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ちょっと思いついて、書庫の整理をしょうと思ってます ほんとは年末にしたかったんだけど 昔の記事って、ほとんど人目にふれてません これもそうです ブログ開設の2日後に書いてました 消そうかどうか、ちょっと悩んでしまいました
あの総合病院も移転して1年になるのでしょうか。 半分以上解体されて,最後の病棟も足場に囲まれ解体が始まりました。 とても古い病院でした。 あそこで何人もの方が亡くなられています。決して病院が悪いわけじゃない。 いい病院だからこそ多くの患者さんがおとずれ、入院され、元気になって退院されたり、 そのままベットの上で最後を迎えた方も。 数年前祖母もあの病院で息をひきとりました。 入院した時、あと1週間と言われたが、9日目だった。 痛みがひどく、モルヒネのせいで意識がはっきりしていないことが多くて ろくに話も出来ないままだったのが、本当に悔やまれる。 ずっと長いこと、一度は聞いてみたかったことがある。 でも、あの状態でとても聞けなかった、聞いても答えが返ってきたかどうか分らない。 おかげで以来心にひっかかってしまった。 「私達が必要でしたか?」 もし今目の前にいたら聞いてみたいです。 元気だったら、笑ってごまかしたでしょうか。 祖母は戸籍上の祖母でした。 血縁関係はありました。 母の父親の妹で、母の叔母さんにあたる人でした。 祖母夫婦には子供がなく、母が12歳の時に養女になりました。 このことが母の人生を大きく変えてしまいました。 今では考えられないことかもしれませんが、母の田舎では珍しい話でもありませんでした。 その頃の話は私が大きくなってから聞いたんですが、あまり楽しくない話ばかりです。 また時間のある時に書いてみたいと思います。 子供の無い夫婦のもとへ養女にいったと聞いた人は、 それじゃあ大事にされたんだろうと思われる方が多いですが、 母は学校の友達に『女中さん』と言われていました。 それが全てです。 母と祖母の年は親子ほど離れていませんでした。 誰から見ても実の親子には見えなかったことも、世間体を気にする祖母には 気に入らなかったのかもしれません。 なかなか、なつかない、母のむなぐらを、つかんで罵倒したことも、 祖母と親交のあった人たちでも、知らないことです。 子供の無い祖母にとって、私の誕生はとても嬉しかったようで、 可愛がってくれたそうですが、私自身にその記憶があまりないのは、 赤ちゃんの時は可愛かったんだろうと思います。 だんだん大きくなって、おてんばになってからは、わずらわしかったみたいです。 母が仕事をしていたので、祖母の家に預けられていましたが、よく出掛けることが多く、 それは子供の私にはとても退屈な場所ばかりだったのを憶えています。 狭い家で子供と二人っきりになるのが苦痛だったんだろうと、 大人になってから分るようになりました。 私はあまり必要とされていない孫だと子供ながらに思ったことがあります。 2006.4.28 自分は、そうまにとって必要な自分でありたい、と思う
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