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石川幸夫の教育・子育てブログ
教育評論家・教育研究家 石川教育研究所 代表の独り言

子供の成長期

「成果主義に陥る教育」

イメージ 1 昨日は、月刊私塾界の取材を受けることになったのですが、そのきっかけが、「吉備システム」という、算数、数学、国語、英語、理科、社会の問題を分析し、基礎、標準、応用、発展と分類されたデータベースの教材作成システムについて語った事からでした。開発された会社では、著作権問題から国語についてのみ教科書準拠が適わなかったと、そこが唯一このシステムの欠点だと仰ったのです。「私はそうは思わない、逆に教科書準拠でないから使えるシステムだ。」と申し上げたのです。

 国語の題材は数限りなくあり、同じ題材を学校と塾で行うには時間が勿体なく、その分他の題材に触れたり、国語力の基礎である、漢字、語句、ことわざ、慣用句、故事成語、文法などを読解学習に入る前の”脳のストレッチ”として行うことの方が、語句の理解と語彙数の獲得になります。国語力の低下が叫ばれて久しいのですが、こうした学校準拠の指導が、テストで点数をとらせる指導になっており、真の国語力が付かない原因の一つになっているかも知れません。

 教科書準拠のテキストで指導を行うことを全面的に否定するつもりはありませんが、”国語力を付ける”という目的より、まずは学校のテストで点数をとらせる事を目的とすると、国語の知識や学力はとても限られた範囲になってしまいます。国語力は他の教科の土台となるものです。子供に良い点数をとって貰い自信を付けさせる事も大切です。しかし、長い目で見れば、国語力をしっかりに身につけることも考えなければなりません。

 イメージ 2そして、話しは国語指導の中身に入って行きました。先日、素読の話しをさせて頂きましたが、今、低学年の子供から積極的に漢詩の音読を行っています。子供の聴覚の衰えが気になっているからです。言葉の聞き取りが十分できず、幼児から低学年にかけて清音や濁音以外の表記の発音ができない子供が目立つようになってきたのです。
 これは、運動的言語中枢への刺激が足らないのではという指摘もあります。つまり、会話や音読という声に出す学習を多くという指摘です。音声で表現できない、それは、聞いた文字を書き写すときにも現れると言います。見えない学力として、今後話題になるかも知れません。

 素読では、難しい漢詩が読めるようになる、そして、知らず知らずのうちに、暗記してしまう。こうして、素読指導や、漢字、語句の学習を教室に入ってから直ぐに取りかかる脳のストレッチを行い、時間をかけて語彙を悪得して貰い、言葉の表現力を高めて行きます。この間、学習についての小さな成功体験を積み重ねて貰います。人の能力は、幼少期から中学生にかけて学んだことから確かな力として定着します。ところが、この学習の積み重ねを行わず、一気にプレハブ住宅のように、安易で簡易な人を形成させようとします。だから、無理が出てくるのです。

 幼いときから通ってきてくれた生徒がいます。気が弱く、自分の考えを持てない子でした。ただ、素直さが光る子でした。生成は中程度からなかなか上がらず常に中程でした。それが、中学2年生になる頃、大きな変化が出てきました。体力も出てきたのでしょう。今まで以上に集中力も増してきました。子供の能力の裏側には、この体力が重要な鍵を握っています。学習に対する持続力等にも関係するからです。その後、学力はぐんぐん上昇し、私立の進学校の特進クラスに合格し、国立の医大を目指すまでになりました。当時一緒に頑張っていた子供達も、同様に意識がより高くなる思春期になり、それまで蓄積してきた非認知能力(自己肯定感等も)の向上と共に、皆国立大に入学していきました。

 この子達の親御さんも、子供の成長を見守り、彼らの自力で開花する時期まで待っていたのです。その彼らも今は大学院に進んだ者、研究者としての道を歩んでいる者など、それぞれがもう一つ階段を上っていきました。

 

