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石川幸夫の教育ブログ
石川教育研究所 代表の独り言

「繰り返しの意味」学力低下に苦しむ子供達に!

 今日は、毎月行われている「TSUNAGUカフェ」という様々な分野で活躍されている方々が集まり、情報の交換や、新たな方々との繋がり等、とても魅力的な集まりのある日です。参加も自由で、それぞれの自己責任の下、新たな出会いがあります。その代表者の方から、「子育てのミニセミナー」を依頼され、先日、大坂なおみさんの物まねでニュースになった、太坂なおみさんこと、ベビーシッターもされているイクメン芸人のポリスじろうさんも参加されるので、じろうさんを巻き込んで、楽しいトークをしてこようと思います。胎教から中学生指導まで行ってきたので、参加される皆さんからの質問にも丁寧に対応しようと思います。

 イメージ 2子供達を指導していて、成績の好い子と、成績の悪い子の差は何処にあるか、それぞれを見ていると、「記憶の想起」であることに気付きます。また、学習面でも、同じ時間を行っていても、集中して取り組む子と、意識が散漫で無駄な時間が多いことにも気付かされます。それで、同じ1時間の学習でも大きな差が出てしまうのです。子供達にとって、学習は未知なる知識であり、内容によっては、数度説明を受けなければ理解できないこともあります。ただ、それも、「復習」という癖をつけることで、説明回数も少なく理解が早まってきます。成績の良い子は、この積み重ねがある子供です。成績n伸びない子に限って、「学習の垂れ流し」状態が多く、まるでザルのように、大切な学習の要素を垂れ流しています。予習も大切なのですが、復習は、記憶の想起、学習内容の深い理解、学習の定着と子供に取って最も大切な学習になります。

 イメージ 1「わかったつもり」、最近、この傾向がより強くなって来ています。その為、一度説明した問題を、再度、子供に説明をして貰いますが、当初は、なかなか言葉が出てきませんでした。学ぶ場の環境も大切です。説明を聞いていないと、皆の前で説明が出来ません。出来ないという事を本人が自覚しなければ、説明など真剣に聞きません。説明が出来るまで、座ることが出来ない。こうしたルールは、子供を授業に対し前向きにさせます。これ自体が「復習」の要素であり、繰り返し学習になります。記憶とは実に不確かな物です。「記銘→保持→想起→思考」記憶はこの繰り返しで、以前に記憶した不確かな内容でも、思考し繰り返されることで確かな知識として定着します。だから、学習には、この「復習」という「記憶学習」が大切なのです。

 算数学習で、文章問題で悩む子は、問題に出てくる数字をまるでパズルのように式化します。底には、思考はなく、それらしい式にする数字の並べ替えになっています。つまり、思考への道筋、アルゴリズムが不完全で、「考える」ことを学習していないのです。文章問題から直ぐに式を立てる子てはまだ良い方です。機械的な計算は良いのですが、文章問題が苦手なのは、思考へのプロセスを学ばず、計算のように問題を解くことがパターン化されています。式の説明が出来なければ、その問題を理解し解いたことにはならないので、多くの子は、文章問題で式を書かず、直ぐに答えを求めようとします。文章問題から立式せず、直ぐに計算に入る。これでは文章問題という、思考を確かめる問題が次第に出来なるのも頷けます。どんな問題でも、絵や線分図などに表して文章問題を半抽象化して具体的に考える。この文章を図に表す一段階を設けるようにします。この半抽象化に慣れてくると、頭の中で図が浮かぶようになります。タイルを使って学んできた子は、こうした文章問題を図に落とし込むことがとても得意です。

 タイルや、絵、線分図になどに表すと、数字だけでなく映像として頭の中に残ります。記憶が映像と言葉を伴い、より確かな記憶として定着することになります。スキャモンの忘却曲線からもわかるように、学習の定着には復習は欠かせません。ところが、せっかく学んできた学習も、その記憶を塗り替えるような、スマホの刺激的な画像や、ゲームに長時間「集中」することで、学習内容が台無しになってしまいます。子供にとって学習は、ゲームなどに比べ退屈で面倒臭いものの代名詞になっています。まだまだ自分をコントロールできない子供に対し、親がその代わりに毎日の生活を整理してあげる事はとても重要で、その関わり方が成績にも反映されてしまいます。毎日、今日やった問題をもう一度チャレンジして貰うこと、先に進むことより、この繰り返しが学習の確かな定着に結びつきます。漢字なども、フラッシュカードなどで、繰り返し行う事で、読みと、字形が記憶されていきます。繰り返しの学習は、学びの定番です。

