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バ〜ンさんの素敵な記事に触発され、以前から念願であった三浦海岸の河津桜を観に、京浜急行電鉄・三浦海岸駅で下車しました。 第15回三浦海岸桜まつりは、2月11日から3月12日まで三浦海岸駅から小松ヶ池公園で開催されています。 この日は河津桜を観に行くことと、三浦市の前身・三崎町時代の水道蓋を探索する目的もありました。 河津桜を観に行く前後に、横浜市と宮城県富谷町(市)からの越境蓋も見つけました。
三浦海岸駅周辺は、三浦海岸桜まつりを見に来られた観光客で大変賑わっていました。 三浦海岸から三崎口の線路沿いに咲く河津桜と、菜の花のコラボをご覧ください。 ここへ来るまでは、菜の花が散っていてガッカリしましたが、ここで見られました。 河津桜をご覧ください。 河津桜の蜜を求め、画像には写っていませんがヒヨドリやメジロもきていました。 これは、黄色い三浦市の防火用水槽蓋と、ピンク色の河津桜とのコラボです。
これは、三浦海岸沿いで横浜市のうすい蓋が越境していました。 真向かいに見える駅が、三浦海岸駅です。 こちらには、横浜市の切断された量水器も越境していました。 三崎口から三崎魚港まで歩くと、横浜市量水器の下部はY.W.W.の代わりに「みさき」と記されたコラボ蓋が見られました。 このコラボ蓋については、後日紹介させいていただきます。 越境蓋の中で一番驚いたのが、宮城県富谷町(市)から制水弁の越境でした。 この越境蓋が、三浦市の江戸時代の町火消の纏(まとい)をデザインした 消火栓蓋の右側にありました。 宮城県富谷市役所から、三浦市役所まで440Kmを超える遠方越境でした。
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花
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馬明は10年ほど前に、神奈川県の県央部にある大企業の工場緑地帯で毎年4月20日過ぎから5月のGWにかけて、キンランが咲くのを見ました。 キンランは横浜の自然豊かな谷戸で見ましたが、歩道から見える工場緑地帯で咲いていた黄色い小花を見て、直ぐにキンランであると気が付きました。 キンランが咲くのと並行して、ギンランも咲きます。ギンランが咲いている個体数は、キンランよりも例年多かったです。 馬明の路上文化遺産と投資のブログをご訪問くださいまして、大変ありがとうございます。 ブログ開設から、5月1日で8年107日を迎えました。ブログ開設10周年まで1年258日です。
咲いていたキンランの個体数を数えると、およそ25株ほどありました。 黄色いキンランの花をご覧ください。 空調機の近くにも、キンランが咲いています。 キンランは工場緑地の広い範囲で、咲いていました。 工場緑地の林床から、かつては雑木林だったように思えます。
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田戸台分庁舎(旧横須賀鎮守府長官官舎)は、京浜急行電鉄・県立大学駅の裏手で東京湾を一望する高台にあります。 ここは1913(大正2)年に建設された旧横須賀鎮守府長官の官舎と、庭園に桜が咲く春に一般公開されます。 私ごとですが、明後日の12日から17日まで、九州の長崎と博多へ旅行で参ります。 大変申し訳ありませんが、12日〜18日夜までの間はブログのお休みをいただきます。どうぞ宜しく願い致します。
馬明の路上文化遺産と投資のブログをご訪問くださいまして、大変ありがとうございます。 ブログ開設から、4月10日で8年86日を迎えました。ブログ開設10周年まで1年279日です。
ここで、毎年4月上旬に5日間ほど一般公開され、1913(大正2)年に建設された旧横須賀鎮守府長官の官舎と庭園の桜が見学できます。 庭園の桜をご覧ください。 庭園から建物全景を撮るときに無粋なテントがあって、景観の妨げでした。 桜はソメイヨシノと枝垂れ桜でした。 庭園内では、保育園児が桜をバックに記念写真を撮っていました。 この日はアマティアカメラマンも多くいて、思い思いに桜を撮っていました。 ここへは、来年も暖かな公開日に桜を観に行きたいです。
