爺さんの時事放言

世の中の出来事をマスコミとは違った視点で語っていきます。

いじめの不思議

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 身内に不幸があったため、しばらくお休みさせていただいていました。更新していないのに訪問していただいた皆様には、お詫びするとともに感謝しております。

 さて、いじめの問題について約一年にわたってお話してきました。この中でわたしがもっとも言いたかったことは、子は親の鏡というように子ども社会は大人社会を映す鏡であるということです。
 子どもの社会では、いじめに限らずさまざまなことが起こっています。その一つひとつに、これを引き起こす原因があります。そして、深く究明していくとその原因を作っているのは、おとなたちであるということです。
 ところが、おとなは子ども社会で起きていることを、第三者的な目線で見ていることが少なくありません。これでは、子ども社会で起きているさまざまな問題を解決することはできません。
 いま、おとなに求められているのは、当事者意識です。子どもたちの問題を自分たちの問題として、ともに悩み、考えることです。

 文明が進むほど精神症が増加するといわれています。その原因は競争です。より強い子孫を残すための競争からはじまり、科学技術の進歩とともに、より良い生活を求め、人々は競争を繰り返し、より激化させてきました。
 競争は、勝者も敗者も欲求不満にします。競争の激化とともに、欲求不満もより強くなっていきます。そして、互いに傷つけあう結果、精神症に陥る人が増えてくるのです。
 心が病んだおとなが増えるにつれ、かれらに育てられた子どもも心を病んだままおとなになり、親になったとき、また子どもに心の病を感染させます。現代社会は、この悪循環が広まりつつあります。
 この悪循環を断ち切ることが、わたしたちおとなの最大の課題であると言えるようです。

 ところで、もっとも競争が激しい野球やサッカーのプロ選手が精神症に陥って苦しんでいるという話は余り聞きません。いじめの問題が起きているということも聞きません。なぜでしょう。
 そこには、勝利に向けてチーム全員が一丸となっているからではないでしょうか。言い換えれば、かれらは、勝利に向け協働し、その上でポジション争いをしているのです。
 現代社会は、競争を避けて通ることはできません。しかし、それぞれの集団の中で協働することができれば、競争による欲求不満を緩和できます。少なくとも、精神症を引き起こすようなことはないでしょう。
 社会集団のもっとも基本的な単位は、家族です。そして、学級や学校、職場や会社、隣人や自治体へと発展していきます。これら集団において、それぞれの成員が互いに協働できる態勢を作ることに努力することが、集団に活力を与えます。
 逆に、これを怠り成果だけを求めようとすると、その集団は壊滅への道を辿ることになってしまいます。その結果、家庭崩壊、企業倒産などとなって顕在化します。
 また、協働を基調とする社会で育った子どもたちは、精神面の成長を促され、社会に適応できる力を持ったおとなへと成長します。しかし、協働を怠る競争社会の中で育った子どもは、精神面の成長をおとなたちに妨害され、社会に十分に適応できないおとなへと成長し、生涯これに苦しむようになるのです。

 協働できる社会をつくるために、もっとも必要とされること、それは本音で話すことです。建前論では相互理解を図ることはできません。当然、協働することもできないでしょう。
 互いに、衣を脱ぎ、本音で語ってこそ相互理解ができ、相互信頼へと発展するものです。その結果、協働する機運が生まれてきます。
 残念ながら、おとな社会だけでなく、子どもたちが通う学校までもが建前社会になっているのが、現状のようです。さらに、家庭の中でさえ本音で話せない子どももいるようです。これが、こども社会におけるさまざまな問題を引き起こす大きな要因になっています。
 したがって、わたしたちおとなが、こどもたちを取り巻く環境を協働社会とする必要があります。そのためにもまず、おとな自身が所属する集団の協働を図ることが大切と考えます。

 以上をもって、いじめの問題に関するお話を終えたいと思います。次回からは、「爺さんに時事放言」と題し、その日におきたことに関し気付いたことを、気ままに記述したいと考えておりますので、よろしくお願いします。
 なお、当分の間、本ブログは保存しておきますので、万が一、わが子がいじめに遭遇した場合は、参考にしていただければ幸いです。
 

 いじめの問題は、一度発生すると、加害者や被害者だけでなく、傍観者の子どもの精神面の成長をも脅かすことになります。自分の子どもが直接関係していないからと安心できません。
 いじめは、これに直接・間接的に関わるすべての子どもに多大な被害を及ぼすものである、との認識を傍観者の親たちが共有することが大切です。そして、この問題の解決に互いに協力して取り組む必要があります。
 
