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3月12日になりました。
3.11・・・・
決して忘れる事が出来ないあの大震災から2年の月日がたちました。
私が住んでいる山形は被災地から100キロしか離れていませんが、震災による被害はほとんどありませんでした。
ただ当日は大きな揺れによりほとんど全県が停電。
寒くて暗い不安な夜を過ごしました。
信号機が消え、当然街の明かりも全く無く、闇と言うものがこんなに不安になるものなのか・・・と改めて感じた夜でした。
いつも当たり前に見ていたテレビが写らず、情報はラジオだけ。
ラジオのスピーカーから流れる信じがたいニュースに耳を傾け、映像がない分恐ろしい状況を想像し、気持ちはどんどん荒んで行く・・・・
宮城に住む親せき、岩手に住む友人などの安否を気遣いながらもどうする事も出来ない自分。
娘達とも全く連絡を取る事も出来ず、きっと心配しているんだろうな・・・と思いながら布団に入る気がしなかったのでリビングのソファでいつでも飛び起きる事ができるように仮眠をしました。
あの日は金曜日で次の日モンテのアウェイ新潟戦に参戦するつもりで仲間とバスをチャーターしていたのですが、全く連絡が取れず・・・・でもラジオで予定されていたJリーグの試合すべてが中止という事で事の大きさを改めて実感しました。
幸い私の住む山形市中心街は次の日の8時頃に通電し、やっとテレビを見る事ができましたが、突然スイッチが入ったテレビから流れてくる映像があまりにも非現実的で言葉がありませんでした。
何度も何度も映し出される津波の悲惨さ。
それに加えて原発の恐ろしいニュース・・・・
その後の山形はガソリン不足、灯油不足、食料がスーパーから消える、そして交通網が乱れ、先々の事が全くわからない事態となりました。
山形空港が仙台空港に代わる東北の空の玄関口になり、山形の上空を24時間飛行機が飛び交っていました。
この先どうなるんだろう・・・・
あれから2年たち、山形に居ると被災地の人々の今がよくわからずにいます。
仙台の中心部に行ってもほとんど地震の爪跡はわからなくなりました。
でも今日一日各テレビ局が現地から中継で今の状態をリポートしていましたが、まだまだ厳しい現状のところがほとんどです。
たまたまそこに住んでいただけなのに、あのような試練を味わってしまった被災地の人達の苦しみを私達はいつまでも忘れてはいけないのだと思いました。
今日デパートに買い物に行ったら、被災地復興協力セールと言う事で、宮城の牡蠣、魚、そしてイチゴと買ってきて我が家の夕飯の素材としました。
私の出来ることなんてこんなことしかありません。
でも出来る事をこれからも続けて行こうと思っています。
震災で亡くなられた皆さんのご冥福をお祈りしています。
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東日本大震災
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報道も1日ちょっとでもいいから復興について報道すればいいのですが西日本では確実に風化してきてるので今一度思い出してほしいですね。
2013/3/12(火) 午前 7:18
阪神大震災で被災した神戸もそうでしたが、絶対に街は災害からは
立ち上がる!
と思っていましたが、あれから2年、未だに“ふるさと”に帰れない方々や
身内を亡くされた被災者の方々を見るにつけ、当時の地震の揺れの大きさ・長さの
恐怖、暗く寒い夜や計画停電、自衛隊やボランティアの方々の献身的な行動・・・
そして当時の民主党政権や東電の対応・・・様々な事が思い出されます。
絶対に忘れてはいけないし、私もAPOさん同様、出来る事なんてほんのわずかでも
それでも、なにもしないよりは・・・と思っています。
日常の備えと、たとえ小さくても支援は未だに必要なんですよね。
当時から今日まで、お酒は東北のもの、そしてネット通販で被災地からの
旨い肴を特に買い続けております。
2013/3/12(火) 午前 10:27 [ 赤ぽん ]
APOさんから無事というメールを頂いたときには本当にほっとしたのを覚えています。
その後、山形の大変な様子をブログを通して知りながら心が痛みました。自分は知っている人たちが無事でまだ恵まれていたと思いますが、まだまだ今後も続く復興の道、お手伝いできることをしていきたいと願っています。
2013/3/12(火) 午前 11:22
1月に宮城の親族に出かけてきました。ブログでは軽く濁しましたが、実は相当なものでした。
沿岸は露出も多く悲惨さが伝わっているかと思いますが、
数キロ内陸に行くと(登米とか涌谷とか)そこまで凄惨ではないものの、家屋は倒壊しながらも、沿岸が先だからと誰もが納得して我慢し、まだ解体工事も進んでいない、壊れた橋や文化財を治す予算も出ない、なんて光景が多々ありました。
日本海側2県は被災も軽微で何よりです。吉村知事が以前仰った、「太平洋側だけに偏らない、日本海側の交通整備」をゼヒ、と思ってます。
航空業界的には、あの時の山形空港は一筋の光明のように扱われていて、「山形空港奮闘記」のような記事を専門誌で読みました。
2013/3/12(火) 午後 7:50
こんばんは、阪神大震災と東日本大震災この2つを体験した日本がイザという時にどうなってしまうのか、人間の無力さを感じてしまう事もありますが、それでも前に少しでも進みたい特に関西の人間はボランティアでも観光でも寄付でも何らかの形でこれからも何年も東北に貢献していかないといけないと思います。あと茨城県や千葉県にも。
2013/3/12(火) 午後 11:04