おばさんの独り言

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グレイトだぜ!

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先日のJ2リーグの記事も書いていないのに・・・・・(汗)
でもこの記事を書きたいので書き残します。
 
月曜日に何とあの、あの、永ちゃんのコンサートに行きました。
 
YAZAWAの永ちゃんですよ、まさかの山形公演のチケットをある筋から入手出来ました。
 
ほとんど宣伝されない永ちゃんのコンサートなので、山形であったことすら知らない人が多いと思います。
 


 
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今回のコンサートは「矢沢永吉」単独ではなく、この通り「Z's」というバンド名でのツアーです。
 
永ちゃんの他は3人の若手ミュージシャン。
1000人くらいからオーディションで選んだメンバーを引き連れてのツアーで、北海道の苫小牧からスタート、北海道数か所を回り、青森、岩手、山形と普段は行かないような地方都市を回るツアー中です。
 
山形も7年ぶりだそうで、永ちゃんもトークで
「ここの(県民会館)楽屋、狭いんだよね(笑)。畳の部屋に入って、ここ覚えてる!って、そうそうこのステージの感覚も覚えてるんだよ、ステージと観客の距離が近いんだよね。歌っていて唾がぱあって飛んで行くのがわかる(笑)若い時ならステキだけど、今は・・・ごめんね〜」
と話していました。
 
あの世界の矢沢ですよ、一万人キャパのコンサートを当たり前にやっているビッグなアーティストである永ちゃんが、わずか1500人のボロボロの県民会館で2時間バッチリの全力コンサートするんです。
正直本物をこの目で見るまで「本当に現れるんだろうか・・・・・?」と信じられませんでした。
 
「矢沢こうして長い間いろんな所に行ってるけど、今回は北海道の釧路までバスに揺られて移動していて、死ぬかと思った(笑)、俺凄いな、こうしてこの年でバスに揺られて頑張ってるなって(笑)」
 
本当にそうだと思います。
娘が北海道にいた時、夏のフェスに永ちゃんが出演した時、なんとヘリコプターをチャーターして会場にやってきたという事を聞きました。
 
そうですよ、永ちゃんはそれが当たり前にできる人なんです。
 
でも、今回は自分の息子よりも若いメンバーを引き連れ、彼らと同じようにバスに揺られ移動していたんです。
 
誰もが認める矢沢が、若いアーティストを育てるためにバンドを結成し、ツアーを組んで全国行脚の旅に出ています。
 
例年は秋から冬にかけて大きなツアーをするのが恒例なんだそうですが、春のツアーは何と10何年ぶりなんだとか。
 

 
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以前たまたま大阪を旅した時、大阪城ホールで永ちゃんのコンサートが行われていました。
YAZAWAのペイントをしてあるトラックが10台くらい並んで止まっていたのを見ました。
 
会場にはゾロゾロ、リーゼントやスキンヘッドの信者が白いコスチュームに身を固め、タオルを首に巻き風を肩で切って歩いて入って行きました。
それはそれは圧巻でしたが、この日の山形も会場近くにはいつもとは違う雰囲気が漂っていました。
 
私の勝手なイメージでしたが、永ちゃんのコンサートとは、このような人達がずっとコンサート中各自で盛り上がって収集がつかなくなるのでは?と思っていましたが、とんでもない。
 
幕が上がる前はそれぞれが自分の場所で立ちあがり「永ちゃん、永ちゃん」と腕を上げてコールし続けます。
そのコールするタイミングが絶妙で、皆さんとても慣れていらっしゃる。
 
コンサート中でも、曲に合わせてきちんと自分の席から移動することなく、行儀よく楽しんでいる。
 
コールの仕方、タオルの使い方、それはみんな統一されていて、まるでサッカーのゴール裏のよう!
 
各自手にしていたYAZAWAのタオルを一斉に曲に合わせて上に振りあげるあのパフォーマンスは圧巻でした。
この人達ぜひサッカースタジアムに来てくれないかな・・・・って。
 
すみません、どうしてもサッカーと関連つけてしまうのは私の悪い癖ですが、ホント共通する部分あるなって感じてきました。
 
あとから知りましたが、永ちゃんはコンサートの間少しでも勝手な行動をするファンがいると気分を害して辞めてしまう事があるんですね。
 
だからファンもそれを知っていてお行儀よくコンサートに参加しているそうです。
 
2時間の間ずっとスタンドマイクを握り締め、ある時は振り回し、シャウトする姿は本当にカッコいい!
 
