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押尾学被告の裁判で、保護責任者遺棄の罪は認定したものの、致死については認めませんでした。その理由は、遺棄したことが100%致死に至ったとは認められないということです。
疑わしくは被告人の有利にが裁判の原則であり、法律を正確に解釈すれば100%致死に至らなければ、その罪を問えないのかもしれません。
しかし、本法律の解釈や今回の判決は、一方で、被害者の生存権を無視しているように思えるのは私だけでしょうか。
肉親が命の危機にさらされる病に冒され、医師から示された治療が生存できる確率が30%と告げられたときに、当該治療を拒否する人はいないでしょう。たとえその確立が10%以下でも、助かる可能性があれば、当該治療を行うよう医師に依頼するのが、親族の感情であり、病人の生存権を守ることではないでしょうか。
押尾被告の裁判では、発作があってすぐに119番通報したなら、検察側の専門医は90%以上、弁護人が立てた医師は、服用したMDMAの量から、生存確率は30%から40%であると証言しています。
このことから、少なくとも30%程度は生存できる確率があったことになります。もし被害者が肉親であれば、これだけの確立で救命できるなら、当然、誰でも119番通報して、医師の治療を受けさせます。それが被害者の生きる権利でしょう。
この権利を奪ったことが罪に問われないのは、なぜでしょうか。被害者にも生きる権利があります。それは、疑わしくは被告人に有利に、という裁判の原則に優先するのでしょうか。人の命より加害者の罪を軽減することが優先するのが、法治国家の原則なのでしょうか。
命の危険がある病気の治療に当たって、100%救命できると医師が断言できることは、むしろ稀でしょう。成功率が50%、ときに30%以下という場合の方が多いのではないでしょうか。なのに、119番通報することが生存確率が100%でなければ、遺棄致死罪に問えないというのは、わたしたちの良識からあまりにかけ離れているように思います。被害者の生存権を無視しているように思います。また、これを立証することは限りなく不可能に近いことでしょう。
生存確率が数%ならともかく、30%もあれば、被告人の有利より、被害者の生存権を優先し、致死罪を認めるのが法の目的を果たしているように思うのですが・・・。 (佐藤 玲)
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