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昨日は東日本大震災から丸2年と言う事で一日中被災地からの中継を交えて、各報道機関が特番を組んでおりました。
日に日に震災の報道が少なくなり、正直人々の関心も薄くなりつつあったと思われますが、昨日の映像を見てまだまだ被災地に住む人達の苦しみは続いており、中でも原発の被害を被っている人達はこの先自分たちの故郷に帰る事は出来るのだろうか?とほぼ諦めている感が伝わってきました。
辛いですよね・・・・
山形にも福島から避難されてきている人達が大勢います。
街中を走る車も福島ナンバーを沢山見ます。
働き手であるお父さんを福島に置いて母子だけ山形に避難している人もたくさんいます。
そう言う人達にはまだまだ未来を明るく夢見る事は出来ないのでしょうね。
さて下の画像は今日私の手元に届いた一つの数珠です。
![]() 大津波に襲われ壊滅した陸前高田市の松原の被災松で作られた数珠です。
海岸沿い2キロに渡り美しい景観を作っていた松原の松たちはあの津波でたった一本だけ残されました。
その「一本松」についてはいろんな所で取り上げられ、ある意味有名になりました。
この度切り取られ、あの大震災をずっと忘れる事が無いようにと地元の人達の願いを込めてオブジェとして再び海岸に設置されました。
この数珠の値段は2000円。売上金の一部は、失われた松原の再生と陸前高田市、大船渡市の復興のために使われるそうです。
この数珠に添えられていたメッセージの中に「この松の木から放射能は検出されていません」という部分がありました。
そう言えばこの松を燃やすと放射能が放出されるとクレームが付き、京都の大文字焼きのたいまつとして不採用になった事もありましたね・・・・・・
これは残念な出来事だったと思います。
もしこの数珠に興味がある方はこちらをご覧ください。
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東日本大震災
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3月12日になりました。
3.11・・・・
決して忘れる事が出来ないあの大震災から2年の月日がたちました。
私が住んでいる山形は被災地から100キロしか離れていませんが、震災による被害はほとんどありませんでした。
ただ当日は大きな揺れによりほとんど全県が停電。
寒くて暗い不安な夜を過ごしました。
信号機が消え、当然街の明かりも全く無く、闇と言うものがこんなに不安になるものなのか・・・と改めて感じた夜でした。
いつも当たり前に見ていたテレビが写らず、情報はラジオだけ。
ラジオのスピーカーから流れる信じがたいニュースに耳を傾け、映像がない分恐ろしい状況を想像し、気持ちはどんどん荒んで行く・・・・
宮城に住む親せき、岩手に住む友人などの安否を気遣いながらもどうする事も出来ない自分。
娘達とも全く連絡を取る事も出来ず、きっと心配しているんだろうな・・・と思いながら布団に入る気がしなかったのでリビングのソファでいつでも飛び起きる事ができるように仮眠をしました。
あの日は金曜日で次の日モンテのアウェイ新潟戦に参戦するつもりで仲間とバスをチャーターしていたのですが、全く連絡が取れず・・・・でもラジオで予定されていたJリーグの試合すべてが中止という事で事の大きさを改めて実感しました。
幸い私の住む山形市中心街は次の日の8時頃に通電し、やっとテレビを見る事ができましたが、突然スイッチが入ったテレビから流れてくる映像があまりにも非現実的で言葉がありませんでした。
何度も何度も映し出される津波の悲惨さ。
それに加えて原発の恐ろしいニュース・・・・
その後の山形はガソリン不足、灯油不足、食料がスーパーから消える、そして交通網が乱れ、先々の事が全くわからない事態となりました。
山形空港が仙台空港に代わる東北の空の玄関口になり、山形の上空を24時間飛行機が飛び交っていました。
この先どうなるんだろう・・・・
あれから2年たち、山形に居ると被災地の人々の今がよくわからずにいます。
仙台の中心部に行ってもほとんど地震の爪跡はわからなくなりました。
