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少し前のことになりますが、韓国との国境の島、対馬に行ってきました。5年ぶりの訪問です。 対馬の北島、幹線道路の国道382号線から少し外れた、木坂という集落にある、「海神神社(かいじんじんじゃ)」が、対馬国の一宮になります。 少し南の方に、海に鳥居がある、観光名所として知られる「和多都美神社(わだつみじんじゃ)」があります。そちらは韓国からの観光客がいましたが、海神神社は貸し切り状態でした。 御祭神は豊玉姫命、鵜葺草葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト)、神功皇后、応神天皇の4神。 前2神は海の神、後の2神は八幡神として知られています。創建は不明ですが、神功皇后が三韓征討から帰る際、半島から持ち帰った8本ののぼりを、今の境内に立てたとされていて、この神社では、八幡宮の発祥の地と称しています。もとは「木坂八幡宮」と呼ばれていたようです。一宮として長らく信仰を集めてきましたが、江戸時代に社格を上げるため、式内社の「和多都美神社」と改名したものの、明治になって国幣中社を申請した際に、天皇家と関係の薄い神を祀るのはおかしいとされ、急きょ「わだつみ」とも読める「海神神社」に名を改めたそうです。海の神と八幡神を祀っているのはこうしたことが背景にあるようです。 ちなみに下の写真が、「本家」といいますか、今の「和多都美神社」です。 海神神社には、神職の方は常駐されていません。あらかじめ電話で都合をうかがおうと、公式ガイドブックの電話番号に何度か電話しましたが、一向に通じません。半ば無駄足になると覚悟して、神社にやってきたのですが、鳥居をくぐって左側にある社務所に、宮司さんの携帯電話が書いてあり、電話をしてみると、大変丁寧な応対で、すぐに車でかけつけていただけました。 ちなみに社殿は、社務所のある場所から280段ほど上った山の中腹です。原生林に囲まれた静寂な境内に立派な建物が建ち、そこから海も臨むことができます。「パワースポット」などという陳腐な言葉では表現できない、世俗から離れた、神秘的な雰囲気にあふれる神社で、本当にかつて神功皇后が来たのではないかと思えるような場所でした。 赤 … 終了した国
合計 63国95社(新一宮2国2社を含む) |
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お久しぶりです、私は70歳になりました。
2012/7/6(金) 午前 9:54 [ 中路正樹 ]
御無沙汰しております。このたびは、おめでとうございます!
人生の大先輩にこのような物言いは恐縮ですが、今後とも当ブログをよろしくお願いいたします。
2012/7/8(日) 午後 9:48 [ 京わらべ ]
対馬に上陸ですか。現在その先の朝鮮国への進出をもくろんでいます。対馬も行きたいなぁ。
2012/7/11(水) 午後 9:36 [ うろつきPLUS ]
いいですね何度も行かれて、藏は一度だけです。
日本で最初に「 蒸留酒・焼酎 」を作ったくにですね。
2012/7/17(火) 午後 10:57 [ 羽木 鉄蔵 ]
うろつきPLUSさま。
次はいよいよ半島の鉄道ですか。
うらやましいです。がんばってくださいね。
2012/7/18(水) 午後 10:08
藏さま。
以前、長崎県に住んでいたもので、たまたま何度か機会がありました。確かにお酒はおいしいところですね。
2012/7/18(水) 午後 10:10
対馬市豊玉町の和多都美(わたづみ)神社(平山静喜宮司)で16日、恒例の古式大祭があり、600年以上前から伝わる国選択無形民俗文化財の神楽「命婦(みょうぶ)の舞」を奉納し、家内安全や商売繁盛などを祈願した。
同神社は日本神話に登場する彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)と豊玉姫命を祭る海宮。五つの鳥居のうち二つが浅茅湾内に立ち、山々に囲まれた神秘的な観光地として知られる。
大祭は毎年旧暦8月1日に開催。命婦の舞は最初の神事で、氏子ら25人が見守る中、同市峰町木坂の島居千鶴さん(55)と長女の希美さん(33)が奉納した。
鶴が描かれた巫女(みこ)衣装を着た2人は祝詞を奏上した後、太鼓に合わせて四方を向いて鈴を鳴らしたり、鳥が羽ばたくように袖を振って厳かに舞った。
35年前から神楽を継承している島居さんは「奉納するたびに気が引き締まる。島の平安を祈り、これからも続けたい」と話した。
2012/10/10(水) 午前 6:24 [ 高砂のPCB汚泥の盛立地浄化 ]
魏志倭人伝には「対馬国」が倭国の1国として登場し、邪馬台国に服属したことが記されている。
はじめて一つ海を渡る。一千余里ある。対馬国に至る。そこの大官(長官)は卑狗(ひこ、ひく)といい、副官は卑奴母離(ひなもり)という。住んでいるところは海に囲まれた島で、広さは四方四百余里ばかりである。その土地は山が険しく、深い森が多く、道路はけものや鹿の通り道のようである。
また人家は千余戸がある。良い田がなく、海の物を食べて自活し、船に乗り南や北に海を渡って穀物を買い入れている。
弥生時代の対馬北部の集落遺跡塔の首遺跡(対馬市上対馬町)では、石棺の内外に朝鮮半島系および中国系のもの(方格規矩文鏡・銅釧・陶質土器など)と北九州系のもの(広鋒銅矛・玉など)が一緒に副葬されており、『魏志』における「南北市糴」の記載を裏づけている。
4世紀後半以降、東海岸の鶏知浦周辺に畿内型の前期古墳で島内最大の出居塚古墳(美津島町)が出現し、つづいて前方後円墳をふくむ根曽古墳群(美津島町)がつくられ、4世紀後半代には北部に大将軍山古墳(上県町)がつくられた。
2012/10/14(日) 午前 8:52 [ 底質汚染 ]
コメントありがとうございます。
対馬の歴史は深いですね。いつまでの守り続けて行かねばなりませんね。
2012/10/14(日) 午後 9:03