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石川幸夫の教育ブログ
石川教育研究所 代表の独り言

「自分自身の心を知る」

 「これからの教育は脳を知ることから始まる。」、30年程前、右脳教育が話題に上った時期がありました。右脳教育の流行と共に、大脳生理学と言う言葉が多くの教育者に知られるようになり、一般にも脳に関する関心が高まり始めたのです。脳科学は科学研究の中でも新しい分野で、各種測定機器の研究開発が、脳機能を調査研究する上で大きな役割を果たしています。

 イメージ 2右脳教育は、右脳の特性を活かし”効率的”に知識を吸収させる指導法として広く認知されています。この時期から、学習に効率性が求められるようになりました。知識の吸収m、獲得には当然のことながら短時間に多くの知識を獲得するための“学習の効率化”は不可欠でした。その為、速読、速聴という指導法も誕生するのですが、速読は、独自の教育的価値を見いだし、現在でも学習の中心的指導法として存在しています。

 脳科学は、一方の心理学をより発達させることに貢献しました。脳化学と心理学の融合は、新たに認知心理学を誕生させました。脳と心、つまり、人の持つ能力以外に、未だ未知なる精神性の解明に向かっていったのです。それは、知覚と運動・記憶・思考・言語・学習と発達などの分野に及びました。また、遺伝学の発達と共に、認知心理学は、今話題となっている発達障がいについても研究が行われ、かなり進んでいます。私も、テレビでの発言から、バッシングを受けましたが、先天的な発達障がいに加え、後天的な、第二の発達障がいと呼ばれる内容についても研究が進んでいます。それは、妊娠期から子育てまで及び、今後更に障がいに関する解明が進むことを期待されています。

イメージ 1 人間の脳は、自分自身の心を知る能力を持っています。これを「メタ認知」と言います。「メタ認知」を支えるのが、人の持つ「内言」と「外言」です。子育てをされているお母さん、お父さん方には、是非、この「内言と外言」について知って頂きたいと思います。また、幼稚園や保育園の先生方、また、教育に携わる方々には是非知って頂きたい内容です。実は、家庭や学習現場で、「メタ認知」の重要性についてあまり知られていないのが現実なのです。「メタ認知」は、自己肯定感・自尊感情と密接に繋がっており、これからの思考力重視に向けた教育、また、非認知能力教育の重要な位置を占めています。

 家庭で親子団らんの時間を十分に取っていますか?子供だけでなく、家庭内で親や大人と過ごす時間を取っていますか?、食事、風呂、家族のくつろぎの時間、子供と接する時間をとり、会話を交わず、親子、家族の関わりは「メタ認知」を高める土台となります。学校での学習は、データなどの記録を学習している状態が多く、発想や思考を産まない授業が目立ちます。子供と大人の時間が少なく、知識獲得中心の学習では、人として備わっている脳の特別な能力を発揮していません。子供達は、自分の持つ語彙数から、話しを組み立てていきます。そこに、大人が入ることで、新しい言葉や表現、情報を学びます。そして、意見を求められることも必然的に増してきます。自分の意見は、自分の持つ意識を音声に換えて話します。意見を述べる、家庭の中でも大切な、自分の意志を伝える言語能力、これが外言という言葉の持つ力であり能力です。アクティブラーニングが学習効果を上げるのは、外言という言葉の持つ能力を発揮するからです。

 言葉には、更に素晴らしい能力があります。それが「思考」です。考えるという知性を代表する能力は、外言と同じ語彙数や情報を持ちながらも、独自の文法を持ちます。話す事に比べ、わかっていることは敢えて言葉を使わなくても良いのです。ですから、主語述語などの順序もなく、言葉を凝縮し、場面を想定しながら思考されていきます。これを内言と言います。私達の言語活動はこうした、内言と外言で成り立ちます。思考力を鍛えるということは、この内言の発達を意味しています。子供の学習には、内言、外言双方の能力が必要とされます。言葉の発達は、眼に見える範囲と、眼に見えない範囲があり、それほど人の成長、特に知性の発達に最も重要な役割を担っていることになります。会話の大切さ、言葉がけの大切さ、読書の大切さ等がお解りいただけると思います。

