神仏霊場巡拝

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満願之証

本日、自宅に帰ると、神仏霊場会から「満願之証」が届いていた。
2週間くらいかかると聞いていたので、こんなに早く来るとは思っていなかった。
とはいえ、これで長い巡拝は一区切りだ。いったい私で何番目なのだろう?

これまでいろいろな方からさまざまなアドバイスをいただいているが、胸を張って次に進もう!
改めて全ての方に感謝!!!!心からありがとうございました。

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満願

神仏霊場巡拝をきょうこそ終わらせようと、早起きして比叡山を眺めると、厚い雲に覆われている。
天気予報も悪く、バイクで行くにはしんどいかなと、いったん断念。しかし外に出ると、意外に明るく、比叡山も一部見え始めた。満願の日は晴れがいいと思っていたのだが、これも天の声と考え、思い切って出発することにした。

山中越から、比叡山ドライブウェイに入る。ここは、学生時代、突然、京都から琵琶湖に行こうと思い立ち、ママチャリでこの道を走り、ドライブウェイ入り口付近で、一気に下ろうとして、道路中央にあるキャッツアイに乗り上げて、大転倒して負傷した思い出の場所だ。膝に大きな裂傷を負ったが、若かったこともあって気合いで治した。あの時は快晴だったが、今回は霧。二の舞にならないよう、そろそろと走る。ほかに走る車もほとんどなく、のんびりと延暦寺駐車場へ。駐車場にはバイクを含め、結構車が停まっていた。

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◆延暦寺(滋賀18番・天台宗総本山)

延暦寺は、言うまでもなく日本の天台密教の聖地。伝教大師・最澄が788年に、祈願道場として、「一乗止観院」を開いたことが始まりとされる。平安京への遷都にあわせて、鬼門鎮護の霊場となり、805年、天台宗を開くことを許される。ここからは空也、良忍、法然、親鸞、日蓮、栄西、道元らを後の日本仏教の中心人物を輩出した。(もっともこれらのかたがたは天台に限界を感じて新しい宗派を開いたのではあるが…)


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国宝の「根本中堂」は、信長の焼き討ち後、徳川家康によって再建された(やむをえないことではあるが、ここでは信長は「仏敵」呼ばわりされている)。秘仏の薬師如来の前には1200年間守り続けられていることで知られる「不滅の法灯」が輝いている。

この根本中堂の入口の前にある小さな建物が神仏霊場の朱印所である。午前10時30分、最後のご朱印をいただく。窓口に「満願の方には、事務局から『満願之証』が届けられる」と書いてあったので、申し出ると、住所・氏名・電話番号だけを書き込む簡単な紙をわたされる。2週間ほどで『満願之証』が事務局から自宅に郵送されるとのこと。楽しみである。

このあと、西塔・横川にもお参りしようと思っていたが、東塔から先の奥比叡ドライブウェイは日曜日と祝日は二輪車乗り入れ禁止とのこと。天気もあやしいため、きょうは断念。『満願之証』が届いたあと、改めてお参りすることにする。箕面のあたりといい、関西の道路はバイクに冷たくないか??

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とにもかくにも、私の「神仏霊場巡拝」は去年10月12日にスタートして以来、9か月あまりで満願を迎えた。巡礼を終えるのは四国・西国・坂東・秩父についで5つめ。だが、これまでのものをすべて合わせた数に匹敵するくらいの霊場の数だ。数えてみたところ、実際にお参りに使ったのは44日。もっとも、近いところについては、仕事の前に立ち寄るといった非効率な回り方をしたので、集中すれば、もっと日にちをかけずに回ることができると思う。

152か所(特別霊場の伊勢神宮を含む)の朱印料の合計だけで4万5500円(天龍寺は200円、伊勢神宮は志納だったので300円で計算)と考えると、寺や神社のいいカモになってしまったという気もないわけではないが、これをきっかけにいろいろな所に行き、美しい景色も見られたし、いろいろな経験もできた。また多くの方に出会えたことを考えると、「決して高くはない!」と思うこととしよう。

