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馬明の路上文化遺産と投資のブログ
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目黒町水道の消火栓

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これはマンホールウォークの第122弾です。



目黒町水道の路上文化遺産は、マンホールウォークシリーズで今回初めての報告です。



★1 目黒町水道★
東京府荏原郡目黒町(めぐろまち、旧字体:目酊)は1922(大正11)年12月1日に誕生しました。

目黒町水道は“日本水道史”、“隣接五郡に於ける上水道に関する調査”によれば、単独水源を有せず、隣町の澁谷町上水道既設配管から分岐供給を受けて、目黒町全部を給水区域とした町営水道でした。
目黒町は水道設備敷設工事を1924(大正13)年8月7日に内務省へ申請し、同年8月27日に澁谷町水道と上水供給締結を結び、1924(大正14)年4月20日に敷設工事の内務大臣許可を受けました。
同町は1924(大正14)年6月27日に敷設工事の起工式、同年4月に一部給水を開始し、工事は翌1924(大正15)年6月に完成しました。
給水予定人口は4万人〜12万人(将来)、給水量は1人1日最大4立方尺(111リットル)でした。

目黒町水道は1932(昭和7)年10月1日に東京市によって、8単独町営(澁谷町、目黒町、淀橋町、大久保町、戸塚町、代々幡町、井荻町、千駄ヶ谷町)及び2町村組合(江戸川上水、荒玉水道)経営の計10水道事業の一つとして併合経営されました。
このように目黒町水道は短い歴史の町営水道でした。 


★2 目黒町水道の消火栓★
目黒町水道の蓋は、路上文化遺産DB“目黒町水道”に登録されています。

目黒町水道の消火栓の存在を最初に知ったのは昨年8月10日の暑い日でした。

馬明はもしかすると目黒町水道の蓋が、林業研究発祥の地で1989年6月1日に開園した林試の森公園に残存するかと考えました。
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目黒町水道の消火栓は予想どおり、林試の森公園の東門から入った遊歩道に残存していました。
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目黒町水道消火栓があった詳細な地図をご覧ください。


目黒町水道消火栓をご覧ください。
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この目黒町水道消火栓の地紋は、林丈二氏の“マンホールのふた<日本篇>”33頁掲載の消火栓(578×420)の地紋と格子模様は同じですが、格子の大きさや、消火栓の縁取り部分や消火栓の文字が小さめなど違いも少しあります。 

目黒町水道消火栓の文字と紋章をご覧ください。 
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このように、目黒町水道の紋章は相当摩耗していました。
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紋章のある個所を正面で見るよりは、斜めで見る方が紋章がわかりやすいです。

これが拡大した紋章部分です。
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↓の紋章は目黒区三田2丁目の目黒町水道水止栓のです。これと見比べてください。
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相当厳しいですが、どうにか目黒町水道の紋章とわかります。

目黒町水道“消火栓”の寸法を、恒例の竹製物差しと100円硬貨でご覧ください。
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消火栓の寸法は、横572弌濬406个任靴拭
この消火栓は本で紹介された消火栓(578弌420弌砲函△曚榮韻限腓さでした。


★マンホールウォーク日のランチ★
こちらは目黒町水道消火栓を見つけた8月の暑い日に涼みながら食べたランチです。
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ここのオムライスは大変美味しかったです。
残念なことは目黒へ行くたびお店へ寄りましたが、お休みは閉店とわかりました。




皆さん、『目黒町水道の消火栓』を見ませんか?!



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