あれは日々節制し、鍛えているアスリートミュージシャンだと確信しました。
 
60過ぎてもあれだけの声で歌い、ステージで動き回る永ちゃん、腹なんて全く出てませんよ。
 
20代からずっと第一線で活躍している人って凄いと思います。
何もかも手に入れた永ちゃんですが、あえて今若いメンバーとこうして地方都市の小さな会場でも分け隔てなくライブで観客を楽しませてくれる、これこそ本当のエンターテイナーだと。
 
私と一緒に見ていた旦那も「凄い、凄い」とずっと言ってました。
 
うちの旦那を知っている人ならわかると思いますが、永ちゃんのコンサート会場で浮いていたと思う我が旦那ですが、いろんな意味で刺激を受けたようですよ。
 


 
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熱い会場を後にしたらとにかく喉が渇いていました。
 
二人でもちろん「サントリーモルツ」で喉をうるおし、しばらく矢沢談義で盛り上がりました。
 
永ちゃん、いつまでも元気でシャウトして、中年男性の憧れの人であってくくださいね。

悲しいお別れ・・・・

昨日生前大変お世話になった方の告別式に行ってきました。
 
その方は享年66歳、まだまだ無くなるには早すぎる死でした・・・・
 
ここではYさんとさせていただきます。
Yさんと私の出会いは祖母がお世話になった介護施設のケアマネージャーと利用者家族というものでした。
Yさんには本当にいろいろと相談に乗っていただいたり、わがままを聞いていただいたり、祖母が亡くなるまでずっとお世話になりました。
 
その後Yさんは定年で施設を辞められ、会う機会も無くなっていましたが、ある日NDスタジアムでばったり再会。
その時お互いがモンテユニを着ていてビックリし、モンテサポ仲間となったわけです。
ホームゲームはもちろん、その後何ヵ所かのアウェーゲームでも一緒になり、会えばモンテの話に花が咲きました。
 
12月に行われたモンテの「サンクスパーティー」でも一緒になり、共に写真を撮ったり、専用スタジアム建設の話とか、来期のモンテの事とか、いろいろ話しました。
 
いつもご主人と一緒でとても仲かがいいご夫婦でした。
 
「肝っ玉かあさん」という名がピッタリのYさん。
告別式では沢山の人達が涙を流しながら弔辞を読んでいました。
 
どの人からも早すぎる死を悼む声ばかりでした。
元気印で、最近ではポール・マッカートニーのコンサートにも行ったり、仕事だけでなく幅広い趣味を楽しみ、もうすぐ生まれる初孫との対面をそれは楽しみにしていたという事でした。
 
死因は脳溢血・・・・・
前日まで元気に日常の生活を送られていたそうです。
 
とにかく人のためにばかり働いていた母でした・・・・
恩返しも何もできないうちにあっという間に逝ってしまいました・・・・
 
息子さんの喪主挨拶は涙で震えていました・・・・
 
優しく、逞しく、元気だったYさん、もっともっと元気で共にスタジアムで応援したかった・・・
大好きなモンテディオ山形の試合観戦がそれは楽しみだったそうです。
 
もうYさんとスタジアムでお会いする事は無くなりました。
 
未だに信じられませんが、きっと魂はスタジアムの観客席にいつも居続けることでしょう。
 
どの選手のファンだったのかな?
そこは聞いた事がありませんでした。
聞いておけばよかったな・・・・
 
Yさん、どうぞ安らかにお眠りください。
そして今期モンテがJ2優勝できるように空から見守って下さい。
 
合掌・・・
 
今シーズンも残り3試合。
 
前節勝ち点3を積みあげる事が出来ず、モンテがPO圏内に滑り込むのはほとんどあり得ない事態となってしまいました。
 
あの試合直後のスタジアムの静けさがそれを物語っていたし、テレビで録画を見ても選手ががっくりと頭を下げ、苦しそうな顔をしていました。
 
「自分達が出した数字だから最後まで責任を持って戦い抜きたい」と語ったザキさんの表情が特に険しかったのが見ていてこちらも苦しかったです。
 
選手が最後まできちんと戦うと言っているのですから、サポも最後までしっかりとサポートしなければいけないと私は思っています。
 
最近掲示板などを見るともうすでに来期に気持ちを切り替え?来期のチーム作りに話が進んでいるサポーターも結構いるようですね。
 
あの選手はいらない、とか、補強するならどこのあの選手が欲しい、とか・・・・・
 
実際新聞に来期の監督人事の話なども載っているのも事実だし、奥野監督もインタビューでその話を肯定しています。
当然2シーズン続けてPO進出を逃しとならばそれも仕方ないと思いますが、まだシーズンは終わってないわけだし、天皇杯もまだ残っています。
 
