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みなさんこんにちは!
もう8月ですね。
ようやく梅雨明け、気持ちいい夏になってきました。
きっとモンゴルも1年で最も美しい風景になっていることでしょう。
今回は久しぶりに、モンゴルの歴史の続編です!
(前回をご覧になりたい方はこちら)
http://blogs.yahoo.co.jp/aokiookami2007/9497336.html
http://blogs.yahoo.co.jp/aokiookami2007/archive/2006/07/03
紀元前〜100年頃まで匈奴(きょうど)の帝国が300年が続き
6世紀半ばから突厥(とっけつ)帝国が断続しながらも200年間支配。
916年には中国の王朝「唐」の支配下にあったモンゴル系の騎馬民族、
契丹(キタイ)の一部族の王=耶律阿保機が皇帝となり唐から独立し、
947年には「遼」と国号を改めて中国北部を統一しました。
「遼」は遊牧民と農耕民を抱えていた国でしたが、
12世紀の始めに支配下にあったツングース系の女真族が独立して「金」を建国。
1125年、遼は金王朝によって滅ぼされ、
遼にいた中枢人物や武人・官僚たちは金に仕えるように。
耶律大石に率いられた一部は西に移動して西遼を建国しました。
一方モンゴル高原の東側にいた小さな部族、モンゴル族では、
1155年、後にチンギス・ハーンとなる1人の人物=テムジンが
ある部族の族長の子として産声をあげていました。
当時のモンゴル族は、金の支配の元、幾つもの部族がモンゴル高原に勢力を張り、
互いに争っていましたが、テムジンはその統率力と武力で次第に力をつけ、
次々とモンゴル諸部族を征服。
1206年、部族長会議であるクリルタイにて“ハーン”(王)となりました。
これがモンゴル帝国の誕生です。
しかしまだ金王朝の支配下。
その金はというと、遊牧民が集結するたびに介入し、それを妨害していました。
文化面でも成長した金王朝は一見華やかな全盛期を迎えていましたが、
内乱や他部族の侵入阻止などのために、内実、また武力共に弱体化。
またキタイ族の反乱や、黄河大氾濫、そしてそれに伴う大飢饉などもあり、
衰退化は進行していました。
そこに目をつけた江南の南宋国がチャンスとみて、
1206年にそれまでの和平を破り侵攻。
しかし金も粘り2年間もの間、戦いが続けられました。
この金と南宋の戦いによる両国の消耗が、
後のモンゴル帝国拡大への功を奏するのです。
今回はここまで。
チンギス・ハーン率いるモンゴル部族が拡大化していくかは
また次回!
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