去年9月に始まったばかりの霊場なので、最初は寺社側の対応もまちまちであった。認知度が低く、朱印帳に霊場の名前も書いていないため、違う寺で朱印をもらってしまったという笑えない話も聞いた。しかし終わりごろに行ったところでは、ほぼすべてでピンク色の「神仏霊場・朱印所」の看板が設けられたほか、神仏霊場専用の朱印を用意するところも現れるなど、だいぶ回りやすくなっていた。霊場側もそれなりに努力しているのだろう。一部の宗派には反発もあるようだが、神社と寺が手を組むというこの霊場巡りがこのまま発展してくれることを切に願う。

最後に。無事けがもなく、巡拝を終えることができました。このブログへのコメントを通じて、あたたかいお言葉をかけていただいた皆様ありがとうございました。

…次は何にしようかな??

リーチ

旅行から戻ってきたばかりだというのに、調子に乗って高野山へ。バイクも考えたが、天気があやしいため、難波から南海電車を利用。高野山には、四国遍路の時以来、9年ぶり4度目の訪問だ。


◆金剛峯寺(和歌山13番・高野山真言宗総本山)

イメージ 1ケーブル高野山駅からはこれまでの訪問と同じように3キロほど歩いて大門に向かう。ここをくぐらないと、どうも聖地に着いた気がしない。今回はアジサイがきれいに出迎えてくれた。
高さ25mの巨大な門は日本を代表する霊場にふさわしい。1705年に再建されたというから、300年ほど経っているが、朱塗は今も鮮やかだ。


イメージ 2大門から歩いて壇上伽藍へ。弘法大師空海が816年に嵯峨天皇の勅許を得て、高野山に寺の創建をはじめたが、最初に手を付けたのが、この一角の整備だったという。今は金堂や御影堂、不動堂などが立ち並んでいる。その中心が根本大塔。高野山全体を曼荼羅とすれば、中央に鎮座する大日如来にあたるという。ここに塔が完成したのは、2代・真然の時で、その後、たびたび火災で焼け、今のものは昭和12年に造られたものだそうだ。


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壇上伽藍から霊宝館に寄って、高野山真言宗総本山の金剛峯寺へ着く。金剛峯寺の名前は高野山全体の総称として空海が名付けたとされる。今の金剛峯寺は1593年に豊臣秀吉が亡母のために作ったもので、青巌寺と呼ばれていたが、明治2年に金剛峯寺と改められた。座主の住寺で、高野山真言宗の宗務所が置かれている。中には関白秀次が切腹した部屋なども残っている。
内部拝観受付の所に納経所があり、そこで朱印をいただく。


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そして2キロほどの長い参道を歩いて高野山最大の聖地・奥の院へ。835年に入定した弘法大師の御廟に参拝する。手前の御廟橋からは撮影や飲食はすべて禁止。境内は団体客を中心に相変わらずの混雑ぶりで、亡くなって1100年以上経っても、お大師さまへの信仰の強さを改めて感じる。

また参道の途中には全国の大名や企業などが建てた墓が並ぶ。その数20万基。もちろん高野山にあやかって自国の墓とは別に建てているものにすぎず、本当に埋められているわけではないのだが、いつもここを歩くと眼を奪われてしまう。豊臣・武田・伊達・島津・前田・上杉…など有名どころから、マイナーな家まで、いささか不遜ではあるが、全国の大名家のデパートのようだ。寺の人の話では、記録上は大河ドラマの主人公・直江兼続の墓もあるそうだが、墓標はいまだに発見されていないとのこと。またこんな墓もちょっと離れてはいたが、仲良く(?)存在していて、高野山の懐の深さというか、信仰の厚さというか、そういったものを感じさせられた。

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これで去年10月に始めた神仏霊場巡拝も、いよいよあと1か所。比叡山延暦寺のみとなった。
早く終わらせたいような、終わらせたくないような…。