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「やはり必要な自尊感情、自己肯定感」

イメージ 1 「わかりません!」子供の口から漏れてくる言葉の代表格です。算数の問題が分からないという意味ではありません。自分の進路について、即答で「わかりません!」と応えてきます。「悩んでいます。」ではなく、自分のことを考えていないのか、考えられないのか、そして後は無口になります。今の子供達に、こうした傾向はあるのでしょうか?と、ある若い先生からメールで相談を持ちかけられました。

 学力もあり、ベスト10に入る生徒でも、自らの進路を見据えている子は少ないようです。中学生くらいまでは、自分の進路は親任せ、場合によっては高校生、大学生にまで及ぶこともあります。先を読むことが出来ない。勿論、混沌とした時代です。将来の不安などもあり、悩むことは多いでしょう。しかし、余りにも、自分自身を客観的に見る事が出来ない若者は増えているように感じます。感情のコントロールが出来ないのも、こうした傾向の特徴かも知れません。

 教育現場では、民間教育であっても、教科指導よりも、まず、生徒の精神的向上を優先せざるを得ない状況にあるとも言われています。自己判断能力、自分自身の行動を自分自身で決められず、指示命令を待つ、この方が面倒くさくなく楽であることは間違いありません。その為、こうした環境にある子は、その判断も、極々単純な「イエス」か「ノー」になります。つまり、考え事も単純な判断を優先してしまいます。これでは、自尊感情は芽生えず、自分の目標や夢も持てなくなるでしょう。親の関わりも、子供の人生を補助する役目から、指示し、コントロールする傾向にあると見られています。

 イメージ 2教育現場の指導も、信頼関係を築き個々に接することになります。将来の話しの前に、今の状況をまず確認、認識して貰う。今の学習状況はどうか、宿題なのどの提出はどうかも大切ですが、子供と向き合い、子供の話を聞くことから始めます。それでも、「話すことが出来ない」子は多く、自分の気持ちを伝えられず、表現できない場合もおおくあります。このままでは、社会に出ても、指示待ち人間として、自ら動く事がなく、評価も低くなってしまいます。自尊感情を高めるにも、幾つかの大切な知性があります。空間的知性・時間的知性・対人的知性・内省的知性などがそうです。特に内省的知性は自己分析する能力として、自尊感情や自己肯定感に必要な知性となります。こうした、知性のバランスが崩れると、思考や行動にも影響を及ぼします。

 話しは変わりますが、先日も、仙台で大学生が警察官を刺殺した事件がありました。温和しく、礼儀正しい子であったという評判に加え、「無口だった」という学友や近所の評判もありました。温和しいから犯罪を犯さない、そんな定義はありません。それだけ、人の心は端からは見えないものです。内にため込んだストレスはいつか放出しなければなりません。心が壊れるからです。言葉で自分を表す、意識の言語化は、今の時代の子に最も必要な事だと念います。自分の気持ちを文字にする事も多いのですが、それは、また、読み返すことで自分に返ってきます。だから、言葉に表す事、声に出すこと、それも、短い言葉でも良いから、まずは声に出すことだと念います。私は、指導している子供達に、「無口ではいけない、短くても言葉に出して下さい。黙っていることが一番良くない!」と伝えています。ただ、「私の前では」という前置きがあります。「言葉に出す!」、まずはそこから始まります。

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「思い、想い、念い」

 イメージ 1幼児から中学生まで、親子の関係を長い期間見守っていると、互いの「おもい」が見えてきます。学校ではなく、民間の教育機関では、子供達と接する機会は週に1回から、数回でしかないので、子供の変化等はより客観的に捉えることが出来ます。また、幼児と中学生では悩み事も変化してきます。小学生も高学年にさしかかると、学習面に関心が集まり、中学生では、子供の将来について少しずつ現実的な問題として悩み事に加わってきます。


