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対馬に続いて、高速船で、お隣の壱岐を訪問しました。壱岐には神社発祥の地とされる月読神社もありますが、一宮は郷ノ浦から近い天手長男(あめのたながお)神社とされています。 御祭神は天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)、天手力男命(あめのたぢからおのみこと)、天鈿女命(あめのうずめのみこと)の3神です。名神大社にも数えられ、崇敬を集めた神社ですが、江戸時代までにすっかり廃れて、どこにあるかわからなくなってしまったそうです。江戸時代初めごろに橘三喜が場所を推定し、当時の藩主・松浦氏が社殿を再建したということです。そのせいか建物は新しく、かなり小ぢんまりしています。 魏志倭人伝の一支国の都とされる「原の辻遺跡」により近い「興(こう)神社」こそ、壱岐国一宮とする説もあるそうです。 ちなみに下の写真が、「原の辻遺跡」と「興神社」です。一宮といわれてしまうと、何となく風格を感じてしまいました。 天手長男神社も、神職の方は常駐されていません。電話を差し上げたところ、快くすぐにかけつけていただきました。ありがとうございました。 これで離島にある一宮のうち、隠岐・対馬・壱岐が終わり、残るは佐渡だけになりました。ちなみに橋でつながっていますが、淡路と伊予の一宮も、島にあります。 さらに神職の方が常駐されていない神社もこれが最後になります(のはずです)。神職の方に出てきていただいたり、御自宅にお邪魔したりするのは、どうしても気が引けるので、大きなヤマを越えたような気がしました。 赤 … 終了した国
合計 64国96社(新一宮2国2社を含む) |
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ですね、常駐されていないところへ案内したときも、
云われの冊子などもどこにおいてあるかを知らないと、
困られている姿もよく見かけます。
こちらも一度しかお邪魔した事がありません。31年前です。
2012/7/25(水) 午後 0:44 [ 羽木 鉄蔵 ]
藏さんもあちこち行かれていますね。
常駐されていないところは確かに気軽に行きにくいのですが、そういう神社の神職の方が、お優しい人ばかりだったりします。
2012/7/28(土) 午後 7:46
壱岐と対馬も制覇されたんですね!!もう真っ赤ですね。
2012/9/10(月) 午後 4:42 [ うろつきPLUS ]
御無沙汰しております。
島は行くのは大変なのに、塗りつぶしても小さいのでちょっと残念です。
2012/9/11(火) 午後 10:02
対馬の首長について、『先代旧事本紀』の「国造本紀」では「津島県直」と伝える。
古墳時代はヤマト王権がたびたび朝鮮半島に出兵し交戦を繰り返した時代であり、こうした状況は『日本書紀』、『広開土王碑文』、『宋書』倭国伝、『三国史記』の記載でも認められる。
このなかで対馬の具体的な地名が登場するのは、『日本書紀』において、対馬北端の和珥津(わにのつ、現在の上対馬町鰐浦)から出航した神功皇后率いる大軍が新羅を攻め、服属させたうえ、屯倉を設置したという記述である。
皇后が三韓征伐の帰途、旗八流を納めたとされるのが和多都美神社(現海神神社)であり、この神社が対馬国の一宮である。
また、朝鮮側の記録としては、12世紀に編纂された朝鮮最古の歴史書『三国史記』に、第18代新羅王実聖尼師今の治世7年(408年)に、倭人が新羅を襲撃するため対馬島内に軍営を設置していたことが記されている。
このように、対馬はヤマト王権による朝鮮半島出兵の中継地としての役割を担っていたことが知られる。
2012/10/11(木) 午前 4:47 [ 底質汚染 ]