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鹿児島市内を運行する鹿児島市交通局の路面電車は、年間約1000万人の利用客がいる数少ない健全運営です。 鹿児島市電で1914(大正3)年7月22日に設置された高見馬場停留場近くの高見馬場交差点で、操車塔を見つけました。 この操車塔は、現在使われていません。何時頃に建てられたのかも不明です。 一方、函館市内の十字街交差点にある操車塔は、1939(昭和14)年9月に建てられたもので、日本に現存する路面電車用の操車塔として最古で、形態保存がされています。 操車塔の近くには、近代日本に影響を与えた薩摩の人々を紹介した観光オブジェがあり、オブジェの中に坂本龍馬とお龍さんが鹿児島で温泉療養した旅姿もあります。 この温泉療養した旅が、日本最初の新婚旅行と言われています。 馬明の路上文化遺産と投資のブログをご訪問くださいまして、大変ありがとうございます。 ブログ開設から、2月25日で9年41日を迎えました。ブログ開設10周年まで、あと324日です。
この量水器は、「メーター」と陽刻され、他にも「L2号」が見られます。 この量水器は、1914(大正3)年7月22日に設置された鹿児島市電の高見馬場停留場に近い紫色矢印で示した高見馬場交差点側の赤い看板がある店先で見ました。 コンクリート製量水器は、鹿児島市内を散策すると、結構目につきます。
鹿児島市電が交差点で2方面にわかれています。 操車塔では、路面電車の行き先を確認して、手動でポイントを切り替えます。 これが操車塔です。空色矢印の場所が高見馬場停留場です。 操車塔は無人で、使われていません。操車塔が何時頃の年代に建てられたかも不明。 一方、函館市の十字街交差点の操車塔は、1939(昭和14)年9月に建てられました。 この操車塔は、日本に現存する路面電車用としては最古です。 かって、この操車塔では、交差点で市電の信号表示と市電のポイントの切り替えを、手動で遠隔操作するために使用されていました。建物は形態保存されています。
この観光オブジェは「樺山、黒田、大いに語る」で、高見馬場交差点にあります。 左から樺山資紀(海軍大将、海軍大臣、台湾総督などを歴任)、黒田清隆(陸軍中将、内閣総理大臣などを歴任)の二人は、薩閥の重鎮です。 いづろ交差点には、「龍馬、お龍と薩摩でひと休み」があります。 寺田屋事件で重傷を負った坂本龍馬が、お龍(楢崎龍)と一緒に、霧島温泉など薩摩で温泉療養を旅したのが、日本最初の新婚旅行とされています。 新婚旅行での旅姿です。このときが二人にとっては、一番幸せな時期だったでしょう。
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鹿児島県
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大久保利通の銅像が、鹿児島中央駅へ向かう途中、甲突川の高見橋にありました。 大久保利通は、高速バスに描かれている西郷隆盛に比べると、鹿児島では不人気のようです。 鹿児島市で見られるマンホールの蓋にある紋章は、1926(大正15)年11月24日に、江戸時代の薩摩藩・島津家の家紋である「丸に十の字」に「市」の文字を図案化して制定した鹿児島市章です。 鹿児島市の蓋にある紋章は鹿児島市章ですが、何故か島津家の家紋を付けたマンホールも見かけます。 馬明の路上文化遺産と投資のブログをご訪問くださいまして、大変ありがとうございます。 ブログ開設から、12月17日で8年337日を迎えました。ブログ開設10周年まで1年28日です。
橋の欄干にあるブロンズは、たくましく育つ子供と、見守る母親の「母と子供の群像」です。その近く大久保利通銅像があります。 大久保利通は、高速バスに描かれている西郷隆盛に比べると、鹿児島では不人気のようです。 大久保利通の銅像は、当時の礼装であるフロックコート姿が粋で立派でした。 大久保利通の銅像をご覧ください。 夜は、このようにライトアップされています。 この近くには黒豚横丁の屋台村があって、ここで鹿児島のお酒と料理が楽しめます。
この鹿児島市役所本庁舎は、1937(昭和12)年に竣工しました。 鹿児島市役所本庁舎の外壁には、鹿児島市章が装飾されています。 鹿児島市の蓋にある紋章は鹿児島市章ですが、何故か島津家の家紋を付けたマンホールも見かけます。
これらの蓋は、汚水のマンホールでしょう。 これと似たマンホールの蓋が、福岡市まで越境していました。 これが福岡市内で撮ったマンホール↓です。 こちらは、量水器です。 この量水器よりも、コンクリート製量水器をよく見かけました。 これはマンホールとは違いますが、墨田区内で撮った送水口と採水口にある製造会社の社章が島津家の家紋と似ています。
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鹿児島市内で水道蓋を歩いて探索していたときに、西日本電信電話(株)鹿児島支店で送水口にサイの角のような穴あき突起物があるのを見つけました。 このような送水口をこの時は見たような記憶がなく、ヘッドも不思議なデザインと思えました。送水口には、保護キャップとそれを繋ぐ鎖もありませんでした。 この突起物は、「三角鎖留め」であることと、メーカーロゴがなくわからなかった会社は、今はない「南北産業」の送水口らしいとの情報を頂きました。 14日になって、これは立売堀製作所のY型送水口(差込式)で逆さまに取り付けられたものらしいと判明しました。 馬明の路上文化遺産と投資のブログをご訪問くださいまして、大変ありがとうございます。 ブログ開設から、11月13日で8年303日を迎えました。ブログ開設10周年まで1年62日です。