 育児や教育の専門家は、かく言う私もその端くれですが、子供の反抗期を「成長の節目」「自己主張の始まり」「自我の成長」「自律の第一歩」など、子供の成長の証として、それを評価という見方をします。しかし、それは、親にとっては喜びよりも、苦痛や悩みに結びつく、まさに「反抗」という意味合いが強く、幼い頃は親の「力」で制することも出来ます。しかし、年齢が上がり、思春期にさしかかる第二反抗期では、互いの「力」同士が「衝突」する事態にもなります。

 勿論、この反抗期がない子もいます。でも、それは本当にないのでしょうか。親御さんの中には、「親の圧力」で「我が家には反抗期はない!反抗はさせない!」と言い切る方もいます。この場合、反抗しないのは「我が家」、そして、反抗しない対象は「親」となります。しかし、箱の中に閉じ込められた子供は、成長と共にその箱では狭くなり、そこから飛び出ることになります。そして、その反動は家庭ではなく、外に向けられていきます。時に、他人に対する言葉遣いの荒さ、冷たい態度、他人に対する批判が過剰になり、それを饒舌に語り始めることもあります。子供でも、大人同様にストレスは溜まります。自我の目覚めから、自己主張を始めるのですが、それがことごとく否定され、物事を言えない環境では、そのはけ口はそのまま外の人に向けられます。そんな時、その子の「おもい」を受け止めてくれる人(大人)の存在は大きいと思います。

 また、反抗期とは感じない子もいます。特に、男の中には無口で、表現の苦手な子は、反抗期特有の「モヤモヤ」した気持ちの意味が分からず、その重たい心が更に、重たくなっていく事もあります。急に、大声を上げたり、短い言葉で親に反抗したりします。大人であれば「お酒」で憂さを晴らすことも出来るのでしょうが、思春期のこの場合、そうはいきません。丁度、中学3年生あたりで反抗期にさしかかる子は、成績も上がらず、その原因が分からず、親と衝突することもあります。

 イメージ 2反抗期、それは、親自身も身をもって経験してきた、以前通ってきた道です。今度は、立場が逆転し、親として我が子を受け止めて上げなければなりません。「イヤイヤ期」「子どな期」「思春期」、どれも、親子にとっては大切な関門であり、悩む期間です。頭で思っていても、心で想っていても、その対応は、人それぞれ、ただ、相手はまだまだ子供です。思春期の子でも、図体は大きいのですがまだまだ表現力に欠け、体験や経験も少ない未熟な子供です。まずは、親として、子供の身体から想像せずに、精神年齢を考え、短く、適切な言葉で対応することが望まれます。「子供を念う」つまり、親にも子供を育てるについて「信念」が必要なのだと言えるのではないでしょうか。どうしても、親子の間には感情的な行き違いがあるように感じます。

 子育ても、年代毎に考え方が変化してきました。「泣いている赤ちゃんを直ぐに抱っこすると、抱き癖がつき、自立が遅くなる」等と言われた時期もあります。ところが今では、その反対です。こうなると何を信じて子育てをすればよいのか判断に苦しむところです。先の反抗期についても、年齢によって親の考え方、接し方に変化が生じます。ただ、一番大切なことは、未熟な我が子を、一人の人間として立派に成長して貰いたいと言う想いです。大切な事は、親子間の信頼、だからこそ、幼い内は子供の想いを受け止めて上げること、「抱っこ」はまさに子供の想いです。不安で寂しい、そんなとき受け止めてくれるお母さんの存在は、子供の心から「不安」の「不」を取り除き「安らぎと安心」に変わります。

 子供はいつまでたっても子供、振り回される対象かも知れません。頭で思う、心で想う、そして子育ての信念として、我が子を念う。子供に対する想いにも変化があるようです。 

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「学習習慣と読書習慣」

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 「えぇと、藤井さんは今なんだんだったけ?」と調べなければならないほど、将棋の藤井聡太七段は、あっという間に段位を上げていきました。皆さんは、藤井七段が幼い頃から読書家であったことはよくご存じだと思います。読書は、子供だけでなく大人にとっても、最適な自己学習であり、読書の習慣は、最高の自己教育力になると言われています。

