・ 大住郡秦野町は1896(明治29)年3月26日に淘綾郡と合併して、中郡秦野町となりました。 ・ 中郡秦野町は1955(昭和30)年1月1日に廃止され、秦野市が誕生しました。
この曽屋区水道は常滑産の陶管を利用した全国初の水道です。 長さは約5キロメートルで浄水設備を備えた近代水道としては横浜、函館に次いで全国3番目でした。厳密な意味では、鉄管を使っていないので、近代水道には集計されていません。 ※ ここでいう横浜とは横浜市ではなく、神奈川県が横浜に整備した近代水道を指します。
最初に見つけた秦野町水道の水止栓↑よりも、もっと状態の良い蓋↓を道路の塀際で見つけました。 こういう場所に水止栓があったことが、撤去されずに残されたわけです。 この秦野町水道水止栓をご覧ください。 この水止栓の紋章をご覧ください。 この蓋の紋章は、前回紹介した秦野町水道の水止栓よりも文字も摩耗が少なく良い状態といえます。 秦野町水道水止栓の寸法を恒例の20cm竹製物差しと100円硬貨でご覧ください。 この水止栓は前回の蓋とほぼ同じ大きさでした。
これと同じ秦野町水道の量水器が、先の水止栓を見つけた同じ日に、2枚新たに見つかりました。 こちらの秦野町水道量水器は、初めて見つけた蓋よりも、汚れが目立っていました。 この秦野町水道の紋章には、”水”の一画の右下に|、と「萌え点」がありました。 同じ日に見つかった秦野町水道量水器をご覧ください。 この量水器は塀に挟まれた可哀そうな蓋でした。 こちらの量水器の紋章では、”水”の一画右下の萌え点が削られたような痕跡がありました。
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秦野町水道
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・ 大住郡秦野町は1896(明治29)年3月26日に淘綾郡と合併して、中郡秦野町となりました。 ・ 中郡秦野町は1955(昭和30)年1月1日に廃止され、秦野市が誕生しました。
この曽屋区水道は常滑産の陶管を利用した全国初の水道です。 長さは約5キロメートルで浄水設備を備えた近代水道としては横浜、函館に次いで全国3番目でした。 ※ ここでいう横浜とは横浜市ではなく、神奈川県が横浜に整備した近代水道を指します。 秦野町水道の左書き止水栓(以下、止水栓と略)は、小田急小田原線秦野駅で下車した2回目のマンホールウォークで秦野町水道の右書き止水栓↓を見つけた後日に、 秦野町水道の止水栓をこのような道路で見つけました。 この止水栓は今まで見つけた水止栓や右書き止水栓とは違って、蝶番がある小蓋でよくあるデザインでした。 秦野町水道の止水栓をご覧ください。 この止水栓の紋章をご覧ください。 この蓋の紋章は、前回紹介した秦野町水道の右書き止水栓よりも文字と同様に摩耗をしていました。 この紋章は、今まで取り上げた秦野町水道量水器の紋章と同じで、”水”を中央に、その周りを二重に囲うデザインでした。 外周の上部は”ハ”を、下部が”タ”を表し、その内側は”ノ”をデザインしたものです。 この3文字を読むと”ハタノ”になり、「ハ」がタの濁点(゛)をも兼ねれば、タはダとなり、「ハダノ」と読めます。 秦野町水道止水栓の寸法を恒例の20cm竹製物差しと100円硬貨でご覧ください。 もう一枚紹介するこちらの止水栓は、先の蓋↑よりも以前に見つけていました。こちらです。 この蓋の方が寸法的には一回り小さめでした。 こちらの紋章をご覧ください。 この紋章は相当な摩耗度でしたが、秦野町水道の蓋で間違いないでしょう。
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・ 大住郡秦野町は1896(明治29)年3月26日に淘綾郡と合併して、中郡秦野町となりました。 ・ 中郡秦野町は1955(昭和30)年1月1日に廃止され、秦野市が誕生しました。
この曽屋区水道は常滑産の陶管を利用した全国初の水道です。 長さは約5キロメートルで浄水設備を備えた近代水道としては横浜、函館に次いで全国3番目でした。 秦野町水道の止水栓は小田急小田原線秦野駅で下車した2回目のマンホールウォークで秦野町水道の水止栓↓を見つけた後、 秦野町水道の止水栓が、このような道路の私有地際にありました。 この止水栓も水止栓と同様に蝶番がない小蓋で、デザインは水止栓とは違ってよく見られるタイプでした。 秦野町水道の止水栓をご覧ください。 この止水栓の紋章をご覧ください。 この蓋の紋章は前回紹介した秦野町水道水止栓よりも摩耗度も少なく割と良い状態でした。 文字は摩耗しているものの止水栓と明瞭に読め、右書き”栓水止”表記でした。 この紋章は、前回見つけた秦野町水道量水器の紋章↓と同じで、”水”を中央に、その周りを二重に囲うデザインでした。 外周の上部は”ハ”を、下部が”タ”を表し、その内側は”ノ”をデザインしたものです。 この3文字を読むと”ハタノ”になり、「ハ」がタの濁点(゛)をも兼ねれば、タはダとなり、「ハダノ」と読めます。 秦野町水道止水栓の寸法を恒例の20cm竹製物差しと100円硬貨でご覧ください。 秦野市内にはプラスチック製の秦野市止水栓が随所で見られます。