 自分自身を知る、客観的に自分を捉える能力は、自分自身では気付かない事も多々あります。その為にもコミュニケーションが大切だと言えます。家庭で大切な点は、その基礎となる円滑円満な親子関係を築くことにあります。人からの指摘を自分の中で受け止め、改めてその言葉を自分に問い返す。この過程で、自分を省みることになり、考える事で内言が深まっていきます。こうした、考える習慣や、自分自身を省みる時間が如何に大切か、内言の深まりは、言葉の壺がいっぱいになり、あふれ出すまで繰り返し行っていきます。

明日へ続く

明日は、学習に活かす「メタ認知」を活かす5つのステップを予定しています。
 

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「大人が考えるべき事」

 宮城県、東松山市の教育委員会が、夏休みを5日間短くし、授業時数を増やす方針を示しました。これは、全国で行われた学力テストの結果が平均点以下であることへの対応であるととのことです。東松山市と言えば、あの東日本大震災で多くの被害のあった地域であり、まだ、復興途中でもあります。学力低下は、様々な要因が重なり起こるもので、短絡的に授業時数を増やしたから解決できるという問題ではないと思います。具体的なカリキュラム、指導内容、指導法、人員の手配、そして、学力低下の主たる原因の井分析などが提示されていないので、部外者である私がとやかく言うべき問題ではないのですが、どうも、脅威浮く委員会も、大人として考えるべき事は、もっとあるように思います。

 思考の大切さを多くの人が言います。これまでの学校教育も民間教育も、情報化社会の中にあって、断片的な知識をいっぱい詰め込み、理解に焦点をあてることが少なかったように思います。教育改革を前に、学校教育も家庭教育も考え直す時期に来ています。そもそも、学力をどのように見るのか、また、学習のあり方をどう捉えるのか、人の知性の一部を見て、何を判断するのか、時代が、情報化時代からAI時代へ移行する今だから考える必要があるのだと思うのです。

 イメージ 1もう一度、人の知性を考えると、幾つもの知性が重なり合い、それらが互いに結びつき別の知性や能力を生み出しています。既に、認知心理学等では当たり前の考えと捉えられている「MI理論=多重知性理論」は、人の可能性を引き出す上で基本的な理論として定着しています。ここから、認知能力・非認知能力という人を見る上での能力分析が産まれました。「IQ=知能指数」「EQ=心の知能指数」「AQ=逆境指数」「SQ=社会的指数」など幾つもの指数的対象が増えています。これまでは知能指数が人の能力を測るものとして使用されてきましたが、最近では「心」により重きを置き始めています。

 イメージ 2子育てに於いても、幼児教育から始まる教育においても、人の成長発達を「心」を中心とする「非認知能力」、学習的要素の高い「認知能力」を視野においた考え方が表れ始めています。このような知性に関する専門的情報は、様々な機関から流されているのですが、一般の家庭ではなかなか具体的なレベルに達していないと言われています。大切な事は、子供達にとって、生活習慣、学習習慣同様に、家庭内で「知的な習慣」を作ることだと考えられます。既に多くの場面で始まっている二極化は、その、根幹である子育てから始まっています。「知的な習慣」はまさにその代表例だと思います。乳幼児から、言葉がけが大切だと言われているのですが、その言葉がけなど、具体的に何に気をつけ、どのような内容を伝えていけば良いのか、殆どのお母さんは困惑しているはずです。

 以前は、学校以外の場で、子供達は様々な学習をしていました。家庭で学べる現実味のある体験や経験は減少し、学校だけが唯一学びの場として君臨しているようでは、子供の知的好奇心を満足させてはくれません。例えば、動物園に家族で行きます。そこで出てくる会話は「かわいいね」という言葉がもっとも多く、ほぼ、それだけ終わっているのかも知れません。動物園にはもっと知的好奇心をそそる内容が数多くあります。絵本と実物の違い、大きさ、色、声、動き、表情、動物の親子関係等々、「知的な習慣」を持つ保護者は、「ネコとライオンは同じ仲間なんだよ。何処が似てるかな?」と、動物の見方を教えます。そして、同時に観察と思考と記憶を促します。家庭でも、料理を親子で作る際、実際に、塩、砂糖、味噌等の調味料をなめさせたり、小麦粉と片栗粉を触らせたり、用途の違いを実際に見せてあげたりします。これは、子供に取って、化学実験と同じです。煮る、蒸す、焼く、茹でる、揚げる等の調理法と、火の熱さや危険性を伝えます。子供の学習場所は無限にあり、これらを意識していくと、子供の環境の中に「知性の習慣」が身について行くのです。その環境や方法を伝えてあげるのも教育関係にある人達の役目です。

