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川越喜多院で消防水利を見た後に、民家の庭先で古い手押しポンプを見かけました。 手押しポンプの撮影許可を頂き撮ったのが、大黒天をロゴマークにした大黒号です。 2月16日はコラボの日です。この日に、NHKテレビ『ためしてガッテン』で寒天が取り上げられ、寒天が大ブームとなりました。 これを記念して2月16日を、長野県茅野商工会議所と同県寒天加工業協同組合が2005(平成17)年に制定したのが「寒天の日」です。
この他、川越でギャラリーの前にも、手押しポンプのオブジェがありました。 お洒落な手押しポンプのオブジェをご覧ください。 手押しポンプのTRADE MARKは入山形の松で、これは松島式手押しポンプです。 川越喜多院で消防水利を見た後に、民家の庭先で井戸の古い手押しポンプを見かけました。 手押しポンプの撮影許可をいただいたのが、 大黒天をロゴマークにした大黒号です。 初めて見た大黒号の手押しポンプをご覧ください。 大黒天をご覧ください。 喜多院に小江戸川越七福神 大黒天が祀られているのを、後で知りました。 次回の川越訪問では、大黒天を参拝してまいります。 川越で、TRADE MARKが旭日みたいなメーカー不明な手押しポンプを見つけました。 ここは、廃家のようで金網越しの一方向しか撮れませんでした。 TRADE MARKの上には、ASAHIと記されています。その下は特製です。この裏側を見れないのは場所柄致し方ありません。 TRADE MARKは、台湾にある津田式手押しポンプと似ていますが特定できません。
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防火用水
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成田山川越別院入口の歩道には、蔵の街・小江戸川越をカラーでデザインした川越市おすい蓋がありました。 埼玉県道15号沿いの歩道から、レトロで看板建築が目立つ建物を見つけました。 看板建築の建物は、「−シクタ武東」と社名が右書きされ、大小の半円を組み合わせた美しい装飾でした。 このレトロな建物の右端には、使われていない手押しポンプ(白い矢印)がありました。 手押しポンプのTRADE MARK(商標マーク)は、珍しいメーカー不明なHATでした。これは鎌倉に続く発見で、HATには別の意味合いもありました。
HATが見つかったのは、川越大師 喜多院に隣接する成田山川越別院入口の歩道で、 川越市のシンボル「時の鐘」と蔵造りの町並みがデザインされたマンホールの蓋を見つけた後でした。 埼玉県道15号沿い歩道から前方を見ると、レトロで目立つ看板建築がありました。 看板建築の建物は、「−シクタ武東」と社名が右書きされ、大小の半円を組み合わせた外装飾でした。 看板建築の右端に古い手押しポンプがありました。 手押しポンプをご覧ください。 この手押しポンプは、メーカー名不明のレアなHATでした。 鎌倉で初めて見たHATの手押しポンプをご覧ください。 この手押しポンプも、遺跡でした。
手押しポンプのTRADE MARKは、三本川の|||でメーカーは、川本第一製作所です。 川越市内で見かけたギャラリーの前にも、手押しポンプのオブジェがありました。 手押しポンプのオブジェをご覧ください。 手押しポンプのTRADE MARKは、入山形の松でした。 これは松島式手押しポンプです。
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葉山町で防火貯水槽を探すときは、防火水槽や消防水利の標識が目安になります。 葉山町で見かけた防火貯水槽の種類を大雑把に分類すると、6種類あります。 これは防火貯水槽のDタイプで、下段に葉山町、中央が葉山町章の蓋です。 葉山にある湘南の海が見られる有名なレストランのラ・マーレ・ド・茶屋で、美味しい特性ハヤシライスをいただきました。 馬明(まーみん:Mamin)の路上文化遺産と投資のブログをご訪問くださいまして、大変ありがとうございます。 ブログの開設から、10月24日で9年283日を迎えました。目標のブログ開設10周年まで残り82日です。