残りは2か寺

行けるときに勢いをつけて行ってしまおうと心に決め、室生寺に向けてバイクで出発した。
国道24号でそのまま行くのではつまらないので、宇治から府道3号で天ケ瀬ダム、そこから府道62号を走った。宇治田原の中心部のあたりまでは茶畑が広がる快走路だったが、和束の手前あたりはアメリカンではきつい狭い峠道で難渋した。笠置から柳生に出て国道369号をひたすら南下。369号は柳生の先あたりで細いところもあったが、おおむね快走できた。そして出発して2時間ほどで室生寺に到着した。最初に見えた「室生寺駐車場」にバイクを停めたが(200円)もう少し先にもいくつか駐車場があった。


◆室生寺(奈良23番・真言宗室生寺派本山)

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緑に包まれた山寺。17年ぶりの拝観になる。入ると門前で虚無僧が尺八を吹いていた。何となく雰囲気が高まる。拝観料を支払い仁王門を入るとすぐに納経所がある。さっそくお願いする。これで残り3か寺。金堂では内陣が特別拝観されていた。中に入り釈迦如来さまやお薬師さまにご挨拶する。金堂も釈迦如来像も平安初期のもので国宝である。ずらりと並んだほかの仏像も国宝や重文に指定されている。ほかの拝観者はいなかったので、じっくりと時間をかけてお姿を拝見した。

室生寺は、奈良時代末期、山部親王(後の桓武天皇)の病気の平癒祈願が行われ、効果があったことから、勅命で創建されたという。山林修行の道場として独自の発展を遂げた。その後、戦火に遭うことなく昔の山岳寺院の姿を残している。女性も受け入れたことから「女人高野」としても知られる。


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金堂をお参りした後、日本で一番小さいことで知られる「五重塔」へ。平成10年に台風による倒木で損壊し、その後修復されたが、修復後の姿は初めて見る。「女人高野」を象徴するかのようなかわいらしいお姿は健在である。その後、長い石段を登って奥の院もお参りした。帰途、金堂では祈祷が行われていたらしく、ホラ貝の音が鳴り響いていた。実によい雰囲気であった。


◆長谷寺(奈良22番・西国8番・真言宗豊山派総本山)


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続いて国道165号を西進し、狭い中心部を避けるため、初瀬ダム経由で長谷寺へ。ここは8年ぶりの拝観。名物の長い登廊を歩き、本堂に出る。そこに納経所のがあるのでご朱印をいただいた。

長谷寺は、686年、天武天皇のために道明が「銅板法華説相図」を「本長谷寺」のあたりに安置したことが始まりで、727年に徳道が現在の本堂の場所に聖武天皇の勅願で「十一面観音像」を祀った後、発展したという。

今、西国三十三所の本尊一斉開帳の一環で、御本尊の「十一面観音菩薩像」の特別拝観が行われていた。拝観料1000円はちょっと高いが、せっかくなので(この時点で寺側に踊らされているのか)拝観させていただいた。入口でお香を手に擦り込んで、左手に「五色線」というプロミスリングのようなものをまいてもらう。
頭がぶつかりそうなほど天井が低い廊下を歩くと、いきなり御本尊の巨大なおみ足が。触っても良いというので、ありがたく触らせていただいた。多くの人が触ったためだろうか、足の部分だけがつやつやと黒光りしていて、すべすべしていた。上を見上げると巨大な御本尊。まさにド迫力。手にひもが巻いてある。これが外につながっているのか。頭上では祈祷が行われているらしく、集団で読経する声が聞こえる。ここにいるのは私1人。なんともぜいたくな時間であった。そして足もとのまわりをぐるりと1周してお祀りされている十二神将像などもお参りする。
「五色線」のほかに御真影やお守りなどもいただいた。これで1000円なら安い!と感動する。外に出て今度は本堂の正面に回って、正式にお参りする。そのあと、アジサイが咲き始めた境内を散策し、満足して寺を後にした。


