|
みなさん、どうもで〜す(・∀・) 今年のGWは岩国フレンドシップデーも中止になって行く場所が無くなり、どこかに出かけるかどうするかと迷っていたかわうそファミリー。 ダメもとで二週間まえに旅館を探して見るたら指宿の旅館と、九重にあるかわうその会社の保養所の予約がとれたので、5月1・2・3日に旅行に行ってきました〜。 初日の指宿の宿にに行く途中、今年も枕崎の火の神公園内にある、沖縄へ水上特攻作戦に向かう途中に撃沈された第二艦隊の艦艇の慰霊碑に行ってきました。 久々にこの場所を訪れると、戦艦大和の次に大型艦だったために集中攻撃を受けて沈んだ、軽巡矢矧の乗組員の方が体験した、大和が沈没した時の様子を紹介するプレートが増設されていました。 そしてこの搭乗員の方は、先日かわうそが紹介した軍艦防波堤に眠る、駆逐艦冬月に救助されて本土へと戻ってきたと書かれてましたよ。 火の神公園を後にしたかわうは次に日本最南端の駅である、西大山駅に行ってみましたよ〜。 と、ここまで鹿児島旅行の様子をお伝えしましたが、いつも鹿児島に来た時に訪れている知覧には今年は行きませんでした。 「どうして今年は行かなかったんだい?」 とお思いの方もいらっしゃるでしょうが、今年のかわうそは知覧の手前から進路を変えて吹上浜方面に向かい、加世田にある「万世特攻平和記念館」に行ってきました。 当日は大雨だったのと、館内で撮影可能な場所もありましたが、命をかけて出撃された方々の思いを写真で簡単に伝えるのはどうかと考え、今回は写真無しで紹介させてもらいます。 特攻隊が連日出撃していた知覧が、特攻機の出撃を食い止める為にアメリカ軍の攻撃を受けるようになると、当時の日本陸軍はここ万世で特攻隊を編成したり、知覧から特攻隊を移動させて沖縄近海のアメリカ軍に特攻攻撃を行いました…。 その様子を今に伝える万世特攻平和記念館は昭和20年、アメリカ機動部隊の索敵に出撃した時にグラマンに発見され、迎撃されましたがなんとか追撃を振り切って吹上浜に不時着後、数十年の時を経て発見された状態で展示されている零式三座水上偵察機や、沖縄の海に散華された隊員の方々の遺書や遺品が展示されています。 このように連日特攻隊を出撃させながらも、あまり知られている事のないこの万世特攻平和記念館。 かわうそはユーチューブで見たある動画がきっかけで、この地を訪れてみましたよ。 |
歴史
[ リスト | 詳細 ]
|
みなさん、どうもで〜す(・∀・) 数日前から降り続いていた雨も上がり、久々の晴天だった週末の夕暮れ、会社からの帰り道で若戸大橋を渡っていたかわうそ。 すると突然なんとなく寄り道したくなり、とある場所に車を向けます。 そしてしばし車を走らせて、かわうそが到着したとある場所とは… どこにでもあるような岸壁で、まぁ違いがあるとすれば遠くに若戸大橋と高塔山が見えている所ですかね〜。 釣り人がゆっくりと腰をすえて、釣り糸を海に垂らすこの岩壁… おやっ、よく見ると釣りをされている方の後ろに何か看板が立っています。 近づいて看板をよく見ると〜 大きく「軍艦防波堤」の文字が… そうです、今日は以前紹介しましたが工事中で入ることのできなかった、若松区にある軍艦防波堤に寄り道で〜す。 前々から行われていた工事も終わって、以前の姿に戻った軍艦防波堤…この場所で昭和23年から若松の歴史を見続けてきた駆逐艦「柳」 今日も静かに釣り人や洞海湾内を行き来する船を見守っています。 久々に軍艦防波堤内で撮影をしていると、柳の側で今日も楽しそうに釣りを楽しんでいる方々の姿が見られましたよ〜。 しかしその「柳」には容赦ない潮風が常に吹きつけ、船体の一部が朽ち果てているのが見受けられました… このような姿を見ると、とても痛々しく感じてしまいます。 これ以上軍艦防波堤が風化しないよう維持をしてもらいたいのですが、北九州市や若松区の予算の都合があったりで、維持するのはとても難しいのでしょうね…。 もし可能なら、民間の募金などにも頼ってもいいんじゃないでしょうか、かわうそなら喜んで募金しますよ〜。 今やに忘れ去られようとしている戦争の歴史を後世に伝えるためにも、軍艦防波堤にはいつまでもここに残っていてほしいです。 柳の艦首から昭和20年4月7日、戦艦「大和」が短い生涯を終えた坊の岬沖から生還を果たした、駆逐艦「冬月」「涼月」が眠る岸壁を見ます。
こうしてかわうそが撮影していると日も大きく傾き、夕焼けに染まる風景を撮影して、この日の撮影は終了です。 今や数少なくなってきた戦史を伝える軍艦防波堤、よかったらみなさんもぜひ一度尋ねて見てくださいね〜(・∀・) |