 学校は、本来、子供達に学ぶ事の大切さを伝え、読書を最も身近な自律学習であることを指導しなければなりません。それを前提として、注意深い読書の仕方を教え、論理数学的思考を鍛え、大切なまとめるというノートのとり方をしっかり指導すべきだと思います。そして、先程お伝えした、「知性の習慣」を各ご家庭で、環境の中に根付かせ、具体的な体験や経験を通し、学校では抽象的な概念の理解を、学校在学中に幅広く指導、訓練する状態を作ることです。

 学力の二極化で、学力差が益々開き、子供の思考力も奪われようとしています。子供達に目が向けられる、大人の勝手で事が進んでいく。子供の為に大人が考えるべき事がどこか違う方向に向かっているように思います。





















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「親のかかわり方が試されている!」

 スマホや携帯に限らず、テレビやゲーム機もネットに接続されている。ある子供の言動が気にかかり、普段の生活について尋ねてみた。すると、テレビは「やはりな」と思わせるアニメを見ていた。そして、ゲームをし飽きたら動画を見ていると話ししてくれた。まだ、尋ねたこと受け答えができることに安心した。

 今や、ゲーム機で「YouTube」などの動画が見られる時代だ。私自身、規制という言葉は好きではないが、これだけ野放図に動画が見られることに危機感を感じている。動画をアップする人たちを「ユーチューバー」と呼ぶそうだが、これが、新たな職業の一つとして捉えられ、それを目指す子供達もいるという。そんな専門学校もあるというから、職業の幅は依然と違い広くなる。ただ、画像は、面白さ、奇抜さだけでなく、スリルや危険を伴う内容へとエスカレートしていくものだ。プロでもその判断が難しい。テレビであれば、放送倫理に関する目が光っているが、ネットの世界は、まさに大きな世界観として広がり、規制の範囲を遥かに超えた状態にある。

 
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「ファイアーチャレンジ」をご存じだろうか。7歳の子がこの画像を見て真似をし、全治1年という大やけどを負う事故が起きた。全身火だるまの息子の姿を見て親は直ぐに服を引き裂くなど消火に努めたが、息子の姿に大きなショックを受けているという。以前、著名人も参加した「アイス・バケツ・チャレンジ」があった。バケツに氷水を入れ頭からかぶるというものだ。「〜チャレンジ」として、幾つもの危険を伴うものがあり、事故が起こる前にと考えるが、私も自戒の念をもって言うならば、犠牲が出なければ大人たちは放っておく。
7歳少年ネットで流行の「ファイアー・チャレンジ」で大やけど(画像は『WKYC.com 2017年12月2日付「NC Mother’s Warning: YouTube ‘Fire Challenge’ Lands Son In Burn Unit」』のスクリーンショット)より

 「規制」はやはり必要なのだろう。しかし、その手前で、大人として、親として、考えておくことがある。未成年という意味を改めて考えておく必要がある。若者たちの生活力が落ちてきている。経験のなさ、知識のなさ、毎年恒例行事と化している成人式での稚拙な行為を見るにつけ、「図体だけは立派だが中身が伴わない”子どな”達」と言ったら大袈裟だろうか。非難の対象になるだろうか。大人になり切れない人たちが如何に多いことか。未成年はまだ子供である。体は大きくとも、思考力や判断力はまだ未成熟で、だから保護者の判断が必要になる。「子供に自由を与えるな!」誰が言ったか、この言葉は名言だ。この言葉の後に、「子供に責任能力はない、責任能力のある者に、自由という権利は与えられる。だから子供なのだ」と。

