|
三崎は、1889(明治22)年4月1日の 町村制施行で誕生した三崎町の中心地です。 三崎町は、1955(昭和30)年4月1日 に三浦郡初声村・南下浦町と合併し、同時に市制を施行して三浦市が成立しました。 旧三崎町には、市役所、三崎港、観光施設があって、現在も三浦市の中心です。 三崎は、沿岸、沖合、遠洋漁業で栄えた町です。 江戸時代末期から豪商「伊勢六」の屋号で、かって米や酒を扱っていた蔵造り建物は、現在は三崎の歴史を伝承する施設として、この時期は雛祭りが展示されています。 3月3日は、雛祭りです。三崎昭和館で昭和2年のお雛様をご覧ください。
旧三崎町には市役所、三崎港、観光施設が立地する三浦市の中心地です。 三崎港界隈は、観光客で賑わっていますが、 しかし、閉店する店舗も多く見られ、空洞化しています。ここも船具店を閉じてます。
現在は三崎の歴史を伝承する施設として、この時期は雛祭りが展示されています。 三崎昭和館では雛祭りの展示のほかに、昔使われていた家庭用品や、台所などが常時展示されています。 屋号「伊勢六」の徳利と、年代物の麒麟麦酒瓶をご覧ください。 こちらは、たらいで洗濯した光景などが展示されています。 三崎昭和館のなかで、飾られているお雛様です。 店蔵に飾られている吊るし雛です。 母屋などに飾られているお雛様です。 一番古いお雛様は、昭和2年です。 立体的な工夫が施されていて、見事な造りです。 他のお雛様です。
|
祭り
[ リスト | 詳細 ]
全1ページ
[1]
馬明の路上文化遺産と投資のブログをご訪問くださいまして、大変ありがとうございます。 ブログ開設から、1月6日で9年356日を迎えました。ブログ開設10周年まで、あと9日です。
區・町名付きの青いホーロー看板です。 目黒町は、1922(大正11)年12月1日に誕生し、1932年(昭和7年)10月1日に目黒区の発足で消滅しました。 神田區は、1878(明治11)年7月22日に誕生した東京市15区の一区でした。 東京市神田區は、1943(昭和18)年7月1日に東京都制で東京府と統合されて東京都となり、1947年3月15日に麹町区と新設合併して誕生したのが千代田区です。 旧東海道沿いで見た品川區南品川二丁目170番地をご覧ください。 中野區宮前町は、1931(昭和6)年に誕生し、1967(昭和42)年に中央2丁目となり廃止されました。 下谷區竹町は、1878(明治11)年7月22日に誕生しましたが、1947(昭和22)年3月15日に浅草區と合併して台東区が誕生し、廃止されました。 白地に緑色の字体は、珍しい様式です。
|
|
第22回中島三郎助まつりが、横須賀の住友重機械工業の旧浦賀ドックでありました。 浦賀奉行所与力の中島三郎助が、1821(文政4)年1月25日誕生のイベントです。 幕府が黒船来航に軍艦の必要性を強く感じ、軍艦造船委員の中島三郎助に軍艦建造を命じ、1854(安政元)年6月6日に日本で最初に誕生した洋式軍艦が鳳凰丸です。 馬明の路上文化遺産と投資のブログをご訪問くださいまして、大変ありがとうございます。 ブログ開設から、2月1日で9年17日を迎えました。ブログ開設10周年まで、あと348日です。
浦賀駅から横断歩道を渡った塀に、1853(嘉永6)年6月3日に浦賀沖に黒船来航した大きな絵があります。この右横に第22回中島三郎助まつりが案内されていました。 住友重機械工業の塀沿いに、浦賀奉行所の与力中島三郎助と鳳凰丸のことが紹介されています。 幕府が黒船来航に軍艦の必要性を強く感じ、中島三郎助に軍艦建造を命じ、1854(安政元)年6月6日に日本で最初に誕生した洋式軍艦が浦賀沖に浮かんでいます。 ここが住友重機械工業の旧浦賀ドックで開催された中島三郎助まつりの様子です。 ステージでは、浦賀中学校のダンスやブラスバンド等のアトラクションがありました。 機関工場内では模擬店・古本市や、 地元生わかめの販売も行われていました。 この生わかめを買って、家で味噌汁にして食べられなかったのは残念でした。 これはモツの煮込みです。 大根がモツで良い味わいでした。モツの少なさにはがっかり。 軽食で食べたのが、この想作黒船シチュー。 ソフトフランスパン1個が付いて、250円でした。 想作黒船シチューの具材はイカ、アサリ、小エビ、ホタテの海鮮と、野菜はタマネギ、ジャガイモ、ニンジン。美味しい海鮮シチューでした。 ソフトフランスパンは、軟らかなフランスパンでバターなしでも美味しかったです。 1個50円(税抜き)で、3個入りと5個入りがあります。 この模型は、郷土資料館に展示されていた浦賀奉行所です。 中島三郎助は、1868(慶応3)年10月に江戸幕府が大政奉還後の1868(明治元)年8月19日に、長男恒太郎と次男英次郎、奉行所の同志と榎本武揚とともに開陽丸で江戸を脱出した。 函館奉行並となった中島三郎助は、五稜郭に籠って、旧幕府軍として新政府軍を迎え討ったが、千代ヶ岡陣屋で、1869(明治2)年5月16日に享年49歳。長男恒太郎22歳、次男英次郎19歳で戦死しました。 毎年5月に、函館で第22回中島三郎助まつりがあります。 千代ヶ岡陣屋(千代台公園)付近の土地が中島三郎助最後の地で中島町と名付けられました。 浦賀園は1891(明治24)年に開園した横須賀市最古の公園で、愛宕山の山頂にある愛宕山公園のことで、ここが入り口です。 この険しい石段に浦賀町の境界杭が見られます。 愛宕山公園に、中島三郎助の招魂碑があります。 篆額(てんがく)は、榎本武揚です。
|
馬明は初めて、最終日の21日に行ってきました。 川崎大師風鈴市は川崎大師の大開帳奉修記念として、平間寺境内で開催され、全国47都道府県から900種 30,000個の風鈴が一堂に勢ぞろいしました。 風鈴市には浴衣姿の女性も見られ、華やいだ雰囲気でした。
これは沖縄県の沖縄びーどろ風鈴です。 こちらは兵庫県の出石焼風鈴です。 これは長野県の諏訪ガラス風鈴です。 こちらは神奈川県の厚木花はり風鈴です。 これは神奈川県の創作ガラス風鈴です。 こちらは東京都の江戸風鈴です。 これは北海道のどさんこ風鈴です。 小樽大正硝子館の風鈴もありました。 こちらは特別出品の金の風鈴です。 ここにはプラチナ風鈴もありました。
|
全1ページ
[1]