「新しい環境に対応できない!」

イメージ 1 今日は、午後から月刊私塾界の取材を急遽受けることになりました。ある教育関係の方とお話をしている時、私の専門の幼児小学生教育ではなく、一般的な学習指導について私見を述べたところ、その内容が、ある意味逆転の発想だったのか、その後話しが進み、今日の取材となったのです。連載をさせて頂いている私塾界から、逆取材を受けるとは思ってもいないことです。

 生活環境や職場環境、そして、進級、進学など教育環境も変化するのがこの時期です。すると、思っても見ないことが生じます。特に、子供達のクラス替えや、進学で不安なところに、知っている人がいない時など、まずは人間関係で悩むことになります。最近の人は、老若男女を問わず、人とのコミュニケーションを苦手としています。今の時代のキーワードは、「コミュニケーション」であると言われるほど、人間関係から生じる事件等を見ると、些細なことで互いの意思を読み間違えることが日常茶飯です。

 この時期に囁かれる「五月病」、医学的にはこのような名称の病名はありません。しかし、自律神経の失調などから体調を崩す人が多くなるのですが、その源に精神的不安やストレスがあるのは間違いなく、それに、環境の変化が大きく起因しているのです。最近、あまり聞かなくなってきた「自己肯定感」、特に高学年から中学生にかけて、自己肯定感の低い子供達は、今まで以上に精神的不安定な状態になる傾向を示します。この時期をどう乗り切るか、子供達は見えないところで葛藤しています。

 中学生でも、中1は、新たな環境で”頑張ろう”と、自分を奮い立たせる子供は多く、周囲の協力で更に向上心を持って臨めるチャンスです。それに対し、中2は、1年生の時の学力がもろにこの学年で出てしまいます。その傾向は、中1の夏休み以降から見られ、主に数学と英語で成績の伸びが見られなくなります。自分自身の為に行う学習より、自分の欲求の為に行う遊びやゲームに熱中してしまう子供、先生の話を聞くことなく授業に臨み、イヤイヤながらの学習が当たり前になってくると、次第に、自分の成績の悪さは、先生の教え方が悪いからだ、塾が自分に合っていないからだ、友達がうるさく集中できないからだと、自分ではなく、周囲にその責任をなする付けていきます。これは自己肯定感の低さを表してて、子供の口から聞こえてくる愚痴や、批判的な言葉の多様からそれを判断できます。

イメージ 2 最近の塾では、生徒の精神面も十分配慮し指導に当たる所も珍しくなく、生徒に寄り添い話しかけるのですが、それは、自己肯定感を高める事が成績につながることを理解しているからです。しかし、自己肯定感を高めるには時間も手間もかかります。目に見えない、直ぐに現れない指導、これは生徒にも保護者にもなかなか伝わらず、事前に伝えても、直ぐに成果の出ない指導は敬遠されがちです。そこで、こうした塾から、他の塾へ行くのですが、根本的なところで、本人の意識や理解が足らないので、最初は良いのですが、また、直ぐに元に戻ってしまいます。すると、今まで以上に精神的ダメージは大きくなり、「私は何をやってもだめ!」「自分は頑張ってもできない」と更に自分自身を責めていく傾向にあります。つまり自己否定観を高めてしまうのです。

 学習に対し、肯定的に受け止めず、つまらない、覚えられない、やっても何の役にも立たないと、学習に対して否定観が強くなればなるほど、脳はそれに”素直に反応し”学習情報を受け止める道順を封鎖してしまいます。脳が学ぶ事を拒否するのです。自己否定に走る前に、成績のことだけで本人を追い詰めたりせず、当然のことですが否定的な言葉を使わないことが大切になります。これは、幼児期の子育てにも通じることです。学力が上がらない最大の理由は、学ぶ事を否定し、学ぶ事が自分の為になる行為であることを自覚、もしくは意識していないことだと思います。学ぶ事が大切である!そのことを理解している子は、間違いなく成績は伸びていきます。子供の持っている興味関心事にも理解を示し、そこから会話を重ねていく。すると、次第に子供は聞く耳を持つようになってきます。