歴代居住者は、帝國海軍が1945(昭和20)年の終戦まで34代(31)人、終戦後は米国に接収され、1964(昭和39)まで在日米海軍司令官など9人が居住していました。 ここはリビングルームです。 こちらにも豪華なシャンデリアがあるダイニングルームです。 ダイニングルームの奥にある食器棚の真ん中には、元帥海軍大将東郷平八郎の小さなブロンズ像があります。 東郷平八郎は、連合艦隊旗艦三笠の艦橋で右手に双眼鏡、左手にサーベルを持って指揮をとっていました。 東郷平八郎の作戦で、日露戦争でロシアのバルチック艦隊を日本海海戦で勝利に導いたのは有名です。 小川三知がアメリカ系に日本画の美的表現を独自に取り入れたステンドグラスが、ダイニングルームほか、洋館正面玄関上部の四連窓などで見られます。 小川三知の作品は、関東大震災や戦災で現存する数少なく、見事な孔雀のステンドグラスがここに残されています。 これは敷地にあった帝國海軍時代の仕切弁筐(きょう)です。 年代はこの建物ができた大正初頭でしょう。 これは帝國海軍にちなんで横須賀海軍カレーです。 馬明はかなり昔、仕事で海上自衛隊の仕事で海軍カレーをご馳走になりました。 このときもサラダと牛乳が付き、デザートはリンゴでした。
明後日の12日から17日まで、九州の長崎と博多へ旅行で行って参ります。 大変申し訳ありませんが、12日〜18日夜までの間はブログをお休みします。どうぞ宜しく願い致します。
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大岡川は源流を円海山に発し、ゲンジボタルが自生する氷取沢市民の森を流れて笹下川となり、上大岡の手前で日野川と合流し大岡川となり、南区、中区を経て横浜港に注ぐ流路延長約12kmの二級河川です。 第23回大岡川の桜まつりが、4月4日〜5日に大岡川プロムナードで行われました。 ここでは桜を見ながら屋台で楽しめます。夜はボンボリが12日まで点灯し、夜空に淡い桜のピンク色が引きたつ、きれいな光景が見られます。 馬明の路上文化遺産と投資のブログをご訪問くださいまして、大変ありがとうございます。 ブログ開設から、4月6日で8年82日を迎えました。ブログ開設10周年まで1年283日です。
大岡川の水質が良かった昔は、友禅流しのように川で染物を水洗していました。 馬明が知っている昭和40年代後半の大岡川は、川底からメタンガスがプカプカと湧くドブ川でした。 ドブ川時代の大岡川を振り返ると、著書「都市と川」の森清和さんを思い出します。
大岡川の桜をご覧ください。 毎年、大岡川の桜を観に多くの方が来られます。 大岡川プロムナードには、屋台がたくさん出ていました。 今月12日までは夜に、150ほどあるボンボリが点灯します。 大岡川の桜は風で花びらが散っていて、川面はピンクの絨毯が一部見られました。 ここは、日ノ出さくら道にあるポケットパークの「ちぇりり場」です。 「ちぇりり場」は、桜(cherry)と川(River)、ここが親しまれ、憩い安らぐ場と なる願いを込めた愛称です。 魚のモニュメントは、魚「ちぇりりとと」がやさしく、ニコニコ泳いでいる様子です。 魚の紋様は、桜の川にふさわしい桜の花びら模様です。
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関内桜通りは桜並木道の愛称で、JR関内駅北口から尾上町通りを渡って、北側にある日本郵船歴史博物館がある海岸通りまでに至る500メートルほどの道路を指します。 この関内桜通りには、陽光桜11本をはじめ、関山桜、寒緋桜など6種類の桜が植わっていて、春は多くの人を楽しませてくれます。 この通りは広い通りではありませんが、道路沿いは飲食店やコンビニなどもあって、 賑やかな通りです。そこでは時期をずらして、6種類の桜が咲くありがたい場所です。 馬明の路上文化遺産と投資のブログをご訪問くださいまして、大変ありがとうございます。 ブログ開設から、3月27日で8年72日を迎えました。ブログ開設10周年まで1年293日です。
ここ関内桜通りには、陽光桜をはじめ関山桜、寒緋桜など6種類の桜が植わっていて、春は桜が楽しめます。 あでやかなピンク色の陽光桜をご覧ください。
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