この送水口を正面からご覧ください。 人間で例えれば、送水口の鼻に三角形の突起物が鎮座しています。 三角鎖留めを、横から見ました。 この穴には鎖が固定され、鎖に繋がった保護キャップが左右の送水口に嵌め込まれています。しかし、この両者ともありませんでした。 この送水口は、今は会社がない「南北産業」らしいとの情報を得ました。 福岡市内で、「南北産業」のロゴマーク(紫色矢印)がある送水口を撮りました。 この送水口にも、鎖と保護キャップはありませんでした。 このタイプは、ロゴマークに固定された鎖が上部左右の保護キャップに繋げる方式なので、三角鎖留めはありません。 鹿児島市内で、他にも撮った送水口をご覧ください。 これは、夜になると周りが輝くお洒落な場所にいる送水口です。 こちらは、防火栓(今でいう採水口)と送水口です。 この送水口は、上と同じく鎖止め↑が壁に固定されています。メーカーは村上製作所。 この送水口も鎖止めが壁に固定され、表示プレートが塗装されて見えない酷さです。
この地下埋設物標示石標は自然石で、地下ケーブル線が下に埋設されている表示です。 これは、1961(昭和36)9月に設置された地下埋設物標示石標です。
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鹿児島市内を運行する鹿児島市交通局の路面電車は、年間約1000万人の利用客がいる数少ない健全運営です。 この蜜柑色と緑色の車両は、鹿児島市交通局600形電車615号で、1962(昭和37)年から1963(昭和38)年にかけて、帝國車輛工業で製造されたものです。 ここ最近は、旅行先の函館、札幌、長崎で路面電車を乗車しました。 今回は、鹿児島市滞在日数が1泊と少なく、歩いて蓋探索をするのがメインでしたので、乗車はしませんでした。 馬明の路上文化遺産と投資のブログをご訪問くださいまして、大変ありがとうございます。 ブログ開設から、11月11日で8年301日を迎えました。ブログ開設10周年まで1年64日です。
・鹿児島市が1928(昭和3)年7月1日に鹿児島電気軌道を買収し、鹿児島市交通局が発足し、路面電車事業を開始しました。 こちらは、鹿児島市電ナポリ号が運行する様子です。 鹿児島市が、イタリア・ナポリ市と1970(昭和35)年5月3日に姉妹都市を締結。 これは、市電マイアミ号の運行です。 鹿児島市が、アメリカ・マイアミ市と1990(平成2)年11月2日に姉妹都市を締結。
上記以外の車両をご覧ください。 これは、お馴染みの日清チキンラーメン9511号の運行です。 チキンンラーメン号は、熊本や長崎でも運行しています。 こちらは、NHKかごしま開局80年を記念して、マスコット・キャラクター「西郷ななみちゃん」を使ったラッピング電車です。 鹿児島では、西郷隆盛が人気あります。 このモダンな車両は、日本初の国産超低床路面電車1000形電車「ユートラム」1017号です。 こちらは、札幌で運行している高齢者の乗車に優しい3両編成のポラリスです。 鹿児島で、函館にある同じような塔を見ました。 ここもは、函館の十字街交差点と同じように二方向に分岐される市電の信号表示と、市電のポイント切り替えを手動で遠隔操作する市電操車塔のようです。 こちらは、函館にある市電操車塔です。 この操車塔は、電気転轍機が設置される前の時代のもので、日本に現存する最古の形態保存物です。
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馬明は9月末に7泊8日で鹿児島市から、熊本市、博多駅経由で北九州市内で、主に古い水道蓋を探していました。 このときに、古い木造家屋などで昭和レトロが漂う琺瑯看板を見つけました。 カネボウ化粧品の琺瑯看板は、普洱(プーアル)茶を売っているお店にありました。 馬明の路上文化遺産と投資のブログをご訪問くださいまして、大変ありがとうございます。 ブログ開設から、10月14日で8年273日を迎えました。ブログ開設10周年まで1年92日です。
琺瑯看板は、かつて屋外広告で使用された看板で昭和レトロを感じさせてくれます。
このお店では、以前はカネボウ化粧品を販売していたのでしょうか(再掲)。 こちらは居酒屋です。 ここにキリンビールの一番搾りがありました。 この琺瑯看板は、横浜でも見かけます。 こちらは、倉庫の壁にあった琺瑯看板の注意書きです。 「無断出入を禁ず」は、「火気注意」よりも少なめでしょう。
こちらは、1880(明治13)年に建てられた老舗店です。 このお店の2階部分に、消火栓の琺瑯看板がありました。 ここに地域の消火栓が置いてあった印です。似たものを福岡県でも見ました。
こちらは、古い木造家屋に大和みそと、マルフクの琺瑯看板がありました。 マルフクは、電話加入権売買・電話担保金融業者でしたが、2009(平成21)年1月には貸金業を廃業しました。このような電話金融の看板が、全国各地の街にまだ残っています。 このお店は、酒屋です。店内では立ち飲みを何人もされていました。 ここに、マルキン(丸金)醤油の琺瑯看板が2枚ありました。 これは、八幡市マンホールを撮影した様子です。遠くに黄色い琺瑯看板が見えます。 これが、お目当ての八幡市コンクリート製マンホールです。 マンホールの蓋にある紋章は、1903(明治36)年9月24日に制定した八幡市章です。市章は、八幡(はた)から八つの日章旗を表したものです。
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