| 私たちは、生きるためでしょうか、真に心許せる人と、「倶(とも)に一つの処(ところ)で会う」ことはなかなか叶いません。 |
| 考えてみますと、肌の合わない人々と毎日毎日会っているように思います。 |
| だからこそ、静かな一人の時間を欲するのでしょう。 |
| 繊細な人は、とりわけその気持ちが強くなります。 |
| そうでない人は、本能の赴くままに言葉を発し、行動します。 |
| 相手構わず、思いのたけを口にしていますから、それなりに発散もしておられるのでしょう。 |
| だからといって、生への悩みの薄いそういう人にはなりたいとは思いません。 |
| そういう人は、人の話を聞く耳を持っていないので、何事においても吸収出来ずに、人間としての幅も小さくなりがちです。 |
| こう書いている私も器が小さいものですから、人間としての厚みを少しでも増したいものだと、『謙虚・慎重・平常心』という言葉を今年も、新しい手帳に真っ先に書き込んでいます。 |
| お互いに信頼している人であっても立場の違いや環境の違いで別れなければならなかった人、会えない人。 |
| もっとじっくりと話をしたかった人とも、様々な要因で疎遠となってしまいます。 |
| とても、残念なことです。 |
| でも、いつかきっと「倶会一処」できる日が来ると信じて…。 |
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◇今朝の日経新聞で、作家の五木寛之氏の『倶会一処』という記事をさきほど読んで、思ったものです。
| 「倶会一処」という言葉がある。ともに浄土にまみえん、という心持ちだろう。 |
| 私はこの言葉が好きで、親しい人が亡くなったときには、いつも心の中で「倶会一処」とつぶやく。 |
| (五木寛之氏記事内容から一部抜粋) |
この言葉は、『仏説阿弥陀経』の中に出てくる言葉で、「いつかは共に極楽で会えること」です。
しかし、私もまた宗教心だけではなく、また、死んだ先のことに限ったことではない良い言葉だと思っています。
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ご理解下さい。
[ 天邪鬼のひとり言 ] 嵐風人
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この言葉は知りませんでした。奥深い言葉ですね。そうありたい人は沢山いるけど、実際できる人は殆どいないものですね。そういう人たちとは、死んでからの楽しみに・・・と思えばいいのでしょうか。
2007/1/3(水) 午後 5:22
とても深い言葉ですね。新しい部署での戒めの言葉にします。転載。ぽちお願いします。
2007/1/3(水) 午後 9:19
ウチの母方のお墓には「倶会一処」と刻んであります。○○家と書くのが普通だって思ってたけど、そんな深い意味があったなんて。。。転載します。
2007/1/3(水) 午後 10:07 [ kom**a783* ]
「倶会一処」心に刻んでおきたいと思います。
2007/1/3(水) 午後 10:11 [ Lucky megumegu ]
☆彡****さん、輝いておられますか。素晴らしいことだと思います。
2007/1/3(水) 午後 10:32
☆彡mamiさん、死んだ先のことだけではないと思っています。きっと、逢えると信じます。
2007/1/3(水) 午後 10:34
☆彡****さん、大丈夫ですよ。きっとその日が来ますよ。。。
2007/1/3(水) 午後 10:36
☆彡らぶりんさん、ありがとうございます。
2007/1/3(水) 午後 10:36
☆彡コムサさん、そうですか。お墓にありましたか。良い言葉だと思います。
2007/1/3(水) 午後 10:37
☆彡superdry_megumeguさん、心に刻むことは良いことですね。。。
2007/1/3(水) 午後 10:38
『倶会一処』そういえば姉の家のお墓(姪がひとりで入っています)にも書いてあった気がします。○○家と書いてしまうと他の人が入れないから・・・と聞いたような覚えが^^;『倶会一処』とても感慨深い言葉ですね・・・
2007/1/4(木) 午前 0:42 [ - ]
平常心でも なぜか お逢いしたいです
2007/1/4(木) 午前 7:24 [ マコ ]
五木寛之氏は、自分にとって尊敬する人物のうちの一人です。彼の著書は、自分に沢山の思い・考えを与えてくれます。「倶会一処」…自分も心におもう言葉です。後鳥羽和泉
2007/1/4(木) 午後 9:44
先生、おはよう御座います。昨日廻れなかったもので、これもまた頂いて参ります。
2007/1/6(土) 午前 7:30