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小泉自民党が圧勝したその余韻が覚めやらぬ、 10月31日14時ホテルニューオータニで、 故後藤田正晴元副総理のお別れ会がありました。 午前に、自民党三役人事を終え、夕刻から小泉内閣改造内閣の組閣人事が着手されるという、まさにその日その時間に行われました。 哲学と信念の政治家と言われた後藤田元副総理は、小泉自民党の圧勝を見届け、その数日後に他界しました。 お別れ会は、冒頭述べた第三次小泉改造内閣発足のその日となったことは、偶然ではないように感じます。 後藤田元総理が語った言葉で、大変有名なものが後藤田五訓です。 危機管理の第一人者佐々淳行元初代内閣安全保障室長の著書で、有名になりました。 当の後藤田元総理が、来訪者より「後藤田五訓を色紙に書いてもらえませんか」と言われ、何のことだと当時の部下である、佐々淳行氏に確かめたという逸話もあります。 後藤田五訓というのは、当時官房長官であった後藤田氏が、内閣五室制度発足の式典における初訓示のことです。 内閣五室というのは、 1.内閣内政審議室長 的場順三(大蔵省出身) 2.内閣外政審議室長 国広道彦(外務省出身) 3.内閣安全保障室長 佐々淳行(警察・防衛庁出身) 4.内閣情報調査室長 谷口守正(警察庁出身) 5.内閣広報官室長 宮脇磊介(警察庁出向) ◆後藤田五訓の教え
以後、諸君は大蔵省出身だろうが、外務、警察出身だろうが出身省庁の省益を図るなかれ、「省益ヲ忘レ、国益ヲ想エ」。省益を図ったものは即刻更迭する。 次に、私が聞きたくもないような、「悪イ、本当ノ事実ヲ報告セヨ」 第三に「勇気ヲ以ッテ意見具申セヨ」「こういうことが起きました、総理、官房長官、どうしましょう」などというな。そんなこといわれても神様ではない我々、何していいかわからん。そんな時は「私が総理なら、官房長官ならこうします」と対策を進言せよ。そのために君ら三十年選手を補佐官にしたのだ。地獄の底までついてくる覚悟で意見具申せよ。 第四に、「自分ノ仕事デナイトイウ勿レ」オレの仕事だといって争え(積極的権限争議)、領海侵犯をし合え、(テキサスヒットを打たれないよう)お互いにカバーし合え。 第五に、「決定が下ッタラ従イ、命令ハ実行セヨ」大いに意見はいえ、しかし一旦決定が下ったらとやかくいうな。そしてワシがやれというたら来週やれということではないぞ、いますぐやれというとるんじゃ、ええか。 (略) 「後藤田五訓」は私たち五室長を拘束すると同時に「両刃の剣」で、いい出した後藤田官房長官自身をも拘束することになった。 (以上佐々淳行著「わが上司 後藤田正晴」より) 後藤田五訓は、どのような社会にも生かせるものです。 次元は余りにも違いますが、私も部下の数名に話したことがあります。 1.所属する部署だけの利益を考えるな。会社全体そして、社会に与える影響まで考えるべき。私利私欲ではいけない。それで行動することが自分にも返ってくるものでもある。 2.私が不機嫌になることも遠慮はするな。上っ面だけの報告では、会社は滅亡する。 3.評論家ではいけない。何事も相手の立場になって考えろ。自分ならどうするのか。批判・反論だけでいけない。 4.おかしいと思ったら、他の部署のことでも意見を言え。遠慮しているうちに終わってしまう。 5.確かに、上司にもよると思うが、指示・命令には即座に反応しろ。(疑問に思う上司であれば、優先順位を考えろ) 佐々氏が言われている通り、こういうことを話せば自分自身をも拘束することになって、確かに「しんどい」ものです。 当時の佐々淳行内閣安全保障室長が日本の安全保障上の重大な問題発生についての報告をするために、日曜日に自宅で、休養中の後藤田官房長官への電話をかけました。 電話口に出た後藤田長官は不機嫌の塊で、 「電話でいえんのか。日曜日の午後昼寝するのはワシにとって健康上大事な日課じゃ。ウチに来られるのは迷惑じゃ」と言ったそうです。 カミソリ後藤田と異名を取った人が、時にはこのような対応をする。人間味を感じてホッとします。 ここまで言われて、諦めないところが佐々淳行氏です。国家の一大事ですから、諦めるようでは論外ですね。 自宅に訪問して、まさに不機嫌を絵に描いたような渋い顔の寝起きの悪い後藤田官房長官に事態の報告をし、対応方の協議が終わると、 「よおくわかった。佐々君、御苦労でした。早速総理と連絡して急いで対処方針を決めよう」 ※ちなみに当時、後藤田正晴官房長官 73歳 佐々淳行内閣安全保障室長 57歳 [ 天邪鬼のひとり言 ] 嵐風人 |
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2005年11月16日
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