銀色の道

グレーが光ると、銀色になるから、こーゆー名前。

実家の実話

[ リスト | 詳細 ]

母の家系の色んな話です。書き留めておかないといずれ薄れてしまうので、思いついたことから書いてみようと思います。
記事検索
検索

全1ページ

[1]

昔の話

イメージ 2


ちょっと思いついて、書庫の整理をしょうと思ってます
ほんとは年末にしたかったんだけど

昔の記事って、ほとんど人目にふれてません
これもそうです

ブログ開設の2日後に書いてました
消そうかどうか、ちょっと悩んでしまいました




イメージ 1


「解体されてゆく病院」


あの総合病院も移転して1年になるのでしょうか。
半分以上解体されて,最後の病棟も足場に囲まれ解体が始まりました。

とても古い病院でした。
あそこで何人もの方が亡くなられています。決して病院が悪いわけじゃない。

いい病院だからこそ多くの患者さんがおとずれ、入院され、元気になって退院されたり、
そのままベットの上で最後を迎えた方も。

数年前祖母もあの病院で息をひきとりました。

入院した時、あと1週間と言われたが、9日目だった。

痛みがひどく、モルヒネのせいで意識がはっきりしていないことが多くて
ろくに話も出来ないままだったのが、本当に悔やまれる。

ずっと長いこと、一度は聞いてみたかったことがある。

でも、あの状態でとても聞けなかった、聞いても答えが返ってきたかどうか分らない。
おかげで以来心にひっかかってしまった。

「私達が必要でしたか?」
もし今目の前にいたら聞いてみたいです。
元気だったら、笑ってごまかしたでしょうか。

祖母は戸籍上の祖母でした。
血縁関係はありました。
母の父親の妹で、母の叔母さんにあたる人でした。

祖母夫婦には子供がなく、母が12歳の時に養女になりました。
このことが母の人生を大きく変えてしまいました。

今では考えられないことかもしれませんが、母の田舎では珍しい話でもありませんでした。
その頃の話は私が大きくなってから聞いたんですが、あまり楽しくない話ばかりです。
また時間のある時に書いてみたいと思います。

子供の無い夫婦のもとへ養女にいったと聞いた人は、
それじゃあ大事にされたんだろうと思われる方が多いですが、
母は学校の友達に『女中さん』と言われていました。

それが全てです。

母と祖母の年は親子ほど離れていませんでした。

誰から見ても実の親子には見えなかったことも、世間体を気にする祖母には
気に入らなかったのかもしれません。

なかなか、なつかない、母のむなぐらを、つかんで罵倒したことも、
祖母と親交のあった人たちでも、知らないことです。

子供の無い祖母にとって、私の誕生はとても嬉しかったようで、
可愛がってくれたそうですが、私自身にその記憶があまりないのは、
赤ちゃんの時は可愛かったんだろうと思います。