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・ 大住郡秦野町は1896(明治29)年3月26日に淘綾郡と合併して、中郡秦野町となりました。 ・ 中郡秦野町は1955(昭和30)年1月1日に廃止され、秦野市が誕生しました。
この曽屋区水道は常滑産の陶管を利用した全国初の水道です。 長さは約5キロメートルで浄水設備を備えた近代水道としては横浜、函館に次いで全国3番目でした。 秦野町水道の水止栓は小田急小田原線秦野駅で下車した2回目のマンホールウォークで見つかりました。 秦野町水道の水止栓は、このような路地の塀際にありました。 この水止栓は蝶番がない小蓋でデザインも変わっています。 秦野町水道の水止栓をご覧ください。 この水止栓を見た瞬間、頭に閃いたのは渋谷区円山町で見つけた澁谷町水道の蓋でした。 円山町で見つけた澁谷町水道の蓋はかなりの摩耗度なので、神泉町の蓋↓をご覧ください。 この蓋も摩耗度はかなりですが、秦野町水道水止栓と同じ特徴的なデザインでした。 文字も相当摩耗していますが、どうにか水止栓と読め、同じ右書き”栓止水”表記でした。 秦野町水道の水止栓の紋章をご覧ください。 この紋章は摩耗と腐食で読み取りにくいですが、前回見つけた秦野町水道量水器の紋章↓と同じで、”水”を中央に、その周りを二重に囲うデザインでした。 外周の上部は”ハ”を、下部が”タ”を表し、その内側は”ノ”をデザインしたものです。 この3文字を読むと”ハタノ”になり、”ハ”がタの濁点(゛)をも兼ねればタはダとなり、「ハダノ」と読めます。 秦野町水道水止栓の寸法を恒例の20cm竹製物差しと100円硬貨でご覧ください。 最初に秦野町水道量水器を見つけた日には、蝶番がある水止栓も見つかりました。こちらです。 この水止栓の上にも紋章があります。摩耗で読み取れませんでした。 こちらの水止栓は汎用タイプかもしれません。
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・ 大住郡秦野町は1896(明治29)年3月26日に淘綾郡と合併して、中郡秦野町となりました。 ・ 中郡秦野町は1955(昭和30)年1月1日に廃止され、秦野市が誕生しました。
この曽屋区水道は常滑産陶管を利用した全国初の水道です。 長さは約5キロメートルで浄水設備を備えた近代水道としては横浜、函館に次いで全国3番目でした。 今回、秦野町水道の量水器は小田急小田原線秦野駅で下車し、マンホールウォークをしていた際、いとも簡単に見つかりました。 秦野町水道の量水器は、紫色矢印で示した道路に隣接した私有地にありました。 量水器の左隣が散水栓で、同じく真下には秦野市止水栓がありました。 秦野町水道の量水器をご覧ください。 この量水器を見た瞬間、頭に閃いたのは下記に掲げる江戸川上水町村組合の量水器↓でした。 秦野町水道量水器はこの蓋と同じく大きな紋章が特徴的でした。 量水器の文字も同じ右書き”器水量”表記でした。 大きな紋章をご覧ください。 この紋章は”水”を中央に、その周りを二重に囲うデザインで、これが秦野(ハダノ)を意味しています。 外周の上部は”ハ”を、下部が”タ”を表し、その内側は”ノ”をデザインしたものです。 この3文字を読むと”ハタノ”になり、”ハダノ”とは読めません。 なので、”ハ”が”タ”の濁点(゛)をも兼ねれば、”タ”は”ダ”となり、「ハダノ」と読めます。 秦野町水道量水器の寸歩を恒例の20cm竹製物差しと100円硬貨でご覧ください。 この画像からも紋章の大きさがわかります。 この敷地内には市内から移された秦野町時代の消火栓蓋や水道消火栓蓋などが置かれています。 ここにも古い時代の右書き量水器がありました。こちらです。 この量水器は紋章がない汎用タイプでした。 秦野市内にはプラスチック製の秦野市量水器が随所に設置されています。
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