、そうだったわ」と砂絵を思い出し覗いてみると、、

砂絵は完成しておりガラス張りの中で展示されていた。

生まれて初めて見た砂絵に感動!それは見事!な「アート」そのものでした。

細かいのなんのってあれを全部手で少しずつサラサラと

カラフルな砂をふるい落とし、延々と根気よく描いて行く「曼荼羅の世界」。


<砂絵に使う砂袋は金属製<銅だと思います>ケーキ作りの最後に欠かせない
 生クリーム絞り出し袋を極端に細くしたようなもので、上部にギザギザ部分があり、
 その部分を同じような銅製の入れ物でギザギザとこすると砂が落ちて行く仕組み>


展示最後の日だったらしく、丁度儀式が始まろうとしていました。

偉いお坊さんが壷を持ってその曼荼羅に近寄る。

ナニをするのかなぁ〜と思ったら一瞬の躊躇も無く指で砂絵を

ザァ〜と四方から <だったかな?> 潰してゆく。

芸術品のようなあの砂絵が無惨にもタダの砂の寄せ集めに、、、

時間をかけて丹精に描いた美しい砂絵を一瞬にして潰して

ミックスされた色とりどりの砂を壷に入れる。

この儀式を何処かでご覧になった方はご存知かと思いますが、

その後、ミックスされた砂を川に流されるのが通例の儀式です。

<その時はたぶん、ハドソン川にでも流されたのかもしれません、、>


さて、そのお坊さまの手が砂絵を潰した瞬間にハッ!と「教えられた」。

思いもしなかった行動に瞬間「アッ!もったいない!」と思った私、

お坊さまの意識の中にはソレがない。

「煩悩」というものを砂絵を通して自分の中に「目撃」したと云うか

目から「掴んだ」というか、、。

知識として、煩悩とは「欲情・願望による苦悩」つまり心を悩まし乱すものすべて、、

その煩悩たる真理をこの儀式からハッキリ学んだわけでして、、。


チベットのお坊さまの砂絵を潰す片手が教えてくれた私の中の「煩悩」。

多忙のため欲求不満解消に週末2日間は買い物三昧に明け暮れていたその頃の私。

「物欲」に振り回される凡人中の凡人、バリバリの凡人だった。そういう私に

「煩悩とは」と目撃させたタイムリーな戒めの「教え」だったのかも知れません。


<こういう心の経験は説明しても分かりにくいかと思いますが
    瞬間的に「悟りを得た!」と本人は強烈に目覚めた訳です>


で、その砂絵に教えられた瞬間から「バリバリ凡人」を少し卒業しましたが、

まだまだ「煩悩」多い買い物好きの「バリ凡人」、、。

でもね、私は尼でもないから仕様がないかな、、なんて甘えています。



こうして、そのときどきに私なりにめざめ悟ったことは尊い経験として

私なりに自分の中で消化して来たと思う。

そしてまた、月日が流れて行きました,,☆

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<写真:純銀のブレスレット/22K部分に5つの宝石をちりばめました>
 タンザナイト、ガーネット、サファイア、トパーズ、グリーントルマリン       随分前に作ったもの。ブレスはしない主義、作るだけなのでこれも冬眠中♪