 この時期の子供達の行動や言動に変化が見られた場合、何気ない会話から少しずつ心をほぐし、家庭に子供の居場所を確保して上げることから始めて下さい。人の気持ちを理解する、それは、たとえ我が子でも難しいと思います。


「子供の体験が減っている!」

イメージ 1 温度、時間、量と、ここまで来ると算数?それとも理科?と考えてしまいます。最近、女の子のが将来やってみたい職業にパテシエがあります。このパテシエに必要なのが、算数や理科的知識なのです。先日、ある番組で、タレントさんがチョコレート作りに挑戦されていました。一見華やかに見えるパテシエも、芸術的センスを持ち、味覚という感覚を研ぎ澄ませ、更には、解ける温度、チョコレートが結晶化するタイミングなどで見た目も、味も、手に触れた時の感触までも違ってくることが、画面を通して伝わって来ました。

 物事に興味を持つ、それは、時として学校や塾では教わらない、真の学習を得られるチャンスなのでしょう。秀でるということ、自分の好きなことに没頭するとき、必要な知識や技術を身につけなければ、最後まで到達できないことがあります。そこに、模倣があったり、工夫があったり、発見があるからこそ、学びの大切さに気付くのでしょう。子供の持つ興味関心は、彼らのその後の将来に深く結びついています。その芽を摘むことは容易いのですが、育てることの難しさに世の親は直面し、悩むのです。

イメージ 2 時間やお金があれば何でもできるとは限りません。子供に寄り添うことが大切ですが、子供に多くの事を体験させる、それは幼児期からであれば、彼らは好奇心から容易に受け入れることがあります。家での手伝いは、子供達ができる一番身近な体験です。例えば、料理です。水の量を量って貰ったり、味見等は、子供の感覚を養います。少しの塩や砂糖の量で変化する味、茹でる前の野菜とゆであがった時の野菜の色、料理はそれだけで、化学の実験です。刃物の怖さを知ったり、炎の調節や鍋の温度、熱さを知る事も、手伝いの中で、肌で感じる事ができます。初めは器用に切れない野菜も、次第に包丁の使い方に慣れてきます。

 配膳など、箸、茶碗、皿などを並べるのですが、こうした行為は、算数で学ぶ「一対一対応」と呼ばれる学習です。そして、皿を洗ったり、拭いたりする際、芽から飛び込んで来る皿の形状と、手の感覚から伝わってくる円形の感触から、円という図形認識ができてきます。四角い皿では四角形を、そして、角を、皮膚感覚で認識していきます。図形学習は空間認識力が必要といわれていますが、こうして、触覚と視覚を通した形の刺激が、とても大切な子供の経験学習になります。

 部屋の掃除についても同じです。広さを感じたりできます。あるとき、我が子が、箒を使って掃いているとき、「なんで形が違うの?」と箒の形状に興味を持ったようです。箒を使う際に向きがあると伝えました。そうなんです、箒は左右対称ではなく、先と手前という使う際に向きがあるのです。物形状と用途、子供は大人でも気付かない事に目が向くのですね。

 こうして見ていくと、日常生活から学ぶ事が多く、手伝いを通じ、子供達の興味関心は更に広がりを見せると思います。どうぞ、日常生活に関する手伝いを通し、様々な体験の場を与えてあげて下さい。

 今週も、フジテレビのグッディの取材から始まりました。今日もこれから小学館のニュースサイト「NEWポストセブン」の電話取材です。いつも申し上げますが、こうしてご連絡頂けることに感謝です。取材を通し、私も学びの場を与えられています。

「メタ認知能力?」

イメージ 1 もうすぐ、10連休ですが、広く社会に目を向けると半数以上の人が疑問視している結果が出ています。医療機関、教育機関、そして、金融関係では月末と月初を挟むため、中小企業の場合は、入出金に頭を悩ませていると聞きます。日給の人は、死活問題だとも言われており、悲喜こもごもの10連休になりそうです。