 何故、幼児期から絵本や本などの読み聞かせが良いと言われるのでしょうか。幼児はまだ文字が読めないため、絵本や本は、お母さんやお父さんの声を聞き耳で読みます。最近の絵本の傾向は、目でも楽しめるよう、立体になったり、鏡の効果を利用したり、子供達の興味を引く内容になっています。それは大人でも十分読み応えのある物もあり見る人を楽しませてくれます。ただ、大切なのは、視覚的効果以上に、乳幼児が最も興味関心を抱くお母さんの声を聞くことにあります。

 読書は、子供にとって未知の世界です。お母さんの読む内容は、子供にとって「素読」という学習その物です。言葉の意味が分からず、目に見える絵を頼りに、まだまだ成長し切れていない脳で必死にお母さんの言葉を聞き、思いを馳せます。お母さんの言葉の数々が耳に残り、同じ本を読んで貰うと、耳に残ったその言葉達が、子供の脳の中で蘇ります。子供が、同じ本を何度もねだるのは、脳の中で、自分の覚えた言葉とシンクロさせ楽しんでいるからです。「あっ!、言葉遊びをし始めたな!」と、親としては喜ぶべきことだと思います。

イメージ 2 この頃から、毎日、時間を決めて本を読む習慣を付けていくと良いでしょう。本は、様々な学びの場を、空間を与えてくれます。言葉を覚え、文字を覚え、多くの知識を知ることが出来ます。幼児教育を行っていて、今でも感謝されるのが子供達の読書習慣です。乳幼児期から小学生の低学年までは、最も言語能力が高まる時期です。言語能力の発達は、子供の学習能力を最大限に高めてくれます。小学生低学年でも、本の読み聞かせは大好きです。本来、私たちは本好きなのかも知れません。しかし、活字離れが進み、自ら読むという習慣から、映像などを見る時代に入ってしまいました。子供から自己教育力を奪う、そんな環境になっているようです。(表は、語彙数・読書数などと成績の相関を示したものです)

 リビングや家庭内に本が目立つ環境は、子供に取って、読書が当たり前の環境になると言われています。生徒が、事務所の私の部屋に来ると、本の数に驚きます。すると、興味のありそうな本に手を伸ばします。中には、読み入ってしまい、座り込む子までいます。最近では、本を読む子は頭が良いと思う人が増えてきました。そこで、とても興味深い報告がありました。脳科学と学習の関係を研究されている東北大学加齢研究所によるレポートです。子供達4万人による調査、分析から、『「本の読み方で学力は決まる』という本にまとめられました。同じ東北大の川島隆太教授の監修です。

 興味深いのは、学習時間と読書時間の関係です。長時間(1日2時間以上)の読書では学力が下がるという結果です。「エッ!読書は成績を上げるんじゃないの?」と思われる方が多いと思います。では何故なのか?それは、特に小学校の高学年以上の学年に言えることなのですが、この頃から学習量が増えることで、読書の時間が、学ぶべき学習時間を減らしていることが原因という事が分かってきました。やはり、読書と学習のバランスが大切だと分かってきたのです。また、勉強しても読書習慣がない子は成績は平均以下になる傾向も明らかにされました。最も、成績を上げている子は、一日1〜2時間ほど読書をする子であることも分かってきました。この数字を見て、直ぐに諦めてはいけません。読書時間「0」では、成績も平均以下になってしまう、そこで、最低どのくらい読書時間を設ければ良いのかが気になるところです。成績の上位に行くには「一日10分以上」と報告されています。

 学習指導をされている全国の先生から、だんだん、指導が難しい生徒が増えてきたと数多く聞きます。何を言っても、質問しても答えてくれない。コミュニケーションがとれない。説明しても言葉が理解出来ない。いくら丁寧な指導でも成績が上がらない。これは、生徒の感想ではなく、指導する先生の感想です。自分から進んで学ぶ姿勢は、読書を習慣化している子供に共通しています。言葉で、勉強しろ!と促すことより、一緒に本を読む時間を作ること、そんな環境が求められているように思います。

