淀橋町は、単独水源を持たない大久保町、戸塚町、千駄谷水道と同じく給水を得る交渉で東京市から内諾を得、小学校5箇所と沿道に消火栓37箇所を設置する主務大臣の認可が大正13年4月に許可されました。 淀橋町は工事を東京市に委託し、大正13年5月3日に工事を着手して、同年8月に工事は完成し、翌14年1月15日に竣工しました。 淀橋町は大正15年に町民の要望に応え、淀橋町全域に給水するための認可手続きを執り、昭和2年5月に認可を得、同年6月より給水工事に着手し、初めて一部町民が水道水利用の恩恵を受けました。 淀橋町水道の給水区域:淀橋町全域、給水予定人口:6,000人、給水量 一人一日最大139リットルでした。 淀橋町水道は1932(昭和7)年10月1日に東京市によって、2町村組合(江戸川上水、荒玉水道)経営及び8単独町営(澁谷町、目黒町、淀橋町、大久保町、戸塚町、代々幡町、井荻町、千駄ヶ谷町)の計10水道事業の一つとして併合経営されました。
この場所に止水栓がありました。止水栓の左隣は制水弇です。 この止水栓を発見した場所が、淀橋町水道給水地域にあるため、当初はこの止水栓は淀橋町水道の』蓋 かと、思いました。 止水栓の紋章をご覧ください。 この紋章はご覧のとおり、摩耗もあって不鮮明でした。 そこで、これが淀橋町水道の紋章か否かを調べるため、林丈二氏の著作“マンホールのふた 日本篇”(1995年12月10日初版第三刷)36ページに紹介された蓋にある紋章と見比べたところ、紋章は違っていました。 この止水栓の所属を全国市町村の徽章で調べましたが、該当する徽章は見当たりませんでした。 この止水栓の寸法を100円硬貨で比較ご覧ください。 しかし、この止水栓は淀橋町水道給水地区にあって、給水に寄与したことは間違いありません。 ここで、わかったのは大きな謎を秘めた止水栓だということだけした。
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淀橋町水道
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