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江戸川上水町村組合(以下、「江戸川上水」と略。)は、1920(大正9)年2月に工事設計に着手、同年8月に設計を完了、1921(大正10)年11月28日に認可されました。 江戸川上水は水源を江戸川右岸葛飾区内常磐線鉄橋下流に取水塔を設け、この取水塔から江戸川の水を取水し、金町浄水場で浄化した水を、1926(大正15)年8月1日に、合計3郡12町へ一部給水を開始しました。 江戸川上水は1932(昭和7)年10月1日に東京市によって、2町村組合(江戸川上水、荒玉水道)経営及び8単独町営の計10水道事業の一つとして併合経営されました。 江戸川上水エリアで蓋探索中に、水道専用プレートと消火栓蓋を見つけました。 馬明(まーみん:Mamin)の路上文化遺産と投資のブログをご訪問くださいまして、大変ありがとうございます。 ブログを開設してから、9月11日で8年240日を迎えました。目標のブログ開設10周年まで1年125の日です。 ※お願い;お友だち登録は受付けていません。お気に入り登録とブログリンクをされましたら、記事にコメントをお願いします。
1922(大正11)年3月18日に工事実施設計及び一部工事変更の認可指令あり、同年4月9日に工事を着手しました。 江戸川上水は水源を、江戸川右岸葛飾区内常磐線鉄橋下流地点に取水塔を設けました。 その取水塔から江戸川の水を取水し、金町浄水場で浄化した水を、1926(大正15)年8月1日に南葛飾郡砂町・隅田・寺島・吾嬬・亀戸・大島・小松川の7町、南足立郡千住町、北豊島郡南千住・三河島・日暮里・尾久の4町の、合計3郡12町へ一部給水を開始しました。 江戸川上水は1932(昭和7)年10月1日に東京市によって、2町村組合(江戸川上水、荒玉水道)経営及び8単独町営(澁谷町、目黒町、淀橋町、大久保町、戸塚町、代々幡町、井荻町、千駄ヶ谷町)の計10水道事業の一つとして併合経営されました。
木造家屋の紫色矢印で示した場所に、見知らぬ水道プレートがありました。 この水道プレートは、茶色のペンキで無残な厚塗りでした。 紋章をよく見ると、水の周りに川が、エとトも見えてきそうです。 江戸川上水の紋章は、江「エ」、戸「ト」、「川」、「水」の4文字からデザインされたものです。 茶色に塗り潰された水道プレートの紋章は、江戸川上水の紋章↑と判断できます。 2013(平成25)年5月には、この廃家の灰色矢印で示した場所に、江戸川上水の水道プレートを見つけました。 江戸川上水の水道プレートをご覧ください。 江戸川上水の紋章の右側に「専」、左側に「用」が刻印された、右書きされた専用水道プレートでした。 江戸川上水の専用水道プレートには、このような左書きもあります。 これは1931(昭和6)年10月27日に改正された「水道使用条例(条例名を略)」で提示された標識です。 江戸川上水の標識には、「専用」「特別」「共用」があります。 廃屋で見つけた水道プレートの紋章は、江戸川上水の紋章と確認されました。 もう一度、江戸川上水の紋章と水道プレートを比較して、ご覧ください(再掲)。 このことからも、茶色にペンキで塗り潰されたプレートも、江戸川上水の水道プレートといえます。 その後、別の場所でも江戸川上水の水道プレートを、見つけました。 この水道プレートは、「専用」ではなく、「専普」又は「普専」でした。 文字を見やすくするため、コントラストを付けた画像をご覧ください。 江戸川上水の紋章の右側が「普」、左側は「専」と刻印された、専普(普専)水道 プレートのようでした。
この江戸川上水の単口消火栓蓋は、前を歩いていた人が猛烈な咳をしたので、左側に顔を背けたときに、偶然2012(平成24)年9月8日に足立区千住3丁目で見つけました。 江戸川上水の単口消火栓蓋の寸法を、恒例の20センチ竹製物差しと100円硬貨でご覧ください。 これ以降、新たな江戸川上水単口消火栓蓋の残存事例はありません。