だんだん大きくなって、おてんばになってからは、わずらわしかったみたいです。

母が仕事をしていたので、祖母の家に預けられていましたが、よく出掛けることが多く、
それは子供の私にはとても退屈な場所ばかりだったのを憶えています。

狭い家で子供と二人っきりになるのが苦痛だったんだろうと、
大人になってから分るようになりました。

私はあまり必要とされていない孫だと子供ながらに思ったことがあります。 2006.4.28


イメージ 1






自分は、そうまにとって必要な自分でありたい、と思う

松の木

切ってはいけないと、言われた松の木です


イメージ 2



母の本家にある松の木です


でも 見事に根元から切られて います

昔、この町では有名な占い師のおばあさんに
家のことをみてもらったそうです

イメージ 1



まだ叔父が鬱(?)と言われる前だったと聞いています

その時に、この松の木は切ってはならぬ、と言われました
この家の守り神だと言われました

それなのに、当時、この家で一番ものを言えていた、母の祖母が
邪魔だから切るように、と切ってしまったそうです
かなり大きくなっていたのでしょうか

母の祖母は、自分の次男の娘である私の母を、次女夫婦に養女に出すと決めた人です

母の祖母が、庭いじりが好きだったとは、聞いたことがありません
この松の木にも、なんの愛着もなかったのかもしれません

母の祖母の夫は若くして病死でした
長男は戦死でした
次男が(母の父)が本家を継ぎました

母の弟は長男でしたが、鬱(私は別の障害だと思っているのですが)と言われ
今、本家の後を継ぐ人はいません

私の従兄弟は、お嫁さんと離婚したり、死別したり
死別した従兄弟には男の子が残されました

私の従姉妹も離婚したり
私の弟は結婚とは縁遠く

私の子供は自閉症

あの家に比較的近い人間は、なぜか不遇に見舞われています

私と母だけが
松の木のたたりだ、と言っています

でも私達親子、本家の戸籍から抜けちゃってるんですけど…

☆あおぞー☆

昨日は法事でした

昨日本家の祖母の法事に行ってきましたぁ〜! 雨降ってました

イメージ 1


国道をどんどん奥へ奥へと、山すそをくねくね進んで行きます
雨が降ってたので山は煙っていました
車の窓は相当汚れてたんで、窓を開けて写真を撮ると寒いんです

イメージ 2


何処までも山の中
途中、道の駅までなぁんにもないです
民家もあるけど、道からはちょっと離れてます

イメージ 3


本家の祖母は母の実の母なんで
私にとっても実の祖母です

鬱の長男を一人残して先立った思いは、今もあの家に残ってる気がします

久しぶりに親戚が集まりました
次の法事は、もうあんな風に集まらないで
お寺さんで拝んでもらうだけなので
2度と会わない人もいるんだなぁと思いました

私のこともよく知らない人もいたんだけど
私の母が養女にででるもんだから、仕方ないですね

母は養母に気を遣って実家ではでしゃばらないようにしてたんで
私もなんとなく〇〇家の孫って顔しないくせがついてます

でも祖母は私のことすごく可愛がってくれました
女の子の孫は私と、もうひとりいるんだけど
従姉妹は遠くてほとんど本家に行ってないので、私は毎年会っていたせいか
ほんとに可愛がってもらいました

祖母は母にしてやれなかったことを
私にしてくれてたのかもしれません

田舎の空気は久々に気持ちよかったです
日帰りだったから夜空を見ることは出来なかったけど
お盆に泊まりで行った時に見る夜空は
とっても綺麗です
星が降ってきそうです

街灯もほとんどなくて、空気も澄んでいるせいか
小さな星までたくさん見えます

あの星の中におばあちゃんもいると思います

法事はいなくなった人を思い出す大事な機会でもあるけど
普段会うことの無い血縁のある遠い親戚の人たちが集まることが出来る機会です
いなくなった人たちに、身内はいいもんだと教えてもらってるような気がします

田舎は特に人付き合いがきちんとしてますね
それがしんどいと都会に行く人もいれば
都会に疲れて田舎暮らしを始める人もいますよね

私の町は都会じゃないです
自然にはあまり恵まれていない田舎?とでも言う感じです

本家には車で3時間くらいかかります
たった3時間で山奥…なんだから、やっぱりここは相当田舎ですかね

法事に行って、昔の、私の知らない、おばあちゃんの話が聞こえてきたのが
なんとなく嬉しかったです

おばあちゃんに、もう1回、会いたいです     ☆あおぞー☆              

鬱病の叔父の周り


叔父がうつ病と聞いたのは中学の頃だったと思います
ほんとの話かどうか今も知りません

叔父は母の弟です
母は養女にでたので戸籍上は、いとこになってます
養女にでた先が実父の妹夫婦のところでした

小学生の私から見ると叔父はおじさんというより、おにいちゃんでした
母と叔父の歳が離れているせいもあったけど
なぜかすごく年上の気がしませんでした

母の本家に祖父母と叔父の3人で暮らしていました
周りの人は長男だからの重圧で鬱になったとか言ってましたが
後になってもほんとのことはさっぱり分りません

あの頃本家の家の中はそこらじゅう壊れてました
ドアが傾いて閉まらなかったり
祖父母が叔父に買い与えたステレオはまだ新しかったけど
バキン、と壊れてました
小学生の私には、荒れてるんだとしか思えなかった

私は成人してから、叔父は鬱なのか?とたくさん疑問が湧いてきた
あんなに荒れる?
鬱病は手帳がもらえる?
年金もずっともらっている、少ない額じゃない
叔父は精神病院に長いこと入院していた
でも自殺や自傷行為は1度もない

私が知識がないだけなんだと思っていた

でも最近やっぱり疑問だ

叔父は他人のペースに巻き込まれるのをとても嫌う
予定は何があっても決めたら替えない
親戚一同集まっても、誰かに優しい言葉をかけているのを見たことが無い
気が利かない、と言われてしまう
気に入らないと大声を出す