 いじめ問題が発生すると、教員は家庭に問題があると言い、親は学校教育に、子どもは本人にその原因があると主張する蛍光があります。
 しかし、この問題を正しく認識している教員(教育委員会を含む)は限られています。もし、かれらが正しく理解しているならば、いじめは起こりません。
 加害者の親は、いじめそのものを決して認めないでしょう。なぜならば、これを認めることは、自身が加害者であることを宣言することだからです。
 被害者に親は、わが子への愛情などから感情的になりやすくなります。また、被害者の親の言葉に耳を貸す教員や父兄も少ないでしょう。とくに、教員などは、責任回避の心理が働きますから、いじめが起きていることを察知していても、これを認めようとはしないものです。
 過去、いじめが原因と思われる自殺が発生しても、いじめがあったことを認める教員がいなかったことでも、分かります。

 こうしてみると、冷静に、教員などと話し合える人として、もっとも適しているのが、傍観者の父兄といえます。
 すなわち、わが子の周りでいじめが発生していることを察知した父兄は、単独でこの問題に立ち向かうと、わが子がいじめの被害にあう危険があります。そこで、できるだけ多くの他の傍観者の父兄と連絡を取り、集団で、いじめ問題の解決に向け教員などと話し合うことが大切と考えます。
 ただし、この際に気をつけるべきことは、加害者の親を攻撃しないことです。相手は、少なくとも自身は一人前の社会人であると考えています。高学歴の人や社会的地位のある人であることもあります。
 このような人物を直接非難することは、かれのプライドを大きく傷つけますから、決して非難を受け入れることはないでしょう。むしろ、感情的となり、父兄間の溝を深くするだけです。これでは良い結果を得ることはできません。
 したがって、間接的に非難する方法が必要です。言い換えれば、本人が自己の非に気付くよう仕向けることです。

 例えば、精神医学の専門家に依頼し、いじめの心理的被害などを講演してもらい、その後に、父兄や教員が自由に発言し、話し合うといった方法です。
 実のある話し合いを行うためには、参加者すべてに「聴く」態度が要求されます。いかなる発言であろうと、一度は無条件に受け入れ、その上で自身の本音の考えを発言することです。
 建前の議論は何度繰り返しても成果が得られるものではありません。本音をぶっつけあってこそ、参加者に共感が生まれ、協働していじめ問題を解決しようという雰囲気が生まれるものです。 
 被害者やその親の話も説得力のあるものですが、できれば自分たちの身近な人ではなく、他の学校など直接関係しない人に依頼する方が良いように思います。
 ただし、参加者がいじめ問題を実感していない場合や深刻な事態に陥っているときは、即効性のある方法が必要ですから、現実に起きているいじめの被害者の親の訴えを聞くことが効果があるように思います。
 いずれにせよ、教員や加害者の親を非難したところで、感情的な対立を生むだけですから、傍観者の親たちが中心となって、冷静に関係者と話し合いことが、いじめの問題の解決に必要であると考えます。 

 ある大学の先生が、いじめ問題を調査したところ、いじめの傍観者には、茶化す者と静観する者がいる、と発表しました。
 しかし、このような表面的な見方をしていると、この問題に隠された危険に気付くことはないでしょう。
 いじめの傍観者には2種類の者がいますが、それは、いじめを傍観することで、ある種の快感を得る者とそうでない者に区分されます。そして、前者の中に、茶化す者と静観する者がいるのです。

 いじめの傍観者のうち茶化す者は加害者と同じです。見方によれば、加害者よりも卑怯な行為ともいえます。したがって、加害者と同じ対応が必要でしょう。

 また、快感を得ながら静観する者も加害者です。表面的にいくらつくろってみても、心の動きは表情などに表れるものです。茶化すという具体的な行動に出ていないだけです。
 その手段が暴力であれ、ネットであれ、いじめの被害者は、これにより、日頃見せることのない苦痛や苦悩に満ちた表情や態度を示します。非人間的な動物に成り下がったような言動を示すことも少なくありません。傍観者は、このような被害者を見て、ある種の快感を得ます。

 これと同じことは、わたしたちおとなにも見られます。有名歌手や俳優などの著名人が隠している秘密を暴露する週刊誌を高いお金を支払い購入する、テレビのワイドショーが高視聴率を得る。このような暴露記事などに群がる人たちには、ある種の快感があります。
 それは、名声と高収入を手にした著名人、自分たちとは別世界にいる人たちに対する羨望を抱いている一方で、かれらが必死に隠そうとしている秘密を知ることで、逆に優越感に浸るといった快感です。
 これはいじめの加害者や傍観者が得る快感に共通するものです。それはサディズムの心理です。(詳細については、小此木圭吾 著 「秘密の心理」講談社現代新書を参照してください。)
 
