千駄ヶ谷町水道の蓋は、路上文化遺産DB“千駄ヶ谷町水道”に登録されています。 この千駄ヶ谷町水道の止水栓を国鉄型すとーかーさんが最初に確認したのは、千駄ヶ谷3丁目で、2011年12月17日のことでした。 馬明は旧千駄ヶ谷町と隣接する旧代々幡町で、紋章が鮮明な千駄ヶ谷町水道止水栓を昨年4月21日に代々木4丁目の切通しの坂で見つけました。 ところが、昨年12月26日に路上文化遺産DB登録された林文庫で、2007年5月31日に林丈二氏が渋谷区西原3丁目で発見した止水栓(下記の写真:ライセンス「cc-by-sa-3.0」で使用)の存在が判明し、早速その残存状況を調べてきました。 この止水栓があった場所は、坂を上りきったL型側溝の近くにありました。 蓋の右手には画像から削除しましたが犬の糞があり、なかにはマナーの悪い愛犬家もいるようです。 千駄ヶ谷町水道の止水栓は2007年当時とほぼ変わらぬ状態で残存していました。 上の止水栓を見つける前に、最初に別の千駄ヶ谷町水道の止水栓↓を見つけました。 見つけた場所は数メートルも離れていない同じような場所にありました。 この蓋の上部にはご覧のように亀裂が入っていました。 林文庫に登録されなかった千駄ヶ谷町水道の止水栓をご覧ください。 この止水栓は残存を確認したときのご褒美でしょう。 この場所は旧代々幡町で本来ならば、代々幡町水道の給水エリアなので、千駄ヶ谷町水道の止水栓がこの場所にあったのは謎ですが、2枚とも越境蓋でしょう。 拡大した千駄ヶ谷町水道章をご覧ください。 千駄ヶ谷町水道“止水栓”の寸法を、恒例の竹製物差しと100円硬貨でご覧ください。
|
千駄ヶ谷町水道
[ リスト | 詳細 ]
全1ページ
[1]
小蓋シリーズは、第1回横浜の右書き瓦斯、2回藤沢の右書き制水弇、3回右書き制水弇、4回右書き瓦斯中蓋、5回レアな阻水弇、6回右書き止水栓、7回目武蔵野の制水弇・制水弁、8回板橋宿の荒玉止水栓、9回北区の荒玉水止栓、10回荒玉制水辨、11回中野で荒玉止水栓2枚、12回横浜最古の仕切弁 、13回武蔵野の止水栓 、14回中華街の量水器 、15回阻水弇の発見、16回高円寺北の荒玉止水栓、17回阿佐谷南の荒玉止水栓、18回川崎市の止水栓、19回宮内省の制水弇、20回謎を秘めた桜小蓋と桜、21回代々幡町水道制水弇 、22回代々幡町水道の制水弇を発見!に続く、23回が『千駄ヶ谷町水道の止水栓を発見!』です。
この千駄ヶ谷町水道の止水栓を国鉄型すとーかーさんが最初に確認したのは、千駄ヶ谷3丁目で、2011年12月17日のことでした。 今回、馬明は旧千駄ヶ谷町と隣接する旧代々幡町で、紋章が鮮明な千駄ヶ谷町水道の止水栓を4月21日に切通しの坂で発見しました。 この切通しの坂は、かつて代々木山谷に住んでいた岸田劉生が道路と土手と塀(切通之写生) (1915)を描いた場所でもあります。 千駄ヶ谷町水道の止水栓があった場所は、代々木4丁目でした。 千駄ヶ谷町水道の止水栓をご覧ください。 ここは旧代々幡町で本来ならば、代々幡町水道の給水エリアなので、千駄ヶ谷町水道の止水栓があったかは謎です。 千駄ヶ谷町水道の止水栓があった代々木4丁目の場所は、旧千駄ヶ谷町(代々木1丁目のみ現在の千駄ヶ谷4丁目に含まれていた。)ではないので、給水区域外です。 しかし、この場所は千駄ヶ谷町と隣接した町域であることに間違いはありません。 なので、ここに給水されていたのも不思議ではありませんが、千駄ヶ谷町水道の敷設計画図もわからず、実際に給水されたか否か仔細は不明です。 拡大した千駄ヶ谷水道章をご覧ください。 千駄ヶ谷町水道の蓋は、路上文化遺産DB“千駄ヶ谷町水道”に登録されています。
|
全1ページ
[1]





