人間には、感情というものがいくつあるでしょう。 喜・怒・哀・楽・愛・憎・恩・恨 これらを基本として、 恐怖もあれば、不安もあり、嫌悪もあり、憎悪、嫉妬、妬み… 心が綺麗になるために日々精進することは、間違ってはいません。 しかし、これらすべての感情は、人間が人間である限り、等しく備わっているものです。 (個性による、濃淡はあります) 大切なことは、とりわけ、憎悪も嫉妬などの感情も誰もが備わっているということを認識することだと思います。 そういう前提で言いますと、 自分に憎しみの心、妬みの心を否定することは、人間自体を否定することに他ならなくなります。 あって当然なのです。 要は、バランスであって、表現方法ということでしょうか。 私は、性悪説の立場です。 だからこそ「人間は、未熟だ、だから愛せるのだ」と。 ご自分の中に、憎悪や嫉妬心などを発見し悔やまれるということは、 (未熟な)人間をすべて否定していることにはならないでしょうか。 他の人よりも、人一倍綺麗な心のあなたが、 それで苦しまれることが、とても悲しいとの思いで書かせて頂きました。 もっとも、「私の心が綺麗です」と自ら言われる方は、あなたも私も苦手であることは同じですね。 ◆性悪説…人間の本性は悪であり、たゆみない努力・修養によって 善の状態に達することができるとする説。荀子(じゅんし)が唱えた [出所:大辞泉] ◆なお、下記は、誤解です。 性善説…(人の本性は善であり)人を信じるべきだという考え方 性悪説…(人の本性は悪であり)人は疑ってかかるべきだという考え方 ※関連記事です。 |
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