これで奈良も終了。神仏霊場会巡拝もいよいよ平安密教の2大拠点・高野山と比叡山を残すのみとなった。
ぼちぼち梅雨のような天気になりつつあるが、きょうは午後から晴れの予報。先月は仕事が忙しく、たまの休みも天気が悪かったので、ほとんどバイク(=えみりちゃん)に乗れなかった。きょうこそはとばかり、ほぼ1か月ぶりの神仏霊場めぐりへ出発。今回の目標は兵庫を終えること。
先月9日と同様、亀岡から372号線に出て、ひたすら西へ。

◆一乗寺(兵庫12番・西国26番)

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細いつづら折りの道路を登って行くと、突然目の前が開けて、駐車場が出現する。
ここも西国巡り以来ほぼ8年ぶりの参拝。拝観料を払うと、壁のような長い石段、それを登って行くと、左手に平安時代築の三重塔(国宝)、さらに登ると崖に張り付いているかのような本堂(重要文化財)が姿を現す。朱印は本堂の中の納経所でいただける。

法華山一乗寺は、インドから雲に乗ってやってきたという伝説上の人物・法道上人の開基と伝えられる。649年に法道が孝徳天皇の病気を治したことから、勅願で建立されたという。

行くまでの山道が複雑なので播州清水寺よりもかなり山奥に感じるが、標高は250m程度で、播州清水寺の半分くらいだそうだ。境内の建物の配置は、いたってシンプルだが、寺全体が緑に埋もれてしまっているかのように、山寺の雰囲気を漂わせている。

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◆廣峯神社(兵庫9番)

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再び国道372号に戻り、姫路に向かう。そして姫路競馬場に近い「白国」の交差点まで行くと、「広峯神社」の標識があり、それに従ってひたすら山を登る。市街地がどんどん下に見えるようになる。最初、バスで行くことも考えていたが、バス停は相当ふもとにあるので、徒歩で登るにはそれなりの覚悟が必要だと思う。鳥居の前の広場にバイクを止めて、10分ほど歩くと、神社に到着。土曜日ではあるが、私以外には登山してきたと見受けられるジャージ姿の人が2〜3人いる程度だった。朱印は拝殿前の社務所でいただける。

創建は733年。遣唐使で2度も唐に渡った知識人・吉備真備が神託を受けて今の奥の院がある場所に建立したとされる。972年に現在地に社殿が造られ、元の社殿があった場所に吉備社が建てられた。
寺の案内板には京都の八坂神社は869年に、この神社から遷座したと書いてあった。確かに両社ともスサノオノミコトを祀っているが本当だろうか。

建物の後ろには9つの穴が開いていて生まれ星の穴に願い事を書いた札を入れて願いを小声でささやくと聞き届けてもらえるそうだ。またきょうはいい天気だったので、境内からは姫路城や遠く瀬戸内海の家島などが一望にできた。

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◇謎のオブジェ発見

今回のツーリングでは、国道372号の篠山市と加東市の市境を少し篠山に入った場所で、道路脇に強烈なインパクトを漂わせる謎のオブジェを見つけた。どう見ても、地元特産の丹波の黒豆をモチーフにした作品だろう。
一般にこうしたオブジェは公園や休憩所などの目立つ場所に設置され、黒豆の生産量などのうんちくが満載された案内板などが併設されるものだろう。しかしこれは違う。道路脇の藪の合間に唐突に出現する。無造作に置かれたという言い方がふさわしい。周辺に案内板はおろか車を停めるスペースすら見当たらない。製作費も決して安くはないだろうに、誰に何を訴えようとしているのか皆目見当がつかない。台座にはただ「神山」と書いてあるのみだ。黒豆の生産者か、加工業者か、はたまたオブジェの制作者なのか??

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いよいよ残り4か所となった。奈良の2か所はまとめていけるので、あと3回で結願になりそうだ。
盛夏までには終えたいものだ。

  和歌山1か所  金剛峯寺
  奈良 2か所  長谷寺・室生寺
  大阪 終了
  兵庫 終了
  京都 終了
  滋賀 1か所  延暦寺

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