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石川幸夫の教育ブログ
石川教育研究所 代表の独り言

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「叱ることの難しさ!」

イメージ 1 今朝、放映された日本テレビ「スッキリ」で扱われた「公共の場で、騒ぐ子供を叱るか、それとも叱らないか」の議論、やはり、視聴者の反応も予想通り二分されていました。視聴者からの疑問に応えたのですが、担当の女性ディレクターも、「難しい問題ですが、敢えて扱うことにしました。」と述べていました。昨日の収録は30分ほどで、もっと突っ込んだ質問もあり、時間の都合で、私のお伝えしたかったことは全て扱われませんでした。

 残念だったのは、出演者の中で、これからお子さんを産む女性が、「公共の場でも、子供は元気なのが普通だから、大目に見る…」旨の発言がありました。公共の場であるからこそ、多くのお母さん方は”叱る”ことに苦労されているのだと思います。公共という場だからこそ、人に迷惑をかけてはいけない、それは、親として最も気を使う事ではないでしょうか。今日は、放送では扱われなかった内容をお伝えしようと思います。以下、収録内容に一部加筆致しました。

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家庭の核家族化は戦後急速に進み、大家族が少しずつ姿を消していきました。地域では、町内会、子供会等の活動が盛んに行われ、地域で、多くの大人の目で子ども達の成長を見守って来ました。地域の大人は、当たり前の様に、自分の子供以外でも注意をしていました。核家族化が進むと、子育てについて、親からの継承ではなく、育児本が若いお母さん方の必需品となり、新しい子育て法に、祖父母は次第に口出しができなくなりました。また、大家族時代とは違い、たまにしか会えない孫は可愛く、叱ることもできない状態も容易に想像できます。

 時代は、核家族から更に、個人主義へと突き進みます。一家に1台の電話は、個人が所有し持ち運びもできる携帯へと変化し、人との会話も、直接から間接へと変化していきました。家庭内でも、それぞれがスマホの画面に夢中になる光景は日常茶飯のこととなっています。私達は、知らぬ間に、人との直接的関わりではなく、間に機械などを挟んだ人間関係を築いてしまってはいないでしょうか。人と人との関わりの薄さは、子育てに直接影響します。

 イメージ 3”誉めて育てる”という躾がお母さん方の中で話題になり、それを実行する方々が増えました。しかし、”誉める”には、子供の行動や言動を意識し注意していなければ、誉めるところが見つからないはずです。つまり、子供を見ていなければできないのです。また、半ばスマホ依存に陥っているお母さんでは無理があります。しかし、お母さんにもプライドがあります。子供が他人に注意されると、自分自身が注意されていると受けとってしまいます。叱られ慣れていない世代のお母さんでは、例え、我が子に向けられた注意であっても、人の注意を素直に受けとることができないのでしょう。

 子どもの為だからと叱ってみても、その子のお母さんが、先ほどのような受け取り方をしてしまうと、その後、お母さんの怒りは、騒いでいた子供に向けられてしまいます。これが恐いのです。”叱る”そして”叱られる”、この行為には、必ず2人以上の人が関係します。叱るには信頼関係が必要です。その為、まず、母親や父親が”叱る””叱られる”ことを経験する必要があります。信頼関係にある(そう思いたい!)親子だからできる体験です。予め、子供がどのようなことをしたら叱るかをご夫婦、もしくは親として決めておくと良いでしょう。それも、育児ノートの始めに記入されると良いでしょう。

 ここに、会津の『什の掟』があります。会津藩士の子として、誇りを持ち日々を暮らす為の掟で、大人ではなく、子供たちが制約や強制を受けずに自分たち自身でつくり、「会津武士の子はこうあるべきだ。」ということを互いに約束し、励み合った掟です。「ならぬことはならぬ」現代社会では「?」という部分もあるのですが、大人が参考にしてもよい内容です。

 一、年長者(としうえのひと)の言ふことに背いてはなりませぬ
 一、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ
 一、嘘言(うそ)を言ふことはなりませぬ
 一、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
 一、弱い者をいぢめてはなりませぬ
 一、戸外で物を食べてはなりませぬ
 一、戸外で婦人(おんな)と言葉を交へてはなりませぬ
   ならぬことはならぬものです

 イメージ 4「子ども達が騒いでいても注意しない、注意しない大人が増えてきているのでしょうか?どこかおかしいと感じた視聴者からの意見ですが、とても考えさせられてしまいます。これからどうなっていくのでしょうか?」
 女性ディレクターならではの危機感かも知れません。「叱りたくても叱れない」そんな社会で良いのだろうか、子供には、危険なこと、やってはいけないこと、しっかり大人が躾けていかなければ…。街の声から聞こえてくる”疑問”は、大きな意味を持つのでは、と私は応えました。こうした疑問の背景には、「このままで良いのだろうか」という言葉が続くと思います。

 「では、どうしら」、質問内容も次第に熱を帯びてきます。私は、子育てマイスター協会を立ち上げた一人です。子供の成長を思い、そして、親としての責任を背負う子育てに、何かしらのお役に立てばと思い設立しました。子育てで大切なのは、”未熟である子供の教育”、そして、同じく親として未熟であることから”親自身の学習・教育”が必要だとお答えしました。幼児や、小学生でも子供の心は未分化で、大人の言葉を理解しそうそう納得できるものではありません。つまり、子供の心の発達を理解していないと、先日もブログで書いたように、子供を威圧するだけで、本当の躾けにはなっていないと言う事になります。だから、親として子供のこと、子育てのことを学ぶ必要があるのです。まず、何か子供が問題を起こした場合、叱る前に子供の心に寄り添うことです。子供を責めるのではなく、その行いは「いけないこと」だと伝えます。そして、その後、どうしたら良いのかを、教えてあげる事です。場合よっては「謝ること」も出てくるでしょう。躾は、生まれた時から始まっています。子供が、簡単な注意で、行動を戒めることができるようになれば、親として誇れる子育てをされているのでしょう。

 大声を上げて叱るのは、子供の生命や身体に危険が及ぶときです。子供が驚くほど大声を上げても良い場合です。”叱る”という行為は、殆どがこの場合です。その他では、ダメなことをした場合は、両手を握り、しっかり目を併せ「いけません」といって暫く見つめます。この時の親の真剣な顔、そして、手を握っている時間が、言葉だけでなく、温もりを伝えながらも我が子に厳しさを伝える事ができるのです。幼い頃は、この繰り返しです。

 教え導く、我が子だから、時には親も感情的になってしまいますね。でも、私達は大人です。学習できる能力をもった大人です。「ならぬことはならぬのです!」と、堂々と子ども達を教え導く事ができる社会にしたいですね。

 

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