 要するに、いじめを傍観することで、ある種の快感を得る者には、欲求不満によって生じる心の緊張を、他人に迷惑をかけることのない合理的手段で解消する術を身に着けていないということです。
 他人の醜い言動や苦悩に満ちた態度を見る、他人が隠そうとしている秘密を暴露し、知ることなど非合理的な手段によって解消するという態度が身についてしまっているということです。
 そして、このような態度は、決して社会から歓迎されるものではありませんから、社会に適応する能力が不足していることを示すものです。精神的に未熟ともいえます。

 一方、いじめ傍観しても快感を得ない子どもたちは、次に自身が被害者になるのではないか、いじめが行われていることを教員や親に報告できない自分の姿などに苦しむことでしょう。言い換えれば、それだけ欲求不満を強くすることになります。
 また、最初は快感を得なくとも、繰り返し傍観するうちに快感を得るようになってしまう子どももいるでしょう。
 いじめを傍観するという行為は、本人の意思とは無関係に実行されるものです。拒絶したくともできないでしょう。そして、いじめは傍観するだけでも子どもの精神面の成長を十分に妨害しています。
 
 このように、いじめは、加害者や被害者だけでなく、傍観者の精神的成長を妨害し、精神面の成長段階にある子どもにとって、生涯にわたって悪影響を及ぼすものであるということです。それは、いじめの加害者が遭遇する不幸と似たものです。
 したがって、わが子がいじめの傍観者である場合も、すみやかに適切な対応をとることが、両親には要求されているのです。
  

 いじめの問題に関しては、被害者の自殺が注目されていますが、実は、加害者もまた被害者と同様に深刻な状態にあります。しかも、その治療は被害者以上に難しいものと考えます。

 その理由の第一は、加害者の心はすでに病んでいるということです。
 いじめの被害者は、その程度により専門家の治療が必要なほど、心が病んでいるとは限りません。両親の愛情によって、心の傷を治せることもあります。しかし、加害者の心は、両親の力では治療でないほど病んでいると考えるべきです。
 なぜか、いじめとは何か、を考えれば容易に分かるはずです。いじめとは、何らかの原因で、欲求不満を強くした加害者が、これによって生じる心の緊張を、他人を攻撃するという非合理的な手段で解消とすることから起こります。しかも、このような行為は繰り返し行われるところに、いじめの特徴があります。
 他人を攻撃することによって、心の緊張を解消するという行為を繰り返すことによって、加害者はこのような行為が習慣化し、態度となっています。心理学の用語で言うところの「社会的不適応」の状態にあるわけです。

 その理由の第二は、生涯にわたって社会に適応できない人間になるということです。
 以前、いじめが原因と思われることで自殺した中学生がいました。かれの葬儀に参列した生徒の中に、かれをいじめた少年もいました。この少年は、自殺した少年の遺体を見て薄笑いをしたということが報道されていました。この加害少年は、その後いかなる人生を送るか、容易に想像できるでしょう。
 少年期の心の病は、早期に治療しなければ、かれの生涯にわたって影響します。欲求不満を強くしたとき、これによって生じる心の緊張を合理的な手段で解消する術を身に付けていませんから、非合理的な手段に訴えます。
 具体的には、誰でもよかったと無差別に殺傷する、妻や恋人に対し繰り返し暴力を振るう(DV)、わが子を虐待する、親など家族を殺傷するなど、の手段によって、心の緊張を解消しようとするわけです。
 結局、身近な家族などを傷つけるおとなになってしまいます。その被害をもっとも受けやすいのが、両親をはじめ家族であることも忘れてはならないと思います。

 その理由の第三は、真の加害者に加害者意識がないことです。
 どのような子どもであれ、生れ落ちたときから、いじめの加害者ではありません。子どもがこの世に性を受けてから、かれの子育てに関わってきた多くのおとなが、かれをいじめの加害者に育ててしまったわけです。
 子育てにおいて、もっとも深く関わってきたおとな、それは言うまでもなく両親です。すなわち、いじめの真の加害者は、加害少年の両親なのです。
 子どもは親に逆らっては生きていけないことを本能的に理解しています。このため、親にいくら傷つけられようと、我慢します。これが、慢性的な欲求不満となり、繰り返し傷つけられることで、これを強くし、ついには他人を攻撃するという非合理的な手段によって、本能的に心の緊張を解消する態度が身についてしまうわけです。
 しかし、これを自覚している親はまずいないでしょう。大抵の場合は、わが子がいじめの加害者であることすら認めないでしょう。なぜならば、わが子がいじめの加害者であると認めることは、同時に親自身が加害者であると認めることになるからです。
 わが子がいじめの加害者と分かって、子どもを伴って被害者に謝罪した親はいます。しかし、この親は、わが子を叱ることはしても、自身が精神科医などの診察を受けることはないと思います。
 自身の子育ての何が、わが子をいじめの加害者に仕立ててしまったのか、真摯に反省する親はどれほどいるでしょう。
 親が真の加害者なのです。親の偏った考え方や価値観、偏見、欲求不満、心の病などが原因で、意識・無意識に関わらず、わが子を傷つけ、強い欲求不満の状態に追い込んでいます。
 
