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長崎市で有名な川は、市内の中心部を流れて、長崎港へ注ぐ中島川です。 中島川には、江戸時代に架設された石造アーチ橋が多数ありましたが、1982(昭和57)年7月23日に起きた長崎大水害で中島川が氾濫し、有名な眼鏡橋の欄干も流出する等の大被害でした。 眼鏡橋の直ぐ下流にある袋橋は、眼鏡橋に次いで江戸時代の慶安年間に建造された古い石造アーチ橋です。 袋橋は眼鏡橋とは違って、幹線道路への抜け道として車両が通行していましたが、保存を優先することで2015年10月から通行が禁止されました。 この袋橋の石積みには、可愛いヒメツルソバが繁茂し橋に彩を添えていました。 馬明の路上文化遺産と投資のブログをご訪問くださいまして、大変ありがとうございます。 ブログ開設から、3月24日で9年69日を迎えました。ブログ開設10周年まで、あと296日です。
中島川は、長崎港はポルトガル船が1571(元亀2)年の来航により、ポルトガルと開港した後の南蛮時代に、人工的に造られた川で、住民からは「母なる川」と親しまれていました。 出島和蘭商館跡の東側に架かる鉄製橋梁が、1890(明治23)年に竣工した日本最古の出島橋です。 これが出島橋です。 この出島橋は、原爆の爆風にも耐え、長崎市で明治時代中期の歴史的景観を残す唯一の場所です。 長崎大水害では、中島川の氾濫で眼鏡橋も欄干が流出するなどの大被害でした。 眼鏡橋を見るのは3回目ですが、ここは修学旅行生など観光客で賑わっています。 川面に映った美しい形の眼鏡が、石造2連アーチ橋である眼鏡橋の由来です。 眼鏡橋の直ぐ下流にある袋橋も、アーチ型石橋です。 この袋橋は江戸時代の1634(寛永11)年に建造された眼鏡橋に次ぐ、慶安年間に建造された石橋です。 袋橋は眼鏡橋と違って、幹線道路への抜け道として車両が通行してましたが、2015年10月から保存を優先することで通行が禁止されました。 この写真は、車両の通行禁止前の2015年4月に撮影しました。
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長崎県
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馬明は1904 (明治37)年に竣工した旧香港上海銀行長崎支店を見学後に、グラバー園へ行きました。 グラバー園のエスカレター右手に、横浜にある獅子頭共用栓と似た長崎市水道共用栓がありました。 この水道共用栓は、長崎市が水道を創設した1891 (明治24) 年当時は、各戸に引き込む専用水道が少なく、多くの家庭では水源地から導水し共用栓の蛇口から出る水を使っていました。 このような共用栓は、横浜、横須賀、函館、小樽などの都市でも見られます。 馬明の路上文化遺産と投資のブログをご訪問くださいまして、大変ありがとうございます。 ブログ開設から、3月21日で9年66日を迎えました。ブログ開設10周年まで、あと299日です。
グラバー園のなかで代表的な建物が、この旧グラバー住宅です。 旧グラバー住宅は、バンガロー風様式を持つ日本最古の木造洋風建築で、1961 (昭和36) 年6月7日に主屋・附属屋が、国の重要文化財に指定されました。 旧グラバー住宅へ行くエスカレーターの右手には、明治中期の濱町通りの街路に設置された水道共用栓と同じものがありました。 正面から水道共用栓をご覧ください。 この共用栓の給水箇所は、横浜の獅子頭共用栓のライオンよりも、人をイメージさせるデザインでした。
横浜のえの木ていにある獅子頭共用栓です。ライオン水道と言われ親しまれています。 この竜頭共用栓は、昨年3月末に桜の散策で一部開放された横須賀の走水水源地管理センターで見ました。 桜は、満開には早い時期でした。今年の桜の散策は、3月26日(土)から4月4日(月)まで開催されます。
5月になると、香りのよいナニワイバラ(浪花茨)も満開できれいでしょう。 ナニワイバラの花言葉は、「清純な愛」「静かな愛と敬意」
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馬明が長崎市へ訪問した理由の一つは、日本にあった旧香港上海銀行の建物で唯一残されている長崎支店を見学したかったからです。 横浜では居留地62番に、1866 (慶応2) 年に竣工した香港上海銀行横浜支店があって、日本最古の銀行といわれましたが、現存していません。 この跡地は山下公園前の産業貿易センタービルで、ここに「銀行業務発祥の地」記念碑があります。 この建物は下田菊太郎が設計し、1904 (明治37) 年に竣工した香港上海銀行長崎支店です。 この重厚な銀行建築は、国の重要文化財として1990(平成2)年3月19日に指定されました。 馬明の路上文化遺産と投資のブログをご訪問くださいまして、大変ありがとうございます。 ブログ開設から、2月18日で9年34日を迎えました。ブログ開設10周年まで、あと331日です。