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考える力がなければ…

「自立と自律」

 イメージ 1親が、子供に対して「じりつ」を願うというとき、「自立」「自律」どちらの字を使うでしょうか。子供としての成長では、まず「自律」の方ではないかと私は思います。「自立」は自分の力で身を立てるという独り立ちの意味で、自立経営などに使われます。一方、「自律」は外部からの制御から離れ、自身の立てた規範に従い行動する、と言う意味があります。子供が成人し、社会の中で揉まれ、そこから起業することは、まさに「自立」になります。一方、「自律」を願うには、親としての関わりがとても要になります。

 自律の第一歩は、自我の目覚めである第一反抗期だと考えられます。ちょうど、これは、親として苦労する「イヤイヤ期」に当たります。次の大きな反抗期は思春期と呼ばれる時期ですが、最近では、情報化社会で、子供に入る情報量の多さも原因しているのか、幼小期でも、中間反抗期と呼ばれる、成長点が二度ほどある子供もいます。こうした反抗期は、子供の育つ環境に左右されがちですが、間違いないのは、親が、子供と正面から向き合う事だと言えます。

 子供自身の行動を自分で律して行くには、子供自身の知的成長が前提です。最近、あるキャンプが話題になっています。30泊31日という長い期間、親から離れテントで過ごすというある意味過酷なキャンプです。子供の中には、ついたその日のうちにホームシックになり、泣いて帰りたいとキャンプ責任者の所に訴えて来る子もいるようです。親と離れ、チームで食事の支度をし、身の回りも自分で行わなければなりません。家にいれば、殆どが親の手を借りている子供達です。しかし、子供は元々逞しい面を持っています。環境の中で自分を変えていく、すると、いつしかキャンプ生活にも慣れ、そこでの生活をエンジョイし始めます。「子供を変えるには親から離す」昔からよく言われることです。親は、元来、子供を甘やかすからです。甘えさせるのは良いのですが、甘やかすことで、子供自身から気付き、行動することが出来なくなります。子育ては、この「加減」が難しいのです。

 そこで、子供の成長に合わせ、出来る事を一つずつ増やして行くようにします。「自分でできる」ということは、自分で判断して行えると言うことで、自分自身が作る規範に沿って行う事です。ですから、親の言葉がけなしに行えることが前提です。あるお母さんは、これを表にして、出来る事の内容を、子供と一緒に書き込んでいます。生活に目標を持つということです。この時点で、「無理」と思われたら、子供自身の自律は遠のくでしょう。親が「面倒臭い」と思った時点で、子供も、右へならいをします。だから、一つ一つ出来る事からなのです。

 常に親の指示で生活してきた子は、楽なこと、遊び以外では、自ら動こうとしません。勿論学習も同じ事です。以前、「パーソナルゴール」についてお話をしたことがありました。人の為の学習であって、自分の為の学習ではない、その為、例えば、受験をして失敗すると、年齢に関係なく自己嫌悪感に襲われ、自己否定や自信喪失に繋がって行きます。学習での失敗は、全て自分を責め、次の一歩を踏み出せなくなります。対して「ラーニングゴール」は、失敗から「学び」何が良かったか、何がこうした結果を招いたのか分析し、先に行かせる「学び」として自分に活かします。これを「内省的知性」と言います。幼い頃から、子供は実にポジティブです。だから、出来る事を一つ一つ積み重ね、それを自身に結びつけていくのです。しかし、指示が多く、親に従ってきた子は、学力も伸びません。自発的学習にはならず、脅迫的学習になっています。中学生では、ここに思春期という反抗期が加わります。意識の無い子は、幾ら長時間学習しても身に入らず、時間だけが無意味な時を刻んでいきます。

 親子して、考える力を持たなければ、惰性で時は過ぎていきます。子供自身に考える力が備われば、また、自分自身を客観的に見る事が出来れば、人生も学習も、最終責任者は自分自身だということに気付きます。若者の中に、自分を見失っている人が多く、学習だけでなく、自分と向き合う時間を持てればと思います。そして、何をすべきか、自問自答して貰いたいと思います。子供に取って、「自律」への未知は険しく、そして厳しいものです。その為、幼い頃から「出来る事の積み重ね」は、子供にとって一生の財産になるでしょう。

 
 

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