 親が子供に対し、”判断してよい”という環境を作り、親の目の届くところで、子供に判断という大切な決定権を与える、こうした指導がなければ、子供に判断力はつかない。年に数回、金額や個数の限定内でおもちゃを選ぶ、遊び時間を決める、好きなお菓子を金額や数の範囲内で買う、こうした決まりの範囲内で判断を下しながら、危険性も同時に伝えていく。こうした親の指導が子供を危険から守ることになる。今回の「ファイアーチャレンジ」以外にも、危険なチャレンジが数々ある、また、凝りもせず、今後も新たなチャレンジが出てくるだろう。新たな犠牲者が出る前に、子供達に危険性を伝えることと、動画に対する親の見識を深めて貰いたい。また、先生と呼ばれる身として、これが”いじめ”などに波及しないよう注意していく。
 

 

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「軽視されていないか『ことばの教育』」

 イメージ 1学習に関する基礎教育として位置づけている幼児期の教育ですが、その中で欧米と我が国の言語教育について、時折違和感を感じることがありました。意外な話しですが、私は、30数年前まではフラッシュカード指導の反対者でした。このことを知る人は少なく、この話しをすると驚かれる方も多いはずです。それもそのはず、塾業界でフラッシュカードを初めて広めたのが私ですから。実は、そんな私でも“言語の違い”に悩んでいたのです。

 今年、小学3年生から英語指導が開始されます。より、日本語の習得が重要性を増してくるのですが、英語と日本語の決定的な違いについてあまり理解を示さず、同じ言語教育と見なしてしまう傾向があります。特に、幼児に限定して言えば、英語のアルファベットと、日本語の平仮名・片仮名では大きな違いが見られます。”耳で読むことば”は世界共通です。文字の読めない乳幼児は、母親を中心として、語りかけられることば、家族の日常会話、絵本などの読み聞かせによる“耳で読むことば”で言語を学習します。ことばの学習についての第一歩が、この“耳で読むことば”になります。言葉の学習の第一段階であるこの時期(0歳から3歳)は、母国語の習得という、子供の心の核になることばの習得として位置づけられます。思考の源になるのです。

イメージ 2 “耳で読むことば”は、外国語など、絶対音感のように幼児期にしっかり聞かせておくと良いなどと言います。言葉に関しては「語感」といいます。日本語と英語の違いは母音の数です。日本語の5つに対して、英語は16あります。ちなみに、フランス語は19(内、鼻母音4・半母音3)あります。外国語の学習も大切なのですが、最も大切なのは、心と思考力に大きく影響する母国語の習得を第一に考えなければなりません。言語発達は、知性と深く関わり合い、意思・意欲など、感情面にも深く影響を与えます。

 3歳以降、子供は文字や数などに関心を持ち始めます。知的好奇心の芽生えです。年中、年長の頃から文字を習い始めます。この時期から、保護者の意識も高まり“目で読むことば”である文字の指導が始まります。私が行う幼児教育の研修では、言語指導に多くの時間を割くのですが、その際に必ず行うのが、五十音表の使用や、平仮名の特性です。特に、これからお話をする、外国語と日本語の違いは“目で読むことば”の教育で理解しておくべき内容です。文字数は平仮名の46文字に対し、英語は26文字、文字数では平仮名の方が多く、ここに、カタカナや漢字などが加わります。余談ですが、入学前のこの時期から入学準備の学習を開始しておくと、特に文字系は学習の要なのでやっておくべきでしょう。平仮名だけでなく、漢字も、その学習量から考えると、この時期からスタートしていくと、丁度良いかもしれません。

 平仮名と英語のアルファベットの決定的な違いがその読みにあります。「cat」は何と読むでしょうか。たぶん「しー、えー、てぃー」とは読まず「きゃっと」と読むはずです。では「ねこ」はどうでしょう。平仮名は表音文字の為「ねこ」は「ねこ」以外には読みません。つまり、平仮名の場合、46文字が読めれば、清音の単語は全て読む事が出来ます。しかし、英語の場合は、アルファベットが組み合わさると、アルファベットの読みしません。その為、アルファベットの読みよりも、単語の読みを重視します。単語の読みは言葉によって違うので「語形法」と呼ばれています。日本語指導の場合、平仮名の読みから学習し、五十音表をしっかり学ぶ事になるのですが、最近では、この五十音表を使った指導があまりされていません。平仮名の拗音指導、文法指導、辞書引きの指導には五十音指導は欠かせません。外国の文献で、英語指導の系統性から言語指導の方法論が描かれている場合があります。これをそのまま引用できません。言語指導にあまり突っ込んだ学習をしてこなかった時期、こうした外国の言語指導に関する方法論に違和感を感じたのはこのためでした。