これは、古い防火貯水槽です。 四角形に区画されたコンクリートの中に、蓋が2枚見えます。蓋は、このコンクリート製防火水槽から水を採水する場所です。 この防火貯水槽は、防火貯水槽が円状表記されています。 こちらは、町名と町章が空欄です。 これは、葉山町のみが表記された防火貯水槽です。 葉山町と町章が記された防火貯水槽は、ここに2枚ありました。 表記が完全な葉山町の防火貯水槽をご覧ください。 マンホールの中央にある紋章が、葉山町章です。 葉山町章は、「柏の葉」に「山」の字をあしらったもので、1984(昭和59)年3月29日に制定されました。 こちらも同じ仕様のマンホールが、別の場所で見つかりました。 ここが、ラ・マーレ・ド・茶屋です。 葉山の海に浮かぶような素晴らしいロケーションの建物です。
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東京の下町は一戸建ての土地が狭く、住居前の歩道等を上手に園芸に使っています。 戦時中には各戸で戦災を防ぐために、コンクリート製防火用水槽を置いていました。 この防火用水槽は植木鉢ではなく、金魚は見えませんでしたが、水槽として活用していました。 下町では、植木鉢で緑を楽しむ工夫が講じられた路上園芸をよく目にします 馬明(まーみん:Mamin)の路上文化遺産と投資のブログをご訪問くださいまして、大変ありがとうございます。 ブログの開設から、10月20日で9年279日を迎えました。目標のブログ開設10周年まで残り86日です。
ここでは、防火用水槽を植木鉢として、利用していました。 今回は、この場所に近いエリアでブログ友さんからの情報をもとに、防火用水槽として、使用されている水槽を見に行きました。 防火用水槽は、木造平屋建て玄関の左側にありました。 このお宅も、玄関先などで路上園芸をされていました。 防火用水槽をご覧ください。 防火用水槽は、中段が右書きで「火防」、中央が縦書きで「用水」でした。 ここでは、防火用水槽を従来からの使用目的である水槽として利用していました。 都内にも、同じような使われ方をしている防火用水槽がありました。 ここでは、金魚を防火用水槽で楽しんでいました。
庭がない下町では、このように家の前の側溝、歩道や道路で緑を楽しんでいます。 こちらでは、民家の路上園芸の場所に屋外用消火器ボックスが置かれています。 しかし、消火器ボックスが路上園芸で見に難い、非常時に使い勝手の悪さは大変考え物と思います。
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東京の下町は一戸建ての土地が狭く、住居前の歩道等を上手に園芸に使っています。 戦時中には各戸で戦災を防ぐために、コンクリート製防火用水槽を置いていました。 日本の降伏で戦争が終わり、現在不要となった防火用水槽を植木鉢や金魚鉢に転用する事例を見ます。 下町では、植木鉢で緑を楽しむ工夫が講じられた路上園芸をよく目にします 馬明(まーみん:Mamin)の路上文化遺産と投資のブログをご訪問くださいまして、大変ありがとうございます。 ブログの開設から、10月17日で9年276日を迎えました。目標のブログ開設10周年まで残り89日です。
こちらも、横浜で撮った防火用水槽です。これも蓋がされていました。 防火用水槽は形状の違いや、用途の多様性がありそうです。 防火用水槽は、消防法が制定された1948(昭和23)年7月24日以前の戦時中に設置されたものですが、消火には役立たなかったようです。 長崎市には、白字で「火の用心」と書かれた赤地の防火バケツがあります。 以前にも撮り、よく知られている防火用水槽を、都内の阿佐ヶ谷で最近撮りました。 防火用水槽は、上段が右書きで「火防」、中央に縦書きで「用水」、用水の左手は漢数字で「三二」と縦書きで陰刻され、植木鉢として長く転用されていました。 四つの防火用水槽を比較するだけでも、形状の違いや用途の多様性がわかります。 先日、東京の下町で家の周りを緑で囲まれた路上園芸を見つけました。 もしかすると、防火用水槽が植木鉢に使われているのかと覗いてみました。 予想が的中しました。想像どおりでした(再掲)。 この防火用水槽は、右書きで上段が「水用」、下段が「守武」と記され、恐らく所有者の苗字ではないでしょうか?
庭がない下町では、このように家の前の側溝、歩道や道路で緑を楽しんでいます。 こちらは、民家の玄関先に植わっている柿の木から、2階で干し柿を作る様子です。 この干し柿作りは、東京の下町で生活する庶民のささやかな「秋の風物詩」でしょう。
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