ここから本文です
馬明の路上文化遺産と投資のブログ
ブログは4月12日から、毎週水曜日の11時9分に更新です。ご訪問ありがとうございます。

書庫過去の投稿日別表示

全1ページ

[1]

イメージ 10

これが小樽區消火栓蓋!
 



マンホールウォークの第149弾です。


小樽訪問記は、第1回北海道庁の境界石、2回小樽にある日本銀行の境界石、3回札幌市量水器が小樽へ越境、4回小樽市右書き量水器 、5回北海道の味覚 海鮮丼、6回小樽倉庫No.1で小樽ビールを飲むに続く、今回7回目は『大正時代の小樽區消火栓蓋』です。

消火栓蓋の記事は、1回横浜水道の右書き消火栓、2回荒玉水道の消火栓の蓋を見っけ!、3回川崎市の双口消火栓、4回江戸川上水町村組合の単口消火栓、5回目黒町水道の消火栓を取り上げ、今回6回目が『大正時代の小樽區消火栓蓋』です。

※ こちらの記事も、併せてご覧になってください。

★1 小樽區の誕生★
小樽區と聞きなれない名前は、1899(明治32)年10月1日に北海道区制の施行と同時に誕生しました。

この区制度は当時本土の市制度よりも自治権の弱い体制でした。
本制度は1922(大正11)年4月20日に廃止され、1922(大正11)年8月1日の市制施行により、新しく小樽市が誕生しました。


★2 小樽區消火栓蓋★
小樽市水道は歴史も古く、1894(明治27)年に小樽が北海道の重要港として急激な人口増加に対して水道計画を策定したのが始まりで、国の認可を受け、1914(大正3)年に創設水道として奥沢水源地が完成しました。

今回の小樽訪問では、やなぽんさんの記事を参考に“小樽市内”でマンホールウォークをしてきました。

小樽市でマンホールウォークした目的の一つが、やなぽんさんが発見された” 大正時代の小樽區消火栓蓋”を確認するためでした。

この“小樽區消火栓蓋”があった場所は、南小樽駅から歩いて数分のところです。

最初に南小樽駅をご覧ください。
横浜では4月初めに早く咲いた桜がすでに散ってしまいましたが、北海道は残雪があって寒かったです。
イメージ 1

南小樽駅のホームからは、札幌延伸と大きく書かれた北海道新幹線の看板が見えました。
北海道新幹線の札幌延伸が道民の念願だったことを、この看板から見て取れました。
イメージ 2
 
ホームから階段を上って、改札口へ出ます。この駅構内にはセブンイレブンがありました。
イメージ 3

小樽區消火栓蓋は駅舎の後方に見えるマンションの右手にあります。

小樽區消火栓蓋はこの場所にありました。
目的の角蓋は残念なことに、残雪の雪解け水で水浸しでした。
イメージ 4

この消火栓蓋の前方が南小樽駅です。蓋の近くには防火水槽の採水口(赤紫色矢印)がありました。
翌日も消火栓蓋を見に行きましたが、水浸し状態は同じでした。

小樽區消火栓蓋をご覧ください。 
イメージ 5

この消火栓蓋は水浸しと、摩耗などから地紋も、何と記されているかもわかりませんでした。

この件に関しては、やなぽんさんは撮影された画像と、近代デジタルライブラリー登録の蓋図面の下記画像から、この消火栓蓋の地紋は斜め格子模様、蓋には小樽區章、消火栓の文字があることを確認されました。
イメージ 6

イメージ 7

今度、小樽へ行きましたら乾いた蓋を撮影して、できれば現地で蓋の地紋、小樽區章、消火栓の文字を確認したいと思います。
この小樽區消火栓蓋は↑地下式消火栓です。

消火栓にはもう1種類あって、積雪の多い北国では、↓地上式消火栓が採用されています。
イメージ 8

この地上式消火栓の長所は、小樽のような積雪地の地下式消火栓では、積雪で埋まって場所がわからなくなったり、蓋の周りが凍って消火活動を妨げる欠点がないことです。


今回取り上げた小樽區消火栓蓋は、横浜水道の右書き消火栓と同じく、撤去される事態もありえます。

小樽區消火栓蓋が残存したのは、蓋の前方と後方に、地上式消火栓が設置されていたためと思われます。
しかし、歩行者が蓋の摩耗で滑り易い危険性など、文化財的価値ある蓋も、撤去の可能性が危惧されます。


次回の小樽市訪問では再々度、小樽區消火栓蓋を見てきます。

やなぽんさん、『小樽區消火栓蓋』のことでは大変有難うございました。厚くお礼を申し上げます。


皆さん、『小樽區消火栓蓋』を見ませんか!?

 


★香港株投資銘柄ツール★
上海IIさんのPFメーカーの企画に賛同して、馬明が99銘柄からなる香港4号(期待株)を作成しましたので、
皆さんのポートフォリオ検索としてご利用ください。 
イメージ 9




この記事に

全1ページ

[1]

本文はここまでですこのページの先頭へ
みんなの更新記事