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6日に広島に、そして今日9日に長崎に、それぞれ原爆が落とされてから、今年で63年を迎えました。
原水爆と言うとキノコ雲を連想する人が多いかも知れませんが、あれは実際には火柱だそうです。
爆発直後の火球の温度は数百万度とも言われ、爆心地付近の地表温度も数千度に達すると言われます。
溶岩でも800度から、高温のものでも1200度位ですから、その数倍の超高温という、まさに灼熱地獄です。
そして炸裂した原爆は爆風と共に全てをなぎ倒し、焼き尽くしていくわけですから、いかに恐ろしい武器であるかが分かります。
その後アメリカは更なる核兵器の研究・開発を進め、核実験も1000回を超えるといいます。
アメリカの核実験と言うと、太平洋にあるマーシャル諸島のビキニ環礁では、アメリカによって原水爆の核実験が度々繰り返され、特に水爆『ブラボー』の実験では、爆発により海底が抉られ、クレーターが形成されてしまうほどの破壊力を持っていました。
現在ではサンゴ礁も回復してきているが、やはり抉られた部分はサンゴ礁が形成されていないのか、深いブルーのままである。
また、アメリカは恐ろしい事に、自国の兵士をもモルモットのように扱っていました。
荒野での実験の際、敵の攻撃を想定した訓練と称し、大地に掘った溝に兵士を待機させ、核を爆発させました。
凄まじい爆風が兵士たちの頭上をかすめた後、その溝から出て、遥か上空にまで立ち上るキノコ雲の方に向って進軍させるというもの。
当然その訓練に参加した兵士たちは、通称”死の灰”と呼ばれる、放射性降下物を大量に浴びたことで、殆どの兵士が死にました。
この放射性降下物は、月日が経つにつれ量は少なくなってはいくものの、数年経っても降り注ぐと言われます。
その恐るべき核兵器を、かつて日本も作ろうとしていたそうです。
戦局が劣勢になった第二次大戦末期、アメリカ勝つ為には何としても必要だとして研究を進めていたそうですが、結局は成功せず敗戦となりました。
尤も、研究員の数と資金は、日本とアメリカとでは雲泥の差があったわけで、ある意味当然の結果だったのかも知れませんが、仮にもし日本が研究・開発に成功し、アメリカに勝利していたとしたら、日本は現代でも、現代のアメリカの様に軍事国家の道を歩んでいたかも知れませんから、成功しないで良かったのかも知れませんね。
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