本日も相当長文になってしまいましたが、ヒョッとして貴方の心にも

「ある方のひと言」がすぅ〜〜っと浸透するかもしれません。

そうなれば、私も嬉しいです、、♡


◎ふたつ目の「悟り」というかな、我が人生に与えられた最も大切な「教え」。

それは、某局のあるドキュメンタリー番組だった。

生活保護を受けていた老夫婦<70歳後半〜80歳前半?>を取材した番組。

ご苦労の多い人生だったらしく

年齢以上に老けて見えるお二人だったかも知れません。

ご主人は老人性痴呆症<現在は認知症>、呼称はいかに変われど症状は同じです。

世の中から隠れるように、お二人は4畳半のアパート暮らしだった。

季節は冬、室内の畳の上には七輪が置いてあって、

ご主人が覆い被さるようにして暖をとっていた。

以前に何回かボヤを出したこともあったらしく

若かりし頃は相当美しい女性であったろうと思われる様子の奥さんは

ご主人に付きっきり、片時も目が離せないという。

始めのイントロダクションを逃しましたので

何故この老夫婦に焦点を合わせた番組だったのかは知り得ません。

子供のいない老夫婦、細々と目立たない二人だけの生活が静かに流れていたようです。

いろいろ細かく書くと長〜〜くなるので肝心な部分を纏めると、

ご主人から目が離せないために買い物にも行けず食事は殆ど出前という事で、

番組の中でそば屋の出前さんに奥さんはチップを渡されていた。

「出前してくださるのもこの方の仕事ですから、仕事には報酬を」と

「チョットだけど」と恥ずかしそうに手渡されたのは5円玉のチップでした。が、

金額のいかんによらず、食を詰めての生活保護生活、それにも拘らず

彼女のその心意気に当時の私は気持ちの良い驚きを感じたものです。

出前のお兄さんは、「毎回5円を頂くんですが、いいんでしょうかね、、?」と

インタビューに答えておられた。

どう考えても、その頃の日本はおおらかで優しい時代だったんですね。

番組が進んで行くと徐々に彼女のバックグラウンドが見えて来た。

この老妻はまず礼儀、所作、そして言葉が至極美しく、フランス語も流暢で

昔は相当の家柄の方だったようです。しかしながら、

なにかしら随分訳があるような様子で、

過去のことについては恥ずかしそうに語ろうとはなさらなかった。

言葉の端々に「その訳」がなんとなく見え隠れしていました。

それでも、話しを繋いで行くと、お二人の歩まれた道は

相当険しかったのではないかと、感じるに充分でした。

45分番組で、相当カットしてあったのでどういう過程で生活保護受領生活に

入って行かれたのかは判らなかったけれど、おそらく

老齢に達してご主人の病気が原因だったのではないかと、、。

今なら別ですが、当時は世間知らずの学生でしたから、

そういう社会的なことは余り知りもせず、追求もせずに番組を観ていました。

番組のインタビュアーが「二人で長生き出来て良かったですね」という

何とも才の無い慰めに、老妻が恥じる様子で答えられた。

その時のその言葉が「私の人生」への2つ目の大切な「教え」となりました。


奥さんは、優しい面持ちで、「恐れ入ります。でもね、、」と云って、

「犬や猫でも長生きは出来ますのよ。私達は人間です。なのにただ生きて来ただけ」

「人間は《如何に》生きるかが大事なんです。《HOW TO》が己の人生を語るのです」


彼女のその言葉《如何に》には、ワサワサッと揺さぶられる程に強い衝撃を受け、

その言葉は私の心に刻まれ、それからの生涯の「生きた教え」になりました。

凄い!女性だと思いました。

多感な私、感激して涙が流れました。


この方とお話ししたくて某局に手紙を書きました。返事は来ませんでした。

自然のこととして、お二人共はもうこの世の方ではないけれど

感涙させた「彼女の言葉」はあの瞬間からずっと私の内で生きている。

少なくとも、あの日のあの全国番組の視聴者のひとりとして

何十年経った今もなお、私自身の内でいまだに脈を打ち続け生きている。

見知らぬ人間のある一言が見知らぬ人間の心に浸透するこの不思議。

彼女は彼女の言葉に多大なるインパクトを受けた私の存在を知る由もなく

違う次元の人となった。

それでも私は、我が人生の終わりまで

彼女から引き継いだ「如何に」という言葉を大切に生きて行くわけです。

不思議なそしてとても強い素晴らしい「縁」だとは思いませんか。


その当時、彼女の言葉に「学生」であることの意味を模索しました。


そして私の人生は思いもかけぬ方角へとシフトし心身ともに忙しく

意義ある言葉もただ聞き逃して仕舞った期間があったのかもしれません。

しばらく「快い衝撃」は訪れること無くバタバタと時が過ぎて行きました、、♡


3つ目は次回です、、。

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<写真:腰が痛い時は何かに打ち込む、、んで、22Kの打ち出しの洋梨イヤリング♪>
    お茄子?、、という声もちらほらですが、頑として洋梨です!ヨロシク!


今日はお固い話し、、but this is the based on my experience だから、

聞いて頂戴、、お願い〜〜ぃ、、♪



誰にでも多かれ少なかれ経験のあることなのでしょうけど、、

「悟り」という大きな「衝撃」を経験した。

両親から得た多くの「教え」や「教養」とは別に、

その「悟り/めざめ」という大切な道標を心の基盤に

私の生きる道が見えたというか、少しずつ人生が確立されたのだといえる。

小さい衝撃は別にして、現在までにその忘れられない大きな衝撃経験は4回、

生きて来た年数に比較して、少ないのか多いのかは判らない。しかし、

全てが大切な「教え」だったとその4つの「道標」は

今でも生きる上においてとても大切な基本になっている。

その経験は視覚/聴覚/思考からとさまざま、多いに目覚めさせるに充分だった。

中学時代から「後悔を残さない人生にするんだ」とヤンチャで我が儘娘は

豪語して来た。それは周知のごとく、今もその念いに変わりはない。

其れにはそれなりの忘れられない理由があったわけでして、、

私が衝撃を受けた経験の最初からひとつづつ順々に書きますね。



◎忘れもしない我が人生最初の「悟り」、「めざめ」は中学2年生の時だった。

雨嫌いのアッちゃんはある雨の日、学校をずる休みした。

腹痛を装って心配する母をだまし一日中ごろごろと居眠りしていた。

しかし、元気で若い身体、空腹感に目が覚めたのでしょう

かすかに開いた目に一番に飛び込んだものは壁にかかったカレンダー。

なんとなく罪の意識もちらほらと頭をかすめ

「某月某日某曜日」とその日の日付けをボォ〜と見るでも無く睨んでいた。

目から鱗が落ちるって云うんですか、そのとき急にドキッ!としたんです。

そして目いっぱい覚醒し、恐怖と共に悪寒を感じる「衝撃」が走った。

その衝撃とは、カレンダーの「某年某月某日某曜日」という今日というこの日は

私の人生の中で二度と経験する事のない一度っきりの一日なのだという認識。

大袈裟なように聞こえますが、実際のところサッー!と

身体から血の気が引くような恐怖を感じたのです。<若く多感でしたから>

その一瞬から一日も無駄にしない「後悔のない人生」の旗揚げ。

あの「某年某月某日某曜日」の仮病は私の人生にデッカイ贈り物をしてくれた。

あの日のずる休みは「無駄」では無かったというわけ、、。

今日のこの日は二度とは来ないということは誰もが知っていること。

しかし、悟るということは知識とは随分かけ離れた感覚で、

あの恐ろしいような感覚は「恐怖」というのではなく

「畏怖」というものだったと思う。


大切なことに目覚めたと云えどそれからもルンルン♪と楽しい青春時代が続く。

いま思えばそんな青春時代があったなんて,ウッソみたい、、♡


2つ目は次回にね、、

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