でも今日一日各テレビ局が現地から中継で今の状態をリポートしていましたが、まだまだ厳しい現状のところがほとんどです。
たまたまそこに住んでいただけなのに、あのような試練を味わってしまった被災地の人達の苦しみを私達はいつまでも忘れてはいけないのだと思いました。
今日デパートに買い物に行ったら、被災地復興協力セールと言う事で、宮城の牡蠣、魚、そしてイチゴと買ってきて我が家の夕飯の素材としました。
私の出来ることなんてこんなことしかありません。
でも出来る事をこれからも続けて行こうと思っています。
震災で亡くなられた皆さんのご冥福をお祈りしています。
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昨日の6月11日は大震災から3カ月という節目の日でもありました。
私は被災地からたった100㌔ほどしか離れていない地域に住んでいますが、今では何の不自由なく生活を続けられています。
これまでに数回仙台の中心部には足を運んでいますが、未だに津波の被害を受けた被災地には行ってはいませんでした。
というより、行けませんでした・・・・・
毎日見る報道の写真でしか被災地を知る事はありませんでしたが、同じ時代を生きた人間として、どれだけの大災害が実際に間近で起こったか知っておくべきだと塩釜に住む従姉妹から言われていました。
確かにそうだよな・・・・・とは思っていましたが、どんな思いで行っていいものか、決して中途半端な気持ちでは行ってはいけないと思っていたのでなかなか決心がつかずにいたのです。
ボランティアツアーなるものが最近はここらでもあり、申込すれば個人でも被災地へ行き、ボランティアとして支援出来ます。
が、これもなかなか一人で参加する機会ももてず、どうしたものか・・・と思っていましたが、この度主人の休日を利用し行く決心をしました。
先週の金曜日の事です。
従姉妹の話では高速道路を走るだけでもその様子は目にする事が出来ると言うので、私が一番わかる仙台空港周辺へ行くことにしました。
山形から宮城に行くには山形自動車道から東北自動車道に入ります。
ここからさらに海側に行くには南部自動車道というところを通り、さらに海岸線をずっと走る東部自動車道へと入ります。
この道路は南相馬の方へ行く上りと、石巻方面に行く下りになり、仙台空港に行くには南相馬方面へと曲がります。
くるりと車はヘアピンカーブ道路を一回転すると今まで普通に家並が続いていた眼下の風景がいきなり変わりました。
高速道路の右と左で全く風景が違うのです。
そうです、津波が押し寄せてきた海側の風景は瓦礫と押し倒された木、流された車、船が未だにそのまま放置されています。
ところどころに流されず辛うじて立っている家がぽつんぽつんと残っていますが、本来なら今は田植えが終わり青々とした稲が育っているであろう仙台平野の田んぼは津波が運んできた砂のようなもので覆い尽くされておりました・・・・
高速道路が防波堤の役目を果たし、右側の田んぼは田植えが終わっているところもありました・・・・
ショックでした・・・・
こんなに違うなんて・・・
そして仙台空港まで行く道中、私はテレビで知っていたはずなのに、実際に自分の目で見て驚きと悲しみで言葉も出ませんでした・・・
道路から海岸までは数キロあります。
道路から実際に海は見えません。
それだけはなれているのに津波はこの道路まで到達したんです。
沢山のかけがえのないものを一瞬にのみ込みながら・・・・・
高速を降り、仙台空港まで実際に行ってみました。
空港までの道路は使用できますが、途中の信号はまだ機能しておらず、警察官が手信号で交通整理をしてました。
私が通った時は神奈川県警の警察官の担当だったようです。
途中に航空大学校、海上保安庁の施設がありますが、ここも全て津波に会い、建物は残っているものの瓦礫の山が未だに多く残り、痛々しい状態でした。
私の友人の息子さんが今年航空大学校に入学予定でしたが、6月まで入学式が延期になっていると話していたのを思い出し、入学式が無事に行われるのか?と心配になりました。
仙台空港までの道路は普通に通行できますが、その他の道路は通行止めが多く、あたりは津波の爪跡がそのまま残っています。
山のような車のスクラップ。