 人に対する見方は様々あります。暫く続いた個人主義も、今では少しずつですが人に対する気配りや、配慮が求められています。東大の入学式で同大学名誉教授の上野千鶴子先生が、話題になった男女差別の話と共に、『「世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひとたちがいます。がんばる前から、『しょせんおまえなんか』『どうせわたしなんて』とがんばる意欲をくじかれるひとたちもいます」、「あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください」と訴えました。

更には、「知を持って知を高めて」とのお話もありました。「メタ認知」について語られたのだと思いました。

 次の内容について、どう思われますか?イメージ 2
 ・気配りや配慮ができる
 ・知識が豊富である
 ・集中力がある
 ・忍耐力があり、冷静な判断ができる
 ・計画性を持っている
 ・意欲的で行動力がある
 ・分析力があり、冷静である
 ・感情のコントロールができる
 ・問題解決能力がある

 以上は、「メタ認知力」が高い人の特徴です。「メタ認知能力」は仕事や人間関係に応用できると近年多くの関心が寄せられています。自分をコントロール出来る、この能力は社会が最も必要としている能力だと思います。「メタ認知能力」は同様の「非認知スキル」と共に、子育てに、教育に活かしていくという試みがされています。この能力を身につけるには、自分を知ることから始めます。まず、観察です。客観的に自分を見つめていくと、”自分にできること、できないこと”を知ることになります。そして、分析です。自分の欲求を知り、自分の考えを整理していきます。これを文字に置き換えてみるとより客観性が増します。すると、自分の行動を振り返り反省ができます。つまり、モニタリング(評価)される習慣を身につけることの大切さを知ることになります。最後に、自分の心を抑制出来ると、他人の話をよく聞くことができ、他者のことを考え知ることができる自分へと高められます。

イメージ 3 「メタ認知能力」の高い人は、失敗を恐れません。それは何故でしょう。自分の行動を振り返り反省し、他人の言葉を聞くことができる人は、そこから気付く事や発見から多くを学べることを知っているからです。発見と学びのできる人だからこそ、周囲の人から信頼を得られるのです。

 これらを、好奇心旺盛な幼児期から、メタ認知能力を高める環境の整備をすると、対応する親も、先生も、この能力を高めていきます。我が子のため、教え子のためだけでなく、指導する側も、いつの間にか知識から更に高い知識を生み出し、自らの見識を高めていくことになり、メタ認知能力も高められていくのです。

 メタ認知を親や先生が意識するようになると、「叱る」という行為にも変化が生まれます。実際に「怒る」事がなくなり、子供と向き合い、叱られる行為に対して考えて貰う場として接するようになります。子供にとって、「叱られる」行為は、自分の行動の「失敗」なのです。しかし、自分の行動から、こうすれば良かったという発見や気付きから学ぶ事ができれば、子供にとってそれは、自分を見つめ直すという貴重な体験となります。親にとって、我が子を叱る場面は、子供に学んで貰う絶好のタイミングでありチャンスなのです。互いにストレスを感じていたことが、考え方一つで全く異質の経験に変化する。時に自分自身を見直すことは、どこか自分自身の心の安定につながるのではないでしょうか。

「学びの道」

「目標:非認知スキル=模倣→気付き→発見→疑問→思考」

 イメージ 1相変わらず、様々な教育に関するニュースが次から次へと出てきます。私も立場上、コメントを求められることが多数有り、その際、伝わってくる内容が事実であるのかが真っ先に問題となります。事実確認、被害の状況、数字や数値の確かさ、近年の情報は全てが正しいわけではなく、時には流行語にもなりそうな「フェイク」があることを忘れてはなりません。感情的なコメントは避ける。「言葉の重さ」が国会議員の発言からしばしば話題や、問題になりますが、私自身にも当てはまる事なので、気を引き締めなければなりません。