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江戸川上水町村組合
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1922(大正11)年3月18日に工事実施設計及び一部工事変更の認可指令あり、同年4月9日に工事を着手しました。 江戸川上水は水源を、江戸川右岸葛飾区内常磐線鉄橋下流地点に取水塔を設けました。 その取水塔から江戸川の水を取水し、金町浄水場で浄化した水を、1926(大正15)年8月1日に南葛飾郡砂町・隅田・寺島・吾嬬・亀戸・大島・小松川の7町、南足立郡千住町、北豊島郡南千住・三河島・日暮里・尾久の4町、合計3郡12町へ一部給水を開始しました。 江戸川上水は1932(昭和7)年10月1日に東京市によって、2町村組合(江戸川上水、荒玉水道)経営及び8単独町営(澁谷町、目黒町、淀橋町、大久保町、戸塚町、代々幡町、井荻町、千駄ヶ谷町)の計10水道事業の一つとして併合経営されました。
そこで、東向島駅の駅員に花街玉の井いろは通りの場所を聞きましたが、知らないですと言われてしまった。 東武伊勢崎線のガード下を暫く歩くと、右手に見えたのが “いろは通り”入口でした。 ここ玉の井は永井荷風の小説『濹東綺譚』で描かれた赤線地帯です。矢印の場所に今日の話題が。 玉の井いろは通りは小規模ながら豆腐屋、花屋、衣料品店、医院、洋装店、寝具店、美容院、魚屋など生活に欠かせないお店は全てありました。 ↑の写真は出口から撮った“いろは通り”です。 本題に入ります。いろは通り入口近くで江戸川上水の水止栓を発見しました。 こちらです。左側から栓止水と書かれ、栓の字はかなりの摩耗で字も削り取られていました。
蓋の紋章をご覧ください。 紋章は摩耗があるものの江戸川上水組合の徽章のエ、川がおおよそわかります。 江戸川上水“水止栓”の寸法を、恒例の竹製物差しと100円硬貨でご覧ください。
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1922(大正11)年3月18日に工事実施設計及び一部工事変更の認可指令あり、同年4月9日に工事を着手しました。 江戸川上水は水源を、江戸川右岸葛飾区内常磐線鉄橋下流地点に取水塔を設けました。 その取水塔から江戸川の水を取水し、金町浄水場で浄化した水を、1926(大正15)年8月1日に南葛飾郡砂町・隅田・寺島・吾嬬・亀戸・大島・小松川の7町、南足立郡千住町、北豊島郡南千住・三河島・日暮里・尾久の4町、合計3郡12町へ一部給水を開始しました。 江戸川上水は1932(昭和7)年10月1日に東京市によって、2町村組合(江戸川上水、荒玉水道)経営及び8単独町営(澁谷町、目黒町、淀橋町、大久保町、戸塚町、代々幡町、井荻町、千駄ヶ谷町)の計10水道事業の一つとして併合経営されました。 日光街道が南千住へ向かって荒川を渡る千住大橋の北詰には、奥の細道で有名な“矢立初めの地”の石標が建つ大橋公園があります。 この大橋公園には工水関係の蓋が見られ、その中でも工業用水空気弇の大きな角蓋が目立ちます。 この工業用水空気弇近くには、江戸川上水の水止栓が3枚あります。 江戸川上水の水止栓の1枚目は、大橋公園に近い電信柱の脇にあります。 この水止栓はあたかも電信柱に守られているようです。 江戸川上水の水止栓の2枚目はこちらです。 1枚目の蓋に比べれば、よく摩耗していました。 江戸川上水の水止栓の3枚目はこちらです。 この蓋は先の2枚目と同じでL型側溝の場所にありました。 水止栓3枚の蓋のなかでは、紋章も刻まれた文字も一番良い状態で残存していました。 蓋の紋章をご覧ください。 紋章は摩耗があるものの江戸川上水組合の徽章の特徴がわかりました。 江戸川上水“水止栓”の寸法を、恒例の竹製物差しと100円硬貨でご覧ください。 今回のように江戸川上水の水止栓が、一度に3枚も容易に見つかったのは“奥の細道”効果があったのかもしれません。 この場所で末永く余生を送っていただきたいです。