このメンバーで戦えるのはあと残すところ数試合しか無いんです。
 
そろそろサポーター人事ではなく現実としてオフィシャルで戦力外選手の発表もある時期、本当にサポーターとして毎年辛い時期が近付いているんです。
 
極力そういう話題は耳にしたくないですね。
 
 
昨日昼のワイドショーを見ていたら、楽天の優勝にあたり、楽天が歩んできた9年間を振り返り、元選手だった山村さんをスタジオに招いて、携わったいろんな人の話を交えておりました。
 
楽天が仙台を本拠地に誕生してからもう9年間が経ったんですね。
 
あまり知られていませんが、当初山形県も楽天の2軍の本拠地として練習場や若手の宿泊施設など協力していたんですが、やはり遠いとかいろいろ利便性で無理があるという事でだんだん山形から離れて行き、年間を通してほとんど活動する事が少なくなって行きました。
 
昨日の山村さんの話によると発足当時は本当に劣悪な練習環境、不慣れなスタッフの不備などでプロチームとは言い難い実力も環境もプロとは言えない状況でのスタートだったそうです。
 
その話を聞きながら、ふとモンテが発足した当時の事を思い出し、重なってしまいました。
 
クラブハウスも無く、練習後はそのままユニを脱いで、水道の水で汗をふき、汚れたユニは各自自分達が家に持ち帰り洗濯していたこと。
 
一般の人達に交じって体育館の中の風呂場で汗を流した事もあったとか。
 
練習場も決まったところが無く、いろんなサッカー場を日替わりで転々としていた事。
 
NDスタの中のシャワー室もお湯が出ないで水だったとか・・・・
 
今では考えられないような劣悪な環境だったというのは古いサポなら誰もが知っている事です。
 
環境が整っていたクラブから移籍した選手達はあまりの遅れていた環境に驚いたでしょうね。
 
ザイなどはどう思っていたんだろう・・・・と。
 
 
楽天も同じだったようですが、とにかく仙台のファンは優しかったそうです。
 
驚きのスコアで負けても、ヤジなど飛ぶ事は無く、どんな時も優しく応援してくれて本当に選手達はありがたく、感謝していたそうです。
 
だから、この素晴らしいファンのために選手達は頑張ろうとみんなで辛くても文句ひとつ言わず頑張ったそうです。
 
楽天の選手達はどこの球団の選手よりも沢山サインを書いているはずだと言っていました。
 
そしてあの大震災のあとも被災地の人達の少しでも力になれば・・・とそれだけを思ってプレーしていたそうです。
 
山村元選手は引退した今も御家族と仙台に住み続け、仕事の度に上京しているそうです。
 
それだけ仙台という街を家族みんなが大好きなんだそうですし、楽天の選手達は全員仙台が好きだと思うとも話していました。
 
これってファン、サポーター冥利に尽きますよね。
 
 
モンテも今年で15周年。
クラブも本当に成長しました。
 
未だに資金は豊富ではありませんが、練習環境は当初から比べるとかなり改善されました。
 
これもJ1効果なのかもしれませんが、Jの中でも悪くない練習環境が整いました。
 
選手たちも以前とは違いJ1でプレーしたいから・・・と言って移籍して来る選手も増え、メンバーもガラッと変わりました。
 
クラブワールドカップを経験したような選手も移籍して来るようになったし、コーチにはWCに出た事もある人も来ました。
 
以前なら考えられないですよね。
 
サポーターも贅沢になりました。(笑)
すぐにJ1に戻れると思っているし、それがなかなかできないとなると厳しく批判する・・・・
 
そして選手、スタッフをネットなどを使って個人攻撃をする人が増えてきました。
 
それでは選手、スタッフはこの山形を好きになってくれるでしょうか?
 
