五十路の店長日記

あの頃みたいによろしくお願いします。

父の病床日記・・ [母編]

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腰痛

愛媛福祉サービス協会さんのご好意で、
「福祉用具講習会」に参加させていただきました。


お題は「腰痛予防」

1日に最低でも4〜5回、父を一人で車椅子に移動させる母が
しっかり腰痛になってしまって・・・。
日本兵の生まれ変わりのような人なので、(何があっても痛いと言わない人)
気合でもっているようなものです。

それも毎日、立つ・歩くためのリハビリも欠かしません。
腰痛ベルトはやっているのですが・・・我慢しているだけだと思われます^^;;
さらに、ヘルパーさんの訪問を「お互いに気を使うだけだから」と
敬遠してしまっています。


今回の腰痛予防の滑らし移動させることも大変に参考になったので、
早速実行してみます。

それから次回のオーストリア式?ノルエー式?(どこの国か忘れましたが)の
「10Kg以上は持ち上げない」講習を是非受けてみたいです。


みんなも腰を労わってあげてね。




面白くないブログですが、
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これが・・・原点。

父の看護日記・・・【 母編 】


 ふっと思い出した母編。。。。




 第一話では、工場創業当時のお話でした。

 
 それから、曲りなりに会社らしくなってきた頃・・・の出来事。

 現場責任者として、朝早くから、夜も11時ごろまで、会社に残って作業をしていました。

 酷い日は、寝る間も無く。。そういう時代でした。

 従業員さんは、田舎の近所の奥様。。。

 

 参観日や近所の冠婚葬祭となると、大勢のお休みがでてしまいます。

 仕事は、大手の下請け仕事。(孫受けやひ孫受け)

 納期は守らなければなりません。

 参観日どころではありません。

 長女は物分りがよく、「 お母さん、参観日は来なくてもいいよ。」って言います。

 次女は、「 絶対に来てね。お母さんゲームをする日なんだから!」ってせがみます。

     「 どうして、○○○ちゃんのお母さんは、いつも来るのに、来てくれないの?」
      
                                 って攻め立てます。

 

             参観日当日・・・


         チラチラ後ろの様子が気になる、次女。

         来てくれなかったら、絶交やね!って思いながら待ちます。

   


              あの頭は!!


 
            父の大好きな、あの爆発頭。



             来てくれたんだ〜。
















          楽しかった親子ゲーム(^.^)一生の思い出!!














           はしゃいで、早く寝ちゃった 次女。













 

         
            夜中にトイレに起きました。



















             工場に明かりが・・・・。

















           母、一人で暖房もかけずに仕事をしていました。
 

















            



              ごめんね。




              おかあさん。




            




            



               ありがとう。







  その後も、時代背景は、厳しいものがありました。

  こんな家庭内工業にも労働組合を作られて、

  ご近所づきあいの時は、仲間はずれ。

  何かと不満の矛先は、母に向かって行ってしまいます。

  人が増えるごとに・・・益々苦悩が続くのでした。




  (母の話は、苦労話になってごめんね。)

  この母を楽にしたい!!って思いが、介護用パジャマの制作の原点です。
 

 最近は、ブログのネタ探しで、病室の会話が弾みます。これも皆さんのお陰です。

 父の過去の悪行(?)を思い出しながら、両親の笑顔が見られるのは、娘は嬉しゅうございます。

 父の病室で7ヶ月半、半畳の床にせんべい布団に包まっての生活が続く、母の介護日記。



          そろそろ参りましょうか・・・[ 母編 ]

 

  祖父 『 大正男 』一言で頑固。← 元日本兵で戦争帰りでした。(10/20訂正)
    「人にぶつかっても物申せず」という異名をとるほどの、日本男児でございます。
     とにかく軍人気質であります。

  祖母  『のほほん』として、吹けば飛ぶような「たんぽぽ」のような人でございます。
     ぼんやりして、軍人に叱られる人生であったらしいです。
     私からみれば、『割れ鍋に綴じ蓋』でいい味のある二人です。


  その二人の3人兄弟  長女 として誕生しました。

  頑固一徹の祖父に、熱を出して学校を休むと「気合が足りん!」
  とどこかで聞いた台詞を言われたそうであります。

  一番楽しい、青春時代・服装学校に入った1年目16歳の時に、
  親が決めた人のところへ、女学校を辞めて、嫁ぐことになりました。

  本人 曰く「そういう時代だった」らしいです。

  それから、2人の子供ができ、若い母となりました。


  戦後の復興時代。とにかく働きました。
  
  農家の時は、保育所がまだ充実しておらず、小さい私は、みかんを入れるカゴを
 
  上下に使い、その中に入れ(鳥かご状態)、出れないように石で重しをして、農作業をしたらしい。

  両親はガハハと笑うが、それって・・・今なら虐待?(そういう時代でございました。)


  
  芋や野菜から転向し、みかんがようやく実を付け始めた頃・・・

  母 曰く 「やっと、実がなり、お金になるぞーと思った途端のことだった。」


 


  ある日突然、父がミシンを3台、買ってきました。

  父「 今からは、縫製が良いからやるぞー 」

  母「 誰が? 」

  父「 お前らーに決まっとる! 」

  母「 お前らーって言っても、何処から仕事をもらって、どうやって縫うん?」

  父「 つべこべ言わんと、習いに言って来い 」

      縫製のノウハウを持たずと・・・よくやったものだ。


  それから、とばっちりは、父の直ぐ下の妹に飛んでいったのであります。

  直ぐ下の妹は、現在 daichihaha「ひょっとこ日記」http://blogs.yahoo.co.jp/daichihaha

  ちえの母でございます。

  ちえの母のお陰で、なんとかここまでこれたのであります。
  (感謝の気持ちを表す、良い言葉がみつかりません。)



  曲りなりの縫製屋さんを始めると、機械不足が発生します。

  取引会社にお願いして、夜〜明け方までの機械が休む間、使わせてもらいました。

  それから、家に帰って、数人の従業員と仕事をしました。(24時間営業ですね)

  あまりに賃加工が安くて、やっていけないので、取引会社の社長が寝ている時に押しかけ、

  枕元で土下座して、賃UPをお願いしたこともありました。

  あまりの攻撃にちょっぴりUPしたそうです。

  辛抱に辛抱を重ね、少しづつ会社らしくなってきました。

  人が増えればそれだけ、辛い人間関係問題が待ち構えていたのでありました。

  母の話は、「 おしん 」のようになってしまいますが・・・

  軽快な父の裏話の裏話として、時々投稿させていただきます。

  続きは第二話で。


  

  

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