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1922(大正11)年3月18日に工事実施設計及び一部工事変更の認可指令あり、同年4月9日に工事を着手しました。 江戸川上水は水源を、江戸川右岸葛飾区内常磐線鉄橋下流地点に取水塔を設けました。 その取水塔から江戸川の水を取水し、金町浄水場で浄化した水を、1926(大正15)年8月1日に南葛飾郡砂町・隅田・寺島・吾嬬・亀戸・大島・小松川の7町、南足立郡千住町、北豊島郡南千住・三河島・日暮里・尾久の4町、合計3郡12町へ一部給水を開始しました。 江戸川上水は1932(昭和7)年10月1日に東京市によって、2町村組合(江戸川上水、荒玉水道)経営及び8単独町営(澁谷町、目黒町、淀橋町、大久保町、戸塚町、代々幡町、井荻町、千駄ヶ谷町)の計10水道事業の一つとして併合経営されました。 江戸川上水の蓋探しをするときに、前々から気が付いたのは江戸川区で該当の蓋がまだ見つかっていないことでした。 そこで、今回の江戸川区散策で地図を改めて調べたところ、平井7丁目に天照皇大神を祭る天祖神社の存在が非常に気になりました。 ここが天祖神社の鳥居です。 天祖神社の境内には水神社と八紘一宇と刻まれた石標があります。 八紘一宇の言葉は、第二次世界大戦中に大東亜共栄圏の建設の標語の一つとして用いられてきました。 戦後、GHQは八紘一宇の使用禁止、石標から八紘一宇を削り取る命令を下したので、この石標は運よくGHQの手から免れたのでしょう。 今回、江戸川区で初めて江戸川上水の水止栓を天祖神社の手前で見つけました。 蓋にある江戸川上水の紋章と文字もある程度摩耗はしていました。 江戸川区内で初めて見つかった江戸川上水の水止栓をご覧ください。 蓋を見て、紋章と刻まれた文字から江戸川上水の水止栓と判別できました。 蓋の紋章をご覧ください。 やはり紋章自体はかなりの摩耗度でした。 江戸川上水“水止栓”の寸法を、恒例の竹製物差しと100円硬貨でご覧ください。 今回、この蓋が容易に見つかったのは“天祖神社”のご加護があったためでしょう。 この場所で末永く余生を送っていただきたいです。
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1922(大正11)年3月18日に工事実施設計及び一部工事変更の認可指令あり、同年4月9日に工事を着手しました。 江戸川上水は水源を、江戸川右岸葛飾区内常磐線鉄橋下流地点に取水塔を設けました。 その取水塔から江戸川の水を取水し、金町浄水場で浄化した水を、1926(大正15)年8月1日に南葛飾郡砂町・隅田・寺島・吾嬬・亀戸・大島・小松川の7町、南足立郡千住町、北豊島郡南千住・三河島・日暮里・尾久の4町、合計3郡12町へ一部給水を開始しました。 江戸川上水は1932(昭和7)年10月1日に東京市によって、2町村組合(江戸川上水、荒玉水道)経営及び8単独町営(澁谷町、目黒町、淀橋町、大久保町、戸塚町、代々幡町、井荻町、千駄ヶ谷町)の計10水道事業の一つとして併合経営されました。 江戸川上水の蓋探しをする前に、亀戸の餃子専門店“藤井屋”へ入りました。 ここは中国人経営のお店で800円のラーメン、半チャーハン、半餃子定食を食べました。 半チャーハンとはいえ量も、餃子の味も満足できました。 今回、江東区で初めて江戸川上水の水止栓を明治通の歩道・大島3丁目で見つけました。 蓋の紋章と文字は相当摩耗していました。 摩耗した紋章と、刻まれた文字から江戸川上水の水止栓と判別できました。 蓋の紋章をご覧ください。 この蓋があった真向いにも超摩耗した蓋を見つけました。 これは紋章が円を描いていますので、もしかすると、江戸川上水の蓋かもしれません?!
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