 情報と言っても私達の周りには、様々なジャンルの情報が満ちあふれています。その中で、その情報を厳選して伝えなくてはいけない対象があります。それは、子供達です。では、子供達が厳選されて得るべき情報はなんでしょう。それは、当たり前の事なのですが学習情報です。子供達が学校で学び、家で学習することで様々な事を覚え、記憶していく大切な情報です。複雑で多様化する時代に、情報の多くはPCを中心としたネットワーク社会の中で蓄積され、同じく、PCやスマホなどの端末で得る事が出来ます。その為、人は知識を得なくても住むという事が囁かれました。しかし、情報から知識を選び出し、それを見識変える学習と思考の過程は何ら変わることはないでしょう。むしろ、基礎知識の獲得がより必要になってきています。文章や企画書などまとめるにも、PCの操作や知識がなければ難しいのですが、スマホに頼る状況下では、PCを使った情報整理や創造作業はできな九なるかも知れません。

 「やらされている」「教えられている」今の子供達の環境から、この受け身である状況が鮮明に浮かび上がってきます。そこには、子供自身の学習に対する意思を確認することは難しく、目標のない学習が行われています。夢や目標を持って学習に臨む子供と、「やらされている」子供の違いとても大きく、それが、授業態度や成績に表れているのです。最近、”非認知スキル”が重要視されているのはこのためです。”非認知スキル”は「心」を育むことだと言われています。そして、同時に子供の「心」を大切にする事だと考えられています。それが、「好奇心」です。「好奇心」は、子供の観察力を高め、学ぶ事の原動力になる「疑問」という好奇心の次の段階の思考力へと導いてくれます。好奇心から芽生える学びの道は、「探求心」という心も育ててくれます。幼児期に整えられる学びへの道を築くことが、両親や幼児教育者に求められています。

 イメージ 2幼児が持つ学習の目標は「知りたい」です。これほど明確な目標はありません。好奇心や疑問から生まれる「知りたい」という思いは、人間の持つ知的な本能だと言われています。この本能が最も強い幼児期に周囲の大人が無頓着であるのは幼児にとってとても悲しいことです。しかし、幼児の好奇心や疑問に周囲の大人が積極的に関わると、子供は、知的な部分の模倣を始めます。最初の模倣は「言葉の習得」です。また、動きも模倣し始めます。すると、自分で”したくなる”欲求にかられ、思いを行動に移そうとします。この時も、できる範囲で子供に寄り添います。ここで子供は、「できない」ことを学びます。できることだけでなく「できない」ことも学ぶのです。すると、できるようにする為に自分から行動を起こします。同年代の子供が自転車の補助輪をとると、周りの子供達も数日後には補助輪を外しています。これなど良い例でしょう。

 幼児期は、様々な学びの道があり、自分でそれらの道へと進んでいきます。多くの場合、親が舗装した道を歩ませることが多く、そこには、危険な石ころや、崖などはありません。場合によっては坂道さえ、階段さえないかも知れません。それでは、道の周りにある花や草、そして、虫などもいないのかも知れません。「歩かされている」そんな状況から、学習に関しても自らの意思はあまり感じられず、させられている学習に、「なんで勉強しなければいけないの?」という、自分の意思なく、させられている感覚から抜け出したいと思っている子は多いようです。

 これからの教育は自主性が求められるのですが、学習効果も一定の順路があり、それが、模倣→気付き→発見→疑問→思考です。これは、幼児期に子供が学ぶ過程そのものです。最近、音読をして下さる先生方が増えてきました。これは嬉しいことです。以前もお話をした「素読」などは、まさに模倣そのものです。先生の読む声を聴き、それを真似て復唱する。これは、簡単なようでいて幼児には難しいことです。大人でもそうだと思います。例えば、フランス語の詩を読んで貰い、それを真似よとします。どうでしょう、大人でも難しくないでしょうか。幼児にとっては始めて聴く言葉、表現ですから口が思うように真似られません。勿論、言葉を聞き取るだけの力がなければ難しいのです。年少さんから行いたいとご連絡を頂きました。実際にやられて、最初は大変でしたが、幼児の力は凄いと感じられたそうです。3日後には、面白いフレーズを普段の生活で歌うように口ずさんでいたようでうす。詳しい話しはまたの機会にしますが、幼児期に育むのは、子供の「心」です。それが、学習の原動力になる「非認知スキル」を高めてくれます。

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