 その理由の第四は、世帯感染により子々孫々まで社会に適応できない人間になってしまうことです。
 「親に傷つけられて育った子どもは、自身が親になったとき、わが子を傷つけるようになる。」これは精神科医の佐藤愛子先生が、多くの症例をもとに注意喚起していらっしゃることです。
 彼女は、このような世帯感染を断ち切らなければならない、と主張しています。これを白雪姫コンプレックスといいます。(詳しくは、同氏の著書「白雪姫コンプレックス」を参照してください。)
 要するに、わが子がいじめの加害者であるということは、その原因が親自身にあり、親の心の病が子どもに感染し、いじめの問題を引き起こしているということです。さらに、これを放置すると、わが子が親になったとき、同じ過ちを犯し、その子どももいじめの加害者になってしまうということです。

 したがって、わが子がいじめの加害者である場合は、子どもだけでなく、両親もまた精神科医など専門家の診察と治療を受けなければならない、ということです。
 心に病を負った親子が、どれだけ努力しようと自分たちの力だけで立ち直ることはできません。いじめの加害者になるという世帯感染を断ち切るには、専門家による治療が不可欠です。
 わが子がいじめの加害者であると分かったならば、まず、両親と子どもがともに、専門家の診断を受け、何がわが子を加害者に仕立ててしまったのかを知り、これを改善する努力が必要です。
 わが子の将来や子々孫々の幸せを願うなら、世間体などを気にせず、率直に自己の非を知り、治療する
べきと考えます。

 次回は、傍観者について考えてみたいと思います。  

 身体的な傷病と大きく異なることが、心の病の治療にはあります。これを理解していなければ、精神科医などの専門家に治療を委ねることができなくことのなってしまいます。

 その相違点の一つは、医師によって病名が変わるということです。
 身体面の傷病の場合は、血液検査の数値、レントゲンやCTの映像を解析することなどにより、病根を明確にすることができます。その判断が医師によって異なることはありません。
 もし、医師によって異なる病名であれば、医師の技量によるものです。具体的な数値や画像解析などに関する技量の差が病名の違いを生んでいます。
 これに対し、心の病は、数値や画像解析などの絶対的なデータによって特定することはできません。心理検査や面談などによって病名を特定します。
 このため、病名は、これらから受けた医師の印象によって示されます。医師の主体的な判断に委ねられますので、医師によって、病名が異なることが少なくありません。
 A医師が判断した病名と、B医師が示した病名が異なることは、心の病の診断においては異常なことではなく、取り立てて問題にすることではないようです。
 むしろ、病名が異なることを理由に、医師に対し不信感を持つことで、治療を困難にすることになります。心の病に関しては、病名よりも治療の成果を重視することが大切のようです。

 相違点の二つは、医師との相性です。
 身体面の傷病であれば、医師の手腕、すなわち知識や技量の優れているほど、完治の確立が高くなります。名医ほど治療の効果が大きくなります。しかし、心の病は、名医必ずしも治療できるとは限らないものです。
 わたしたちが日常に触れ合う人々の中には、理由は説明できないが、相性の会わない人や生理的に受け付けない人がいるものです。相手の人格に問題があるわけではないが、なんとなく合わない、といったことがあります。
 これと同じことが、医師と患者にもあります。これが相性です。相性が合わないと治療が困難になるのが、心の病の特徴です。
 このため、何人も医師を変え、近くに名医がいるにもかかわらず遠くの病院に通う、といったことがよく起こります。

 精神科医など担当する専門家との間に信頼感が生まれなければ、治療することが困難になる、というのが、心の病の大きな特徴です。
 わが子を精神科医など専門家の診察を受けた場合は、当該専門家に対しどのような感情を持ったかを、子どもに確認する必要があります。
 好意的なものであれば当該専門家の治療を継続することになりますが、好ましくない場合は、他の専門家の治療を受けた方が良いようです。
 要するに、病名よりも医師等との相性が、治療の効果を大きく左右するところに、心の病の特徴があるわけです。

 以上、わが子がいじめなどの被害にあっている場合の対応に関し、わたしが考えるところをお話してきました。
 その要点は、まず、いじめなどが行われている環境からわが子を隔離すること(登校拒否など)、わが子を絶対に救って見せるという強い信念を持ち続け、子どもの話をスキンシップを図りながら聴くこと、そして心の病に関する専門家の診察や治療を受け、早期に治療することが大切と考えます。

 次回は、わが子がいじめの加害者である場合についてお話したいと思います。
 
 
 

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