 英語指導が定着し、広辞苑にも外来語表記が増えたのは、日本語の中に外国語が多く入り込んでいる証拠です。我が国の読解力低下、読書量の低下と共に、国語指導、幼児期の言語指導の重要性を考え直す時期に来ているのではないでしょうか。幼稚園や保育園で行われている言語指導にも大きな差があり、本格的に取り組んでいる園は、残念ながらごく少数です。英語教育に目を奪われがちな昨今、自分たちの使う言葉に黄色信号が点っていることに気付いているでしょうか。

 

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「AI先行の時代、自分の知性を生かし切れるか!」

 イメージ 1全国大学生活協同組合連合会(東京)が例年実施している、全国の国公私立大の大学生対象の生活実態調査から、読書をしない大学生が浮き彫りになりました。私の事務所の近くにも大学が幾つかありますが、本を”読む”大学生より、スマホを”見る”大学生の方が圧倒的です。実際、調査では、2人に1人は全く読書をしないという実態が明らかにされました。

 本を読む学生と、本を読まない学生の二極化は、学力の二極化と比例します。読書は、学ぶ為の最短学習でもあり、それを放棄しては最早、学んで生きると書く、学生としての意味はなくなります。AIの社会進出が身近に感じられてきた社会で、単なる学歴としての「大卒」はこの先通用しなくなります。本を読まないどころか、自分自身の人生の先を読まなくなってしまいます。本を読む時間は「0」、スマホ利用は1時間以上と答えた学生は9割以上に達したといいます。かつて、我が国を訪れる外国人が、電車内で本を読む日本人の多さに驚いたという時代がありました。最近では、電車内で本を読んでいる人を見かけなくなりました。

 イメージ 2読書は量ではないと思います。1冊の本を何度も読み返す事は良くあることで、専門書では、1ページを読むのにかなりの時間を要する事もあります。自分の考えと照らし合わせ、思考を繰り返すからです。読書離れは若者の思考力にも影響すると考えても良いのではないでしょうか。大学は、思考をする為の思考、メタ認知を向上させる場であるはずです。以前、イギリスにある大学に招かれ、大学の授業風景や図書館を見学させて頂きました。図書館は生徒で溢れ、まさに最高学府そのものでした。読書は、自律学習の始まりです。知性を高める方法の中で一番身近で手軽と言えるのが読書です。AIが社会を席巻するのにそう時間はかからないでしょう。2045年、シンギュラリティ・技術的特異点(Technological Singularity)という仮説が現実のものとなったとき、今の大学生やその前後の若者達は対応できるのでしょうか。読書量の低下は知性の低下を招き、同時に、国の内外の政治、経済、教育等から発せられる社会問題にも無関心や意識の低下を招く恐れがあります。

 幼児期から、家庭でも、教育機関でも読書指導は重要な課題の一つです。本を読む環境作り、自尊感情を持ち、認知能力、非認知能力を高めている人達の存在に対し、読書をしない大学生は、どのように知性を高めているのでしょうか。知識はスマホから得られる事が出来ます。しかし、知識から見識へ、更に胆識へと向上させる為にどのような方法をとっているのでしょうか。読書をしない、それは、新聞も読まないことを意味しています。

 今回の調査報告を読むまでもなく、学生の「学ぶ」事に対する意識の違いは、社会全般に見られる二極化現象に見事に現れています。自分自身の知性を高めること、学ぶ為の自由な時間をどのように活用するか、自分自身の意識にかかっています。改めて、幼児教育に対し、腰を据えて取り組むことに意識が集中しています。非認知能力を高め、自律を目指した教育指導を、仲間と共に進めて行こうと思います。

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