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あけましておめでとうございます

戦争と平和

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地球上では、未だに争いの芽がたくさんあります。 そしてそれはいつか戦争に発展していきます。
戦争の愚かさと、平和の大切さについて、少しずつ考えていきませんか?
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戦争よ、無くなれ!

恐ろしい第二次大戦が終わってから、今日で63年を迎えました。
第二次大戦というと、広島・長崎の原爆以外に、激戦地となった硫黄島や沖縄、そして各都市に行われた大空襲がありますが、それ以外にも恐ろしい殺戮劇は行われていました。
あまり知られていないのかも知れませんが、米軍の戦闘機による機銃掃射は、各地で行われたといいます。
機銃掃射とは、戦闘機が地表十数メートル〜数十メートルの低空飛行で、登下校途中の子供たちや、走行中の旅客列車などに向かって、戦闘機に搭載された機関砲から、弾丸を何十発も撃ち込むというもの。
考えただけでも恐ろしいですよね。 それが戦争中は、いつおこってもおかしくはなかったのです。
旅客列車の場合、攻撃された側とは反対側に座っていれば、或いは助かったかもしれませんし、また、全ての車両が攻撃されるとは限りませんでした。
死傷者の数も、必ずしも甚大とは言えなかった場合もあったようですが、登下校途中の小学生はどうでしょうか。
米兵にとって、狙いやすい恰好の標的(ターゲット)だったのではないでしょうか。
実際、そうした機銃掃射により、負傷した子供たち、或いは不幸にも命を落してしまった子供たちは、決して少なくなかったと言われています。

戦争とはそういうもの。 と言ってしまえばそれまでかも知れませんが、無抵抗の者や逃げ惑う者だって大勢いたでしょう。
日本兵も米兵も、国の為に命を賭けて戦っていたということは分かりますが、そうした行為が、果たして国の為に戦うことになるのでしょうか。


そしてアメリカは、第二次大戦後も数々の戦争を起こし、多くの人々の命を奪いました。
ベトナムでは、逃げ惑う村人を探し出してでも殺し、狙われる村人は殺されまいと、危険な生物がいるかも知れない森の中や、或いは森の中にある川などの中に入り、木の陰に身を潜めて、じっと米兵が去るのを待ったそうです。
また、目の前で家族が殺されたからと、米兵に抵抗した者、負傷しながらも反撃した者には、当然容赦ない攻撃が待っていました。
ベトナムと言うと、今でも枯れ葉剤の影響で、異様な数の、(言葉は悪いですが)所謂奇形児が産まれているそうです。
当のアメリカは、枯れ葉剤との因果関係は認められない、証拠がない、とのコメントを出しています。

余談ですが、ベトナム戦争のとき、当時アメリカの統治下にあったフィリピンは、米軍がベトナムを攻撃しに行くのに、フィリピンから(飛行機を)飛ばさせる訳にはいかない、と、フィリピンからの出撃をさせなかったそうです。

米軍による無差別殺人はアフガニスタンやイラクでも行われ、特にイラクでの虐待行為は、記憶に新しいことでしょう。
また、第一次湾岸戦争の時、ペルシャ湾に石油を流したのはイラクではなく、米軍によるタンカーへの攻撃が原因で流れ出したのが真実のようですが、アメリカによってその事実が捻じ曲げられ、あたかもイラクがやったことのようになりました。
それは、自分たちの起こす戦争を正当化する為のことだったようですが、そんな事が許されていいのでしょうか。
地図で見るとよく分かりますが、あのような狭い湾の中では海流は弱く、短期間であれだけの石油を流すことは困難であり、大量の石油が一気に流れ出さないと、あそこまではなりません。
そもそも、豊富にあるとはいえ、貴重な資源である石油を簡単に捨てるようなことをするでしょうか。
アメリカはよく難癖をつけて外国を調査し、言うことを聞かなければ攻撃もやむなし、のような発言が目立ちますが、やっている事は世界の警察などではなく、昔の旧ソ連あたりが、国家に都合の悪い人間に冤罪を着せ、有無を言わさず刑務所に送っていたのと同じようにしか思えません。

勿論全てのアメリカ人が悪い人と言う訳ではありません。
ただ、国家となると、どうしてこんなにも恐ろしい事が出来るようになるのでしょうか。
集団の怖さもあるかも知れませんが、何より、人間の心に潜む闇がそうさせているのかも知れませんね。


63年前の今日も、残暑が厳しい、暑い日だったことでしょう。 そして今日も、残暑の厳しい、暑い日でした。


いつになったら戦争がなくなるのか。 それは人類滅亡の日なのかも知れません。
尤も、今の地球環境を考えると、もしかしたらそう遠くない未来に、その日を迎えるのかも知れませんが・・・。

6日に広島に、そして今日9日に長崎に、それぞれ原爆が落とされてから、今年で63年を迎えました。
原水爆と言うとキノコ雲を連想する人が多いかも知れませんが、あれは実際には火柱だそうです。
爆発直後の火球の温度は数百万度とも言われ、爆心地付近の地表温度も数千度に達すると言われます。
溶岩でも800度から、高温のものでも1200度位ですから、その数倍の超高温という、まさに灼熱地獄です。
そして炸裂した原爆は爆風と共に全てをなぎ倒し、焼き尽くしていくわけですから、いかに恐ろしい武器であるかが分かります。

その後アメリカは更なる核兵器の研究・開発を進め、核実験も1000回を超えるといいます。
アメリカの核実験と言うと、太平洋にあるマーシャル諸島のビキニ環礁では、アメリカによって原水爆の核実験が度々繰り返され、特に水爆『ブラボー』の実験では、爆発により海底が抉られ、クレーターが形成されてしまうほどの破壊力を持っていました。
現在ではサンゴ礁も回復してきているが、やはり抉られた部分はサンゴ礁が形成されていないのか、深いブルーのままである。

また、アメリカは恐ろしい事に、自国の兵士をもモルモットのように扱っていました。
荒野での実験の際、敵の攻撃を想定した訓練と称し、大地に掘った溝に兵士を待機させ、核を爆発させました。
凄まじい爆風が兵士たちの頭上をかすめた後、その溝から出て、遥か上空にまで立ち上るキノコ雲の方に向って進軍させるというもの。
当然その訓練に参加した兵士たちは、通称”死の灰”と呼ばれる、放射性降下物を大量に浴びたことで、殆どの兵士が死にました。
この放射性降下物は、月日が経つにつれ量は少なくなってはいくものの、数年経っても降り注ぐと言われます。


その恐るべき核兵器を、かつて日本も作ろうとしていたそうです。
戦局が劣勢になった第二次大戦末期、アメリカ勝つ為には何としても必要だとして研究を進めていたそうですが、結局は成功せず敗戦となりました。
尤も、研究員の数と資金は、日本とアメリカとでは雲泥の差があったわけで、ある意味当然の結果だったのかも知れませんが、仮にもし日本が研究・開発に成功し、アメリカに勝利していたとしたら、日本は現代でも、現代のアメリカの様に軍事国家の道を歩んでいたかも知れませんから、成功しないで良かったのかも知れませんね。

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