選手達は横のつながりが結構あります。
 
移籍場所を決める時、情報収集をする時、以前そのクラブに関係していた選手達に連絡を取り、話を聞いているようです。
 
その時「山形はサポーターたちも温かいし、サッカーをするにはとてもいい環境だ」と言ってもらえるようになりたいし、そうだと自負している部分もあります。
 
負け続けても、最後はブーイングではなく「カミカゼ」を歌って選手達をサポートしていた数年前にまた戻りたいと私は思っています。
 
ホームゲームは泣いても笑っても最終節の東京V戦だけです。
 
この試合、たとえどんな結果であっても去りゆく選手、そしてスタッフ達が山形に来てよかったな・・・・思ってもらえるようなスタジアムの雰囲気作りをサポーターとして作ってあげたいと思います。
 
 
 

暑いです!

台風の影響で、山形も朝から蒸し暑いです。

涼しいのに慣れた身体にはこの暑さはキツイですね(苦笑)

さて、ブログが滞ってます。
最近PCの調子が悪くスムーズに動きません。
今日専属?の人に見てもらうことになっているので、PCのご機嫌が治ることを祈ってます。
さて、私は今この本を読んでいます。

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たまたま本屋さんで目につき、購入しました。

ウッチーはとにかく叔母さんも、若い子にも人気があるイケメン選手です。

鹿島時代はもちろんシャルケに行ってもその人気は衰えず、いまだにカレンダーの注文数は桁外れたそうですね^_−☆

人に騒がれるのがキライ、マイペースで、ちょっとめんどくさい感じの青年かな?と思ってましたが、なかなか私の好きなタイプの昭和の香りがする今時珍しい義理と人情を大切にする青年だという事が、よくわかりました。

中にはモンテの奥野監督との絆の話も出てきました。
読んでほっこりと…


つかみ所のない?ウッチーでしたが、これからどんなお嫁さんを射止めるのか?すごく興味があります( ^ω^ )


そして、このままのウッチーでいて欲しいなと!

もし興味がある人は読んで見てくださいね。
また一人歌舞伎界の巨匠がこの世に別れを告げました。
 
まだ66歳・・・・
 
朝からテレビは市川団十郎さんの死を悼み、特集を組んでいます。
 
19歳で父を亡くし、その後本当に苦労を重ねて激動の人生を送られたと思います。
 
大病を患いながらもそれを感じさせまいと振舞う気丈な方でしたね。
 
志半ば・・・・ご本人も無念でしょうし、歌舞伎界のみならず、日本の芸能界においても本当に偉大な人を失った喪失感は言葉では言い表せません・・・・
 
 
来月には2人目のお孫さんが、それも男の子がご誕生されることになっていたようですし、歌舞伎座の4月落成を誰よりも心待ちにし、それに向けての決死の治療中だったと伺っています。
 
昨年末に亡くなられた勘三郎さんとはまた違ったタイプの素晴らしいお人柄でした。
 
勘三郎さんはどこかお茶目で憎めないキャラの持ち主で幅広い年代に慕われていた人でしたが、団十郎さんは凛とした本当にどしッと構えて家を守る大黒柱のような人だったと私は感じておりました。
 
息子のために矢面に立つ事も多く、そのたびに親というものはこういう毅然とした態度が必要だし、厳しさも持ち合わせなければいけないと私なりに拝見しておりました。
 
 
 
朝の海老蔵の記者会見をテレビで見て、あのやりたい放題?の息子が、父の死を現実のものとして受け止め、しっかりとした面持ちでインタビューに答える姿を見て、「海老蔵もこれでまた人間としても、役者としても一回り大きくなれるかな?」と思いました。
 
「僕の名前には親孝行の孝という字が入ってますが、親孝行ができなかった・・・」と話していました。
 
生きている時に孝行ができれば一番いいのですが、なかなかそうはいかないものですね。
 
彼のこれから生きていく「道」がいかなる道なのか、それが大切なのだと思うし、それが納得できるものであった時それは最高の父への親孝行なのだと私は思います。
 
役者はいろんな経験が芸の肥やしとなる、とよく言われます。
肥やしになった事をぜひ今後の活躍で見せて欲しいです。
 
 
そして団十郎さん、本当にご苦労様でした。
そしてご冥福をお祈り申し上げます。
 
 

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