香港上海銀行は、HSBCホールディングス傘下の銀行です。 日本では、上海の旧香港上海銀行分行よりも古い建物が、居留地62番で1866(慶応2) 年に竣工した香港上海銀行横浜支店がありました。
右隣にある赤い煉瓦造り3階建て建物は、1898(明治31)年に建った長崎ホテル。 この重厚な銀行建築である旧香港上海銀行長崎支店は、国の重要文化財として1990(平成2)年3月19日に指定されました。 建物は、1996(平成8)年から長崎市旧香港上海銀行長崎支店記念館として開館し、 1階で外国銀行として、使ってきた復元前のカウンター等で当時の様子が見られます。
2階と3階が、「長崎近代交流史と孫文・梅屋庄吉ミュージアム」でした。 外を眺めると、中国からの客船が入港していました。 長崎生まれの梅屋庄吉は、香港で写真館を経営、貿易商としての地位を築き、 1895(明治28)年に香港の中環にあった写真館で孫文と出会って、友情を深め辛亥革命の成就を莫大な資金と精神面で大きく支えました。 梅屋庄吉と孫文の交流を孫文・梅屋庄吉ミュージアムでご覧いただけます。 写真は左から、孫文、梅屋庄吉、梅屋トク、宋恵齢(孫文の妻)です。 こちらの写真は、左から、孫文、梅屋トク、宋恵齢です。 孫文が、梅屋庄吉に贈った紬の羽織(複製品)です。 羽織の裏地には、孫文が梅屋庄吉に敬愛を込めて、「賢母」と揮毫したと考えられます。 この銅像は、2011年10月に中華人民共和国国務院新聞弁公室と中国社会科学院が、辛亥革命百周年に当たり、 梅屋夫妻が孫文に見返りを求めず、莫大な援助した友情と中日友好への多大な貢献を称え寄付したものです。
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グラバー園出口にある建屋の横で、長崎市制施行当時(明治22年)に使用されたポストを復元した黒い郵便ポストを見てから、オランダ通りのホテルモントレ長崎の真向いで、丸型ポストを見つけました。 長崎市内には丸型ポストが、21基ほどあるようです。馬明は街歩きをしながら、偶然に出会うのが本望ですので、どこへ行っても事前調査はしていません。 ホテルモントレ長崎には十数年前に2泊したのですが、丸型ポストを当時見ていたはずなのに全く記憶していません。 ホテルモントレ長崎の近くに、1907(明治40)年に竣工した西洋館があります。 この煉瓦造り建物は、国の重要文化財として1990(平成2)年3月19日に指定された旧長崎英国領事館 本館です。 馬明の路上文化遺産と投資のブログをご訪問くださいまして、大変ありがとうございます。 ブログ開設から、2月15日で9年31日を迎えました。ブログ開設10周年まで、あと334日です。
この帰り道に、ANAクラウンプラザホテル長崎グラバーヒルの駐車場横にある送水口の裏手で、水準点の標石を見つけました。 この標石の裏側には五三九と陰刻され、これは九州地方の水準点によれば、長崎市松が枝町の標識5394号とわかりました。 赤い丸型ポストをご覧ください。 丸型ポストがあったのはオランダ通りで、 ホテルモントレ長崎の真向いでした。 このホテルには十数年前に2泊したのですが、丸型ポストを当時見ていたはずなのに 全く記憶していません。 この丸型ポストは、今でも現役で活躍しています。 丸型ポストは、1949(昭和24)年から新しい鉄製ポストして実用化されました。 丸型ポストの土台に当たる根石は、立派な大きさでした。 メーカーは厚塗りにわかりにくいですが「吉村工業」で、製造年は第二次世界大戦後の1955(昭和30)年でした。 長崎市には丸型ポストが、21基もあるようで、次回は見晴らしの良い坂道で丸型ポストを見たいです。
この建物は、旧長崎英国領事館の職員住宅でした。腰かける木製ベンチもあります。 ホテルモントレ長崎側の建物は木造2階建です。ここの煉瓦塀と隣接するホームリンガー商会跡地に建ったマンションとの間にある路地が、「領事館の小径」です。 歴史の重みを感じさせるイギリス積み煉瓦造は、1907(明治40)年に竣工し、国の重要文化財に1990(平成2)年3月19日に指定された旧長崎英国領事館 本館です。 正面に見える煉瓦造2階建は、1階が事務室、2階を領事住宅とした本館です。 煉瓦造建物の2階に、2本1組のイオニア式柱があります。 外装も立派で、お洒落な丸い窓も特徴的です。現在は耐震工事などの改修のため見学はできません。 これは、長崎英国領事館と貿易商社のホームリンガー商会があった時代の様子です。
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