押し倒された木々、枯れ始めた街路樹・・・・
仙台空港までの風景は全く変わっていました・・・
広大な民間駐車場の流された車は全て撤去され、巨大な空間だけが広がる、何とも異様なスペースになり変わっていました。
空港前の駐車場に車を止め、実際に空港のターミナルまで行ってみましたしたが、中は薄暗くシートで覆い囲われたわずかのスペースでJALとANAの登場手続きが行われていました。
周りの壁には全国から届いた寄せ書きのようなものが沢山張られ、中には千羽鶴もありました。
正直この状態で運行しているのが信じられませんでした。
空港周辺は懸命の復旧作業が行われていました。
でも以前のような仙台空港に戻るにはしばらくかかりそうだと思いました。
仙台空港は本当に海岸からすぐのところにあるので、飛行機や車がまるでおもちゃのように流されている様子は沢山の人が映像で見たと思います。
あたりはターミナルビルだけが残りほとんどが流されているので、異様な風景でした。
写真などとても撮る気になりませんでしたがこの一枚だけ・・・・・
津波にも負けず一生懸命に根を張り、花を咲かせた「タンポポ」
周りの生垣は根っこからなぎ倒され、枯れていましたがタンポポだけは生き残り花を咲かせていたんです。
自然の力には人間はかないません・・・・・
でも、自然には生き物を黄泉がえさせる力もあります。
その力を借りて、私たちは再び立ち上がらなければなりません。
そのための支援はまだまだ長期にわたり続けて行かなければならないと強く思いました。
この後塩釜まで車を走らせましたが、風景はずっと残酷なまま続きました・・・・
名取、荒浜、仙台港、塩釜までずっと・・・・・・
塩釜港も津波の被害に会い、廃墟と化した住居は住人の姿ももちろん無く、そのままの状態で残っています。
辛うじて建物が残っていても傾いたり、崩れたりで廃業した店舗も沢山ありました。
従姉妹の家は高台にあったため、津波の被害からは免れましたが、いたるところにひびが入り補修工事をしなくてはいけないと言っていました。
加入していた地震保険は対象とならず使えないとのこと。
まだまだ被災地の人たちには試練の日々がずっと続きます。
私が今回目にした部分は本当にごく一部分です。
でも、テレビで見たものとは全く別の惨状でした。
実際に目で見ると衝撃は何倍にも感じました。
沢山の亡くなった方への供養もしつつ、残された家族への今後の支援はみんなでずっと続けて行かなければいけないと強く思いながら岐路につきました。
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3/11から一カ月、テレビの各局でもそれに関しての番組をしていました。
私もそれを見ながら同時刻に黙祷・・・・・・・
いろんなことを思いました。
そして夕方、またも鳴り続ける「緊急地震速報」
あの携帯とテレビからのダブルでの警報音にビビる自分がいます。
ちょうど夕飯の支度をしている時間ですが、火の始末をし、揺れがおさまるのを待ちました。
震度6の揺れに何度も襲われている太平洋側の被災地の皆さん、本当に心が休まる事がありませんね。
山形も緊急地震速報の発令エリアに入っていましたが、揺れ的には震度4くらいでしょうか・・・・
震源地近くの福島第1原発で作業中の皆さんの精神状態が特に心配です・・・・・
津波警報も出ているし・・・・・・・
神様、いい加減にもう勘弁してください・・・・・・
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一夜空けて未だに停電の山形市…
私はお風呂から上がって髪を乾かそうと言う矢先の揺れでした。 かなりの揺れで、電灯がすーっと消えました。 また停電… あの地震以来非常時に備えて懐中電灯、ラジオ等身近に用意してあるので、直ぐに使用。 前回 が…我が家の車庫は電動シャッターなので車が出せず、主人はバスで出勤するはめに 電気が無いと何も出来ませんね… それにしても太平洋側のみなさん、大丈夫ですか? メンタルの部分が特に心配です… 追加
只今8時、電気がつきました
東北電力頑張った
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