代々幡町水道は1931年10月に通水し、1932(昭和7)年10月1日に豊多摩郡が廃止された代々幡町は東京市に編入され渋谷町、千駄ヶ谷町と一緒になって、東京市渋谷区となるまで極めて短い歴史の町営水道でした。 このことから代々幡町水道は1932(昭和7)年10月1日に東京市によって、2町村組合経営(江戸川上水、荒玉水道)及び8単独町営(澁谷町、目黒町、淀橋町、大久保町、戸塚町、代々幡町、井荻町、千駄ヶ谷町)の計10水道事業の一つとして併合経営されました。 代々幡町水道制水弇の存在を最初にOkaさんが笹塚で確認したのは、2010年9月11日のことでした。 その後、馬明は代々幡町水道制水弇を探し求めて、初台1丁目で笹塚タイプの現存2例目を4月15日に発見しました。 今回は初台で見つけた2週間後の4月29日に、代々木4丁目の路地で新たな制水弇を発見しました。 この代々幡町水道制水弇は、可哀そうにも左側が1/3ほど欠けていました。 置かれた場所がL型側溝なので、何故このような状態になったかは不明です。 拡大した代々幡町章をご覧ください。 代々幡町水道“制水弇”の寸法を、恒例の竹製物差しと100円硬貨でご覧ください。
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代々幡町水道
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小蓋シリーズは、第1回横浜の右書き瓦斯、2回藤沢の右書き制水弇、3回右書き制水弇、4回右書き瓦斯中蓋、5回レアな阻水弇、6回右書き止水栓、7回目武蔵野の制水弇・制水弁、8回板橋宿の荒玉止水栓、9回北区の荒玉水止栓、10回荒玉制水辨、11回中野で荒玉止水栓2枚、12回横浜最古の仕切弁 、13回武蔵野の止水栓 、14回中華街の量水器 、15回阻水弇の発見、16回高円寺北の荒玉止水栓、17回阿佐谷南の荒玉止水栓、18回川崎市の止水栓、19回宮内省の制水弇、20回謎を秘めた桜小蓋と桜、21回代々幡町水道制水弇に続く、22回が『代々幡町水道制水弇の発見!』です。
代々幡町水道は1931年10月に通水し、代々幡町が1932年(昭和7年)10月1日に渋谷町、千駄ヶ谷町と一緒になって、東京市渋谷区となるまで極めて短い歴史の町営水道でした。 代々幡町水道制水弇の存在を最初にOkaさんが笹塚で確認したのは、2010年9月11日のことでした。
この代々幡町水道制水弇を最初に見たときは、土砂で少し埋もれていました。 が、見た瞬間にこれは代々幡町水道制水弇だとわかりました。 代々幡町水道制水弇を撮影するため、きれいに掃除をしました。 この制水弇と笹塚駅近くの歩道で再確認したものとを比較すると、明らかに代々幡町の紋章部分がかなり傷ついていました。 これは置かれた場所が車道であったために、自動車などでの引っ掻き傷でしょう。
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小蓋シリーズは、第1回横浜の右書き瓦斯、2回藤沢の右書き制水弇、3回右書き制水弇、4回右書き瓦斯中蓋、5回レアな阻水弇、6回右書き止水栓、7回目武蔵野の制水弇・制水弁、8回板橋宿の荒玉止水栓、9回北区の荒玉水止栓、10回荒玉制水辨、11回中野で荒玉止水栓2枚、12回横浜最古の仕切弁 、13回武蔵野の止水栓 、14回中華街の量水器 、15回阻水弇の発見、16回高円寺北の荒玉止水栓、17回阿佐谷南の荒玉止水栓、18回川崎市の止水栓、19回宮内省の制水弇、20回謎を秘めた桜小蓋と桜に続く、21回が『代々幡町水道制水弇』です。
町営の代々幡町水道は1931年10月に通水し、代々幡町が1932年(昭和7年)10月1日に渋谷町、千駄ヶ谷町と一緒になって、東京市渋谷区となるまで極めて短い歴史の町営水道でした。 代々幡町水道制水弇の存在を最初に笹塚で確認したのは、Okaさんで2010年9月11日のことでした。 Okaさんは代々幡町水道の制水弇【1】で「京王線笹塚駅近くに代々幡町水道の制水弇が残されています。」と書かれましたが、現場写真は公開していませんでした。 そこで、馬明が4月1日に和田堀給水所へ行く前に笹塚周辺を歩き回り、この代々幡町水道制水弇の現存を1年7月ぶりに確認しました。 この代々幡町水道制水弇は小さく、人通りの多い三井住友銀行前の歩道では、その存在は目立ちません。 この制水弇は代々幡町の紋章のみです。 拡大した代々幡町章をご覧ください。 このほかにもOkaさんは違ったタイプの代々幡町水道制水弇を2011年4月18日に見つけられ、代々幡町水道の制水弇【2】で場所を明示しました。こちらの確認は容易でした。 この制水弇の直径は笹塚のよりも一回り以上大きく、紋章には弇・制と記されていました。 なお、ここは代々幡町水道の給水地域外であり、何故この場所に制水弇があったかは不明です。こちらは恐らく余った代々幡町水道制水弇を流用したのかもしれません。
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