- >
- Yahoo!サービス
- >
- Yahoo!ブログ
- >
- 練習用
|
かわうそは車を走らせ、今は埋め立てられ工業地区になった軍艦防波堤に向かいました。 埋立地の奥にある石盤が指していた場所に着きました そうです、ここが軍艦防波堤のある場所です。 しかし今は護岸工事中で、軍艦防波堤には入る事は出来なくなってます… (事前に連絡すれば見学は出来るみたいです) 建設会社さんのご好意で、軍艦防波堤をわかりやすく紹介してくれています コンクリのブロックに囲まれているのが柳の船体です。 工事が始まる前は多くの釣り人で賑わう場所でした。 そしてこの辺りに冬月と涼月が眠っていると言われています。 (注:二隻が眠っている場所はいくつかの説があって、ここでは不明とさせていただきます) 冬月・涼月の戦いを紹介するプレート 昭和20年4月7日の坊ノ岬沖海戦での冬月・涼月の死闘は凄まじく、 現在も語り草になっている程です。 そして昭和23年から柳と共に防波堤となって若松の人々を守ってきましたが、昭和37年に船体が 朽ち果ててきた為、冬月と涼月はコンクリートの下に姿を消しました… こうして今も姉妹艦同士で寄り添うように眠る冬月と涼月… 平和な世の中が続き、軍艦防波堤が釣り人達で賑わうのを見てきっと安心して 眠りについているのでしょうね… 次回は坊ノ岬沖海戦での冬月・涼月の死闘を紹介しようと思ってます。
|

- >
- Yahoo!サービス
- >
- Yahoo!ブログ
- >
- 練習用
|
かわうそは車で高塔山中腹の少し入り込んだ場所に向かうと若松区忠霊塔に到着しました。 この忠霊塔とは、若松の発展の為に命を落とされた方々の冥福を祈る為に建てられたと聞いています。 そして忠霊塔の近くに石碑が建てられています この石碑は、軍艦防波堤に眠る駆逐艦で戦死された乗組員の方々の慰霊碑です。 そうなんです、軍艦防波堤とは戦後の昭和23年に防波堤として三隻の駆逐艦の船体を利用した事から 軍艦防波堤と名前がつけられたんですよ。 そして慰霊碑の下には、防波堤に眠る三隻の駆逐艦の戦歴が書いてあります。 「柳」は1917年に建造され、第一次世界大戦の時は連合軍の輸送船を護衛してドイツ軍の 潜水艦と死闘を繰り広げ、1940年に除籍された駆逐艦です。 「冬月」「涼月(すずつき)」は第二次世界大戦時に建造された駆逐艦で、アメリカ軍相手に 戦闘を繰り広げ、そしてこの二隻の最後の任務は水上特攻隊として沖縄に突撃することでした… そうです、軍艦防波堤の下に眠る冬月と涼月は戦艦大和と共に沖縄に向かい生還を果たした 駆逐艦なんです。 慰霊碑の下に書かれる三隻の戦歴(残念ながら柳は二代目の柳の戦歴が記入されています) 慰霊碑の近くに奉られる柳の船体の一部 慰霊碑の裏には戦没者の方々への慰霊の言葉が書いてあります こうして軍艦防波堤の由来がわかった所で、かわうそは現地に向かいます…
|

- >
- Yahoo!サービス
- >
- Yahoo!ブログ
- >
- 練習用
|
みなさん、こんにちわ〜。 今日は前にお話したかわうその住む町と、戦艦大和と関係のある物を紹介したいと思います。 かわうそはそのある物を紹介する為に、家から車で30分の所にある高塔山へと向かいました… ここは高塔山の山頂にある展望台です ここからは、眼下に広がる町並みを一望する事ができるんですよ〜 この展望台は市民から愛されている場所で、週末は多くの家族連れや恋人たちで賑わうんですよ〜 またここは桜の名所としても有名で、春になるとお花見の人々で賑わいます。 展望台には、ここから見える名所を紹介する石板があります そこに書かれる「軍艦防波堤」の文字… この場所に一体何があるのでしょうか? 実はこの軍艦防波堤の謎を解く鍵は、この高塔山の中腹に存在するんです。
かわうそはさっそく謎を解く為、中腹へと向かいました。 |

- >
- Yahoo!サービス
- >
- Yahoo!ブログ
- >
- 練習用