他界した祖父母をいたわっていた姿も知らない
腰の曲がった祖母がいつもいつも叔父の世話をすべてしていた

私は祖母が好きだった
だから叔父が出来る範囲で家のことはもっとして欲しかった

祖母の目が黄色になってることも、一緒に暮らしていて気づかなかった叔父
祖母はそれから入院して
ついに家にもどることは無かった
祖母はいつも、あれを一人には出来ないから長生きしないと・・・って言ってたな

叔父は一人になっても相変わらずみたいだ
寂しいとか悲しいとか、そんなの聞かないし、そう見えない

私の子供、そうまの発達相談の時
身内に鬱の人はいますか?と問われた
そうまは自閉症だと思っていたので、診断を受けなくても
その問いで、何故だか、当たりだ、と思った

叔父は鬱だと思えなくなった

叔父の、乱雑に見えて、いや、いつもと変わらない部屋
物の置き場が、ずっと、もうずっと替わっていない
読みかけの雑誌も、封を切ったタバコも、飲みかけのカップも
毎日触っているはずなのに、位置が替わっていない

叔父は視線を長く合わさない
長い話の途中では席を立つ

私も歳をある程度重ねてきて
叔父が年下に思えてしまう、なんて失礼なんだろう

自閉症は遺伝することが多い

祖母の言葉も遺伝してしまった
私も自閉症のそうまを置いて先に逝けないな、と思います

私はずっと寝不足で目が赤いんだけど、そうまは気が付いてないみたいだなぁ

自分の健康管理は自分でしっかりしないとね
                           ☆あおぞー☆

解体されていく病院


あの総合病院も移転して1年になるのでしょうか。
半分以上解体されて最後の病棟も足場に囲まれ解体が始まりました。
とても古い病院でした。あそこで何人もの方が亡くなられています。決して病院が悪いわけじゃない。
いい病院だからこそ多くの患者さんがおとずれ、入院され、元気になって退院されたり、
そのままベットの上で最後を迎えた方も。

数年前祖母もあの病院で息をひきとりました。

入院した時、あと1週間と言われたが、9日目だった。
痛みがひどくモルヒネのせいで意識がはっきりしていないことが多くて
ろくに話も出来ないままだったのが本当に悔やまれる。
ずっと長いこと、一度は聞いてみたかったことがある。
でも、あの状態でとても聞けなかった、聞いても答えが返ってきたかどうか分らない。
おかげで以来心にひっかかってしまった。

「私達が必要でしたか?」
もし今目の前にいたら聞いてみたいです。
元気だったら、笑ってごまかしたでしょうか。

祖母は戸籍上の祖母でした。
血縁関係はありました。
母の父親の妹で母の叔母さんにあたる人でした。

祖母夫婦には子供がなく、母が12歳の時に養女になりました。
このことが母の人生を大きく変えてしまいました。
今では考えられないことかもしれませんが、母の田舎では珍しい話でもありませんでした。
その頃の話は私が大きくなってから聞いたんですが、あまり楽しくない話ばかりです。
また時間のある時に書いてみたいと思います。

子供の無い夫婦のもとへ養女にいったと聞いた人は、
それじゃあ大事にされたんだろうと思われる方が多いですが、
母は学校の友達に『女中さん』と言われていました。
それが全てです。

母と祖母の年は親子ほど離れていませんでした。
誰から見ても実の親子には見えなかったことも世間体を気にする祖母には
気に入らなかったのかもしれません。
なかなかなつかない母のむなぐらをつかんで罵倒したことも、
祖母と親交のあった人たちでも知らないことです。

子供の無い祖母にとって私の誕生はとても嬉しかったようで、
可愛がってくれたそうですが、私自身にその記憶があまりないのは、
赤ちゃんの時は可愛かったんだろうと思います。
だんだん大きくなっておてんばになってからは、わずらわしかったみたいです。
母が仕事をしていたので、祖母の家に預けられていましたが、よく出掛けることが多く、
それは子供の私にはとても退屈な場所ばかりだったのを憶えています。
狭い家で子供と二人っきりになるのが苦痛だったんだろうと、
大人になってから分るようになりました。

私はあまり必要とされていない孫だと子供ながらに思ったことがあります。
☆あおぞー☆

全1ページ

[1]


よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事